Nスポ


1月31日

「バン○イ」


作詞N島 作曲ウ○フ○ズ



♪イェーイ 仕事辞めてよかった


♪このまま ずっと ずっと 死ぬまでNEET  ※1


♪バンザイ 仕事辞めてよかった このまま ずっと ずっと ラララ無職


♪つまらない事で俺をこまらせて 思い出す度 腹が立つ


♪笑っちまうくらいに毎日は ただもう過ぎてく あっという間に


♪スゲェスゲェ憂鬱な気分の時は 帰り道で仕事思い出す


♪コンビニをうろうろしながら 思い出し怒りをかみ殺す


安い仕事はしたくない 割には合うよう


サービス残業なんかしたくない だからBaby 仕事 仕事 仕事 辞めたよ


♪イェーイ 仕事辞めてよかった このまま ずっと ずっと 死ぬまでNEET


♪バンザイ 仕事辞めてよかった このまま ずっと ずっと ラララ無職








仕事辞めました

マジです。
一応、2月20日付けですが、明日から有給消化。

2月1日よりニートです。




続いて、2曲目

「俺はNEETさまだ」 ※2

作詞N島 作曲ジャイ○ン


♪俺はNEET 役立たず〜


♪日本腐敗の男だぜ


♪フリーター プ〜は目じゃないよ レ○ク プ○ミス ドンとこい


♪博打も好きだぜ まかせとけ


♪なんだよ、なんだよ、所得税を払いないさいってそりゃないよ マルサさん



※1 NEETに関しては10月7日のNスポをご覧ください。この歌詞にも二通りの説がありまして、「死ぬまで」ではなく「しばらく」だろうとの説もあります


※2 原曲を知りたい方は「俺はジャイ○ンさまだ」でネットで検索してください。

N企画
俺はミュージシャンになるっ!!と叫ぶネタを披露する。



1月30日

松井証券

で2月から中国株が買えるようになると先日申し上げました。
それで、少しそのことについて考えていました。

現在、中国は戦後の日本のような成長を見せています。
しかも、まだ富裕層と貧富層の所得格差が広がっており、日本のように1億総中流といった状態には程遠いです。

このまま所得格差が広がっていってしまうのでしょうか。
そう主張する人もいますが、N島はそうはならないと思います。

何故なら、水と同じように、お金も高いところから低いところへ流れるからです。
一部の富裕層がお金を持って余裕ができると、今度はそのお金を使うようになります。

お金を使う人が増えれば、必然と末端にもお金が流れてきます。
まだ、中国では労働賃金が安いため、末端にはそれほどお金が流れていませんが、今後は現在流れ始めたお金が全体に回るようになると思います。

日本のバブルの時もそうでしたが、崩壊後もすぐには深刻な不景気になりませんでした。
理由は川上でお金の流れがストップしても、その前に流れたお金が回っていたからです。

つまり、やはりお金が回るにもタイムラグがあるんです。
今、中国のおかげで一部の企業の業績がかなり良くなっていますが、これが続けばいずれ末端にもお金が回ってきて、好況感を感じることができるようになるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、今後中国株で利益を得るにはどの業種がいいかと思案していました。

先日までは不足しているエネルギー関連や自動車、流通がいいと思っていたのですが、過去に読んだ本を思い出し、それ以上に不動産会社が狙い目なのではないかと思いました。


前提として、歴史は繰り返すとの言葉はN島は正しいと思っています。
つまり、過去において必勝法だった方法は現在においても必勝法になると思っています。

昔から、権力を持った人は土地を持っていました。
三国志の例から見ても分かるとおり、最終的には領土を一番多く持っていた魏が他の2国を飲み込みました。

日本のバブルのように成長国に関しては土地神話が成り立つと思います。
ということは、不動産会社の株を持っていれば、キャピタルゲインでも期待できるし業績でも期待できる。

だから中国の不動産会社の株を買おうと思います。
ただいきなり不動産だと利益が少ない。

そのため・・・
エネルギー→流通→不動産

といった買い替えを狙っています。

Nの野望は達成できるか、チャンスが目の前にあります。

N企画
とことんドラ焼きにこだわってみる。



1月29日

スキルアップ

しました。
何の話かというと、当然ギャンブルです。

内容はスロットで設定判別ができるようになりました。
以前は、甘えがあり、面倒くさいことや理論的に理解しがたかったことは避けていたのですが、それでは普段負けている人と同じです。

負けている人と同じ事をしていては当然、負けます。

面倒くさいに負けていると、こういった成長をしなくなり、結果、望ましくない状態に行き着きます。

ギャンブルにかぎったことではなく、自分に敷居が高いと感じたことでも、明らかに自分に利をもたらせることであれば、当然挑戦をすべきです。

一度で分からなかったとしても、分かるまでやればいい。
大体、すべてのことに言えると思いますが、世の中の知識や仕組みで分からないことなんかあるはずないんです。

分からないんじゃなくて、分かろうとしないだけです。
理由は面倒くさいから。

思い当たりませんか、投げている過去の自分の姿が?
N島は悲しいくらいあります。

そんなわけで、真剣に設定判別の仕組みを調べて理解しました。
まだニューパルサーという台だけですが、基本を理解すれば、別の機種でも理解することが容易くなります。

N島が会得したのはセルフサーチ方式と呼ばれる判別方法で、子役の差枚数カウンタを利用します。

ビッグボーナス後、カウンタは0にリセットされます。
設定5以上だと1枚につき−103でそれ以下だとー100です。

そして、1枚払い出されるごとに+256。

カウンタがマイナスにあると子役高確率状態なので、チェリー確率が4分の1くらいにあがります。

それで、高設定であればここでチェリーが出るというポイントでチェリーが出るか出ないかを何回も試します。

今日それで、設定4以下を3台判別に成功しました。
って痛い話だ・・・

やり方なんですが、ビッグ終了後、クレジットを落します。
それで、13枚か23枚好きな方を入れます。

そして1回転だけそのまま回して、あとは9枚手に持って、2枚入れ1ベット、2枚入れ1ベットを繰り返して、残り1枚になったら、1枚入れ2ベットします。

無くなったら、再度9枚手にもって、2枚入れ1ベット、2枚入れ1ベットを繰り返して、残り1枚になったら、1枚入れ2ベットします。

判別ポイントは60ゲーム以上上記を繰り返した後のクレジットが13枚入れの場合は10の時、23枚入れの時は20の時です。

そこで設定が1〜4の場合はクレジットが10ではなく9や8でチェリーが出るようになります。
逆に5,6だと10や11でチェリーがでるようになります。

理屈は2枚入れと1枚入れを繰り返すと、丁度子役カウンタ0付近で現状のクレジットを維持できるからクレジットが0にならずに子役が揃うんですね。

注意点は3点あります。
1つは50をオ−バーしてしまう場合、これはお手上げなので、ハサミ打ちで目押しをし、子役を外しましょう。

次にバケ。
理屈から言うと、15枚役なので現状のカウンタの数を覚えておいて、REG終了後、クレジットを落として、記憶した数字に15枚加算しましょう。
N島は混乱するのでバケの時は判別を諦めていますが、改善していこうと思います。

そして、たまたま子役が揃わず、クレジットが0になった場合。
この場合は0になった時点で手持ちのメダルを10枚追加して判別ポイントのクレジット数を10追加しましょう。

判別ポイントがクレジット10だった場合はポイントを20にするということです。

スロッターの皆様は是非、一度判別してみてください。
かなり面白いですよ、毎回判別ポイント時のドキドキ感が。

N企画
カイジ語録の本、3巻持っています。対抗してN島語録を作る。



1月28日

土日も労働

しようかと思っています。
無論、会社には内緒です。

というのも、時代錯誤とも言える副業禁止が就業規則に盛り込まれているからです。
もしくは仕事の特性上、休日に働くことが前提となっているからなのか、比較をすることによる労働意欲の低下を恐れているのかは定かではありません。

ですが、以前に読んだ週末起業の本や、副業生活といった本を読む限り、不況感の否めない現状では副業を解禁する企業も増加しているようです。

なので、これといって建設的なことに休日をあてていないN島は、不労所得生活のための種銭作りをしたほうがよいのではないかと考えました。

もちろん、思うだけなら誰でもします。
その誰でもから一線を画するためにも行動が必要です。

どういう行動を取るか。

実は計画は既に立てています。

N島の実家は飲食店を営んでいます。
そして、先月新規に日出町にて3店目を出店しました。


父が経営をしているのですが、当然、ずっと接客を3店同時で行うことはできません。
お店は賃借をしているので、寝かせておくと無駄が発生します。

その無駄を埋めようと考えました。
つまり、父が営業できていない時間をN島が営業しようじゃないかということです。

これのおいしいところはリスクが父が既に背負っているので、N島はノーリスクだということです。

家賃も光熱費も父が背負っている。
当然、営業をしたらアガリの何割かは提供しなければなりませんが、短時間とは言え、自らが経営に触れるいい機会です。

例え、単純労働よりも利益が安かろうと経験という貴重な利が手に入ります。

では具体的にどうするか。
実は3店目は立地的にはかなりいい場所なんです。

WINSの近くにあるので、土日は客足がありそうです。
周囲には土日の昼間にグリーンチャンネルで競馬中継をしているお店が多数あります。

それなりに人は入っているみたいなので、広告さえうまくやれば、土日の昼間の営業で効率の良い仕事ができそうです。

ただ、他店と同じサービスでは当然、競争に打ち勝つことができません。
そこで、考えました。

土日の昼間のみの営業で、ターゲットは競馬ファン。
飲食店の経営にはある程度の資金が必要であり、オーナーは中高年に多い。

当然、中高年の飲食店に従事する方はIT関係にまだそれほど強くはありません。
都合のいいことにN島はIPATに入会しているので、パソコンさえインターネットにつながればどこからでも馬券の購入が可能です。

まだ、調査をしなければなりませんが、新しいお店に回線を引き、プリンターを設置する。
パソコンは現在使っているこのノートパソコンを持ち運び使用する。

接続に関しては、N島が今入っているビーフレッツをマルチにして、同設定で自宅と店舗で使用できるようにする。

JRAに問い合わせ、IPATによる馬券の代行購入がノミ行為にあたらないかを確認する。
ノミ行為にならないようであれば、それを証明する書類をもらい、ノボリか何かで広告。

少なくとも、IPATを利用してオッズの出力サービスはつけられそうです。
このあたりで他店との差別化をはかります。

おおまかな概要はこんな感じで考えていますが、実際はもう少し詰めなければならない点もあるでしょう。

キーポイントは広告。
いくら高サービスを提供しようとも、潜在的な客になりうる人に存在をアピールしなければ人は来ません。

それを粘りによる口コミに頼るのか、何らかの手段を講じるのか。

とりあえずは、マーケティングや広告の本を探す必要がありそうです。
N島が思うだけではない人間であることを証明できればと思います。

N企画
抱いて巻きをする。(くだらないアダルト向けの正月番組でやっていた伊達巻のパクリ)



1月27日



買いました。
先日の深夜、早速いつもの運動でトライです。

新たな運動レパートリーが増えて喜んだのも束の間でした。
凧を上げようと走るも、上がりきる前に疲労で失速。

全然凧が上がりません。
しかも翌日筋肉痛。

週に3回運動をしているのですが、まだまだ運動不足のようです。

しかも、食欲に正直でいすぎたため、最近肥満気味。
座った時の土星の輪のような横腹のお肉が気になります。

おかしい・・・・
7年前まで体脂肪率10%を割っていたのに・・・・

何故、現在は20%オーバーしているんだろう・・・・

ビジュアル的なものもありますが、どうも肥満はいい気がしません。
というのも、俗に言うアキバ系と呼ばれる人も、こないだの幼女殺人の犯人小林薫容疑者も肥満というイメージがあります。

N島は残念ながら善人面ではなくどう考えても悪人面なので、これに肥満が加わってしまうと、陰湿犯罪者に見えてしまいます。

しかも、肥満というのは自分を甘えさせ、律することのできない人間であるという情報を放っている気がするんですよね。

偏見かもしれませんが、自己意識の弱さを感じます。
その弱さが、アキバ系と呼ばれるひきこもり気味の青年や、理性を失い越えてはいけない1線を越えてしまう犯罪者を作り出す気がします。

健康面でもいいことはありません。
そう考えると、現在の肥満気味の兆候が見られる時点でなんらかの対策が必要です。

やはり、問題は食なのでしょう。
食事制限をすると、体が生存のために脂肪の備蓄を優先させてしまうので逆効果になる。

だから、腹いっぱいになり、肥満の要素となる物質の少ないものを食べる必要があります。
何かいい食事はないものでしょうか・・・・


と考えていたのですが、それにしても納得がいきません。
何故、本来なら太らない体質であるN島が肥満に悩まなければならないのでしょうか・・・・


しかも・・・・












ヘルシア緑茶毎日飲んでいるのに。


○王を訴えてやる!!

N企画
ヒロシのイベント探し



1月26日

共依存

という言葉をご存知でしょうか。
先日、ネットのニュースに載っていたのですが、心の病のひとつだそうです。

そして、共依存症にかかっている人を共依存者と呼ぶようです。
そのニュースの1文を抜粋すると・・・・

“共依存者”とは、自分自身を大切にしたり自分自身の問題に向き合うより、身近な他人(配偶者、親族、恋人、友人など)の問題ばかりに気を向けて、その問題の後始末に没頭する人を指すらしいです。

何が問題かあまり詳しくは載っていなかったのですが、おそらくは自己よりも他を優先してしまい、自己の問題を解決せず、フラストレーションが溜まっていくということなのではないでしょうか。


これは女性に多く見られる症状らしいです。
それで、ふと思ったのですが、なんでそんな病にかかってしまうのでしょうか。

N島が思うに、ちょっとした逃避と女性の作り上げる社会の特性が絡んでいる気がします。
偏見なのかもしれませんが、女性の社会というのはどうも単独であることをひどく恐れる傾向にある気がします。

ですから、グループを作る。
そのグループの維持のためには他人に対しての関心を強くしなければならない。

だから、グループ内の一人が問題を抱えたら、みんなでそれを解決し、グループの結束を強くする。

そういう意識が無意識に働いているのではないかと考えたのが1点。

もう1点が、逃避的な要素なのですが、自分の問題に取り組むと痛みを伴なうのではないかということです。

例えば、仕事にしろ、交際相手にしろ、自分自身のメンタルな問題にしろ、解決しようとすると、自分自身が嫌な思いをしたり、プレッシャーのかかる場面に出くわす可能性がある。

誰だって痛みを感じたくない意識が働くから、最初からそうなりうる選択を避けているのではないか。

だから、自分自身のリアルな問題に取り組みたくない。

その点、他人の問題なら、解決すれば感謝されるし、失敗しても痛むのは自分ではない。
冷たく聞こえるかもしれないが、無意識にそう計算している。

つまり、ノーリスクなんです。
ノーリスクで自分が感謝されるかもしれなければ、人によく思われたいという気持ちが強い人なら、当然それをする。

自分の問題はリスクが伴なうから先送りになる。

それが原因ではないかと思います。
つまり、堅実すぎる女性がそうなるのではないでしょうか。

リスクを嫌い、最初からそれを避ける。
一見、正しいように思えますが、N島は懐疑的です。

というのも、リスクを取れないと現状は何も変わらないんです。

ですから、共依存者として問題を抱えている人は、共依存症を抜け出すためにも、まずはリスクを取ることを恐れないようになる方が良さそうです。

つまりは・・・・・








ギャンブルができる人になればいいんです!!

美人スロッターが増えればいいなあ・・・

N企画
N島の女性専用スロット講座を開く。そして、先生と呼ばせて蕩ける。



1月25日

否定は易し、肯定は難し。

N島にも言えることで、ネックになっていることなんですが、男性に共通している気がすることです。

どうも、男性は狩猟時代からの名残なのか、競争意識が強く、他人と自分を比較します。

で、比較して分析するだけなら良いのですが、自分と異なっている場合、どうしても正当性を主張するためなのか、それとも優位性を強調したいのか、自分と違う同性または異性を否定する傾向にあります。

これは明らかに自分に不利益をもたらせるもので、頭ではやってはいけないと思いながらついついやってしまうことです。

あいつは駄目だとか、これが分からないから○鹿だとか、たいしたことないとか。

皆さんにも記憶にありませんか、こう言っている自分に?


で、何が問題かというとこれを聞いた対象はまったく同じことをするんですよ。


あいつはああ言っているけど、こういうところを見落としているから駄目だとか、その前に考えることがあるだろうとか・・・・・

つまり、折角円滑にいっていた人間関係をも崩しかねないことです。

で、これをする人間は残念ながらN島の経験上、器が小さい。
自分も含めてそう思います。

器の大きい人間は実際にどんなに駄目な奴をも味方にします。
駄目な奴を否定することなく、肯定してやれるんです。

N島は結果を出していなく、怠惰な状態にある人間を肯定してやることができません。
そんなんじゃ駄目だよというニュアンスを伝えてしまいます。

感情のレベルでは、否定することで、気付くなり、発奮するなりして現状を変えて欲しいと思っている部分と、自己肯定の気持ちが重なって、否定をするのですが、受け止める側はそうではない。

受け取る側も感情に支配される人間であり、聖人君子ではなく、しかも人が否定するような結果を出している人間です。

感情をコントロールすることなどできるはずがない。

ですから、当然自分を否定する人間のことなど信用するはずがないんです。
否定された方は、何言っているんだ、こいつ?
人の心配する前に自分はどうなんだよ?ということになります。

もちろんとんでもなく優秀な結果を出していれば、そうはならないでしょうけど。

しかし、そうそうそんな完璧な人間など存在しません。

ですから、自分の信用を失うだけ否定は不利益なんです。
現状を変えて欲しいなら、7つの習慣の著者が息子にしたように肯定から始めるべきなんです。

頭ではN島も理解はしています。
ですが、できていない。

このあたりが2流の壁を突き破れない理由なんだろうなと思います。

で、本日も思うことがありました。
実はN島の会社のN島がいる支社はここ3年間、減収減益を続けています。

他の支社が成長する中、N島の支社は毎年退化しています。
理由がどこにあるかと問われると、やはり社員のモチベーションの上げ方が下手なところにあります。

タイトルのとおり、否定は簡単にできますが、肯定は難しい。
トップが朝礼で、我々社員のことを思いっきり否定するんです。

そのようなことをして、この人のためにと思う人間がどれだけいるのでしょうか?
一昨日の朝礼の言葉は衝撃的でした。

彼が言った内容はこういったものです。

「キミ達は東京三○銀行に入れるような一流の人間ではない。だから、2流の印刷会社に入ったんだろう。2流なんだという自覚を持って、2流なりに頑張れよ。」

聞いた瞬間、来年の減収減益に歯止めはかからないと確信しました。
気持ちは分かります。

このままじゃ、俺はお前等を肯定してやれないから、そうなるくらいの結果を出せよと言う気持ちがあるんでしょうけど、世の中は言ったことしか基本的には伝わらない。

深い信頼関係があったとしても口を滑らせた一言で信頼を失うこともあるのです。
日常的にこんなことを言っていて信頼関係があるわけがありません。

しかも、情報の開示が行われないから、おそらく社員のほとんどは自社の現状を知らない。
知らないものに愛着がわくわけはありません。

日経ビジネスを読む限り、企業再生は会社を動かす前にまず人の心を動かせと書いてあります。

信頼関係を構築し、この人のためにと思われるような行動を取り、状況をすべて情報開示して、現場に率先してトップが身を削って、はじめて改革がなされるのです。

それなのに、否定から入っていたのでは見通しは暗い。

こんなことを思いながら、肯定すれば明らかにすべてがうまくいくのに、それができていない自分と重ね合わせ、思ったのがタイトルです。

みなさんは否定よりも肯定をしていますか?
もし否定の方が多かったら、考えどころです。

正直、そのままでは生涯負け組みです。





・・・・・・また否定している自分に気付くN島・・・・
が、学習能力0?

2年前に買った相田みつをの「人間だもの」をもう一度読もうかな・・・・・

N企画
カ○ジの利○川さんのような人に、だからお前達は駄目なんだと説教される。



1月24日

覚えていますか?

みなさん、今日という日を覚えているでしょうか。
昨年より、毎年1月24日は特別な日となったのです。

平均的であることへの嫌悪、横並びの画一的な人間からの脱却。
その望みを叶えるために今日という日が創設された。

さあ、祝おう!!
シャンパンをあけて。

もう、どこにでもいる普通の人間であることはやめた。
普通という名の枷に縛られ、他人の目を気にしながら己と異なることがあることにビクビクしながら生きることをやめよう。

違ったっていいじゃないか。
いやむしろ、違いを誇ろう。

個であることの自由をおおいに満喫しよう。

さあ、杯を手に持って乾杯だ!!















メリーエヌジマスッ!!
今日はエヌジマスイブ。

クリスマスイブを祝うことを止めた、個に開眼した人たちの祭典が行われる日。
パーティーだとコンビニで用意したちょっと奮発した料理を広げるも、参加者はN島一人。


黙々とケーキを食べながら、来年の目標はエヌジマス参加者を3名以上にすることです。

N企画
明日はエヌジマス。Nアイランドに来てくれている人はきっとみんな、掲示板にメリーエヌジマスの足跡を残してくれるんだろうなあ・・・・



1月23日

ぺんぺん草・・・・

ですら枯れてしまいましたN島です。
ええ、後には何も残っていません。

荒野です。


俺、もうギャンブル止めようかな・・・・
もう、駄目だよ。

真っ当に働くよ。
惜しくも、サカラートが4着でした。

後、少しだったのに・・・・

もう家にあるマークカード全部捨てて、スロットなどしたことがありませんという顔をして生きていこう・・・










などと思うわけがありません。


かつてエジソンは言いました。
電球を作ることに1万回も失敗したのに、何でそんなに失敗しても諦めなかったのかとの問いに対して・・・・

失敗など存在しない。
あるのは成功と学習だけだと。

そう、負けは学習なんです。
それに自信があるレースは確かに当ってはいないが、来てもおかしくない着順にはいます。

サカラートもそうですし、マルカキセキも、プリサイスマシーンもシルクフェイマスもそうだった。
ちょっと足りない。

ですが、そのちょっと足りなかった馬がきた時、穴が出ます。
つまり、考え方は間違っていないはずです。

パチンコもスロットも、どんな高設定ですら、1回転でボーナスを引くことは難しい。
競馬も同じです。

当選確率と試行回数と回収率の組み合わせで、勝つのがギャンブルの勝ち方です。
当然、、改善すべき点も多数あるとは思いますが、方向性が間違っていないことには確信が持てます。

後は買い方と、絞込み方法。
丁度、財布が軽くなったこともあり、しばらく外出できそうにありません。

過去の競馬の結果を洗い直して、勝利方法を考えようかと思います。
何事にも不可能はありません。

何故、多くの人間がギャンブルで負けるのか?
それは反省と改善をしていないからだと思います。

外れて損をするという学習をしているのに、次に生かしていない。
そう思う根拠は簡単です。

WINSに行った帰りにゴミ箱を見れば分かります。
外れた中年たちが、自分で書いた買い目の新聞を結果を書かずに捨てています。

つまり、反省をしていないと公言しているようなものです。
これでは次も同じ失敗をするでしょう。

少なくともN島は、ギャンブルで副収入を得られるくらいのレベルに達したいと思います。

そのためには反省が必要。
どうも、思うに馬が勝つときは騎手が変更した時のような気がします。

これも正しいかどうか検証したい。

何とか、この惜敗続きの現状の突破口を開きたいと思います。

N企画
嗜好品に凝る。珈琲だったり紅茶だったりに。



1月22日

不良債権回収

をしようと思います。
ええ、当然N島が預けているおそらく数百万円のお金を引き出すつもりです。



もちろん、皆さんご存知のJRA銀行です。
そろそろ定期預金の満期だろうと思いまして、今日こそは有り金じぇんぶ突っ込みます。

じぇ〜んぶです。

後にはぺんぺん草一本残りません。
って待てよ・・・最初から何故なくなることが想定されているんだ?

自信があるから本日の更新ネタにしているんだろ?
だったら、後にはアタッシュケース3つが満杯でいいじゃないか。

にしても思うのが、これ21日分書いた直後に書いているんだけど、内容がとても同一人物が書いているとは思えないよな、ホント。

なんで、日本のモラル教育がと言っていた人間がギャンブルで一攫千金になっちゃうんだろうなあ・・・・

まあいいか、その2面性、ギャップがたまらなく女性には魅力的なはずだ。
うん、そうだ、そうに違いない、絶対そうだ。

てことで、予想です。
実はかなり自信あります。

というのも、勝負時なんですよね。
もちろん当らない可能性がありますが、厩舎の意図を考えると、ここが張りどころなんです。

人気薄で超一流騎手、一流厩舎の組み合わせ。

レースは京都11R
平安ステークスダート1800Mです。

以下が予想です。

◎12番サカラート
○15番ピットファイター
▲14番ジンクライシス
△2番ローエングリン
△16番トーセンブライト

上記を厚めに買いますが、6枠から総流しです。
特に8枠と7枠へは厚く買います。
当然単勝12番は買いです。

根拠ですが、サカラートの厩舎は石坂厩舎、2003〜2004年にかけて武豊騎乗の際は、勝率が5割、連帯率が7割5分です。

つまり、武豊騎乗の際は勝負時。
しかも休養明けで、この厩舎は休養明けの成績が非常にいい。

おまけに厩舎は強気で、馬は人気薄。

ここで行かなければいついくのでしょうか。
っていつも外していますが、百発百中は不可能です。

ですが、10発1中でも、倍率が20倍前後なら勝てます。
今日のおかずはステーキだ。

ふりかけにならないように気をつけます。

N企画
一人ダーツを堪能



1月21日

個性の尊重に代表される自由主義

について中曽根元総理の主張を読みました。
なかなか、面白いと思ったのですが、最重要課題は教育だという点でN島も同感でした。

というのも、教育は最優先事項だと思います。

何故なら、狼に育てられた人間の子供の例を見るかぎり、人間という種別で生まれたとしても、人間としての特徴(言語、二足歩行、社会性)といったものは、教えることで備わるものであり、狼に育てられると、その人間としての特徴が備わらなくなるからです。


マナーの遵守、コンプライアンス(法令遵守)、モラルや魅力の取得、そういったものはすべて教育をすることで、身につくものです。

管理職も、管理職としての教育を受けることでその器になります。
すべてにおいて言えることが、教育なくして、成長なしということだと思います。

実際に、日本で教育というと学力というイメージがN島にはありますが、それは真の教育ではない。

ユダヤ人に代表されるように、真の教育とは知恵の教育であり、知識の教育ではないと思います。

元首相の主張では、米国に代表される個性の尊重は、米国ではキリスト教と言うモラルを教育する場があったからこそ成り立つ主義であり、日本ではモラルの模範となる教育がないのにも関わらず、個性の尊重が一人歩きしすぎているといった内容でした。

これを読んだとき、非常に納得させられた気がします。

確かに昨年読んだ武士道を考えると、武士道はモラルの教育の塊でしたが、現在の日本にそれに代わる教育はありません。

例えば、モラルとは話がズレますが、武士の切腹にしたっていきなりしろと言われても、怖いだけでできることではありません。

それをできるようにするための教育が行われている。
つまり、いつ切腹してもいいという覚悟を持たせるための教育がなされているんです。

このように人間の行動規範(モラルを含む)は教育によって作られるものです。

最近、日本では犯罪が多発しています。
以前は殺人犯の検挙率が9割だったこの国も今では4割台。
逮捕される確率が5割を切っているのです。

これだったら殺った者勝ちと考える人間がいてもおかしくはない。


警察のモラル意識の低下もさることながら、簡単に人を殺してしまったり、毎日のようにワイセツ罪でそれなりの立場のある人が捕まったりしています。

確かに男性側にいるN島も、そこに誘惑があったら、抗うことができないかもしれません。
ですが、そういった誘惑に対して毅然とした態度で臨めるようにするのが教育です。

現在の日本にそういったモラル教育の場があるでしょうか?
以前は家父長制で封建制度のような武士道の教えがありましたが、現在はそういった物は批判される。

武士道に代わる、モラル教育の何かが必要とされていると思います。

N企画
ここはやはりN島を教祖とする拝金教を立ち上げ、そこでモラル教育をすべきです。
さあ、みなさん拝金教に入信しましょう。

教義は1つ。金を持っている奴が一番偉い。



1月20日

仕事のスピード差は

システムにあると思います。
仕事をしている方はみなさんご存知のとおり世の中にはルーティンワークと呼ばれる、定期的に繰り返す仕事があります。

で、見ているとこのルーティンワークですが、同じ内容なのにスピードの速い人と遅い人がいます。

この差はどこで生まれるのでしょうか?

N島は就職して1年目、とんでもなくこのルーティンワークが遅かったと記憶しています。
今でも、それほど速いとは言えませんが、その原因は分かっています。

ただ、怠惰な気持ちに負けていて、それを実行していない。
それをすると、目先の帰宅が遅くなってしまうから、やる気にならないんです。

典型的な目先の利を追う慌てる乞食状態なんですが、ズルズルと実行をしないで過ごしています。

ルーティンが遅い原因は、システムにあります。
早くするためのシステムを作っていないんです。

システムを辞書で引くと、制度・方法・方式・組織・体系となっています。
つまり、早くするための制度を作ることが、仕事を早く終えるための最善の策です。

仕事で一番時間を食うことは何か皆さんはご存知でしょうか?

昔読んだ、段取りや仕事ができるようになる本には、物を探している時間だと書いてありました。

N島も思い当たるフシがあります。
書類に書き込まなければならない数量や、納品場所、期限、金額、そういったものを売上の時や受注の時に何度も探しているからロスが起きるんです。

つまり、あらかじめきっちりと物や数字を管理していれば、ロスは最小限で食い止められる。

ですから、仕事でいうシステムとは整理法と保管法なんですよね。

時間をかけて定期的にある仕事の価格表を作るのもシステムの構築になりますし、事細かく物事を分類していくのもシステムにあたります。

中学生以前に、整理整頓ができないとダメだとよく言われていましたが、何を言ってるんだこの人は?状態で意に介しませんでした。

ですが、仕事をするようになってロスが非常に多く発生することを思い知らされました。

なので整理法を面倒がらずに細かく分類していこうと思いながら、やっていません。
人間の弱さをつくづくと思い知らされます。

みなさんも、もし自分が仕事が遅いと思うことがあったら、現在の整理法や管理法に疑問をもってはいかがでしょうか。

もしかしたら、仕事がとんでもなく速くなるかもしれません。
机の上の山積みの書類を見ながら、そんなことを考えました。

N企画
無限地獄プレイ。片付けるのが好きな人と嫌いな人2名で組んで、好きな人が部屋を散らかし、嫌いな人がそれを片付けるを延々と繰り返す。精神力を養う修行。



1月19日

発注に関して思うこと・・・

N島の仕事上、協力会社に協力を要請することがあります。
例えば、自社で印刷した印刷物の加工だったり、製本だったり。

自社では印刷できない印刷物(ビニール袋や下敷き)といったものだったり。

その際には協力会社から見積もりを取り、その金額でOKならその仕事をお願いすることになります。


会社としては外に出るお金は最小限に抑えたいですから、協力会社を叩き、金額の値引きを交渉するように言われます。

特にN島の上司はよく値引き交渉をしている姿を見るのですが、よくよく考えると、この行為は浅慮なのではないかと思います。

というのも、値引き交渉の効果は1回だけだと思うんですよね。
しかも、効果があってもきっちり見えない対価を支払っている。

例えば、自分がお客さんから受注をして印刷物を作る場合、そのお客さんが毎回値引きを要求する人だとしたら、必ず、このくらい値引きを要請してくるだろうと思われる金額よりちょっと高い金額をオンして見積もりを出します。

つまり一緒なんですよね、結局は。

逆に決して値引きを要求しないお客さんにはそれほどぼったくってやろうという気は起きません。

適正価格で販売ができるのですから、こちらも気分がいいですし、優良顧客にあたるわけですから、当然サービスも充実させます。

値引き交渉は信用を削っていると思います。
逆に決して値引きを要求しないという姿勢は信用の構築です。

もし、こちらが信用を構築する態度で臨んでいるのに、不適正な価格で見積もりを出されたら仕事を出さなければいいだけの話です。

相見積もり(同じ仕事で、いくつかの業者に見積もりを頼むこと)を取って、適正と思われる業者に仕事を出せばいい。

思うに、印刷物は非常にリスクの高い商品です。
湿気で気泡ができたりすることもありますし、加工の結果、丸まってしまうこともある。

雨に濡れれば文字が滲むし、紙が薄ければ裏から表面が見えて、表現したい色から変わってしまう。

ということは当然、チェックをしなければならないところが多数あるわけです。
その1工程を担っているところが、値引きばかり要求する客の仕事を注意深く対処するでしょうか?

どうしても、安ければ時間がかけられなくなる。
言われた以上の事をやる気もしないし、そうすることの意義も見出せない。

値引きばかりのところだったら、相当量の仕事がでているか、もしくは案件の金額規模が大きいかでないかぎり、切られても痛くもない。

切られても痛くもないと思われたら、質のいい品が上がってくるとは思えません。


だから、保険の意味も込めて、よほどのことがない限り、N島は協力会社に値引き要請はしないと決めています。

1回きりの付き合いであれば、話は別ですが、長い付き合いになるのであれば、値引き要請は得策とは思えないからです。

値引き要請をしないという信用ができれば、最初から適正価格がでてきます。
プラスサービスの充実が望めます。

どちらが得でしょうか?

昨年7月に辞めたN島がデキルと思っていた先輩社員も値引きは決して要請していませんでした。

その分、顧客に相応の金額で売っていたみたいですが、それはそれだけ時間を掛けられる結果、顧客が高いと思わない程のサービスを提供していたということです。

つまり、値引き要請は悪循環の始まりだと思うんです。
高い見積もりに、質の低いサービス。信用の低下。


発注権限がある方は一度、考えてみてはどうでしょうか?

N企画
何故か冬の公園にてテントで野営。(こないだいつも運動をしている公園にそうしている人がいた。)



1月18日

ヤヴァイ

ヤヴァイんですよ、マジで。
日経ビジネスが完読できていないものが2週分。

そして、手をつけていない本日発売分。
未だに、年末の合併号読んでいます。

面白いんだけど、内容を理解しながら読んでいるから時間が掛かってしょうがない。
で、今日知ったんですけど、日経ビジネスって本屋では売っていないんですね。

販売している場所は駅の売店のみという特異な販売スタイルを取っています。
ですから、東洋経済やダイヤモンドに比べて、見かけない雑誌だと思うんですよ。

そのあたりの違いも天邪鬼なN島の心をくすぐります。

で、本日通勤の合間に年末号を読んでいると気鋭のアンダー40(40歳未満)日本代表の10人という第2特集が目に入ったんです。

で読んでいくと、やはり人間の生き方が一番面白い。
特に超1流と呼ばれる人の生き方は最高に興味を引かれます。

載っていた10人のうち、面白いとN島が思った人が、3人いました。



みなさんは2002年に単館で公開された短編アニメ「ほしのこえ」はご存知でしょうか?
DVD6万5千枚売れた作品(ガン○ムが約10万枚)で、これは個人がたった一人で作ったアニメだそうです。

02年にインターネットで予告編をやっていたそうですが、N島は見たことがありません。
現在公開中の「雲のむこう、約束の場所」もこの人が作った作品だそうです。

何が、すごいかと問われると、宮○監督の作品も多数の人間が関わっています。
にもかかわらず、これを作った人はたった一人でこれだけの反響を呼ぶ作品を作り上げたんです。

凡人にできることではありません。


もう一人は弁護士3年目の人で年収が1億円。
最初が政治家希望だった高校生は東大に入学後、芸能プロダクションの創設を目指すも、大学4年次に何故か司法試験合格。(どういう脳の構造をしているのか皆目見当がつかない。)

そして、たまたまエンターテイメント関連の本を出していた弁護士の事務所を訪ねたことがきっかけで弁護士になる。

あの200億円判決のの青色発光ダイオード訴訟の弁護士の一人だった人です。


そして、残りの一人は14歳の時に風邪のウイルスに脊髄を侵され、半身不随になったことがきっかけでロボットの研究をするようになる。

車椅子に足をつけて、車椅子ロボットにすればどこにでも歩けると考え、ロボットの研究をし始め、千葉工大の教授になった人物だ。

14歳の少年が医者に「生涯車椅子生活になる。」と告げられた。
かなり残酷な言葉だと思う。

しかし、それに反発するようにリハビリをし、奇跡的に自力歩行が可能になった人物が、その時の不便さを教訓にロボットの研究をし、社会貢献を目指す。

その結果、日本のロボット研究の先頭集団を走る人物の一人となった。

プロフィールだけ受け売りで書いたので、あまり面白くないかもしれませんが、記事自体は非常に面白いです。

N島が感じたことは、天才は若くして作られるものだということです。

やはり、天才になりうる者は子供の頃からの得意分野に特化し、それを伸ばした者か、自分に興味や関心があり、好きである物に全身全霊で取り組む者のどちらかです。


天才と呼ばれるだけ結果を出すには、義務感だけでは足りない。
その行為に本人が面白味を感じることでなければ、続かない。

実際に、周囲に天才と呼ばれる人物はいるでしょうか?
N島には思い当たる存在がありません。

それだけ、徹底的に一つのことに没頭することができる人物がいないのではないでしょうか?

自分と同様に・・・・

ということは、ただでさえ「何ができる?」という問いに対する回答すら持っていないのに、食うためという受動的な意志による仕事をしていても、自分が望む結果を出すことは難しい。

自分がやっていて時間を忘れるほど面白いことは何だろう?
その行為を錬金術にはできないだろうか?

どれだけ時間を費やしても飽きない事というものがあれば、必ず錬金術はあると思います。
錬金術があるということはそれを仕事にできるということです。

つまり天才と呼ばれる人間が出すのと同様の結果を出せる可能性がある。

もし、何も面白いものがないというのであれば、おそらく自分が面白いと思うものを知らないだけだと思います。

それを探すには、やはり世の中にどんな物があるかを知ること。
つまり、能動的情報収集が必要になってくる。

N島は一体何が好きなんだろう・・・・

確かにギャンブルが非常に好きなのだが、それ一筋に絞って他のすべてに興味がなくなるくらい好きかと問われると、難しい。

何故なら、ギャンブルのための調査をしていても飽きがくるからだ。
そう、飽きるんだ。

ということは、どれだけ時間を費やしても飽きないことではない。
つまり、ギャンブルにおいてN島は天才と呼ばれる領域まで踏み込めないだろう。

もし、その調査自体にすら、楽しみを見出すことができたのなら、勝負によらずともギャンブル関係で糊口を凌ぐことができるに違いないだろうが・・・


最近、よく考えさせられる。
己にとって飽きない行為とは何か?

まずはそれを見つければ、あとは錬金術を探すだけ。
天才と呼ばれる人物達はその答えを既に持っている。

だから、天才に関する話には、すでにどう生きるかという答えを持っていることに対して羨望を感じさせられる。

そしてかぎりなく、惹きつけられる。
自分の答えがそこにないかを探すために。


今年で生を受け26年目だが、自分の答えはまだ見つからない。
どこかで諦めていないだろうか?

そんなものはないと。
食うために、ただその対価を受けるために時間を支払うのが当然だと。

毎日を我慢ではなく、楽しく仕事をする。
そんなのはごく一部の人間だけで、自分がそう生きることは不可能だと。
そう思っていないだろうか。

よくよく探しもせずに。

だから、探そうと思う。
ビジネス誌で紹介されていた「働くということ」まだ、ぱら読みしたことしかないが、完読してみようと思う。

天才が羨ましいのは決してその才能ではない。
既に、毎日やりながら死ぬまで面白がり続けることができることを持っていることが一番羨ましい。

この普通の人間の誰もが持つような閉塞感を打ち破ることができるだろうか。
方法は2つ。

回答を見つけ出すか、現状から目を逸らしつづけるか。(現状を諦めて受け入れるか。)

なんとか前者でありたいと切に願う。


N企画
ギャンブルのみで食っている人探し。



1月17日

VIPシート

に座りました。
たまたま、空いていたというだけなんですが、もう最高でした。

何のVIPシートかと問われると、お得意のパチンコです。
そうです、先日のギャンブルデーにスロットを打った後、パチンコCR海物語のVIPシートに座ったんです。

さすが、VIPシートというだけあって、確変図柄が揃いまくりです。
100回転以内に、確変と単発が入り乱れて、数珠つなぎを延々と繰り返しています。

恐らく、トータル400回転以内に20連チャンはしたのではないでしょうか。
見ていて小気味がいいくらい図柄が三つ揃います。

もちろん・・・・


















画面枠外で

どーなってんだっ!?
なんで、枠外で20連もしているんだよ。

画面の枠内で揃わなきゃ意味ないだろ。
で、枠内やっと揃ったかと思えば、ノーマル走りで鮫揃い。

単発終了だと?







ムキィィィィィィィィィィィィィィィ

子供のように手足をバタつかせ、店員に訴えるも飲まれて終了。
椅子に被せられた王冠を象った黄金色のVIPシート用背もたれだけがむなしく輝いています。

そーいえば、VIPシートって書いてあるだけで、どこにも出るとは書いていないな・・・
まさか・・・


背もたれだけがVIP待遇ってことなの?


そっか・・・そうなんだ・・・・きっと罰なんだね。
僕が悪い子だから。

僕が悪い子だから、神様が罰を与えてくれるんだね。
神様、ごめんなさい。

僕が悪かったです。
必ず、いい子になりますから・・・


だからお願い。
ワンパッキーで確変が当って、閉店まで50回転以内の連荘が止まらないようにしてください。
(推定勝ち額1日150万円)

お願いです、できることは何でもしますから・・・


って、それはもうゴトしかないよな・・・・
捕まっちゃうよ。


それにしても、パチンコって本当に当る気がしないよ。
やはり、専門はスロットと競馬だな・・・・

N企画
1週間で、競馬、競輪、競艇、オートレース、麻雀、スロット、パチンコといった生活をしプラス収支にする。



1月16日

墓や葬儀は誰のためにあるものか?

いきなり暗い話題の疑問ですが、実はそうでもありません。
先日、人は死が怖いのではなく、忘却されることが恐ろしいと書いたと思います。

それに関して考えたんです。
一般的には葬儀や墓は死者を弔うためと解釈されていますが、よくよく考えるとそうじゃないのではないでしょうか。

実際に葬儀をするのも、墓にお参りに行くのも生きている人間がすることです。
死者がそれをありがたいと思うことはできません。

ですから、生きている人の自己満足のためにそういった行動をするという人もいます。

しかし、N島は違う解釈をしました。
葬儀や、法事というのは何故あれほど拘束力を持った行事として多数の人を集めるのでしょうか?

実際に死んでしまえば、人が集まってくれていることすら知ることができません。
にも関わらず、異常とも思えるほどの強い拘束力があります。

一体何がそんな拘束力を持たせるのか?

考えてみて気付いたんです。
あれは約束であり、安心感のためなんです。

皆、死が怖い。
そしてその根底にある意識は自己を忘却されることです。

ですから、生きている人間がそれをするのは、自分が死んだ後、こういった行事を行うことで忘却されることがないよと保証するために行うんです。

忘れられないという安心感が欲しいんです。
だから、あれほどの拘束力を持つ。

もし、拘束力がなければ、誰もこないかもしれません。
そうしたら、すぐに忘れられてしまうでしょう。

生きているということは死に向かっていることです。
そんな中、死の恐怖に取り憑かれたら生を満喫できない。

自分の死後、自分を忘れないでくれという意図を込めて、先に死んだ人を供養する。
慣習のようなものを作って、繰り返していれば、自分が死んだ後にそうして思い出してもらえる。

そう考えることで、死の恐怖、つまりは忘却の恐怖を拭い去るんです。
ですから、若い人ほどそういった行事に無関心になりがちです。

死が遠いから。

ところが、年齢を重ねるごとにそういった行事に対する義務感のようなものが強くなっている気がします。

それは結局、死が近づくことで、自分もそうなってしまう時のためなんですよね。
これだけ、参加したんだから自分の時もお願いしますねと。

そういう気持ちを込めて、最優先事項にして集まるのだと思います。

結局、どこかで人間は計算がある。
本当に無償のものというのは存在しないのではないのでしょうか。

意識はしなくとも、どこかで損得勘定が働く。
それがいい人だと思われたい名誉欲だったり、能力がある人の将来のリターンを期待したものだったり。

それが悪いとは思いません。
むしろ、正直なことだと思います。

ただ、それなのに、計算で考える人間を否定するなと思うことが多いんですよね。
結局は、友人に対してすら優先順位を意識的か無意識か分からないけれどもつけている。

自分は平然とそういうことをするにも関わらず、友人に順位付けをしたり、損得で考えるのが悪いことのように正義面して言う人、N島が屈折しているのかもしれませんが、こういう人が信用できません。

言葉のとおり実行してから、物を言えと感じます。
結局、言葉に責任を持っていないんでしょうね。

人は自分のためにしか行動しない。
しばらく、この説を撤回することはなくて済むと思います。

皆さんはどう思いますかね?
葬儀や死の話から、こんなようなことを思いました。

N企画
生前葬が自己満足の最たるものだと、生前葬を実行した人に主張する。



1月15日

その日は

朝から夜だった・・・・(オルガンのガーンという音と共に)
某アニメ(天才○カボン)のエンディングテーマの歌詞のようだが、事実だ。

そう、起きたら夜だったのだ。
人間は夜に寝て朝に起きるのが普通だ。

というのも、太陽の紫外線を浴びると、それからしばらくして眠気を誘発する成分が体内で生成され、夜頃眠気を誘うからだ。

だから、人間は夜に寝て朝に起きることが非常に自然なことなのだ。

とまあ、いろいろ能書きを言いましたが、単なる寝坊です。
っていくらなんでも寝すぎじゃないのか?

普段3時間〜4時間半の睡眠を心がけているとは言え、いくらなんでもやりすぎだ。

そのせいで買えば当るはずだった馬券を取りこぼした。









ムキィィィィ

部屋の中でいつもの奇声をあげてジタバタするもどうにもならず、今度はさめざめと泣きました。

だって、だって枠連で50倍もついていたんだよ?
対抗ー本命の1点だったんだよ?

2000円買うつもりだったんだよ?

10万円になってたじゃないかあ。
あまりに悔しいので、日曜日の競馬で取り返します。

まあ、このパターンで取り返したことはありませんが、2匹目のドジョウがいるかもしれませんしね。

で、馬券の穴を開けるときの狙い目が、休養明けと騎手変更にあると某馬券本から学んだわけですが、なかなか真をついています。

というのも、今日の京都のメインを勝った馬も、3着だった馬も、どちらも騎手変更。
勝った方は惨敗しているのに、何故か急に1流騎手。

3着の方は厩舎が勝たせたい騎手に騎手変更。
つまり、勝負どころだったわけです。

ですが、騎手がへまをしたのかツイテイナイかで2着に入れなかったわけです。

N島が取りこぼした京都10Rも一方は惨敗から1流騎手に乗り代わり、一方は休養明けで休養前から連敗していたのに、代わらず同じ1流騎手。

つまり勝つつもりであったと言えます。
同様に、日曜日のレースを見てみましょう。

予想は下記のとおりです。

京都12R
◎11番ヤマノサンデーズ
○12番ノーザンキッズ

上記の枠連6−7の1点勝負。

京都10R
◎11番オリエントチャーム
○2番ジェダイト
▲1番デアリングハート

枠連1,2,7のボックスと11番単勝

こんな感じです。
今日の悔しさ取り返せるかなあ・・・

N企画
クレー射撃に挑戦。



1月14日

年末のK−1

理解ある友人のおかげで見ることができました。
この場を借りて、お礼を言わせてもらいます。

ありがとう。


さて、なかなか面白かった試合が多かったのですが、格闘技における焦点は力か技術かの2点にあります。

どちらが上の者が強いのか?

見ていて思ったのは、力のある選手は豪快なKOを見せてくれるので面白いのですが、実際に優勝したり、息が長く活躍できるのはやはり技術のある選手なんですよね。

最近ヘビー級でとんでもない体格差を技術でカバーして勝っているタイのムエタイ選手ガオグライもこれにあたります。

かなり技術のあるイグナショフやパワーを持っているマイティ・モーに勝ったことは記憶に新しい。

つまり、目に見えるポテンシャルよりも目に見えない技術そういったものが上位にくると言えそうです。

これは何も格闘技に限ったことではないと思います。

例えば、産業にしても、日本でコストを落すことで勝負するよりも、真似できない程の高度な技術で勝負した方が、他国に勝てる気がします。

どう考えても、人件費が安い中国やベトナム、タイといったところとコスト勝負で勝てるわけがないんです。

ですから、そういった価格という目に見えるところで勝負するよりも、性能や機能、サイズそういった技術で勝負しなければ、日本は勝てない。

N島はですから、技術至上主義を唱えたいと思います。

と、こんなことを昼食をとりながら思っていたんですが、たまたまN島の隣に美男美女カップルが座って食事を取り始めたんです。

女の子の方がやたら可愛いし、男の方もN島から見ても中性的なキレイさを持った顔をしています。

なるほどね、世間的に納得のいくタイプのカップルか・・・・
で、何気なく会話を聞いていると・・・・


浅い・・・
しかも、とんでもなく。

黄色い車が欲しいって・・・・・



買えよっ。



しかも車種も何にも知らなくて、漠然と欲しい物を言っている。
その会話に何の生産性があるんだ。

面白いのか?


学生なのか、終わったテストのカンニングしたかどうか、勉強したかどうか、そんなことを聞きあっています。

もう、終わったことなのに・・・・

とまあ、多少の僻みも込めながらつまらない会話をしているなと思ったんです。
で、思ったんです、格闘も産業もそうだけど、やはり人間も目に見えるポテンシャルだけじゃない。

生き方や中身だろうと。

いくらルックスが良くたって、本当に3日で飽きる。
いいに越したことはないが、それ以上に浅い方がよっぽど問題だ。

同性でも、異性でもN島が好感を持つ人間はやはり持っている思考や概念が画一的な人は少ない。

目に見えるポテンシャルだけでも足りないのに、その目に見えるポテンシャルすらなければ、自分の生き方を磨かないと淘汰される。

格闘技や産業の技術に類似した印象を受ける。
格闘技や産業は技術、人間は思考だ。

やはり、どの世界でも1流といわれる人には共通するところがあるのではないだろうか。
その共通点を探し出し、自分の物とできるように様々な世界に触れる必要がありそうだ。

k−1からそんなことを思いました。

N企画
何故かいきなり道場破りに挑戦。




1月13日

ドラゴンクエ○トに学ぶ

先月末に実はドラゴンク○ストをクリアーしてました。
普段はテレビも見ないし、それほどゲームもしないのですが、3歳の頃から嗜んでいるファミコンです。

特にこのゲームは滅多に発売されないし、個人的にも思い入れがあるゲームです。
シリーズ3作目と5作目が未だにかなり好きなんですよねぇ。


で、まあやっていて気付いたんです。

やはり個の力は小さく、チームの力は大きいと。
どういうことかと問われると、例えばいくらレベルが高くなったとしても、単独ですべてをまかなうことはかなり大変で効率が悪いんです。

このゲームの目的はチームを組んで、悪の親玉をやっつけることにあります。
その闘いに勝つことを目的としたチーム活動なんです。

ですから、実際に戦う人とそれを補助する人に分かれています。
敵をやっつけるために攻撃する人がいて、敵から攻撃されて傷を負った人を治す人がいて、攻撃する人を有利にできるように補助する人がいる。

それぞれの得意分野の行動に従事することでチームの力を効率よく最大限に発揮し、単体ではいくら強くても勝てない相手に勝つ事ができるようになります。

これが強い個人だったとしたら、傷を負うたびに自分を治し、攻撃をし、自分で補助をしてと一人で何役もこなさなければなりません。

当然、すべてが得意とは言いがたいですから、時間ばかりかかってしまい非効率です。

ゲーム一つとっても、個の力だけでは効率が悪いことを証明されています。いわんや現実においてをやといった感じがします。

そう、私的なことなど特にそうですが、現実の世界に同じ目的をもっているのに協力関係をとろうとしない人は多数います。

ゲームですら、それが非効率だと分かっているのに、現実でも繰り返してしまう。
何故、そんなことをしてしまうのでしょうか?


異性も、経済力も、仕事も、ギャンブルも投資もどれかでうまくいきたいという共通の目的があれば協力関係を結ぶべきです。

それを妨げるものは、具体化するのが面倒くさいという怠惰な心だと思います。

他人と協力したほうが効率的だと分かっていても、しっかりとした信頼関係の構築がないのか、もしくは他人が絡むとすべてを自分の自由にできるわけではないという枷や定期的に時間を割かなければならないことが嫌なのか、はたまた目的に対する熱意に温度差があるのか。


どれかが、当てはまるから有効な手段である協力という選択肢を普通の人は選ばないのではないでしょうか。

だから、ここで思ったのが、優秀なリーダーの条件は自分の目標に他人を自分と同等くらいの熱意を持たせたうえで巻き込めることなのではないかということです。


それにしても、協力したほうが絶対に有利なのに、なんでもっとチーム化するべきだという意識が薄いんでしょうかね。

ギャンブルか投資か、何かでコラボレーションできるものがあれば、そうしていきたいと思っています。

もし、N島と目的を同じにするものがある人がいれば、是非協力関係ができるように、声を掛けてもらえれば幸いです。

N企画
運動のレパートリーに凧揚げを追加する。



1月12日

充足の矛盾

最近、新しい本を読んでいないためか、どうしても日経ビジネスを読んで思ったことがネタになりがちです。

今日も、読んでいると中国の学生を日本企業に紹介して利益を得ている会社のことが書かれていました。

で、その中の記事が中国の学生の在学中の学習をしている様子についてでした。

マーケティングだったり、業務効率化だったり、広告だったりといった就職をした際を前提とした勉強で、毎回レポートを書き、ディベートをします。

N島が記憶している大学生像とかけ離れた状況です。

N島の学生生活は週に1度、不機嫌そうに12時に起きだし、親に授業料を年間100万を超える金額を出してもらっているのにも関わらず、たった1限のみ、それもただ座っているだけの生活を約2年続けました。

得たものはほとんどなく、あるのは惰眠を貪る気持ちだけ。

4年間のトータルでも彼等の2週間分の勉強量にも達していないのではないでしょうか。
同じ学生でも雲泥の差です。

まあ、そのツケを現在きっちり払わされてはいますが・・・・


何故、こんな違いが生まれたのでしょうか?


考えると、不足と充足の違いではないだろうかという結論に行き着きました。
充足は矛盾を含んでいる。

どういうことかというと、皆不足は辛く、嫌です。
そのため充足を目指します。

不足を解消し、充足を得ることが、個人のモチベーションにつながり行動や努力をするための原動力になる。

しかし、今度充足してしまうと、満たされてしまうから、努力の原動力がなくなってしまう。
そうすると、その人は堕落を原因とした不足の生活へとベクトルを向けることになる。

つまり、人は充足を目指すが、目指すものを手にすると今度は不足へとベクトルが反転する。目指している途上はいいが、それを手にしてしまうと回避したい物に向かうことになってしまう。

矛盾じゃありませんか?

その矛盾を解消できるのは己を律することのできる者だけ。

上記の学生の質の問題で言えば、不足を感じている中国の学生(中国が経済的に台頭してきたのは本当にここ最近です。)は充足を目指すために、必死になります。それが向上心になっている。

ところが、日本の学生は最初から充足している。むしろ不足を知らない。
不足を知らないから、それがどれほどの物か分からない。

知らぬが仏というように、知らないから不足に対して恐怖がない。
考えても、みてください。

例えばもし、痛みを知らなかったとしたら。
車に轢かれる事に対してすら、恐怖をもてないんですよ?

つまり、肉体の危機が迫っても痛みという危険信号が無いため、それを避けようとしない。

同様に不足を知らないと、それがどれほどのことか分からない。
知らなければ怖くないのですから、お気楽なものです。

しかも、充足を最初から知っていると、それが普通になってしまい、ありがたくもない。
さらには、欲すべくそれ以上の充足がないから、不満もない代わりに努力もしない。

N島も含め、甘ったれてくるわけだと思います。

ですから、その甘えを自分で律し、向上心を保たなければ、本当にNEETになってしまいます。

NEETが多数いる国が、充足を目指して日々たゆまぬ努力をしている国に対して永遠に優位を保つことが可能でしょうか?

継続は力なりというのは事実です。
スタートラインでどれだけ優位にいても、そこから動かなければ、いずれ日々前に進んでいるものには抜かれます。

現状に満足できる状態に感謝をすると共に、もう少し、日々に自分に課す何かを作っていくべきではないでしょうか。

やはり、苦労を知らない分、少なくとも努力している人間の情報に触れて、自分の発奮剤にするように心がけていくべきではないかと思いました。

N企画
やりたいこと、やったら自分に利があることのリストを作ろう!!



1月11日

キーワードはI need you.

だと思います。

別に女性を口説こうとかそういう意味ではありません。
N島が対人関係の必勝法だと思うものです。

もちろん、理解してはいるが実行できていない事柄の1つです。

本日、先週読み終わらなかった日経ビジネスを読んでいると、再度人材特集が組まれており、リストラによる人減らしの弊害が如実に出始め、人足らずの時代が近づいているという記事が載っていました。

その中の1文で印象に残ったのが、

プロ野球でも会社でも「お前は不要」と言われた瞬間に人材は腐る、という文章でした。
そう、不要と言われないまでも、そうと受け取れる処置や待遇でも同様です。

逆にやりがいをもたらせるのは、あなたが必要であると思わせる何か。
つまり、自己重要感の充足です。

記事の中では、顔の見えない相手のために手作業で部品の組み立てを行っている会社がクローズアップされていました。

その作業は肉体的に過酷な作業となっているので非常に欠勤率が高く、会社自体が欠勤が起きることを前提とした体制をとっており、別にその人がいなくても仕事が回る環境でした。

自分がいなくても平気、このような環境では自己重要感が満たされるはずはありません。
自分が特別ではなく、歯車の1つでしかないことを思わされるのですから。

しかし、その企業が介護事業に進出をすると状況が変わります。
介護の対象となる老人が担当の社員をいつまでも離さず、別れ際すら「次はいつくるの?またきてね。」という熱烈な歓迎をするんです。

これが社員にあなたが必要ですとのメッセージを伝えることになり、社員は自らの意志で絶対に欠勤をしないと決意するようになったのです。

つまり、人は皆仕事や普段の生活を通して、他人に必要とされている人間であるということを感じさせて欲しいんです。

この会社はそれを証明しました。
必要だというメッセージを受け取れば、人は俄然やる気になるんです。

逆に、いらないと言われれば、途端にモラルとモチベーションが低下する。


これを読んで、思ったのが冒頭のキーワードです。
何も会社に限ったことではないと思いませんか?

友人にしても異性にしても、自分はあなたを必要としている。
そういうメッセージを発しつづければ、必ずうまくいくと思います。

もちろん、それの伝え方は考えなければなりません。

直接言うのでもいいかもしれませんが、初対面の人に言ったら、ヘンな人と思われるのがオチです。

ですから、距離が遠いうちは遠まわしに、自分はあなたを必要としているというメッセージを放ちましょう。

必ず、その人は自分に好意を持ってくれるでしょうし、協力してくれる。

マメに電話やメールをすることも必要です。
ただ、注意点は相手が好む方法で伝えること。

強制的な方法をとっては逆効果です。
私はあなたが必要なんだから、ある程度は合わせてくれてもいいだろうとか、こちらがそうなのだからあなたも私を必要とするべきだというのは伝え方が悪く、自分が損をするだけです。

まあ、こんなのは異性間でしかないでしょうけどね。

ここまで、考えた時、N島の中で使用したことはありませんが最強だと思う口説き文句「一緒に暮らそう。」がI need you.をうまく表していると気付いたんです。

一緒に暮らそうという言葉は、イメージとしていいとこ取りなんですよね。
まず、言われたら、その人は自分が特別な人であり、必要とされていると感じると思うんですよ。

だって、共同生活ですよ?
どうでもいい相手とできるものじゃありません。

それに同棲という言葉はリアルじゃない。
よくイメージする新婚さん等の問題が存在しない幸福な生活を想像する気がします。

生活環境が違う人間が共同生活をするというのは問題の塊だとN島は思いますが、言葉はそんなことを想像させない。

実際に一緒に生活してみないと、違いに気付かないから。
皆、自分の普通がグローバルスタンダードです。

まさか、他の人が我慢できないくらい自分と違うなんて想像しません。

ですから、「一緒に暮らそう」は嫌な印象を受けずにI need you.を受け取れる言葉だと思うんですよね。

ということはNスポ読者の女性のみなさん、「一緒に暮らそう」という男は信じないようにしましょう。

かなり、話が脱線しました。



どうすれば、人にあなたが必要だとナチュラルに伝えることができるか?

考えさせられるところです。

皆さんは、他人にI need you.を発していますか?
逆に言葉や行動でuseless(役に立たない)を伝えてはいないでしょうか?

どちらが得かは一目瞭然です。
ですが、感情につい負けてしまい、言ってないですか?

I don`t need you.と。
実際に腹に据えかねることがあった後ですら、I need you.と言えるかどうかが器の大きさだと思います。

皆さんは自分の器をどんどん叩き割って、小さくしているでしょうか、それとも付け足して大きな器にしているでしょうか。

どちらにしても、今すぐ人にはI need you.と言うようにしましょう。
将来勝ち組みになりたければ・・・・

N企画
何故か今頃、プレイステーションソフトの電波少○的ゲームをする。



1月10日

エイリ○ンvsプ○デター

見てきました。
丁度、横浜〜みなとみらい間に新しい映画館もできたこともあり、そこでお得意のコーラとポップコーンを抱えて観賞です。


みなとみらい線の高島町の駅前という微妙に交通の便も悪いこともあり、映画館はガラガラでした。

おそらく、広告の仕方が悪いんだろうと思いながらも、N島的には空いていてかなり快適。
今が狙い目ですから、映画を見る方にはお勧めです。

でも、空きすぎていて映画が始まる10分前まで客はN島達だけでした。
貸切?と喜んだのもつかの間で他の客が5組くらい入ってきて上映開始。

とんでもなく不採算だろうなと思いながら、映画を眺めていました。

エイ○アンシリーズも○レデターシリーズもかなり続いており、基本的に続き物はあまり面白くない記憶がありました。

しかし、N島の好きな考古学的要素もあったので、見てみると、意外にもかなり面白い。
2時間きっちり楽しみました。

ですが、どちらの生物も以前ほどの粘り強さがなく、あっけなく死んでしまいます。
う〜ん、旧作を知る者としてはちょっとした違和感。

ただ、ラストは次回への布石を残しつつ、一応は事件が解決といった内容でした。

ここでちょっと考えたんです。
実際、ハウ○よりも面白いと感じたわけですが、N島に面白いと思わせた要素は何だったのか?

映画という媒体を通して自分を知るいい機会です。

まず、N島は歴史が好きで、考古学系の催し物にちょくちょく行きます。
その映画の設定では世界最古のピラミッドが前人未踏の地域の地下で見つかることになっています。

まずはここに面白味を感じます。

つまり、未知のもの、知的好奇心をそそられる物が好きなのです。
なるほど・・・

リアルすぎるものよりも多少神秘性のあるものに面白味を感じるのか・・・・

そして主人公が絶体絶命のピンチをかいくぐるシーンも、どうなるのかという期待が、N島に面白いと思わせます。

追い詰められて、あがいてあがいてそこから逆転して助かる様子が面白い。
そうか、ピンチに陥り、助かることに面白味を感じている。

まさにギャンブルが好きな所以だな。



と、この辺りまで考えた時、どう生きたいのかが閃きました。
要約するとだ、N島は・・・・










ある民族の伝説によるとサハラ砂漠の地下数百メートルには現在の人類よりも高度な文明を持った古代人の街が埋まっている。

その極秘の存在は実は世界のVIPのみに知られていた。

古代人が滅びてしまった理由は分からないが、その文明が作り出した永久エネルギー装置によって、その街のカジノは今でも稼動している。

そして、その存在を知るVIP達のみが、そこに集い、途方もないレートのギャンブルを開催しているのだ。

ふと立ち寄った古本屋に置いてある古文書からその存在を知ったN島は苦労の末、ついに古代文字を解き明かす。

そして、その遺跡への扉を開き、中に入ると、そこには世界のVIPが・・・・
疑問を抱くが、極秘の存在を知ってしまったN島は、彼等に拘束されることに・・・

しかし、既にただのギャンブルでは飽きてしまっていた彼等は、解放することを条件にN島の生命を賭したギャンブルを要求する。

彼等の言葉を信用できなかったN島は表面上は受けるも、実は小型のGPS機能をもつ発信機を体に埋め込んでおり、応援を呼ぶ。

しかし、応援が来るまでには3日は掛かる。

その間に勝ちもせず、負けもしないようにしながら、粘らなければならない。
一時は猶予がすべてなくなり、これで負けたら死というまでも追い詰められた。

しかし、3日目、奇跡の逆転劇でN島は見事な勝利を収めた。
勝利をすればN島を解放してくれる約束だったが、彼等がそんなことを守るはずもなく、口を封じようとした。

そのとき、 N島が呼んだ応援が、周囲を包囲した旨を伝える。
肩を落としたVIP達。

そう、N島は勝ったのだ。
奇跡的な大逆転によって。



そうだよ、これだよ、これ。
これを求めているんだよ。

そうと分かれば早速・・・・・











古本屋で古文書探してきます。

N企画
みんなで珍書探し。



1月9日

始皇帝の

遺跡展を見に上野まで行ってきました。
ですが、1月3日までだったらしく、目的のものはお預けに・・・・

仕方が無かったので、他の物を見ることに。

向かった先は西洋美術館。
それほど、美に執着があるわけでもありませんでしたが、1度くらい本物の美術品を見ようと思っていたので、迷わず入館。

420円の入館料を支払います。
最初に目に飛び込んできたのは、ロダンの彫刻群。

「考える人」はここにはありませんでしたが、何かを感じさせる彫刻が多数あります。
N島は「去りゆく愛」と「説教する洗礼者ヨハネ」と「ナポリの漁師の少年」の3つに目を奪われました。

普段は自称ゲージツ家ですが、美術にはまったく興味がありません。
興味の対象は女性とお金だけです。

ですが、何でしょうか・・・・
その無機質な物体が生身の人間と同じように感じさせる何かがあります。

基本的にN島は自分の感情や思考を自分の言葉で言い表せないことはないと思っていますが、この何かは説明がつかず、ずっと思考してました。

釈然としないまま、2階へ。
そこも美術の教科書で見た絵が多数並んでいたのですが、絵が表す歴史の部分を思い返しながら、N島が感じた何かの正体を突き止めようとしていました。

キリストに関する多数の絵を見たとき、その答えに気付きました。

それは情報です。
絵も、文字も、音楽も匂いも味も皆、情報なんです。

その作品を作った作者の情報が詰まっていたんです。
そして、その密度が作者の情熱に比例して高いから、作者の伝えようとする何かを感じさせるんです。

つまり、1筆1筆や、1回1回の削る作業に相当の情熱を込めている。
伝えようとする意志が、作品に込められている。

だから、作品が伝えようという情報を放つ。
伝えんとする内容までは分かりませんが、伝えようとする意志を感じる。

それが感じた何かなのでしょう。

やはり、教科書で見るのと本物は違います。
騎手や、選手に超1流とただの1流がいるように、本物と普通のものの違いは明らかです。

念というか、熱意というか、人間の思考や意志の強力さを感じます。
コピーや、印刷、写真には表現されない人の意志が本物には宿る。

その意志という情報が、本物である証拠なのでしょう。
面白かったです。

違いに気付こうとしない限り、気付きませんが、美術というものを少し見直しました。
やはりその道に深くハマる人がいる分野というのはそれだけ奥が深く、面白い。

そうでなければ、誰も追求などしないでしょう。

こう思うことで、考えました。
やはり、人間の時間には限りがあります。

分かっているんだから、どれだけ面白いことを体験できるか?
面白がれるかが生きる目的の1つにしてもいいのではないでしょうか。

不満だらけの生活を送っているなど、不毛なことに限られた時間を浪費するのは本当にもったいない。

幸福など、時間で測るものです。
面白くなきゃ、不幸です。

つまり、幸福を求めるということは面白さを求めることだとN島は思います。
だったら、自分が知らない分野があるということは、とんでもなく面白いものを知る機会の消失です。


多数の体験をし、面白いことを知れば知るほど、幸福につながる。
その、多数の体験をするためには何が必要か?

やはり時間と経済力です。

どう考えても、そこに結論が行きます。
結局、不労所得生活をすることは自分の幸福への最短距離であると再認識しました。

次回は東洋美術館に行こうと思います。

皆さんも、1度は美術館に行ってみるのもいいかもしれません。

N企画
期限を決めて、それまでに1つ変わった企画を提案し、実行する会を発足させる。



1月8日

新年の挨拶回りから続く思考

挨拶回りに仕事で行ってきました。
社にとって重要なクライアントもいるので、社長や常務といった役員と回る会社もあります。

N島のメインクライアントである会社へも社長・常務・次長と3人で同行して挨拶にいきました。

先方の社長が出てきて、挨拶を交します。
社長同士の会話なので、自然な流れで経営談義に花が咲きました。

N島は黙って聞いていたのですが、やはり役職が人を作ると言うように、社長の会話は普通の社員とは違います。

経費の話や、戦略の話。
利益を生んでいるところや、現在の状況といった話を直接聞くことができ、かなり面白い。

やはり、従業員はどこまでいっても従業員の視点なんですよね。
だから、待遇(もらうこと)しか考えない。

ですが、経営者は利益を創造することを考える。

まあ、やりすぎて与えることを忘れても、人という柱が抜けてずっと停滞することになるのでしょうけども・・・・

どうも、先方の会社は中国や欧州に進出し、そこで直販の販売店や工場を立ち上げているようです。

それ以前は、販売代理店と自社の製品を販売代理契約を結んでいたそうですが、リスクを取り自分でやった方が儲かるのは当然です。

聞くと、中国で作った製品を欧州で売ることでかなり利益を上げている様子。
やはり、成長している市場で勝負をかけるべきです。

日本が安心とやっていては、気付いたらずっと搾取される側。
これほど分かりやすく、伸びることを暗示している中国に個人ももっと目を向けるべきだと感じます。

徒手空拳の人間が人生で風穴を開けようと思ったら、チャンスがある場所に行かなければならない。

何度も言うように、女が欲しければ、女がいるところに、チャンスが欲しければチャンスがあるところに行かなければ、望みは叶いません。

そのためには実行すること、しかも迅速に。
中国に関連する投資を行うべきだと切実に感じました。

自分にとってはなかなか刺激のある情報です。

そして、話は社の家賃にも及びます。
その会社は銀座1丁目にあるのですが、ビルの1坪単位の賃料が1万5千円と言っていました。

かなり家賃のベースは下がってきているという話を聞き、REIT(不動産証券化投資)との関連を思い出しました。

家賃ベースは下がっているが、土地や建物価格は上がっている。

理由はREITを販売している投資ファンドがキャピタルゲイン狙いで形振り構わず物件を購入しているため、実際の価値以上の金額で不動産がやり取りされており、空室リスクを避けるがために家賃は投資金額で合わないベースに設定されている。

なるほどね・・・

こういった話からも、雑誌の真偽を確かめられる。
やはり、立場の違う人間、視点の違う人間との接点は重要だと感じさせられます。

どうしても、同じ視点にいる同士では変化が無い。
変化がないと、成長が無い。

やはり、違う分野、特に自分と離れていれば離れている分野にいる人との接点ほど自分に刺激を与えてくれるものはないのではないでしょうか。

そう考えると、そういった人との接点をどこで作るか?
面識がない人と接点を作れる場所はどこにあるだろう?

考えた答えはやはり、酒場です。
自分が望む人間が来るような酒場、そこに行くことで情報収集ができ、自分に刺激を与える人間と知り合える。

そろそろ、月に2〜3度くらい意図的に行く酒場を作るべきなのかなと感じます。
間違っても知り合いたいのは立ち飲み屋等に来る客ではありません。

落ち着いて、会話を楽しむ飲み屋。
人間的な幅を広げるためにも、馴染みの店は必要なのかなと思います。

実際に、面識の無い人と出会う場でもあるわけですから、対人力の育成にもつながる。
そんなわけで、馴染みの店を作ることを考えています。

N企画
月に1度必ず、いく店づくりをしよう!!



1月7日

大いなる疑問

がN島には存在します。
疑問どころか、気になって夜も眠れないくらいです。

しかも、その疑問の答えを知ることは危険です。
最悪の場合、命を落すこともありえます。

しかし、知りたい。
知りたくて仕方が無い。

何故、ハワード・カーターが呪いの存在を知りながら、ツタンカーメン王の墓を発掘したのか?

どんな危険があるかも分からない滅びの都アンコールワットを探索したのは何故か?

危険な病原菌や生物がいるかも分からない無人のメキシコのマヤ文明のピラミッドを発掘したのは何故か?

それは知りたいから。
人間の知的好奇心は命の危険までも省みない。

そして、人は歴史に名を残したいと願う。

以前にも書いたが、映画の言葉で「人は死ぬのが怖いのではない。忘れられることが怖いんだ。」というセリフがある。

これなど、歴史に名を残したいと思う動機の最たるものではないだろうか?
歴史に残れば、忘れられない。

現在だって危険を顧みない知的好奇心のための冒険が行われている。
アポロもそう。

宇宙に行き、どうなっているかを知りたい。
そのためには命がけの危険すら辞さない。

それほど知ることに対する人の欲求は強い。
同様にN島も知りたいんだ。

もしかしたら、訴えられるかもしれない。
危険な実験なので、思わぬ事故に合うかもしれない。

だが、やってみて知りたいんだ。

もちろん、これほどの実験はN島一人ではできない。
何故なら実行する材料が足りない。

だから、協力者が必要だ。
おいおい、募集しようと思う。

そのために、知りたい内容を公開したいと思う。

N島の知りたい内容。
それは、人間の嗅覚の100万倍から1億倍あるといわれる犬の嗅覚についてです。



もし人間が・・・・・・













とんでもなく臭いと思うものを犬に嗅がせたらどうなるのか?


噛まれてしまうのでしょうか?
吠えられてしまうのでしょうか?

キャインキャイン言いながら逃げるのでしょうか?


それとも頭を抱え、人間不信に陥るのでしょうか?

動物愛護協会に訴えられてしまうかもしれません。


噛まれるとしたら、首だけはガードしないと命を落す危険すらあります。

知りたい・・・
犬はとんでもなく臭いものを嗅ぐとどうなるのか?

犬を飼っている人がいたら是非協力して欲しい。

そして、とんでもなく臭いものはN島が用意します。
何がいいかな・・・・

ドリアンか、メタンガスか、靴下か・・・・

そうだ、丁度いい。
友人にN島がこう呼ぶ友人がいます。















日本最強のメタンガス製造兵器

彼の腸内で生成されるガスは日本最強です。

何度白目を剥いたことか。
彼の遠慮の無い放屁はまさに兵器。

嗅がされると、顔がエク○シスト状態になり、白目を剥くことは必至。
そして、最近では彼の兵器は進化し、靴下までその最強の遺伝子を余すことなく伝えられています。

彼でしたら、人間がとんでもなく臭いと思うものを作れます。
しかも、そのガスの粘り強さは一瞬にしてカラオケルーム等の1室を滅亡させることが可能です。

呼吸をせずに15分健全なまま生存できる人間がいるでしょうか?
N島はいないと思います。

幾度となる奇跡の生還を体験したN島は、どうしてもN島が白目を剥くほどの臭い匂いを人間の100万倍〜1億倍の嗅覚を持つといわれる犬に嗅がせたい。

どうなるのか?
犬が例え死亡したとしても責任は取れません。

ですが、この好奇心は抑えられそうにもありません。

誰か、誰か教えてください。
このままでは頭がヘンになってしまいそうです。


って、もうヘンだと言った奴。
黙って、歯を食いしばり、一歩前へでるように。


どなたからかの協力要請待ってます。

N企画
本当に猫に歯磨き粉の匂いを嗅がせると逃げていくのか、実験。



1月6日

ガツン・・・

ときました。
目が覚めるというか、知ることによって閃きと興奮がありました。

毎度のことですが、今日のネタもスロットです。
しかも、かなりディープな話です。

スロットを知らない人にはまったく面白くない異国語に聞こえるかもしれません。
ですが、後学のためと思うならネットで分らない単語を調べながら読んでください。



実は、ついにスロット機の仕組みを知る機会が訪れたんです。
きっかけは古本屋でした。

先日、能動的な情報の摂取が必要だと感じたため、今日の会社帰りに自宅付近の優良パチンコ店の最寄駅で下車して古本屋へ行きました。

すると、4年ほど前には胡散臭くて買わなかったスロット本を見つけたんです。

入会して必勝法のマニュアルを買えと書いてあったので、詐欺だなと思ったのですが、スロット機の仕組みについて書いてありました。

4年も前の本なので、現在ではノーマルAタイプのようなものに限るとは思いますが、ボーナス抽選の仕組みが書かれてあり、N島が誤解してことに気付きました。


というのも、今まではN島は240個の分母から大当たりを引いた時(設定6のベース)、ボーナスに入り、子役はその240個の大当たりを引かなかったときに10分の1や、4分の1の確率で抽選されていると思っていました。

もちろん、差枚数カウンタがマイナス(子役高確率状態)かプラス(子役低確率状態)のときによって子役抽選確率が異なることは知っています。

ですから、差枚数カウンタの状態次第で子役抽選確率の分母が変わると思っていたのですが、正確には違います。

本当は分子の部分が変わり、約分した結果、分母が変わるんです。

どういうことか?

実はスロットはレバーを叩いた時に、16384個の数字(これを乱数という)の中から1つ選択されます。

でその選択された数字によって、成立する役が決まります。
0〜68だったらビッグ、69〜114までならREG、115〜2357までならリプレイといったようになります。

設定が高ければ、この分子の数が増えるため、約分して分母が小さくなり、ボーナスが揃いやすくなります。

で、この乱数の選択方法ですが、これが面白い。
スロットのCPUの中にリフレッシュレジスタと呼ばれる部分があるそうです。

この部分は乱数を255個持っています。
つまり、毎回0〜255の数字をランダムに選んでいるわけです。

そして、このリフレッシュレジスタから取り出された数字を、その前に選択された乱数に加算することで、新しい乱数にしているんです。

例えば、最初の乱数が0からスタートしたとして1番最初のリフレッシュレジスタの数字が200だとしたら、0+200で200になります。

次のプレイでリフレッシュレジスタが100を選択したら、200+100で300。
その次のプレイでレジスタが1を選択したら、300+1で301になります。

そして総計が16384を超えると、そこから16384が引かれます。
こうしてボーナス抽選をしているんです。

ただ、純粋な加算だと1プレイごとにわずかな差しか出ない場合があるので、実際はレジスタが選択した数字を乗除したり、2〜3倍にしたり、8192を足したりするそうです。

それででた乱数が成立役を決定する。

そしてスロットメーカーは意図的に好調・不調の波を作ります。
その方法が、リフレッシュレジスタが選択した数字を加工する計算方法です。

乗除するのか、何かを足すのか、その2つを組み合わせるのか。
それは企業秘密でしょうから分かりません。

ということはつまり、スロット台の好調・不調とはとある数字が選択された後、その数字に16384に近い数字が加算されることを選択されつづける状態を言います。

そのある数字がボーナスであれば、好調になりますし、ハズレ圏であれば、ハマリ続け不調になります。

ということは、例えば、16384のうちハズレが8192〜16384だった時に、9000前後の数字を引いて、16384に近い数字が連続して発生すると、当り抽選をスルーし続け、ドハマリするということになります。

先日のN島が座ったニューパルサーの設定6で例えると、5000枚近くでていた時は、当り圏の近くで16384に近い数字が選択されつづけていたことになります。

で1500枚飲まれたときは、ハズレ圏で16384に近い数字が選択されつづけていた。
突き詰めると、台の乱数の起点が違っただけで、台自体は出ているときも、そうでないときも変わらない。

ここでNライトが点灯しました。
そうです、閃きです。

好調な時は、そのまま16384に近い数字が選択されつづけることが望ましい。
しかし不調な時は、もっと大きい変化が欲しい。

そこで、考えたのですが、不調で高設定なのに台が完全に死んだ場合、何らかの方法によって、起点をずらしてはどうだろうか。

そうすれば、自力で不調をコントロールし好調な乱数の起点で始めることができるのではないだろうか。

でも、どうやって?


そこで、最初の方に話した差枚数カウンタが出てきます。

ニューパルサーで考えると、設定1〜4までのコイン1枚の減算値は100です。
設定5で103になり、設定6だと109です。

でコイン1枚の子役による払い出しにつき加算値は256。

つまり、1ゲーム回すたびに、3枚コインを使用するわけですから、設定1〜4で考えて、300ずつ引いて行きます。

子役がそろい払い出されると、1枚につき256加えていきます。
2チェを引いたとしたら、512です。

ですから、設定変更後、もしくはビッグ終了後(設定は1〜4とします。)に3枚ずつ投入し、2ゲーム回したとして2チェが1回揃ったら、以下の計算式になります。

0(ビッグ後、及び設定変更後の数字)−300(3枚投入)−300(3枚投入)+512(2チェ成立)=−88

減算値がマイナスの値です。
つまり、子役高確率状態。

で、ここです。
減算値が負の値になると、子役高確率状態になり、減算値が正の値になると子役低確率状態になる。

子役が揃う乱数は決まっております。
16384のうちのどこかの区間の数字です。

その子役が揃う乱数が減算値の正か負によって選択されやすくなったり、されにくくなったりする。

ということはですよ、減算値が正の位置にいれば、ハマリの不調時にずっと16384付近の乱数の加算が繰り返されますから、ずっとハマリっぱなしです。

ですが、減算値が負だった場合、どういう計算方法かは分かりませんが、ハズレの乱数が選択されにくくなり、代わりに子役の乱数が選択されやすくなる。

つまり、子役的中の乱数が増加するのではない。
(分子の数字例えば、子役低確率時に5000〜6000まではオレンジだったのが、子役高確率になると5000〜7000までがオレンジになるといった考え方ではない)

子役高確率状態になると、おそらく現在の乱数にオレンジが揃いやすくなるのに適した乱数が加算されるのではないでしょうか。

つまり、長く不調にいる台を子役高確率状態に行かせることで、乱数の起点の数字を変えられるのではないか?


ということは、前回のN島が打っていた設定6のニューパルサーが不調になったとき、故意に子役を外しつづけていれば、起点の乱数が変わり、子役が揃いやすくなる状態で、ハズレ永遠ループを抜け出し、好調に返り咲くことができたのではないでしょうか。


やってみる価値はありそうだと思います。
そんなことを考えました。

これは差枚数カウンタがついている高設定のノーマルAタイプにしか使えなさそうですが、スロッターのみなさんどう思われますか?

高設定不調脱出法

試す日が楽しみです。

N企画
ギャンブル必勝本を読みまくる。



1月5日

ネタ切れ気味・・・

でした、ここのところ。
かといって、今日は違うのかと問われると色よい返事ができかねる状況です。

ただ、今日発売の日経ビジネスを読んで、ちょっとした気付きがありました。

底が割れるのを避けるために極力ネタ切れを宣言しないようにしてきましたが、今日の気付きがそれを公言しないと、主張できないため敢えてネタ切れだったことを公言します。

今日面白いと思ったことが、お金は儲けるよりも使うほうが難しいという言葉でした。
トヨタの創業者豊田喜一郎氏の父である豊田佐吉氏が言った言葉です。

使うどころか儲けることも満足に知らないN島ですから、どこまでその言葉の深さが分るかは疑問ですが、感じたことが何点かあります。

まずは生き金と死に金です。
人はお金の使い方をなかなか教わる機会がありません。

というのも、最大限に有効な使い方と最大限に無駄な使い方があるのですが、なかなか有効な使い方ができている人は少ない。

かく言うN島も、有効な使い方をしているとは断言できませんが、極力使ったお金を最大限に生かしたいと考えています。

漠然と生きたお金の概念として、有能な人や博識な人、自分にとって利をもたらせる可能性(師となり得る人や、協力を仰ぎたい人)がある人に恩や感動を提供するお金の使い方が生きたお金の使い方だと思います。

以前に読んだ本で、生き金だと思った使い方があります。
それは、ある社長の実例だったのですが、その社長は月々の社員への給料は安めに設定していました。

理由として、給料は当然もらえるものという意識が社員にあるとその社長が考えたからです。

当たり前の物のベースを上げても喜びは最初だけで、同じ金額を使うのに、上げた当初と同じ効果を継続的に期待することは難しい。

何故なら、人は喉元を過ぎれば忘れるから、それを当然と思ってしまう。
だから、この社長は給料は安いがボーナスをそのベースからしたら破格といえる金額を出した。

たまに与えられるもので、人は自分の予想ベースや期待を超えるだけ与えられると感動する。

サービス業でもこれは同様で、こうだろうと思っていた予想を上回る何かを提供された時に人は感動する。

だから、この社長は給料のベースを上げたときと年間経費では同じ金額で、社員に感動というプラスアルファを提供したんです。

生きたお金の使い方だとは思いませんか?


逆に死んだお金の使い方は、自分にしか関わらないお金の使い方だと思います。
以前に、N島がとても信じられないお金の使い方をする友人を見たことがあります。

おそらく、今まで生きてきた中でN島が見た最大の死に金だったと思います。
その時、その友人がお金の使い方を改めなければ、一生負け組みだと断じました。

その友人は会社に車で通っていました。
ですが、この車は本人の物ではなく、会社から借りていたものです。

ですから、自分で駐車場は賃貸契約を結んでおらず、毎日夜間100円パーキングに止めていました。

大体1日の駐車料金が1時間400円の時間帯と100円の時間帯を合わせて、3000円前後でした。

給料が18万円前後だったので、休日も含めて30日で10万円。
半分以上、駐車代です。

職場もそれほど遠くなく、電車で帰ってこれる時間に終了し、電車で帰ってこれる距離なのにです。

何故、そうしているのかを問うと楽だからという答えが返ってきました。
喜ぶのは100円パーキングだけです。

これは自分の楽のためだけにお金を使っており、顔が見えない相手に利するだけです。
これほどの死に金はないでしょう。

札束で焚き火をするようなものだと感じた記憶があります。
有効に使用する方法を知らない人にとっては札束もただの紙の代わりにしかなりません。

鋏は使いようというように、お金も同様です。
使い方を知らなければ、その便利さを引き出せない。

まあ、そういう教育が行われないから仕方が無いのかもしれませんが・・・・
ですが、実際にお金の使い方を知っている人間は少ない。

だから、宝くじで1等が当ったり、競馬で何億も当てた人が没落したりする。
すべては使い方を知らないから。

儲けるよりも使うほうが難しいという言葉は、そういったところからきたのではないでしょうか。

で、ここまで考えた時、ネタが自然と見つかっていることに気付いたんです。
なんで、ネタ切れで苦しんでいたのに、急に見つかったのだろうか?

それはビジネス誌という考えさせられる新しい情報に触れたからです。
つまり、話題にするネタがないということは、それだけ怠けていて変化をしていないということなんです。

自分自身を向上させ、進化させるためには、情報をどんどん取り入れなければならない。

足し算しか知らない人間が掛け算を知ることはできないんです。
だから、掛け算を知るために掛け算の情報を摂取する。

それをしていかないといつまでも同じ場所に立ちつづけることになり、進化することをやめたつまらない人間になる。

いつも同じことを繰り返す見ず知らずの老人と話がしたいと思いますか?

その問いにNOを突きつけるのであれば、常に新しい情報を受け入れ、どれをアウトプットしていいか迷うくらい、ネタがあるようにすべきではないかと気付きました。

ネタ切れは怠惰の証拠。
ここのところ、ギャンブルに没頭していたため、能動的でなければ手にできない情報を遮断していた自分に気付かされました。

N企画
ビジネス誌を1誌から2誌に増やそう!!



1月4日

2日連続

で朝一から閉店までスロット打ってました。
目はしんどいし、腰と背中痛いし、ボロボロです。

スロプロはすごい。
こんなことを1年365日やっていたら、体が持たない。

N島も大分、長時間ギャンブルに慣れたこともあり、12時間くらいはスロット打ちつづけられますが、それを超えるともう無理って感じです。

先日一緒にいった友人は8時間くらいで、タップしてました。
もちろん、N島と一緒だったので、タップしても試合は終わりません。

結果、金銭的には大分勝ったようですが、肉体的にはボロゾウキンのようになって家に帰っていきました。

それを2日連続でやったので、今はもうかなりピンチです。
明日会社行く時間に起きれるか不安なくらいです。

しかも、3日分の更新ためこんだせいで、日付変わっているのに寝れない。

まあ、そんなわけで今日はスロットについて記載します。

実は今日、朝早く起きたので、早めに更新しようと思っていたのです。
ですが、更新するためのソフトを開いていた時に、近所のパチンコ屋からメールが届きました。

そこには・・・・

新年お年玉スペシャル、ニューパルサーR全台設定4・5・6で営業中。

ご存知のとおり、スロットは6段階の設定があり、1が一番悪く、6が一番良いです。
このお店はお客の年齢層が高く、かなり立ち回り的には甘いお店。
間違いなく、5か6を掴めると確信しました。

メールをみてから90秒後、N島は何故かタクシーの中にいました。
向かうはメールのあったパチンコ屋です。

タクシー代までかけてすべてを放ってきたのに、負けたら笑えないなと思いながら、目的地に向かいます。

一刻も早く台をと思い、お釣を運転手に提供して、パチンコ屋に飛び込みます。
時刻は9時半。

後で判明したのですが、N島の最初に座った台は設定4。
投資4000円でボーナスが当り、そのまま大ボーナス6回小ボーナス4回の10連チャン。

この時は6を確信しました。
ところが、ちらっと違う空き台を見ると、前日大ボーナス22回小ボーナス15回の設定4か6の札台が空いています。

前日が設定6と考えられる結果で、設定4か6の札。
意図を考えて、わざわざ下げることはないだろうと判断して、そちらもキープし、ママンを召喚。

絶対勝てるからといって、打たせます。
結果、これが設定6で全盛期は5000枚出ました。

ノーマルAタイプのニューパルサーRで。
ところが、後半あるときを境に完全に死亡。

1500枚飲まれました。

ここで気付いたことがあります。

他のノーマルAタイプにも応用して考えられそうなのですが、完全に死んだ設定6の台は別として、高設定の台は600回転以上ハマらないんです。

600回以上はまった台があればほぼ設定4以下と考えて良さそうです。

そして、設定4だと理論上は勝てるはずですが、結果を見るに、勝率が4:6くらいの比率で若干負け越しが目立ちます。

設定5・6はもちろん10:0で勝ちでしたが・・・・

つまりAタイプで勝ちたければ、設定5・6以外は打たないことを厳守する必要がありそうです。

また、あまりN島は信じてはいなかったのですが、やはり高設定でも調子が存在し、不調な台はどこまでいってもダメです。

今日のN島の設定6は500回ハマッて小ボーナスを引いた後、完全に死にました。
設定6で600以上ハマッて連チャンしない台は降りた方が良さそうです。

理論上は閉店まで打ちきるべきでしたが、N島は21時の時点で1500枚飲まれて、脱落。
その後、別の人が即座に座りましたが、800回転も回して小ボーナス1回きりで終了。

全台の設定が分っていたおかげで、本当の高設定と中間設定の違いが分りました。
非常に良い経験になったと思います。

やはり、高設定を打ち、高設定がないときは打たない。
そう自分を律することができれば、スロットで年間収支をプラスにすることも難しくなさそうです。

あとは、ボーナスをイメージしながら打つこと。
これをするようになってから実はN島は大きく勝ち越しています。

しばらく休日はスロット三昧になりそうな予感がします。

N企画
話題はスロットのみというコンセプトのスロット酒宴開催。



1月3日

最強の民族

はどの民か?
そう問われれば、間違いなくユダヤ人とN島は答える。

何故なら、今までに数多くの著名な成功者を排出し続け、その勢いは現在も衰えることを知らない。

最近読んだ、ユダヤ5000年の教えという本から例を挙げてみると、フロイト、アインシュタイン、マルクスやデ○コンピューターのマイケル・○ルや投資家ソ○ス、映画監督スピルバ○ク、こういった人たちもユダヤの血を引いているらしい。

では、この勝ち組みに属する民族とそうでない民族の違いはなんだろうか?
そう、疑問に思い、何冊かユダヤ人に関する書を読んだ。

繰り返しの主張になってしまうが、うまくいく人間とそうではない人間。
この2種類の異なる結果をもたらせるものは違いである。

うまくいく人とそうでない人は、結果以外にも何か違いが存在する。
その違いを知れば、自分もうまくいく方法を知ることができる。

そう思い、日本人とユダヤ人の違いは何かを書から考察した。
本を読むことで気付かされたが、他民族とユダヤ人の違いは教育にある。

というのも、ユダヤ人の教科書である旧約聖書には、生き方と人との接し方に関する教えが非常に多い。

そして、数多くの書を読むことを奨励している。

日本人であるN島が思うに、日本の教育は知識である。
平たく言えば、数学、国語、理科、社会といった記憶するものである。

つまり、同じ教育でも教える物が違うのだ。
ユダヤ人は知恵を教え、日本人は知識を教える。

この違いが、成功者を数多く出すと出さないの違いになっているのではないだろうか。
ということは、知識ではなく知恵を学ぶことが正しい学習だということになる。

よく考えれば、それはそうだ。
社会は人間が動かしている。

その人間とうまくやるのに知識は役にたたない。
人間とうまく接するのに必要なものは知恵だ。

そんなユダヤの知恵でN島が1つ面白いと思った言葉を紹介する。
それは・・・・


鍵は正直者のためだけにある。


解釈は悪い人は鍵をかけても、侵入してくる。だから、正直者が過ちを犯さないように鍵をかけるのだということらしい。

何が面白いかというと、人間の弱さを的確に表しているところである。
いくら善良でも、目の前に誘惑があれば、転じて悪になりうる。

己を律するということはそれほど難しい。
誰も見ていないときに、目の前に誘惑があったら、それを断ち切れない人間が多いということを教えてくれている。

そんな善良である人を誘惑しないために、鍵をかけるのだという発想に面白みを感じた。

このように、なかなか考えさせられる内容が書かれています。
機会があれば、皆さんも一度読んではいかがでしょうか。

N企画
祭の時にテキ屋に挑戦。



1月2日

ギャンブル大帝N

俺の名はN島。
ギャンブルの申し子だ。

かといって、ギャンブルに勝っているかというとそうでもない。
ただ、ギャンブルをしている時、その時だけが俺を真剣にさせ、ヒリつかせる。
その事実があるだけだ。


ギャンブルに挑む時の目。
その時の俺の目の鋭さは柴咲○ウも真っ青だ。

そんな俺を人はこう呼ぶ。


ギャンブル大帝Nと。


無論、まだ実際にそう呼ばれたことは一度も無い。
しかし、俺がいないところで人がそう呼んでいるだろうと、勝手に思っている。

そんな俺が正月休みに溺愛しているギャンブルをしないはずがない。
俺がギャンブルを好きなように、ギャンブルも俺が好きだ。

ギャンブルと俺は織姫と彦星のような情愛によって互いに惹かれあっている。
そんなわけで、1月2日と1月3日はギャンブル三昧をして過ごした。

2日は正月早々、友人宅にて友人とその父の体をリザーブ。
初打ち麻雀。

友人宅には友人の親戚が集まっており、酒の一つでも手土産にすべきだったが、故意に急かせるギャンブルの誘いに、失念した。

嗚呼、ギャンブルよ、何故そんなに小悪魔的なのだ。
そこが魅力でもあるんだが・・・

そんなわけで12時くらいから18時くらいまで3人麻雀、通称サンマを決行。
この時の俺は、ギャンブルの女神に愛されていたらしい。

6連続トップを取り、残り2回は2着。

そして、その後次の日、3日のためのスロット屋下見へ。
下見のはずが何故か、お金が半分に・・・・

麻雀でノシタ友人は2〜3倍に・・・・

女神は気まぐれだ。
先ほどまで俺を愛していたかと思えば、もう友人に乗り換えた。

が、しかし、これもギャンブルの俺に対する教育だ。
驕るなという。

俺にとってギャンブルは偉大な師でもあり、そして人生のすべてに絡む要素だと確信している。

何故なら、俺はギャンブルから、自己責任の在り方、人の念の効果、幸運・不運な人の違い、反省をし改善をすること、真剣の概念、そういったことを学んだ。

そして、人の生死すらギャンブルの要素があると思っている。
どういうことかというと、考えられる時間の最小単位毎に個人の死亡抽選が行われているのではないかと思う。

それこそ、1000万分の1や100万分の1といったように・・・
それに当選すると、死亡する。

そして、この抽選は、生まれたばかりから実際に抽選に的中するまでの間になだらかな曲線を描くような的中確率になる。

生まれてから徐々にその考えられる時間の最小単位毎の死亡抽選的中確率は下がっていき、そしてピークを迎えた年から徐々にその的中確率が上がっていく。

つまり、最初は500万分の1が次は500万と1分の1といういったように徐々に的中確率が下がっていき、ピークがくると、今度は的中確率が上がり始める。

1000万分の1の次は999万9999分の1といったように。

だから、生まれたばかりと老人は死にやすくなる。

こんなことを考えることがある。
すべてはギャンブルだ。

そんな信念が俺をギャンブル大帝Nと呼ばせる所以なのだろう。
さあ、家に閉じこもっている場合じゃない。

今日も今からギャンブルに出かけよう!!

しかし・・・・・


結果は聞かないでください。

何故なら・・・










負けたら、結果を言うことで気分を害すし、勝ったら勝ったらで奢らないと吝嗇家のように思われるから。

友人全員に勝った勝ったで奢っていたら、次に勝負する種銭すらなくなってしまう。
最愛のギャンブルを堪能できなくなっちゃうよ・・・

N企画
山下公園で海に向かって年越し携帯投げをする。



1月1日

信は力なり

最近、よくこの言葉を目にします。
以前までであったら、笑い飛ばしていた言葉ですが、最近になって深さが分かりました。

というのも、人間が介するものすべては信なくして成り立つものなど一つもありません。
N島は自分の信用を重要視していますが、他人を信じることはあまり、意識してきませんでした。

というのも、人を信じることって難しいんです。
実績が無い人や普段の言動に疑問を感じる人を、そのまま信じて任せることができるかと問われると、どこかで大丈夫かなあという疑いが芽生えます。

疑いとは不信感ですから、どうしてもそれが行動に出る。
そして、人は自分を信用しない人間を信用することは決して無いんです。

つまり、不信感を持って接した相手からは不信感で返される。
そうなると、人間関係は崩壊です。

これは上手い手ではない。
かといって、誰も彼も無条件に信じすぎると痛い目に会わされる。

だから、バランスが大事なのでしょうけど、N島は猜疑心が強すぎるので、騙されることは無い代わりに信用もN島を深く知る人間にしかない。

ですから、大体の人は信じるべきなんですよね。
中には悪い人もいるでしょうけど・・・・

善か悪か分らない人を信じきることはかなり強い精神力を必要とします。
疑って手を打つのは簡単ですが、それは対象がその事実に気付いた時に、自分を決して信用しなくなるわけですから、上策ではない。

そうなると、必ず、信じたからにはそれを貫きとおさねばなりません。
任せて時間をじっと待つことが信です。

これはかなりの精神力を必要とすることではないでしょうか。
そして、これができる人間がどのくらいいるか・・・・

信じぬける人間には器の大きさを感じます。
思えば、知っている人間でも疑う気持ちが強ければ強い人ほど、それに比例して器が小さかった記憶があります。

自分で自分の器を小さくするような疑いを持ってどうするんだろうか・・・
騙されない代わりに勝てもしなくなる。

そういえば、先日のタクシーの運転手も米と代金の受け渡しをどうするのか聞いたところ、お米を送る際に、お米と振込用紙を同封するそうです。

そのとき、N島は先に物を送ってお金を払わない奴がいたらどうするつもりなんだろう・・・
自分はとてもそんなことはできないと思うが、そうする人はいるんじゃないかなと思ったんです。

しかし、これは猜疑心が強い証拠で、自分と同様に折角汗水たらして働いて作った手間暇かけたお米を送ってもらって、お金を払わないなんて信を裏切る行為ができるかと思う人が大半なのではないでしょうか。

つまり、このタクシーの運転手は先に信を見せることで、心地の良いビジネスを成立させていますが、N島だったら先に振り込んでくださいという形を取ると思います。

しかし、これは相手を不快にさせるか、自由意志に任せることになるので(つまり信に応えるという枷がない)ビジネスが成立しない可能性がある。

そう考えると、騙されるリスクを考えるよりも、信を貫く力を養った方が得なんじゃないか。
騙されても、1回分のお米で済むし、腹は立つかもしれないが、それ以上に信による取引をした人間が紹介をしてくれるプラスの方がでかい。

信は力なり、よく聞く言葉ですが、考えてみると知っている以上に深い意図が隠されているかもしれません。

N企画
スロ屋の朝一の札台を信じぬく(痛い目に会う確率90%)