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子ども

妊娠 産婦人科へ行く

産院探し

山の上の助産院 俊男の気持ち

妊婦検診

働く妊婦 駅でおにぎり

仕事

「私、妊婦です」 通勤電車

切迫早産

自宅安静  

ども

   
   俊男も陽子も子どもはたくさん欲しい。さてどうしよう。1番の問題は陽子の仕事だった。通勤2時間。子どもを預けて今の職場に通うのは難しいし、3年の契約が切れた後の仕事は未定。俊男はすぐにでも子どもが欲しいが、陽子の仕事の状況を考えるともう少し落ち着いてからのほうがいいかと思った。陽子も悩んだ。世の中も仕事をしながら子どもを育てるのにまだまだ良い環境とは思えない。欲しいと思ってもすぐできるとは限らない。
 いろいろ考えると子どもは作れない。私たちは「いろんなこと」を考えることをやめた。
 
     

妊娠

   
 

 「いろんなこと」を考えるのをやめて2ヶ月。生理が4、5日遅れた。このくらいの遅れはよくあることだが、私たちは「いろんなこと」を考えるのをやめていたので妊娠の可能性があった。
 市販の妊娠検査薬があったので、「試してみようか。」と俊男にいうと、「まだ早いよ。もう何日かしてからのほうがいいんじゃないか。」と言う。が、なんとなく予感があったので、やってみた。何の変化もないので、その辺に置いて忘れてしまった。しばらくたって思い出して見てみるとかすかに赤い線が入っている。
 陽子「としーー!(俊男の呼び名)線出てるよーー!!」
 俊男も飛んできて見る。線が薄くていまいち「ほんとかな」という感じ。でも陽子は「これは絶対本物」だと思った。

 
     

産婦人科へ行く

   
 

 とりあえず自宅に一番近い個人病院へ妊娠判定をしてもらいに行く。妊娠判定で陽性と出て、「初期は流産しやすいから気をつけるように」と言われる。
 そんなこと言われたって、どう気を付けていいのか分からない。なんだか脅かされたようで、妊娠の喜びより流産の不安でいっぱいになった。「1ヶ月後に来るように」と言われても、それまでどう過ごしていいのか不安だらけなのに、何も言ってくれなかったし、聞けるような雰囲気じゃなかった。
 もともとこの病院で産もうと思っていたわけでないけど、「何か違う!」と思った。

 
     

産院探し

   
 

 その病院と言うより私には病院自体が合わないかもしれないと思った。
 もともと好奇心旺盛なので、いろいろ質問したがる私にはたくさんの妊婦さんや患者さんが来る病院は向かない。会陰切開やその他の予防的医療処置も疑問をもっていた。切れるか切れないか分からないのにもしものために「あそこ」にメスを入れるなんて!浣腸だって大人になってからしたことないし、導尿なんて生まれてこのかた経験なし。
 安全なお産を望む人、病気や体質などで病院出産が望ましい人、どんなお産をしたいか、選ぶかはほんと人それぞれ。私には助産院が良いのでは。
 入院分娩のできる助産院をタウンページで調べ、数件電話して、山の上にある一軒の助産院を訪ねることにした。まだ妊娠2ヶ月。

 
     

山の上の助産院

   
 

 車で自宅から10分、俊男の職場から5分の山の上にその助産院はあった。助産婦さんは、私がどうしてここを訪ねたのかお茶を飲みながらゆっくり話を聞いてくれた。そして、安定期に入るまでは流産の可能性もあるけれど、初期の流産は受精卵に問題があることが多いから、お母さんの責任ではない。それも運命だというようなお話をしてくださった。
 同じ流産の話でも、初めに行った病院とは違い、そういうことがあるかもしれないと冷静に受け止めることができた。その助産婦さんが言うには、「産婦と助産婦はお産のとき、パートナーである」。そんな考え方に感動。
 産院の中も案内してもらった。産院と言っても普通の2階建のお家で、助産婦さんのご家族が住んでいる。1階のリビングがお話したり、おっぱいマッサージや検診を受けるところ。1階にはほかに洋室と和室が1部屋ずつあり、入院するときは好きなほうを選べる。うむときはどこでうんでもいい。お風呂でうんでもいいよとお風呂場も見せてくれた。普通の家庭用のお風呂。お湯に入ると陣痛がやわらぐらしい。
 産院のやさしい雰囲気と助産婦さんの人柄にすっかり惹かれた。

 
     

俊男の気持ち

   
 

 ここの助産婦さんとうみたいと思ったが、俊男の説得には時間がかかった。何か緊急のことがあったときの心配(助産院では助産婦さんがお産の介助をしてくれて、お医者さんはいない)、交通の便が良くないこと(駅からバスで20分くらいかかる)。それに私は思い込みが激しいからもう一軒くらい行ってみてから決めたらどうかと言われた。
 市内にもう一軒助産院があった。俊男の言うことも一理あると思った。できればその産院でお産した方に直接話を聞きたいと思っていたら、インターネットを通じて、その助産院でお産した方と知り合い、話を聞くことができた。話を聞いて、やはり山の上の助産院の方が私にはいいと確信できた。
 そんなこんなで、月日は流れ、妊娠5ヶ月。そろそろ出産する産院を決めたほうがいい。
 俊男に最後の確認。
 陽子「山の上の助産院にしたいのだけど、いいかな。」
 俊男「陽子が決めたのならいいよ。」
 月日は俊男の不安も消してくれたようだ。

 
       

妊婦検診

   
 

 天気が良いとバス停から助産院までの道のり、富士山が見える。
 お腹の赤ちゃんとのんびりお散歩しながら助産院へ着くと、助産婦さんが出してくれたお茶を飲みながらいろいろなお話をする。あるときは巾着袋を子宮に、それに入ったぬいぐるみのプリティーちゃんを赤ちゃんに見たて、お産の進み方を話してくれ、あるときはアクティブバースのお話、おっぱいのお話。
 となりではおっぱいマッサージを受けているお母さんがいて、子どもがいる。泣く子もいればすやすや寝ている子もいる。少し大きい子は走りまわっている。にぎやかで少し落ち着かないけど、友達のうちに遊びにきているような暖かい雰囲気。
 ここでうむのが楽しみになってきた。

 
       

働く妊婦

   
 

 つわりの時期がちょうど寒い時期と重なり、妊娠2ヶ月から5ヶ月くらいまでつらかった。
 通勤電車の中で気分が悪くなって駅員室で休ませてもらったり、途中の駅のホームで休みながらやっと職場にたどり着いたり、結局途中で家に引き返したり。
 4ヶ月のときに腹痛で病院へ行ったら、子宮の収縮があって、ひどくなると陣痛のような状態になって流産の危険もあると言われた。
 それからは朝調子が悪いときは「休む」と決めた。無理して悲しいことになっても、仕事や職場のせいにはできないから。体調は結局自分にしか分からないわけだし、お腹の赤ちゃんが危険信号を出しているのを分かってあげられるのは自分しかいないと思ったから。
 職場は小さいお子さんがいる方が多く、理解があったのと、机に座って一人でできる仕事が多いこともあり、なんとかこの時期を乗り越えることができた。
 6ヶ月を過ぎると,あのころがうそのようにつわりもおさまり、体調も絶好調に。心と体が妊娠に慣れたということなのかな。

 
       

駅でおにぎり

   
 

 妊娠が分かってすぐつわりが始まった。よく聞くけど、お腹がすくと気持ち悪くなる。定時に仕事を終わらせても通勤時間が長いので、帰宅すると8時近い。家に着いたとたんベッドへ直行。
 見かねた俊男は、陽子にウイダーインゼリーやらカロリーメイトやらを持たせた。駅でも電車の中でも目立たずに口に入れられ、何度も助けられた。何も持っていないとき、駅の売店でおにぎりを買って、新宿駅のホームで電車を待つ列に並んでおにぎりを食べた。普段なら絶対しないけど、妊婦は何でもできる。母(になる人)は強し?

 
       

仕事

   
 

 つわりも不思議と職場に着くと気にならなかった。おかげで少なくとも1日のうち、仕事をしている間は、気持ち良く過ごせた。これも仕事のおかげ。主婦していたらそれこそ朝から晩までベッドで苦しんでいたに違いない。ほんと、仕事していて良かった。

 
       

「私、妊婦です」

   
 

 「私、妊娠しています。席を譲ってください」と言うのは、勇気がいる。
 妊娠8ヶ月のとき、新幹線で秋田に出張に行った。ちょうど行楽シーズン。指定席が取れず、早めにホームへ行って並んだが、座れなかった。
 通路に3時間。幸い最後の1時間は席があいて座れたが、アメリカ生活が長かった同僚は「アメリカなら当然男性が席を譲るのに」と憤慨していたし、カナダ人の同僚は「どうして席を譲ってと言わなかったの?日本人の悪いところだ」と言った。
 疲れがでたのか体調もよくなかったので、早めに仕事を切り上げ、翌朝新幹線で東京にもどった。
 車内は肌寒く、車掌さんに毛布を貸してほしいと頼んだのだが、「グリーン車だけ」ということで断られた。1時間我慢してこれでは前日と同じ失敗を繰り返すだけだと思い、もう一度今度は「妊娠していて具合が悪いので」と話すと「一般席では他のお客様も貸してほしいということになるので(数に限りがあるので)休憩室をお使いになりますか」と言ってくれ、東京まで横になって休めた。(行きも車掌さんにお願いすれば何とかなったかも)
 周りの方は妊婦だと意外に気づかないのか、気づいてもどうしてあげたらいいのか分からないことが多いのかもしれない。気づいてくれるのを待っていてはだめ。自分から「妊婦です」と主張する勇気も、時には赤ちゃんと自分を守るために必要なのだと痛感。でも難しいですよね。「私妊婦です」って言うの。

 
       

通勤電車

   
 

 通勤時間帯の電車に乗っている人は、疲れている人が多いし、座りたい人も多い。帰りは新宿始発の電車を待って乗ったが、朝はそういうわけにもいかず、なるべく乗り継ぎのいい電車を選んで乗った。いつもはドアから離れた奥のほうに立つようにしていたが、あるときドア付近に立ってしまい、駅に止まるたび人の乗り降りにもまれ、妊娠後期でだいぶ目立ってきたお腹をかばいながらなぜだか涙が出てきた。
 妊娠中電車の中で席を譲ってもらったのは3回。学生さんふうの男性、20代後半くらいの女性、40くらいのサラリーマンさん。ありがとう。

 
       

切迫早産

   
 

 明日から妊娠9ヶ月という日、職場で出血した。それまでもときどきおりものに色がつくくらいの出血はあったが、今回はこの妊娠始まって以来の量だったので、早めに帰宅し、助産院の助産婦さんに連絡したら、病院へ行くように言われ、翌朝総合病院へ行った。
 内診の結果、子宮口が少し開きかかっているのと、お腹の張りを見る機械を使って調べたら、お腹の張りが7、8分おきに規則的にあり、「切迫早産」との診断。赤ちゃんの推定体重1500グラム。まだうまれるには小さすぎる。
 入院か自宅で絶対安静。俊男と相談して自宅で様子を見ることにする。
 おりものの検査は痛かった。炎症や感染をみるらしいが、家に帰ってどこで感染したのだろうと夫婦で我が身を振り返ってしまった。(^○^)

 
       

自宅安静

   
 

 トイレと食事以外は横になる生活が始まった。家事はすべて俊男。どこが痛いというわけでもないので、ひたすら横になっているというのはつらかった。動かないので肩は凝り、腰が痛くなった。布団の上で少しでも起きあがると俊男は陽子を叱った。そして陽子のお腹に向かって「まだ早いよ。まだうまれちゃだめだよ。」と話しかけた。そんな俊男がなんだか微笑ましかった。
 1週間後検査の結果が出て、感染はしていなかった。これまでの無理が出たのだろうと言われ、結局のところ原因はよくわからないまま。とにかく37週(正期産になるまで、それ以前は早産)までお腹の中にいてくれるよう、張り止めの薬を飲み、安静にする。37週まであと5週間。短いようで長い長い5週間。

 
       

 


     

ねもママの

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1998年9月16日作成
1998年9月29日改訂(ver1.2)
      作:ようこ