「ジュニアの俳句鑑賞」にお寄せいただいた観賞文を掲載いたします。(第1回〜)
皆さんからの投稿も大歓迎です。 こちらのフォームからご参加ください。
(掲載までに時間の掛かる場合があります。また、採用については管理人に御一任くださいますようお願いいたします。)
鶴の飛来地に住む方ならではの句と思った。鶴を直接詠むのではなく塒に注目したことで、今年もその時期になったという気付きがより鮮明に伝わってくる。たまたまその時期に訪れるだけでは、なかなかこのようには表現できない。末枯れという寂しさや厳しさを感じさせる季語が、時候だけでなく塒の場所の写生としても活きている。(真帆)
書物に囲まれている部屋だろうか。作者は部屋に籠っている。その中で何かの拍子で書物がおちたのだ。何気ないことだが、はばたくように落ちたと比喩している。俳句のいのちである中七に直感的な思いが生まれた。この表現はまさに感性に尽きる。(まさじ)
トシドンさまは下甑島の大晦日の行事です。作者はその貴重な経験をされた。後ずさりという動作が加わり臨場感あふれ作品。身に付けた衣が畳と擦れる音までも聞こえてきそうだ。漢字とひらがなとカタカナ表記に作者の気持ちが伝わってくる。(まさじ)
〈眠い目をこする/貝母の咲くやうに〉と中七で切れている句だが、そのまま続いていくようなゆるやかな感覚がある。貝母はユリ科の山草で俯いて咲く様子は控え目で可憐だが、このように詠まれると、かすかな風に揺れてなんだか眠たそうだ。(真帆)
こどもが眠たい目をこする姿と貝母の咲くのがよく似ていると作者は捉えた。言われてみてなるほどと思う。俳句を作る人は植物をよく知っている。植物をしらなければ生まれなかったろう。作句は人の動作にも観察眼がひかる。作品で作者も見えるようだ。(まさじ)
三月は受験生にとって気持ちが昂る。掲句は大学受験生だろうか。夜や突然にと、静かな夜にジャズの音が響いたのだ。気分の切り替えの音楽です。その音を聞いた瞬間は驚くも受験期であれば許されよう。かえって頑張るぞと気合いの音になる。(まさじ)
季語は「植木市」。「春の木市」は固有名詞的に特定の場所の市をさしているのかもしれない。その一角に置かれた籠(釣鐘型の竹編みの籠を想像した)に軍鶏がいた。籠の中でも「堂々と」胸を張っている軍鶏は、麗らかな日射しに、時折は鬨の声をあげてもいようか。(真帆)
目借時が季語。蛙に声に目を奪われてうつらうつらとなる時だ。たまたま抽斗に眠ったままの雲形定規を見つけた。今はほとんど使用しなくなったが、昔は曲線を描くのに便利だったと懐古している。取り合わせの妙が何ともいい。(まさじ)
作品は「消えやすきころの螢」となっています。螢の飛ぶ故郷の情景ではなく螢を育てている公園かもしれません。見はじめの螢は淡い光を放ち見失うような感じです。乱舞するホタルではなく目を凝らして探す頃のホタルもまたいいものです。(まさじ)
祗園祭に出かけられた作者です。祗園囃子のにぎやかさを「ゆくもまたかへるも」と表現されています。句またがりで平仮名表記が作者の思いです。私はお芝居を思い出します。長谷川一夫さんの「祗園囃子」。浴衣姿と団扇と笛の音が浮かびます。(まさじ)
中村草田男が亡くなったのは、昭和58年8月5日だった。作者は自註で「夏を好まれ、夏に逝かれたこと、その日の炎天を思い出してこの句を作って哀悼した。」と述べている。「わが詩多産の夏」と詠んだ草田男らしい季語の選択と思う。鍵和田先生が草田男師のことを語るときの懐かし気な優しい表情を忘れることができない。
その鍵和田先生は、今年の6月11日にご逝去された。梅雨の半ばではあったが、お通夜、告別式の日には見事に晴れた。生前、吟行などでよく「ゆうこ晴れ」などと皆で言っていたのを思い出す。(真帆)
私には娘はおらず、息子にも今のところお嫁さんはいない。自分が嫁ぐ前に父は他界している。でも、この父親と娘の関係はいつまでも「そういうことなのだろう」としみじみと感じる。草田男忌は8月5日。氏には四人の娘さんがおられた。(真帆)
食いかけての発見です。葡萄の骨と例えられたので作品がいきいきとした感じに見えてきました。植物は正に生き物ですね。美味しい果物。その実を作る管が骨のように伸びています。その骨にまだ青いところがあり作者は感動しています。(まさじ)
いつもより短く切ってしまった髪。作品はその髪の中まで秋の風というのだ。春でも夏でも冬でもない秋の風にこの内容がしっくりくる。春ならば夏へ向かう季節であるのでこの心境まで及ばないだろう。髪は女性のいのち。もしかしたら再度の鑑賞?。(まさじ)
青竹を磨いてとあるから雪囲いの準備、風除けの作業だろうか。竹垣に使う固くてしっかりした「真竹」。阿蘇の冬は風雪が農家を襲う。作者は旅にして冬を迎える阿蘇の冬構えの様子を詠まれた。九州山地の阿蘇にも厳しい冬が近づく。(まさじ)
その年の吉兆に当たる方向が恵方。作品は鹿児島県出水市のツルを訪ねた時のものだろう。干拓地の畦に羽根を休めていた。畦の直線上にめでたいツルが陣取って正月の風情がみごとに一句に仕上がっている。自然の営みは人間も同じだ。(まさじ)
作者の立っている畦を真直ぐにたどった先に鶴が一羽。万羽の鶴の訪れる出水の広大な平野で、一本の畦・一羽の鶴に焦点を当て、その方向を恵方とするという。力強く清々しい。(真帆)
元日は一月一日。作品は「誰も歩かぬ空」として清らかな気分だ。人間が歩くのは当然地面であるが、それとは対照的な空を詠まれた。その空はどんな空?となるのだ。誰にも分かりやすい言葉こそ胸に響く。俳句はロマンをくれる。(まさじ)
空を歩くことはできないが、敢えて「誰も」と書かれたことで、例えばまっさらな雪原のような穢れなく神聖なものであるかのように、ぱっと視界が広がる。優しい言葉で心の深いところに届く句。(真帆)
業火という仏語。改めて言葉の強さを知った。天を焦がす勢いの野焼きは凄まじいのだろう。阿蘇の野焼きは殊更に地も唸らせるほどではなかろうか。真っ直ぐに立ち上る炎を「立てりけり」と叙された。一度は壮大な野焼きを見てみたい。(まさじ)
春の日を浴びて野遊びするたのしみ。作品は草の上に寝そべって肘をついているのでしょう。中7の「肘つく草の」に引かれます。日差しで草の匂いが鼻をつく。まさに暖かさが伝わってくるようです。そのことに動作を取り入れたのです。(まさじ)
李の花は白色の五弁花。作品は光との取り合わせです。「多摩の瀬の見ゆれば」ということですから視界が広がった場所が想像されます。それも地名の「多摩の瀬」がなんとも言えない響きをもって読者を引き付けます。目映い景色です。(まさじ)
寺山修司忌は昭和58年5月4日。47歳でなくなった修司の世界を作品は「田園も荒野も故郷」として思いを馳せたのだ。個性的な俳句を世に遺されたと聞いているが歌人、劇作家、詩人、映画監督などその活躍は憧れの人なのである。(まさじ)
作者が高校生の時、思潮社の詩のイベント会場(渋谷パルコ劇場)の階段で寺山氏と遭遇したが谷川俊太郎氏と歓談中で、臆して声を掛けることが出来なかったそうだ。翌年、寺山氏の訃に接する。当時の傾倒ぶりは句の「田園に死す」「あゝ、荒野」「誰か故郷を想はざる」のいささか強引にも見えるオマージュからも伺われる。(真帆)
蟻の列は、先頭の行くままに日に影に途切れず付いて行く。この先頭は石を迂回するのではなく攀じ登って越えていったようだ。遅れぬように後方の蟻は少し小走りになったのだろうか。じっと観察を続ける作者の姿もユーモラス。(真帆)
季語は泳ぎ。作品は「島の子の立泳ぎして」とその景を詠まれた。ただそれだけなら詩にならない。そのあとの「祈りをり」である。この五音に込められた思いが読者にも想像させる。どんな祈りなのか、島の暮らしにねざす立泳ぎの祈り。(雅司)
この作品はなんといっても上五の「づかづかと」いう表現に作者の思いがある。踊子に遠慮なく近づきささやくという場面に読者は想像がふくらむ。さてどんな人だろうか。そして何をささやいたのか。そういう詮索をする小生。芸術が分かってないと叱られそうだ。(雅司)
歌の一節のような句で、口ずさみたくなる。「望郷」は「雲」にかかるのではなく作者の気持ちだろう。故郷と同じように今いるこの地にも稲の香が溢れる中、流れ雲に心を託してここに佇む作者の姿が見える。(真帆)
草の絮はアシ、ススキなどの穂花が結実して棉状になったもので秋の季語。作品はその季語を以て地球を詠まれた。我々の住む地球は誕生してどのくらい経過したのだろうか。「いかほど老いたるや」の惜辞はわが身に引き寄せたものかも知れない。(雅司)
草の絮という柔らかくはかなげな存在と、それを育む地球という大きな存在との対比。見方を変えてみれば、草の絮は年毎の新陳代謝による命の核として、新たな地を求めて飛んでゆくが、それを受け止める地球は何億年の寿命のどのあたりなのだろうか。繊細さと大胆さを兼ね備えた凄い句だと思う。(真帆)
年齢を重ね深みを増したひと言ひと言を聞き漏らすまじと語り部を囲む人たちの姿が目に浮かぶ。語られている内容は作者があえて読者に託したのであろう。冬紅葉の季語の解釈も読み手にゆだねられているが、限られた時間の中であでやかに映える紅葉には緊迫感があろう。聞き手はどのような形であれ、後継者なのである。(真帆)
鉄筆は謄写版の原紙に文字を書くときなどに用いる先端が鉄製の筆記具である。作者は学校の先生だ。試験問題、あるいは学校行事の案内文だろうか。折しも手が悴む冬の職員室で書いておられるが「しびれて放す」にその作業の様子がよく分かる。(まさじ)
薄く蝋のひかれた原紙に鉄筆で書く(ガリをきる)のは、均一な文字を均一な筆圧でないと印刷した時に歪んだりかすれたりするので緻密な作業を要求される。鉄筆の硬さ重さ冷たさ。てがしびれるまで神経を集中させておられたのだろう。手を止めて、辺りが薄暗くなり始めたのに気付いた。「冬の暮」に余韻を感じる。(真帆)
インターネットの普及で年賀ハガキは減少しています。遠いところに住んでいる人ともスマホで交信できるからでしょうか。掲句は幼な児の写真が年賀状にプリントされています。家族が増えた喜びが伝わり受け取った人のほころぶ顔まで見えます。(まさじ)
早春のまだ空気も水も張り詰めた冷気の中にある鶴の姿です。水辺に、あるいは雨のあとの水溜りに映る脚に注目しました。細く頼りなさげな脚で凛と立つ様子に、作者の春を待つ心が響いたのでしょう。(真帆)
春昼は明るい春の昼間のこと。作品はヤマト糊を詠まれ「気泡沈める」と中七に捉えた。ヤマト糊は年中使用されているのだろうが春昼に使用した直後の気泡に着目した。沈めるという直感的な言葉が不思議な効果を持ち斬新だ。(雅司)
三波春夫さんは新潟県三島郡越路町(現長岡市)の出身。七歳の時に母親を亡くし、その悲しみを洗い流すかように父親が民謡を教えてくれたと聞く。桜が故郷を想い出させる。この作品が脳裏に残っていたのだろう。私は何年か前に同じ俳句を作ってしまった。自作取消。(まさじ)
今年の立夏は5月5日だった。連休の後半はお天気に恵まれた。掲句は平成9年5月8日「湾ニ木会」にある。当時六十歳半ばの作者。古い衣類の整理だろうか。躊躇いながらの断捨離である。中七で切れが入りその思いが殊に伝わる。(まさじ)
子供の頃、半年に一度母が開ける行李を邪魔にならない様にそばから覗き込むのが大好きだった。衣類だけでなく、前の季節に処分を迷って、とりあえずそこに収めた物が出て来るから。子供の書いた絵とか、作文とか、もう着られなくなった流行遅れの服とか。竹の香りと樟脳の匂いと。懐かしく思い出した。(真帆)
清流に棲む河鹿の澄んだ声が心を癒してくれる。吟行での作品だろうか。中七の「声失ひし」と叙されており同伴者のことが分かる。発声障害をかかえる人だ。作者はその方と河鹿の声に満足されたろう。自然とのふれあいこそ至福のひとときだ。(まさじ)
作品は「ひとつが売れて」とあるのでお祭りなど多くの風鈴が竿につられている場面でそれは下五の残る音につながります。風鈴を購入された方の音までも想像してしまいます。残る音は寂しい音ではなく誰かを癒してくれる音でしょう。(まさじ)
私がお世話になっている美容院は、五月の連休とお盆には休まず営業しています。その時期には帰省中の(かつての)常連客が来店するからだそうです。たわいのない世間話などを懐かしんで帰られるとか。作者の残暑の「あの日」がどのような帰郷だったかは読者の想像に任されていますが、理髪店を出る頃には颯爽とした気持ちになられたのではないかと思います。(真帆)
運動会の整列だろうか。「整列の間もざわざわと」と叙されて愉しい様子が切り取られた作品。季語は鰯雲。魚の鱗に似た雲である。整列する子どもといわし雲の取り合わせが何ともよい。「ざわざわと」という聴覚が効いている。(まさじ)
弟が兄より石榴を受けとるその様子。それはどういう場面か。「石垣の上の兄」と具体的に描かれている。まことに平明な作品で何回読んでも新鮮だ。小学校時代を回想されてか。私は田舎を想像した。季節の移り変わりと兄弟の時間。(まさじ)
「山眠る」が冬の季語。作品は「まばゆき鳥を放ちては」として山の静かさが伝わる。枯れはてた山は眠るかのようだ。もしかしたら山眠る世界を詠まれた作者の心象世界かもしれない。
まばゆき鳥を放つ山の存在こそ明るく安堵した。(まさじ)
紙漉を見たことがない。「紙すき」とは「パルプ」を水で溶いて紙にする作業。作品から手作業のようすが浮かんでくる。「いくたびも水に皺寄せ」と写生している。水に皺寄せと絶妙だ。何回も左右に傾けて揺するのだろうか。(まさじ)
私は紙漉き体験をやったことがあります! お寿司を巻くすのこを大きくしたようなものに枠を付けた道具で、パルプのどろどろに解けた水槽の上を滑らすようにして中に均等になるように前後に揺らして掬い上げるのです。厚さがなかなか同じにならず、プロの腕前はすごいなと感動しました。水がとても冷たいのですが、それも、よい紙を漉く条件の一つなのだそうです。(真帆)
寒の入りから立春までの1ヶ月は一年で一番寒い時期だ。「よく光る高嶺の星」と詠まれて自然と一体となる作者の感動が伝わる。ひときわ輝きを発する星を作者はどんな思いで見ておられるのだろうか。(まさじ)
平成28年「湾」の定例句会に久方ぶりで参加した時。梅林を吟行していたら句会場の児玉美術館の近くで主宰と出会った。午後の句会に出された作品だ。バレンタインデーの俳句はなによりも嬉しかった。(まさじ)
如月は旧暦二月の異称。この時期は季節の変わり目で真冬とは違う。「身を切る風に身を切らせ」に作者の心意気を感じた。心意気というよりも覚悟だろうか。身を切らせという言葉だ。料亭の建ち並ぶ路地裏を吹き抜ける風だろうか。(まさじ)
映画のワンシーンのようにイメージの広がる句。独断で読んでみる。島を一周する一時間に数本のバスに乗り、町へ着く迄の間、窓に肘をついて海を眺め、野原の風を受けて、しばし愁いに浸る主人公。「春」の季感が底に流れている。(真帆)
ひとりで生きる年齢とは、読者によって異なるだろうが、遠蛙を聞きながら、そういう年齢になった自分の来し方行方をしみじみと思っている。遠蛙の響きは体の内側から、又、心の底から揺さぶるような、詠唱だ。(真帆)
掲句は上五に「ペン差す胸」と詠まれ胸の薄さを捉えている。「にはかに薄し」と、信じがたいがそういう感じなのだ。夏服を身に付けた季節感。「ペン差す胸」でそのことを表現されている。教員生活の実感が作品に込められている。(まさじ)
栗の花が季語。作品は季語の斡旋が独特だ。栗の花と潜水艦の取り合わせに驚かされた。栗の花の香が漂う場所から鹿児島湾に浮いている潜水艦が見えるのだ。栗の花で詩に昇華。17音という制約の中で対象物がみごとに切り取られた。(まさじ)
「重心を前に傾け」と動作を表現した夏帽子。山登りの姿勢であろうか。前屈みの姿勢を表すのを重心という言葉を使った。ヤジロベーをふと思い出した。ヤジロベーは横のバランスであるが中心軸で倒れない。いずれにしても身体軸だ。(まさじ)
大いなる、とはうみの広大さのみならず、包容力やときには厳しさも含めての畏敬の念が読み取れる。船からか対岸からか、島に雲の湧くのを見ている作者。折しもお盆の時期で、雲にも深い想いが呼び起こされるのであろう。(真帆)
老いはどうすることも出来ない。若い人と違うのだ。作品は「みな年老いて」とのみ叙された。季語が原爆忌であることでこれ以上言わなくてもよい。昭和20年8月からの時間の経過があるからだ。 原爆忌を風化させてはならない。(まさじ)
蕉水忌は俳人大岳水一路氏の命日で湾衆が作品に詠んでいる。秋風の吹き始める前の平成26年9月11日だった。作品は恩師を偲び一句にされた。吟行は最も純度の高い自然との対話と言っておられた先生の教えを実践する作者が見えてくる。(まさじ)
大岳水一路先生の忌日は蕉水忌と呼ばれているのですね。鍵和田先生は令和2年6月11日に逝去されました。月命日といえるほどの供養は出来ませんが、我が家の仏壇に手を合わせる時、お二人のことをしみじみと思い出しています。
コロナは少し落ち着いたけれど、なかなか吟行に出掛ける事ができません。風を感じに出掛けたくなりました。(真帆)
蓑虫を観察され、蓑虫のさまをあたかも蓑をまとっていると。その蓑はありあわせと素朴な普段着のようだ。俳句はこのようにやさしい言葉で表現することに力がある。また「ありのまま」と「ありあわせ」と「あ」が重なりリズミカルだ。(まさじ)
小学生の頃、通学路に毎年その時期になると蓑虫のいくつもぶら下がる木があった。木の皮や葉、鳥の羽等の自然のものだけでなく、糸くずや紙くずなどの人工物でもお構いなしに蓑を仕立て上げる。本能とはいえ、素晴らしい創意工夫。ときどき、えらくチグハグな素材を集めた前衛的な作品もあったなぁとこの句を見て思い出した。(真帆)
句集 俳日記に「細見綾子を偲ぶ会」とある。細見綾子氏の有名な俳句がある。〈ふだん着でふだんの心桃の花〉。この一句はその作品に依るものだろう。石蕗の花の斡旋で、偲ぶ会当日の笑顔が見えるようだ。俳句は挨拶。心にしみる。(まさじ)
笹鳴が季語。作者は切通しを歩いていてウグイスの声を聴いたのです。たどたどしいと表現されてその声を巧く捉えました。
私も故郷で笹鳴きを聴き、あらためて掲句を思い出しました。笹鳴きが春をよぶかのようでした。(まさじ)
掲句は昨年の作品だから干支とは関係ない。「青空に立つ池の竜」と詠まれると目出度い初春だ。特に「青空に立つ」に引かれた。天と地の空間が広がる場所は何処だろうか。かつて吟行した場所か。いずれにしても想像がふくらむ一句。(まさじ)
陵月さんのことを、読者の大半は作者ほどは存じ上げないが、この句が追悼あるいは述懐の句であることは明らか。今年も又、梅の季節が来て、陵月さんと一緒に行った梅見のことを追体験している。故人の人柄も、梅の凛とした姿、馥郁とした香りから想像することができる。(真帆)
年度替り、新学年の始まるまでの春休み。作品は子どもを伴っての食堂か。天丼を注文するとなんと大きな海老だ。「天丼の大きな海老」は家族連れの味。
目を丸くして喜ぶ子が見えるようだ。春休みになるとこの俳句を思い出す。(まさじ)
能登は能村登四郎先生の母郷。先生を思い出すたびにこの作品が浮かぶ。「春潮の遠鳴る」と叙されて母郷能登が鮮明だ。人には忘れてはならない心のふるさとがある。令和6年元日の夕刻発生した能登半島地震。早急の復興を願っている。(まさじ)
夏の霞が眼前に広がる。そこには一戸があるのだが一戸よりも高い一樹が見える。その対比で一樹をとりまく霞が描かれた。山里を俳句で切り取った風景が映像となって迫るようだ。大自然の息吹きを感じながら作者は故郷に住まわれ、故郷の作品を世に出された。(まさじ)
海紅豆は真紅の花をつける。作品は「蕾よりすでに」として海紅豆の蕾を捉えた。それも「火の性」だ。この言葉で燃えるような海紅豆の花が想像できる。直筆の色紙も浮かんでくる。その筆跡には作者の叫びが。細筆の文字が印象的だった。(まさじ)
「蕾よりすでに」としたことで、では咲きほこったらどのように…と読者は想像を膨らませる。ほとばしるように咲きつぐ海紅豆は鹿児島県俳人協会の合同句集のタイトルにもなっている。その花を初めて見た時、なんと鮮烈な赤であることかと思った。今は地球沸騰化の影響もあってか、関東でもリゾート地などで見掛けるようになったが、最初の力強い印象が忘れられない。(真帆)
炎天は日盛りの灼けるばかりの空だ。作者はその炎天を「鏡の如く土に影」と詠んだ。地面に出来た影。太陽の灼熱は容赦ない。鏡の如くと詠み日中に身を置いた作者の思いは。炎天は作者を奮い立たせる。「土に影」はその思いだ。(まさじ)
炎天下に遮るもののない物の(あるいは作者の)影はそのまま土に描き出される。「鏡の如く」という措辞が、くっきりとした影の輪郭をうまく例えていると思った。さすが、「わが詩多産の夏来る」と詠んだ草田男。(真帆)
金魚玉は丸いガラスの容器。作品は金魚玉で命の貴さを詠う。「生きてをればよし」が作者の叫びだ。俳句は季語を詠むと言われるほどその力は大きい。「金魚玉明日も」。金魚玉というモノとその中に詰まっている思い。金魚に託した思いが伝わる。愛する者へ。(まさじ)
蕉水忌は俳人・大岳水一路の忌日。平成26年(2014)9月11日に亡くなった師を偲ぶ。水辺に自生する荻を師と重ね合わせた思いの深い一句である。松尾芭蕉は「俳諧は三尺の童にさせよ」と言われた。先生はよく私たちは皆芭蕉の弟子と言われた。いまでもその時の声が聞こえてきそうだ。(まさじ)
人生の内のたった二年の鹿児島での生活は、何ものにも代えがたい思い出の日々。一人ぼっちで心細くて新聞投句をくり返していた私に、水一路先生は「吟行にいらっしゃい」と声を掛けてくださった。既にほかの結社に所属しているので失礼ではと答えたところ、「私たちは皆芭蕉の弟子です。なにも問題ありませんよ。」と。まさじさんも言っておられる通り、その声を私も忘れられない。伊牟田池や、川辺や、蒲生や。時には先生の車に同乗させて頂いた。懐かしい。