N島日記2


                          2000年
N島は外の雑音で目が覚めた。

彼の自宅の前にはパチンコ屋がある。
今日はその開店日のようである。

パチンコ屋独特の騒々しい音にのって、F1のテーマが流れてくる。
彼は布団の中でその曲を聞いていた。
そして、サビ(なのだろうか?)になった。
彼はこのサビの部分を聞くと、F1カーがコーナーを曲がっていくのを想像する。

彼が寝ぼけているのも手伝って、このサビを聞くたびに、遠心力で彼の体は左右に傾いた。
気分はすっかりF1レーサーである。
ライバルはシューマッハ。
そう思うと、彼の勝負師としての魂に火がついた。

彼は布団から飛び起きると、日課となっているシャワーを浴びた。

・・・行かなくては。
・・・行かなくてはならない。

・・・どこに?

彼は熱いお湯を浴びながら自問した。精神が熱い戦いを求めていた。
それは、情けないことにF1の曲に起因するものであったが、彼は無論気がつかない。

天啓だ、彼は信じて疑わなかった。
彼の意思はこの時点で決まっていた。
それと、おそらく運命も・・・

N島は自他共に認めるプチ破滅型ギャンブラーである。
ギャンブラーがアイデンティティを得るには勝負をすること以外にありえない。

彼は時計を覗き込んだ。時計の針は十時半近くを指している。こんなに早く起きるのは珍しいな、彼は思った。やはり、天啓だ。

明らかな誤解なのだが、彼はむりやりこじつけた。

大急ぎで外出着を身に付ける。

どこにするか・・・?
うん?天啓がF1・・F1は速い・・ということはスピードに関係あるところだ。

今時小学生でもしないようなシンプルな連想をして、彼は一人自己満足をしていた。
速い・・・速いと言えば・・・そうだコンコルドだ。
発想が貧困な彼は一昔前ダービーを勝った馬の名前からそう考えた。

客観的に見て、彼はどうしようもない駄目人間だった。
しかし、悲しいかな、彼だけがその事実に気が付いていない。
しかも、彼は何をトチ狂ったのか常々天下を取ると公言して憚らなかった。

しかし、ある意味では彼は大物であった。いうまでもなく、馬鹿と呼ばれる区域だが・・・。

ともかく、彼はどうしようもない連想から、導き出された名前のパチンコ屋へと足を運ぶことにした。
早起きは三文の得というが、どうやら彼には当てはまらないらしい。
さしずめ、彼の場合は三万円の損といったところか。

靴を履き、ドアを開ける、もう季節は冬を告げていた。
太陽の明るい日差しが彼の顔を照らし出す。

天気は良かったが、気温は高くなかった。寒風が彼の脇を通りすぎていく。
だが、熱く燃え上がった彼の魂には心地よかった。
彼は気合を込めて歩き出した。

彼はひとまず食事を取ろうかと考えた。
しかし、タネ銭はギャンブラーにとっては命である。
無駄な出費はツキを落とすと思い、止めた。

ギネス級の愚かさである。

ハナからありもしないものを想定しているとは・・・
捕まえてもいない狸の皮の金額を計算しているのとなんら変わりはない。
しかし、彼は真剣だった。
彼は目的地に向かって一心不乱に歩いていった。

勝負の時が近づいてくる。
軍艦マーチが彼を迎いいれる。

「いざ、出陣」

彼は呟くと、戦場へと向かっていった。
まずは、台選びである。

どれにしようかな・・・・

慎重に台を見つめる。
そして、ひとつの台の前で立ち止まった。

機種は・・・海物語である。前日もそこそこでている。
彼はさしたる理由もないのにも関わらず、迷うことなくそこに座った。

天啓がついている・・・・
俺は負けない・・・

思い込みは恐ろしい・・・
冷静になれば明らかである事実も、人の心を介してねじ曲げて見せられる。

財布から、紙幣を取り出す、そしてパッキーカードを買う。

無駄なものはおいてくれば良かった

彼は思った。

これでは、お金がたくさんはいらない。

彼の財布からは学生証が覗いている。その他にも、大小様々なカードが所狭しと詰まっていた。

そんなことよりも、もう勝つ気でいることに彼は疑問を抱かないのだろうか。まあ、彼は前述のとおり、アホであるので、仕方の無いことといえよう。

彼は購入したカードを持つと荷物を置いてあるところまで戻った。
集中して打ち始める。

いつもどおり、彼の祈りを込めた、彼の球達が軍艦マーチを背に華々しく散っていく。
その悲壮さは神風特攻隊にも負けなかった。

彼には、

N島バンザーイ

必ず勝利をっ!!

穴に飲み込まれて、消えていく彼の戦士達が叫んでるように聞こえた。

・・・・幻聴である。

ここまでくると、まともな人間に更生するのは不可能といえる。

一枚目のカードが無くなった。
大丈夫だ、天啓を聞いた。
それにこの台はよく回るし、リーチがかかる。

彼は続けることにした。二枚目、三枚目とカードが無くなる。彼は焦燥し始めた。

へ・・・・平気だ、絶対に出る。
出ないはずがない。
根拠も無いのに、彼は信じ続けていた。

最後のカードを買う。最早、そこには当初の熱い魂をもった強気な男はいなかった。

頼む、お願いだ・・・・

涙を滲ませながら台に懇願する哀れな生贄の羊がいるだけである。
そして定められていた運命が、まるで母が幼児を受け渡すかのように、やさしく彼の手の中に舞い降りた。

破滅である。

ここで、簡単に彼の破滅の定義をしておこう。
彼における破滅とは確たる収入の当ても無いのに、ギャンブルによって有り金ほぼすべてを失うことである。

球がなくなった後も、しばらく呆然と彼は台のハンドルを握っていた。カラ打ちをしている振動が彼の手に響く。

空白の時間があった。

彼は我にかえると、急に笑い出したくなった。

破滅による快感が彼を占領し始める。
そう、彼は破滅に酔っているのである。
その快感は彼にしか分からなかった。
麻薬でトリップするとこんな感じなんだろうな、現実感のない意識で彼は思った。

どのくらい、破滅の余韻を味わったであろうか。
彼の意識の三分の一が現実に戻ってきた。
まずい、これはあのときの再来ではないだろうか。

彼にはこの現実を感じつつも、浮遊感を感じる、なんとも不思議な状態になることが過去に一度あった。
こうなると、幻聴がよりいっそうはっきり聞こえ、被害妄想に捕らわれる。

早く、帰ろう。

彼は思った。
そして店を飛び出る。

やはりだった。

駄目人間っ!!

どこからともなく聞こえる。

みるとゴミをつついてる鴉がこちらをみながら彼を罵倒していた。
彼は耳を塞いだ。

駄目人間っ!!

買い物籠を下げた人の良さそうなおばさんが彼を背後から追い抜き、そして追い抜きざま笑顔で彼に言った。

自転車のベルが鳴る。

駄目人間っ!!

そう聞こえた。

駄目人間、駄目人間、駄目人間、駄目人間、駄目人間

ありとあらゆる音、物という物が彼に向かってそう叫ぶのである。
彼は涙目になる。

通りすがりの車のエンジンが、風船を持った子供が、浮浪者が、そして、水の音、飛行機、町の喧騒、音を発してるすべてのものが、彼を責め立てるのである。

駄目人間っ!!と。

彼はいたたまれない気持ちになり耳を塞いで走り始めた。だが、この世で音の無いところは存在しなかった。

駄目人間、駄目人間、駄目人間

声が彼を何処までも追いかけてくる。

うわあー。

とうとう耐え切れず、彼は叫んだ。
通行人が怪訝そうな表情で彼を見る。
可哀相にといった目で見る人もいる。
しかしそれでも彼を苦しめる声は止まなかった。

うわー、

もう一度彼は叫んだ。

こんなの話が違う。酷い、酷いよ。
俺は悪くない、悪くないんだ。
俺じゃないっ。騙されたんだっ!!

彼は子供のように泣きじゃくりながら、喚きちらした。
自己責任の取れない典型的駄目人間である。
おそらくその場での彼を客観的見地でみれば、駄目という漢字が服を着ているように見えたであろう。

その彼の駄目さに比例するように、彼を追い詰める声は大きくなっていく。

駄目人間、駄目人間、駄目人間。

視覚が、聴覚が、触覚がその謗りを受け止める。

既に、彼という人間のキャパは超えていた。
その時、彼の自己防衛機能がこれ以上は危険と察知したのか、彼のそこから先の記憶を消去した。

気が付くと、公園のベンチで座っていた。

ふー。

安堵の息をつく。
彼は思い出したかのように喉の渇きを感じた。

そこで、彼は気を落ち着けると、財布を覗き込んだ。硬貨しか入っていない。
おやおや、しばらく俺の財布は財布としての機能を発揮する必要はなさそうだな、彼は人事のように呟いた。

こんな絶望的な状況にもかかわらず、追い詰められてからが勝負だ、と彼は思っていた。そして、今日が土日であることを思い出した。そう、競馬が開催されているのである。

馬券は五百円から買える。幸いにもここからなら、勝ち馬投票所まではたいした距離はない。
彼は何事もなかったかのように財布の中から五百円玉をとりだした。残りは五十四円である。

どうやら、ジュースも食事も今日は縁がないらしい。
彼はこれ以上ない爽やかな笑顔で微笑むと、WINSへとむかう人込みの中へと消えていった。
彼の後姿は幸せそうだった。