あすなろ俳句教室の新コーナー「あすなろ一句鑑賞」にお寄せいただいた観賞文を掲載いたします。(第31回〜)
皆さんからの投稿も大歓迎です。 こちらのフォームからご参加ください。
(掲載までに時間の掛かる場合があります。また、採用については管理人に御一任くださいますようお願いいたします。)



あすなろ一句鑑賞 (第31回) 2011.10月
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
子規は柿が好物だったか。柿食えばというフレーズがいい。秋の味覚に満足しながら、平穏な鐘の音に心洗われる思いだったろう。先日、40年ぶりに法隆寺を訪れた。境内に入る間もなく鐘が鳴ったのだ。歳月を忘れさせるような鐘の音だった。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞 (第32回) 2011.11月
献血へ行く黄落の風の中 山下雅司
黄に色づく葉が風に降りしきる中ということで、イチョウ並木を抜けた先に献血車が来ているのか、献血ルームがあるのだろうかと想像した。白衣の係員の誘導で静かに列が進んで行く。 私は献血の経験がないが、芯から冷えていく体感と誰かの役に立つという暖かな気持ちがこの季節にふさわしい。(真帆)



あすなろ一句鑑賞 (第33回) 2011.12月
かくし絵の如き喧噪冬木立 緑川美世子
喧噪を「かくし絵」と捉えた作品だ。それも冬木立の臨場感による。女性の直感力が冴える。「かくし絵」をネットで探してみた。様々の絵に感銘した。わが携帯写真の中にもそれらしきものが。芝龍郎作の水墨画「波濤」に重なる藺牟田池だ。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞 (第34回) 2012.1月
ふゆの海ひとりぼっちでおこってる 岩下彬
下甑島の西海岸は、北西からの季節風でしけが続く。怒涛逆巻くその冬の海をみた時、作者は「ひとりぼっちでおこってる」と感じたのだ。素直なその感受性がみごとに句になった。作者は小学1年生。自然と向き合う鋭い目がさらに楽しみだ。(まさじ)
数十年前の冬に祖父の葬儀で訪れた、母の故郷を思い出した。芭蕉が「荒海や」の句を残した出雲崎という(当時は)小さな漁港を持つ町だった。吹き付ける風も寄せる波も雪交じりで、浜辺に立つだけで涙が出たが、流れる前に張り付いて痛かった。 冬の海が誰にでもなく「ひとり」で、しかも「おこってる」というのは本当にその通りで、それをそのまま俳句にまとめた岩下さんの力量はすごいなと思った。(真帆)



あすなろ一句鑑賞 (第35回) 2012.2月
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
季語は春。広いグランドでひとり、槍投げをしている。そして、投げた槍に歩み寄った若者なのだ。その景を見る作者もひとり。目標に挑む姿を距離感で俳句にされた。絵画ならば停止した動きの場面だが、掲句は動きの時間差を見せてくれた。(まさじ)



バレンタイン俳句鑑賞 2012.3月
申告期バレンタインも素通りす  (バレンタイン俳句大会第一回投句作品より)
所得税確定申告は2月16日から始まる。その前々日のバレンタイン。街中ではバレンタイン商戦で賑わっているが、作者はそれどころではない。素通りという俗語がいい。今年も申告業務は始まっている。バレンタインもいつの間にか過ぎた。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
春の日や病床にして絵の稽古 正岡子規
子規は晩年を病床で過ごしました。体の不自由さも、好きなことで心が救われ、楽しい暮らしが出来るのです。穏やかな明るい春の一日、絵の稽古をしている作品ですが、その対象物は何でしょうか。花を見て絵筆を持っているのかも知れません。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
樫落葉つぎつぎ降って関の石 斎藤夏風
カシはブナ科の常緑高木。樫落葉は初夏の季語です。新葉をようした樫の木は新緑のころ、古いその大きな葉を次々に降って散らします。作者は自然の営みに感動しています。しきりに落ちる樫葉や、音に名高い関の石に旅情を誘われる作品です。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
一匙のメロンまなこに風を呼ぶ きくちつねこ
一匙のメロンをいただく場面。メロンの色や香りに清涼感も漂ってきそうです。眼にうつる一匙のメロン。そればかりか、「風を呼ぶ」という女性の詩情。作品は心理的な要素も含まれているのかも知れない。日常生活の中のくつろぎの体感だ。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
汗の手に掴む舷瀬戸を越ゆ 福永耕二
生まれ故郷の川辺は内陸だが、耕二作品には離島を巡ったものがかなりある。この俳句は甑島での作。瀬戸を越える時の緊張感が漂う。船酔いはなかったろうか。小舟に揺られる作者だろうが、奥様と子供を伴って夏休みの思い出が想像される。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
山里の盆の月夜の明るさよ 高浜虚子
山々に囲まれた里を盆の月が照らしている静かな景です。作者の感動がじかに伝わってくるようです。ありのままを叙した俳句の力があります。私の場合は島の盆の月に思いを重ねました。日本の原風景で、普段は気にしない月の明るさまでも。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
ふるさとやいつ目覚めても虫時雨 今瀬剛一
掲句は平明であり、俳句の真髄だ。ふるさとは誰もが共通のものだ。作者は「いつ目覚めても虫時雨」と叙した。ふるさとに帰って来て、昔のままのふるさとに感動している作者。本当の気持ちが俳句のいのち。どのような境遇にあっても安らぐ。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
稲雀散つてかたまる海の上 森澄雄
稲が実り収穫の時となった。雀は群れで田んぼに来ては籾をあさる。人声ならぬ鳥おどしの鳴子で散らばった雀は海上でかたまった。棚田百選の海を見下ろす旅吟か。作者の視線は稲雀に向けられている。穏やかな田舎のその情景が浮かぶ作品だ。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
神無月夕日をうけて山座る 松崎鉄之介
夕日は朝日と違う感動がある。一日の終わりという安堵感があるからだろうか。「夕日をうけて山座る」と作者は詠んだ。神無月の山はことさらだ。日暮れも早くなるころ。夕日に映える山の顔は赤々と照らし出されている。その時間は長くない。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
大年や母けんめいの火吹竹 淵脇護
お母さまが五右衛門風呂を焚くようすが「けんめい」のことばで伝わってくる。火吹竹は竹で作った火おこしのこと。風呂に限らず、煮炊きにも使った生活必需品だった。在りし日の母の姿は永遠であり、一年最後の命の証だ。大年の映像が甦る。(まさじ)



あすなろ一句鑑賞
水餅のすぐふくれたるめでたさよ 深見けん二
最近は切餅も鏡餅も真空パックで、ひびやカビの心配はないが、私が子どもの頃は餅を浸した水を母が毎日交換し、結構長い間保存し味わった。水分を多く含むのでよく膨れやわらかい。水餅があるうちはまだ、新年の余韻を楽しんでいたような気がする。(真帆)