ねもママの

夏空世界


出産ワールド

INDEX

陣痛がやってきた

ワイワイ陣痛 お風呂で出産
  なっちゃん、こんにちは へその緒 2550グラム
 胎盤 命名夏空 入院生活
 おっぱい 海を越えたビデオ ひまわり
退院    

陣痛がやってきた

   
   その日の10日ほど前からなんとなくお腹が痛かった。臨月に入ると1週間に1度検診に行く。検診のときに
陽子「お腹がいたーい」というと、
助産婦さん「それは前駆陣痛よ」。
 ここまで来ると、もう1日も早くその日が来てほしい。いよいよかなとわくわくしていたのに、ある日ピタッと痛みが止んだ。「なあんだ。まだお預けか!」
 それから2日後の6月29日朝、少量の出血あり。おしるし(お産が始まるころ見られる出血のこと)だと思ったが、前駆陣痛が止んでいたので、まだまだだと思っていた。俊男とも「6月には生まれなかったね」と勝手に決め込んでいた。
 翌30日、また朝出血がある。が、今日生まれるってことはないよと朝食を食べながら俊男と話す。月末なので銀行やら郵便局やらの用事を済ませておこうと、その日は俊男に自転車で仕事に行ってもらい、車を置いていってもらった。梅雨だというのにとてもいい天気で、いつもならごろごろ過ごすのに、朝から洗濯をし、掃除機をかけながら、俊男を見送る。こういうことはよくあるらしい。出産が近いことを無意識に感じ取り、自分なりの「巣作り」をするらしい。人間も動物なのだと改めて感じさせられる。
 午前9:00、掃除機をかけているとお腹が「いたたたーー」。あれ、そういえばさっきも痛かったなあ。また掃除機をかけていると「いたたたーー」。もしかしてじんつう?洗濯物を干しながら痛みの間隔を計ることにする。12分、13分、と続く。
 やっぱり陣痛だ。とにかく掃除と洗濯を終わらせよう。痛いのはせいぜい10秒、20秒なので、痛くない間は別にどうってことはない。銀行どうしよう。今日行っておきたかったのになあ。このくらいなら行けるな。でもATMいつも混んでいて並ぶんだよな。並んでいる間にお腹の大きい人が「いたたーー」なんて言ったら、周りにいる人困っちゃうよな。止めたほうがいいよな。と考えながら、10:30助産院に電話。
陽子「お腹痛いです。」
助産婦さん「陣痛?」
陽子「たぶん。」
助産婦さん「何分(間隔)?」
陽子「10分くらいです。」
助産婦さん「じゃ、来る?」
陽子「はい、行きます。」
 まずシャワーを浴びる。それから俊男に連絡しなくちゃ。あらかじめ曜日別のスケジュールを聞いておいたので、オフィスにいる時間は確認済み。今日は11:00から10分間はオフィスにいるはず。11:00になるのを待って電話する。
陽子「陣痛きた。今産院に電話してこれから行くことにした。」
俊男「どうする?12:00には帰れるけど。」
 あと1時間、家で一人でいるのは心細い。タクシー呼ぶのも面倒くさい。
陽子「自分で行く。仕事きりがついたら産院に来て。」
産院は自宅と俊男の職場との間にある。職場からなら自転車で5分。こういうとき便利である。
 さて、自宅から産院までは車で15分。陣痛の間隔は10分。陣痛の痛みは10秒ほど。合間はまだ余裕がある。通い慣れた産院までの道。途中1回陣痛をなんとかクリアできれば産院まで行ける。よし、車で行こう。
 用意してあった荷物を持って車に乗りこむ。駐車場で陣痛が過ぎるのを待って、さあ出発。
 こういう日に限って道路は混んでいる。運良く信号待ちの間に陣痛が来て去っていく。あれ、また陣痛が来たぞ。あれあれ、7分でまた来たぞ。車を運転している間に間隔が短くなったみたい。結局産院まで20分かかり、その間陣痛は2回あったが、無事産院に着いた。11:30。
 
     

ワイワイ陣痛

   
   まずパジャマに着替える。お風呂に入る?と聞かれたがシャワーを浴びてきたのであとにする。ベッドのある部屋を用意してくれた。丸いクッションを抱いて陣痛を逃す。隣のリビングではおっぱいマッサージを受けている人がいる。一人で部屋にいるのも嫌なので、パジャマのままノコノコとリビングへ行って、陣痛の合間は助産婦さんやマッサージを受けているお母さんたちと話をする。陣痛が来ると「フーフー」とゆっくり呼吸を意識しながら痛みを逃す。助産婦さんがおっぱいマッサージの手を休めて腰をさすってくれる。これが温かくて気持ちいい。痛みが和らぐ気がする。こんなふうにワイワイとにぎやかに陣痛を過ごした。
 お昼になったので、助産婦さんが焼きそばを作ってくれた。
助産婦さん「食べられる?」
陽子「食べられます!」デザートまでしっかり食べた。
 食べてる途中、俊男が電話してきた。
俊男「どう?生まれそう?」
陽子「まだ。今焼きそば食べてる。」
俊男「焼きそば食べてるくらいならまだだな。これからもう1つ仕事済ませていくから2時くらいでも大丈夫かな。」
陽子「分かった。なるべく早く来てね。」
 2時に俊男がやって来た。ちょうど内診するところ。助産婦さんが手を入れると水が出てきた。破水したらしい。子宮口6、7センチ大。一度陣痛間隔が15分くらいまでもどってしまったのが、あっという間に2、3分間隔に。
陽子「洗濯物干しっぱなしで来ちゃった。」
俊男「じゃ、自転車を車に積んで、一旦家帰ってくるよ。」
陽子「ええっ!!洗濯物なんてどうでもいいよ。」
俊男「ここにいてもやることなさそうだし、親にも生まれそうだって電話してくるよ。」と言い残し、行ってしまった。
 
     

 お風呂で出産

   
   「お風呂の用意できたよー。」と助産婦さんが声をかけてくれたので、お風呂に入る。うわーっ、気持ちいい。陣痛の合間がとてもリラックスできる。普通の家庭用にお風呂だから、陣痛が来ていないときはただお風呂に入っている気分。外はいい天気で、お風呂の窓から眩しい日が差してくる。昼間っからこんなふうにお風呂に入ってぜいたくぜいたく。と思っていると陣痛がやってきて我に返る。同じ姿勢だと体が固まるので、上を向いたり、お風呂の縁におでこを乗せて、うつ伏せになったり、といろいろと変えてみる。濡れたタオルをキュッと絞ったものを畳んで、その上におでこを乗せるようにするととっても楽。
助産婦さん「ここで生んでもいいよ。」
陽子「気持ちいいからそうする。」ということで、お風呂場で生むことにする。生まれるときは上向きで足の間から赤ちゃんが出てくるようにするとそのまま抱っこできるよと教えてくれた。
 2:30俊男が産院に帰ってきた。ところがなかなかお風呂場に来ない。あとで聞くと陽子はお風呂に入っていると聞かされたので、部屋でお風呂から上がるのを待っていたそうな。そのときはまさかお風呂で生むことになっていようとは思っていなかったらしい。
 助産婦さんに呼ばれて俊男がお風呂場に顔を出した。さあ。役者は揃った。
 
     

なっちゃん、こんにちは

   
   陣痛の間隔はどんどん短くなる。痛い時間と痛くない時間が同じくらいになった気がする。陣痛が来ているときは助産婦さんが会陰(えいん)を押さえてくれる。会陰保護というらしい。これをしないと陣痛で力が入ったときに赤ちゃんの出口が切れてしまう。病院などでは特に初産婦さんはあらかじめ会陰を切開しておくことが多い。自然と切れるよりメスの切り口のほうが傷の治りが早いからだそうだ。でも私はこれが嫌だった。病院でなく助産院での出産を選んだ理由の1つでもある。大事なところを、もしかしたら切る必要がないかもしれないのに予防ということで切るなんて。だから助産婦さんのこの「会陰保護」はとてもすごいと思った。
 助産婦さんが「さわってごらん」と言った。そうっと手を伸ばしてみる。あっ、赤ちゃんの頭だ!!つるつるしてる。もうこんなところまで来ていたんだ。触ってみるまで全然分からなかった。まだずっと奥だと思っていたのに。あんまりつるつるしているので「まだ卵膜に包まれてるの?」と聞くと、「それは赤ちゃんの頭よ!」。ああ、恥ずかしい。でもうれしい。もうすぐ会える。俊男にも触ってもらった。一緒に赤ちゃんを迎えられるのがうれしかった。
 3:30排臨(はいりん。赤ちゃんの頭が見え始める)。4:00発露(はつろ。赤ちゃんの頭が陣痛が来ていないときでも引っ込まなくなる)。陣痛が来ていないときも赤ちゃんの頭が出口に挟まった状態なので痛い。陣痛が来ても痛いし、来ていないときも挟まってて痛い。「はさまってていたいよー、はやくうまれてーー!」と後にビデオを見ると叫んでいる私が映っている。
 とても強い陣痛が来た。するっと頭が出た。本で勉強したところによると、頭が出ると、赤ちゃんが90度回転して肩が抜けてあとはするっと出てくる。はずだったのに、頭が出た後、肩が抜けない。助産婦さんが赤ちゃんの頭を押さえている。2分くらい経っただろうか。私は次の陣痛を待とうなどと考えていたら、助産婦さんから「生んでごらん」と声がかかった。このとき「そうか、うむのか!」と初めて思った。ここまでは全部赤ちゃんの力だった。私は赤ちゃんの生まれようとする力をじゃましないようにと思っていた。最後は私が手伝ってあげるんだ。そう思うと、この出産で初めていきんだ。その瞬間、
ふわっ 
赤ちゃんの肩が、腕が、足が水の中に現われた。助産婦さんが水の中を泳がせるように赤ちゃんを私の胸に乗せた。少し水を飲んでしまったらしい。助産婦さんがトントンと背中をたたくと「んぎゃ」と小さく泣いた。
 うまれた。うまれた。赤紫の小さい小さい赤ちゃん。助産婦さんが「撫でてあげて。」というので、撫でてあげる。俊男も手を伸ばして撫でる。産院の静かなお風呂場で私たちの赤ちゃんは生まれました。
 「どっちかな」と助産婦さんに聞かれるまでそんなこと忘れていた。あっ、女の子だ。女の子なら「なっちゃん」。なっちゃん、こんにちは。ようこそ、私たちの世界へ。
 
     

  へその緒

   
   お風呂の中だったせいか、ほとんどといっていいくらい血がなくて、きれいな赤ちゃんだった。出産というものはもっと血みどろの世界だと思っていたが、あれは会陰切開の切り口から出る血らしい。もちろん個人差はあるだろうが、私は血液中の貧血かどうかをみる数値も妊婦とは思えないくらい高かったらしく、出産のときどんなに出血しても平気よと助産婦さんから太鼓判を押されていたので、出血に関しては心配していなかった。実際、出血も少量で、自分でも気づかないうちに助産婦さんが胎盤と一緒に処理してくれたらしい。
 脱衣所が臨時の処置室だ。私はずっと湯船の中だったので、外の様子は全然知らなかったのだが、あとで俊男に聞いたころとによると、私がお風呂で生むことになって、脱衣所には酸素ボンベやらいろんな準備がされていたそうだ。幸い、そのようなものを使う必要が全くない安産だったが、いざというときの準備をきちんとしていてくれたことに、助産婦さんの影の力を感じた。
 脱衣所にはマットが敷いてあり、俊男に支えてもらい、なっちゃんを抱いたままそこに横になる。なっちゃんを胸の上に乗せる。こうすると赤ちゃんは本能でおっぱいを探すそうだ。なっちゃんはおっぱいまで辿りつけなかったけど、おっぱいをくわえさせてみることができた。
 赤ちゃんとお母さんの胎盤をつないでいたへその緒は役目を終える。生まれてしばらくはへその緒はまだドクッドクッと拍動している。拍動がおさまるのを待ってへその緒を切る。助産婦さんに「そろそろいいかな」と聞かれたが、私はまだなっちゃんと離れ難くて、「もう少し」と駄々をこねた。10分ほどして、気持ちも落ち着いたので、切ることにする。
助産婦さん「おとうさんが切る?」
俊男「いや、僕いいです。」
助産婦さん「じゃ、おかあさん切ろうか。」
陽子「私切ります。」
 クリップで挟んだ間をはさみでチョキン。これからはなっちゃんも一人で生きていくんだよ。
 退院する日、へその緒を桐の箱に入れてもらう。普通は赤ちゃんのお腹に残っていたへその緒が乾燥して黒くなって、取れた塊だ。おとなの親指の爪くらいの大きさだろうか。子どものとき、陽子のへその緒だよと見せてもらった黒い塊を見て、へその緒とはそういうものだとずっと思っていた。なっちゃんのへその緒はもちろん黒い塊もあるけど、それと一緒に長いままのへその緒を助産婦さんがきれいに洗って乾燥させてくれたものも入っている。乾燥させても30センチはある。白っぽくて半透明で、ゴムみたいに弾力性がある。丸めて箱に入れた。なっちゃんはお腹の中にいたとき、このへその緒でおかあさんから栄養をもらって大きくなったんだよって話してあげられる。素敵なプレゼント、ありがとう。
 
       

2550グラム

   
   なっちゃんが生まれて抱いた瞬間、小さい!と思った。体重を量ってみると2550グラム。小さいけどよく頑張ったね。おっぱい飲んでこれから大きくなろうね。
 小さかったせいか、会陰はどこも切れることがなかった。助産婦さんに感謝。
 
       

胎盤

   
   あるテレビ番組で道行く人に「赤ちゃんのへその緒はお母さんのどことつながっていますか」という質問をしていた。年頃の女性たちがくちぐちに「腸」とか「内臓」「おへそ」と答えるのでびっくりした。意外と知らないんだ。私いつ知ったかな。もしかして俊男も知らないのかな。
 仕事から帰った俊男に聞いてみた。
陽子「ねえ、赤ちゃんのへその緒ってどこにつながってるか知ってる?」
俊男「たいばん」
 俊男は知っていた。陽子は自分が妊娠してから、本を買ったり借りたりしていろいろと勉強したけど、俊男は「俺は興味ない」という感じで読んでいる様子もなかったのに、いつのまに!陽子はちょっとうれしかった。
 なっちゃんが生まれたあと、それまでの陣痛はうそのように引き、お腹のうえに乗せたり、添い寝したり、おっぱいをくわえさせたり、しばらくなっちゃんとの幸せな時間が流れる。20分くらいして少しお腹が重くなる。痛みはあまりない。胎盤がその役割を終え、外に出てくるのだ。10ヶ月の間、お母さんから赤ちゃんへ栄養を送っていた胎盤。おつかれさま。助産婦さんの声に合わせてちょっとお腹に力を入れたらするっと出た。
陽子「胎盤、見せてください」
というと見せてくれた。レバーみたいな塊。もっとどろっとしたものを想像していたけど、意外にきれい(?)だった。思ったより小さい。300グラム。ええっ!!なっちゃんが2550グラムで胎盤が300グラム!赤ちゃんも小さくて胎盤も小さいということは、残りの体重増は全部陽子の身についたってこと?ショック。
 
       

命名夏空

   
   生まれる前、性別を知りたがったのは俊男だった。切迫早産で診てもらっていた総合病院で、「今週はエコー(超音波)の検査をする週じゃありませんよ」と言われたにもかかわらず「性別を知りたいのでお願いします」と無理やり検査してもらったのに、位置が悪くて分からなかった。最新の機械で分からないのではもうあきらめるしかないね。
 そういうわけで名前は男の子と女の子とひとつずつ考えておいた。男の子の名前はすぐ決まったが、女の子の名前は大変だった。50音を順に「あっちゃん」「いっちゃん」「うっちゃん」と呼んでみて、かわいくて呼びやすいものを探した。そして一番気に入ったのが「なっちゃん」だった。それから「なっちゃん」になる名前を考えた。「夏」の字を使うことはすんなり決まったが、もうひとつの字がなかなか決まらない。
 俊男が「夏空はどう?」と思いついた。陽子は聞いたとき直感的に「良い!」と思った。ただあまりない名前なので、ふたりとも最後の決心ができないまま出産を迎えてしまった。
 陽子は陣痛の合間、窓の外に広がる夏空を見て、「夏空という名前にぴったりの日に生まれるな」と思った。生まれてみたらやっぱり女の子で、ふたりの間では女の子と分かった瞬間に「夏空」と決まった。命名「夏空」
 
       

入院生活

   
   午後4時5分に夏空を出産。1時間ほど脱衣所で横になったあと、夏空ともども入院するお部屋へ移動。ベッドのある洋室と畳の和室があり、どっちがいい?と聞かれたので私は洋室のほうにしてもらった。お母さん用のベッド、赤ちゃん用のかわいいベッド、小さなテーブルと椅子が2つ。それとトイレがついている。お部屋は1階で外から直接出入りできる窓がついているので、俊男はそこを玄関のように使った。仕事行くときと帰るとき、毎日2回夏空に会いに来た。(陽子にも会いに来た?)
 産後2時間くらいするとお腹が痛くなってきた。後陣痛だ。10ヶ月かけて大きくなった子宮が、急激に収縮するのでお腹が痛くなる。それがとっても痛い。陣痛はがまんできたのに、なぜかこの後陣痛は我慢できなくて、助産婦さんに言って薬をもらった。1週間くらい痛かった。
 うんうんとうなっている陽子を横目に、夏空はすやすや寝ている。俊男はテーブルでもってきたノートパソコンに向かっている。ホームページに夏空誕生の報告を載せるためだ。その晩のうちに我が家のホームページ「ねもねものおうち」に夏空の写真が載った。
 昼夜関係なく夏空が寝ているときは私も寝るようにする。2、3日して体も回復してくると、昼間はおっぱいマッサージに来ているお母さん方や助産婦さんとお話する時間も増えた。
 最初はおむつの当て方も分からない。服を着せる、抱く、おっぱいをあげる、布団を掛ける、何もかも初めて。赤ちゃんと同じ部屋で寝るのも初めて。1つ1つ丁寧にその都度その都度助産婦さんが教えてくれた。夜は助産婦さんがすぐ隣の部屋で寝ていてくれて、安心だった。夜中夏空が泣くと見に来てくれた。抱っこしてくれたり、隣の部屋へ連れていってくれ、少しまとまって寝られるのがほんとうにうれしかった。
 もし最初から赤ちゃんは赤ちゃんの部屋で別にされていたら、退院してからとまどうことばかりだったと思う。「産後くらいゆっくりしたいから母子別室がいい」という人もいる。私も自分が妊娠する前はそう思っていた。でもいろいろと本を読んだり話を聞いたりして考えが変わった。犬だって猫だって赤ちゃんが生まれた瞬間から子育てする。人間だけ1週間猶予をくださいって何か不自然な気がするようになった。産後体がつらいのは確かだけど、人間のお母さんだってお母さんになるホルモンが働いて、おっぱい出るようになる。そばに置いて、いつでもおっぱいがあげられたことは、今も続いているおっぱい子育てに大きな影響を与えていると思う。
 
       

おっぱい

   
   おっぱいは産後すぐ出るわけではない。最初の2日間は吸わせてはいるがおっぱいは出なかった。それでも赤ちゃんが吸うことが刺激になっておっぱいが出るようになるというので、とにかく欲しがると吸わせた。夜中2時間3時間とずっとおっぱいを吸わせる。痛くて飛び上がるくらいだが、吸っていないと泣くので、我慢して吸わせた。乳首はまだ吸われるのに慣れていないからかさぶたになり、ぺロっとむけた。
 「ゆきのした」という道端によく生えている丸い葉っぱがある。これをさっと熱湯につけて薄皮をむいて、痛い乳首に貼る。するとじんじん痛かったのがすっと和らぐ。不思議だな。何でもないただの葉っぱがすごい威力を発揮する。今みたいに薬局で簡単に薬が手に入らなかった時代の人は、身近にあるものをいろんなことに使うすべを知っていたんだろうな。
 夏空は小さく生まれたがおっぱい以外のものは与えなかった。助産婦さんいわく「赤ちゃんはお弁当と水筒を持って生まれてくるから心配いらない」。俊男も私もだから不安になることなく、おっぱいが出るようになるのを待つことができた。
 2日目の夜(生まれた日は0日目と数える)、乳首をくわえている夏空の唇がうっすら濡れているのを見つけ、俊男と二人、「初おっぱいが出た」と喜んだ。
 まだ吸うほうも吸われるほうも慣れていないから、うまく乳首をくわえられなくて泣いたりする。それでも二人とも少しずつコツを覚えて上手になった。
 
     

海を越えたビデオ

   
   60分のビデオテープの最初は、床にひざを立て、ベッドにもたれかかって陣痛で「ウンウン」とうなっている陽子が写っている。出産2時間前の陽子である。そして場面が変わると、次はすっぽんぽんの陽子がお風呂に入っている。陽子は何度も何度も、赤ちゃんの出口をさわって、確認しているのが分かる。夏空の頭が見え、お湯の中に姿を現し、陽子の胸に抱かれる。俊男が夏空の頭をなでる。そんな様子がそのビデオテープにうつっている。
 ときどきそのビデオを見ては、あのときの感動に再び会える。私たち夫婦の宝物である。いつか夏空にも見せてあげたい。
 産後しばらくして、お世話になった助産婦さんから、お友達で、外国でお仕事をされている方(その方も助産婦さん)が「いい水中出産のビデオがほしい」ということで、夏空が生まれたときのビデオはどうかとお話があった。私たちだけの秘密(?)の宝物のはずだったこのビデオが、ひょんなことから海を越えることになった。海の向こうで役に立っているといいな。
 
       

ひまわり

   
   入院していたお部屋からひまわりが見えた。夏空が生まれた日はまだ咲いていなかったけど、退院する日に小さいひまわりが花を開いた。その小さい黄色いひまわりの花が、なんだかとても夏空に似合う気がして、夏空のトレードマークにしようって、勝手に決めた。  
       

退院

   
   退院の日、俊男が仕事を終え、迎えに来た。俊男がお世話になった助産婦さんに挨拶をする。「お世話になりました」。妊娠中、そして出産、産後の入院中、ほんとうに言い尽くせないくらい助産婦さんにお世話になった。陽子もお礼を言いたかったのだが、口を開くと今にも涙がこぼれそうで、「ありがとうございました」というのが精一杯。
 俊男「陽子の合宿も終わりだね。」
 言われてみるとそんな気もしてくる。楽しい合宿でした。今日からいよいよ家族3人の生活が始まる。なっちゃん、さあ私たちのお家に帰りましょう。
 
       

     

ねもママの

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1999年2月14日作成       作:ようこ