一句鑑賞(1) 「翔つ鶴に鋼の力ありにけり」 山下雅司   〜「鶴の俳句大会」大会賞受賞句〜
 引鶴の句だが、この句の鶴はタンチョウではなくマナヅル。鹿児島は出水・荒崎での作。
 鶴は、冬の間頭を垂れて、田の餌を啄む。夫婦で、家族で、日の当たり具合や風の方向によって、田を変えながら。そして春、それまでのほのぼのとした日々から一転して、北を目指しての長旅に赴く。
 この句で作者は、鶴の飛び立つ一瞬に「鋼」の力を見て取ったのである。その時間的・物理的な一瞬を捉えたのみならず、その一瞬に集中する「いざ」という気概をも、正確な写実の中に表現し得たのが素敵だと思う。 つい叙情に流れがちな題材を冷静にスケッチし、それでいて鶴への眼差しには、到着までの苦難を乗り越えてほしいという優しさを感じる。「力ありにけり」と言い切ったことで、鶴への、さらには自然の営みへの頌歌として成功している。いかにも、男性の作ったらしい包容力を持つ句だ。
 鍵和田先生の「鶴啼くやわが身のこゑと思ふまで」は、鶴と一身になった内省が読み手にピントを絞るように伝わる名句であるが、その一方で、この句はレンズを開放していくような外に向けての方向性が強く、後味も良い。いずれも、単に吟行でその場に居合わせれば作れるというわけにはいかない。 ものめずらしさは、時に句に新鮮味を与えることもあるが、そこからもう一歩踏み込んでこそ、句も生き生きとした実感を持つ。自分の感情を優先させるのではなく、季語を第一に、大切に扱うこと。そんなことを改めて考えさせられた。
 
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