おやこの俳句教室の新コーナー「おやこの俳句鑑賞」にお寄せいただいた観賞文を掲載いたします。(第75回〜)
皆さんからの投稿も大歓迎です。 こちらのフォームからご参加ください。
(掲載までに時間の掛かる場合があります。また、採用については管理人に御一任くださいますようお願いいたします。)



おやこの俳句教室(第75回) 2013.4月
桜咲く思い出尽きぬわが母校 山下雅司
誰の心のなかにも母校での思い出があり、その一つ一つが(それがよいものであれ辛いものであれ)今の自分に繋がっている。学生時代の出会いと別れはいつも桜に彩られていたのではないだろうか。作者の母校である小学校が閉校になったと聞く。本HPでもご縁をいただいたこともあり、まったくの部外者ながら名残惜しい。(真帆)



おやこの俳句教室(第76回) 2013.5月
葉桜のあをの明るき空を見る 緑川美世子
青々と艶やかな葉は穏やかな日差しに照らされています。気持ちよい朝の散歩道でしょうか。ふと立ち止まり空を見上げる作者。「あをの明るき」は実感のこもる七音です。葉桜の季節感を十分に伝えています。地面には葉桜の影も揺れています。(まさじ)



おやこの俳句教室(第77回) 2013.6月
空梅雨の島々を見て船は航く 高浜虚子
空梅雨は梅雨にもかかわらず雨が少ないこと。大梅雨ならば島々は見えないだろう。作者の眼前に広がる島々は空梅雨ならではの景色だ。旅情豊かな作者が浮かぶ。船上から「島々を見て」いる作者。船の進むさまを「船は航く」が遠近の技法だ。(まさじ)
吟行句会当日に雨が降れば雨の、晴れれば晴れの力作が投句される。当たり前なのだけれど、参加するたびに同行の皆様の力量に感心する。私の先生はどなたも、「まずは、ものをしっかりと見なさい」と仰る。あるがままを捉えてからが正念場だ。この句を読んで改めて「頭の中で作っていてはだめだなぁ」と反省した。(真帆)



おやこの俳句教室(第78回) 2013.7月
水遊び胸まで濡れて母を呼ぶ 大串章
水遊びは夏の季語。「胸まで濡れて母を呼ぶ」と明解に叙され、お庭で水遊びするようすが手にとるように見える。俳句は一瞬の切り取り。作品の「母を呼ぶ」は、幼子の水遊びのさまを増幅した。もしかしたら、プールでの情景かもしれない。(まさじ)



おやこの俳句教室(第79回) 2013.8月
風入れて肩かるくする夏衣 林翔
麻のようなうすものが夏衣。猛暑の夏はなおさら体が重い。それだけに、どうにかして乗り切りたい。「風入れて肩かるくする」と捉えた夏衣。団扇などで風を入れると、肌を離れる空間が生まれる。日常生活のその実感を俳句に詠まれたのだ。(まさじ)



おやこの俳句教室(第80回) 2013.9月
捨てきれぬものにふるさと曼珠沙華 鈴木真砂女
真砂女さんのふるさとは千葉県鴨川市。房総半島の太平洋側に面している。実家は老舗旅館。のちに東京で、銀座「卯波」という小料理店を営まれた。人恋しい秋。ふるさともまた、「捨てきれぬもの」の1つ。その心情に来し方の思いが深い。(まさじ)



おやこの俳句教室(第81回) 2013.10月
裏返る波の白さよ海桐の実 山下雅司 
海桐はトベラと読み、高さ1〜3mの常緑低木。海岸近くに多く生じるらしいのだが、あいにく私は植物園で整然と植えられているものしか記憶になくて充分に鑑賞できないのが残念だ。晩秋、丸く黄色い実が三つに割けて赤く種が覗く頃の、白く波立つ荒々しい海の様子を思い浮かべた。歳時記で他の俳人の作品なども読み、大変勉強になりました。(真帆)



おやこの俳句教室(第82回) 2013.11月
小春日や時計の鳩の反り返る 緑川美世子
小春日は11月の異名で、立冬後の春を思わせる穏やかな日。思わず当地、鹿児島市の平川動物園の広場を思い出した。定刻になると音楽が流れて人形のお出まし。暫く立ち止まり見ていた。「時計の鳩の反り返る」は、まさに小春の雰囲気だ。(まさじ)



おやこの俳句教室(第83回) 2013.12月
父を恋ふ心小春の日に似たる 高浜虚子
人間の心と小春の日。この作品に初めて出合って、人は自然に生かされているのだと思うことだ。春の日ではなく、冬の小春日和。父を恋ふ心を作者は小春の日に似ると捉えた。誰しもが年を重ねると思いが溢れる。美しい父子愛が滲み出る作品。(まさじ)



おやこの俳句教室(第84回) 2013.12月
白く厚く未知かぎりなし初日記 能村登四郎
「初日記」とは新年になって初めてつける日記。作者は「白く厚く未知かぎりなし」と表現された。今年はさて何ができるか?常に新しさを求める心意気が作品となった。1月生まれの作者と知ればことさら。国語を教わった先生の温顔が浮かぶ。(まさじ)



おやこの俳句教室(第85回) 2014.1月
初午の飾り馬来る杉木立 西村数
鹿児島神宮で行われる初午祭。460年以上も続く伝統行事である。馬の背に飾られた鈴やポンパチなどが揺れて杉木立に響く。鈴かけ馬と呼ばれ、足踏みをしながら踊る馬。午年の今年は2月第4日曜日に22頭、2000人の踊り連があった。(まさじ)



おやこの俳句教室(第86回) 2014.2月
引鶴の天地を引きてゆきにけり 平井照敏
出水で冬を越したツルの北帰行。一連を作って帰って行く。長島の行人岳で引鶴を観察したことがある。まさに大空と大地が重なり合って壮大の景観だった。引鶴のそのさまを作者は「天地を引きて」と表現した。ツルを見送った日がよみがえる。(まさじ)



おやこの俳句教室(第87回) 2014.4月
花散るや夕日もつとも太るとき 鍵和田 ゆう子(ゆう・・・禾に由)
真っ赤な夕日を背景に、桜が散っている。作者は「夕日もつとも太るとき」とその情景を詠んだ。目に浮かぶようだ。夕日が最も太る時という措辞は感動の表現であろう。充実した一日が終わろうとしている。絵筆を持ってみたくなる俳句である。(まさじ)



おやこの俳句教室(第88回) 2014.5月
薊咲き午後は眠たき海の紺 中村世紀
紫紅色のアザミの花と紺碧の海。作者の眼目は「午後は眠たき海の紺」。午後の気分を海の色で表現されています。難しい言葉は一つもなく、精神面のはたらきがある作品だ。薊咲きと午後は眠たきの調べが絶妙。俳句は声に出してみるものだ。(まさじ)



おやこの俳句教室(第89回) 2014.6月
梧桐に少年が彫る少女の名 福永耕二
福永耕二氏の郷里は鹿児島県の川辺町。1999年に始まった「少年少女かわなべ青の俳句大会」は、耕二を顕彰する子ども俳句大会。掲句は「少年が彫る少女の名」に作者の愛情が深い。あおぎりに彫られた少女の名に少年の淡き思いも伝わる。(まさじ)



おやこの俳句教室(第90回) 2014.7月
家長われ土用鰻の折提げて 山崎ひさを
(かちょうわれどよううなぎのおりさげて やまざきひさを)
その家の主人が家長だ。「家長われ」に存在感があり、目を奪われた。うだるような夏の盛り、土用の丑の日には鰻を食べる。掲句はひと味違う折り詰めの一品。家族に持ち帰りの土用鰻だ。「折提げて」に、作者である家長の顔が見えてくる。(まさじ)



おやこの俳句教室(第91回) 2014.8月
虫の夜の星空に浮く地球かな 大峯あきら
(むしのよのほしぞらにうくちきゅうかな おおみねあきら)
虫の声を聞きながら夜のウォーキングをしていると、まさしく実感できる。きらめく星空は宇宙の海そのものだ。その海に浮いている地球と捉えた。森羅万象を詠む俳句は、壮大なる詩の世界だ。一日のおつとめを終えた安堵感も漂う作品である。(まさじ)



おやこの俳句教室(第93回) 2014.10月
天はいま宴の如し鷹柱 大岳水一路
(てんはいまうたげのごとしたかばしら おおたけすいいちろ)
鷹柱は旋回しながら大空へと上昇する鷹の群れを大きな柱に見立てた季語だ。渡り鳥の時期、野鳥の会のみなさんも双眼鏡を手に、その瞬間を今か今かと待っている。作者は、その時の感動を宴のようだとして、いま旅立ちの秋空を仰ぎ見ている。(まさじ)
鷹は一羽でも威厳のある飛びようだが、その軌跡は直線的で大気を切って行く。鷹柱となり多数で螺旋状に上昇していく様は、途中で離脱してその周りを飛び交うものも含めて、まさに「宴」の華やかさがある。何もない虚空がたちどころにその一柱に凝縮し、すぐにまた解けてもとの天に戻るまでのつかの間を「いま」と詠みとめた作者の高揚感も伝わってくる。(真帆)



おやこの俳句教室(第94回) 2014.11月
マリモ棲む湖底の秋も人の世も 山下雅司
(まりもすむこていのあきもひとのよも やましたまさじ)
湖底には繁殖期を過ぎた秋にもマリモが棲んでいる。人の世にも棲むマリモとは何の象徴だろうか。「湖底の秋」と「人の世」の並列も気になる。よくわかるような、わからないような、不思議で魅力的な句。 (真帆)



おやこの俳句教室(第95回) 2014.12月
薄日さす窓を横目に炬燵猫 緑川美世子
(うすびさすまどをよこめにこたつねこ みどりかわみせこ)

コタツに陣取る猫が薄日さす窓を横目でみている。この情景が俳句にまとまると、不思議に猫のようすや目の動きまでも見えてくるようだ。かまどがあったころは、火の落ちたかまどで灰だらけの猫もあった。寒さをきらうのは猫ばかりではない。(まさじ)



おやこの俳句教室(第96回) 2015.1月
 初あかりそのまま命あかりかな 能村登四郎
 (はつあかりそのままいのちあかりかな のむらとしろう)

一年の始まり。その初明かりをあおぐ作者です。「そのまま命あかり」と叙されています。自然の恵みをうけている人間の命です。初と命以外はひらがなの表記で作者の深い思いが余情となっています。生命の限りを大事にしなければなりません。(まさじ)



おやこの俳句教室(第97回) 2015.2月
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく 加藤楸邨
(こいねこのさらなめてすぐなきにゆく かとうしゅうそん)

猫の恋だ。「皿舐めてすぐ」というリアクションが何ともリアルだ。そして、鳴きにゆく猫の動きを読者は想像する。恋猫の鳴き声ばかりに気を取られる仕事場とは違い、飼い猫の掲句は新鮮だった。厨の猫もこの季節は殺気立つような声を出す。(まさじ)



おやこの俳句教室(第98回) 2015.3月
みちのくの伊達の郡の春田かな 富安風生
(みちのくのだてのこおりのはるたかな とみやすふうせい)

みちのくは、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥の5国の古称。地理上の区画が郡。その伊達郡の田一面にゲンゲの花が咲く春の景観が見えるようだ。福島県は、戦国武将の伊達氏発祥の地。震災から4年。一日も早く東北が復興するよう祈りたい。(まさじ)