俳句二十五年記念 山下雅司作品集



俳句のご縁に感謝(山下雅司)

俳句を作り新聞、俳句雑誌等に発表してから25年となりました。今回俳句25年記念として、俳句入門から三年間の「ふるさと」41作品に絞り七句選と一句鑑賞(110字程度)をお願いしたのは初心に返り故郷に感謝する思いからです。改めて自作を読み返し俳句の姿勢を見つめる機会となりました。御選と鑑賞を励みにして俳句道に精進して参ります。
◯は鑑賞作品です。2021秋



山下雅司作品集(1) ふるさと

 イムさん選

 亀鳴くや母は障害もちて歩す
 十四の瞳のひとり入学す
 葛の花たのみのつなの村の医師
 長崎忌子を持つわれに語る父
 今日といふ日を留めたる芙蓉かな
◯代々の山ふところに稲を刈る
 ふるさとの峠越えして雲雀の野

 代々の山ふところに稲を刈る
どこかにありそうな句で捨てがたい。代々山ふところに抱かれて稲を刈る人の営み。自然のふところに委ねた生活を代々受け継いでいる。何も迷うことなく「昨日またかくてありけり、今日もまたかくてありなむ。」の人の営みが、穏やかに暖かく感じられる。ひたすらに進化を追い求め変化する日々から抜け出し、こうした景の句に出会うと底知れない安らぎを覚える。


 大中原久美子選

 薄氷を珍しさうに屈む子よ
 十四の瞳のひとり入学す
 ふるさとや目覚めて蝉の声ばかり
 葛の花たのみのつなの村の医師
 小春日や父におくれて母が来し
 わたつみの島影ひとつ涅槃西風
◯島にある人のぬくもり草の花

 島にある人のぬくもり草の花
故郷、ふるさと、良い響きです。生まれ故郷を千キロ離れて住む身には尚更。私のふるさとは山の中です。久し振りに帰ると会う人会う人が、手を振って「あお帰ったか。元気だったか」と声をかけてくれます。名も無き草の花さえ温かい。


 中尾帆遥選

 亀鳴くや母は障害もちて歩す
 十四の瞳のひとり入学す
 ふるさとや目覚めて蝉の声ばかり
 ふるさとの波にきらめく桜貝
◯子をつれて行くふるさとや稲の花
 島にある人のぬくもり草の花
 ふるさとの訛なつかし実むらさき

 子をつれて行くふるさとや稲の花
雅司さんの故郷は甑島。久し振りに子供を連れて島へ帰り、両親との団らんなど故郷の風に浸りながら和やかに過ごしている様子が伺える。両親は久し振りに会う孫の成長ぶりにさぞ喜ばれたことでしょう。季語の「稲の花」はまもなく黄金の稲穂となる。子供のすこやかな成長、そして両親の健康第一を願う作者の気持ちが滲み出ている一句である。


 古崎真帆選

 薄氷を珍しさうに屈む子よ
 代掻くや開墾田をまかされて
 鯉のぼり児童数にも勝りたる
 腰据ゑて父と語るや三ヶ日
◯子を連れて行くふるさとや稲の花
 級友と行く級友の墓参かな
 手を置きて日の温みあり春の土

 子を連れて行くふるさとや稲の花
帰省はどこか面映く感じるものだが、子を連れてとなると別の感慨もあるだろう。稲の花が、子どもの成長や家族の繁栄まで暗示しているようだ。豊かな原風景を、連れて行ってもらった子もいつか懐かしく思い出すだろう。


 山下久代選

 薄氷を珍しさうに屈む子よ
 亀鳴くや母は障害もちて歩す
 葛の花たのみのつなの村の医師
◯旅人となりて訪ねむ島の秋
 島にある人のぬくもり草の花
 今日といふ日を留めたる芙蓉かな
 赤のまんま碗一杯にして少女

 旅人となりて訪ねむ島の秋
この「旅人」の視点で「ふるさと」一連の句を鑑賞しました。故郷の甑島を旅人の視点で客観的に捉えるとき、新たな詩心も生まれます。旅人の視点には謙虚さを覚えます。それは島に生きた人々と今も島にある人々への限りない尊厳を意味しています。


 大川畑光詳選

 ふるさとや目覚めて蝉の声ばかり
 わたつみの島影ひとつ涅槃西風
 子を連れて行くふるさとや稲の花
◯級友と行く級友の墓参かな
 赤のまんま碗一杯にして少女
 石積みの棚田のあとや竹の秋
 母の声しかと八十八夜かな

 級友と行く級友の墓参かな
級友の初盆に各地から帰省してきた仲間が集まった。親しかった同輩の墓参ゆえに死というものがわが身に重ねて思われる。上五中七の「級友」のリフレインによる軽やかな調べから下五の「墓参かな」への転換に哀惜の情が溢れる。