てあわせ


「あー。かったり。」
 カラコロと下駄を鳴らしながらゼフェルが歩く。
 ゼフェルは地方の実家から中央の大学を受験するために上京していた。
 そのまま受かれば親戚の家に下宿することになる。
 それを考えると尚更足取りが重くなる。
 親戚の家は居心地が良すぎて、ゼフェルは却って落ち着かないのである。
 しかし何よりもゼフェルが落ち着かなくなるのは………。
「ゼフェルっ!」
 聞き覚えのありすぎる懐かしい声にギクリと心臓が跳ねる。
 ゼフェルが落ち着かなくなる原因。
 その原因が古びた木造の家屋から飛び出してきたのである。
「アンジェねーちゃん。」
「早かったのね。疲れたでしょ。」
 二つ年上のいとこのアンジェリーク。
 彼女の存在が、ゼフェルを落ち着かなくさせるのだった。
「どうしたの?」
 押し黙ってしまったゼフェルにアンジェリークが首を傾げる。
「何でもねーよ。………まだ嫁に行ってなかったんだな。」
「余計なお世話よっ! お父さん。お母さん。ゼフェルが来たわよ。」
 憎まれ口を叩くとプッと頬を膨らませて先を歩き出す。
 そんなアンジェリークの後ろ姿を見ながら、ゼフェルは家の中に入っていった。
 叔父も叔母も人のよい人達で、自分の家にいるつもりで…とゼフェルを迎え入れてくれた。
 しかしゼフェルにとってこの家は自分の家とは全く違うのである。
「ゼフェル。おかわりは?」
 何よりも、しゃもじを握ったまま手を差し出すアンジェリークの存在が大きすぎるのだった。


 受験日当日は雪の朝になった。
「雪…か。」
「ゼフェル待って。」
 白い息を吐きながら歩き出すゼフェルをアンジェリークが呼び止めた。
「これ。寒いからして行きなさい。」
 アンジェリークはゼフェルの目の前まで来ると、真っ白なマフラーをゼフェルの首に巻いてくれた。
「ん。サンキュ。………何だよ? 何か俺の顔についてっか?」
 短く礼を言うと、アンジェリークは黙ったままじっとゼフェルを見上げている。
 居心地が悪くなったゼフェルは不審そうに尋ねた。
「ん。何でもないの。ただね。あの小っちゃかったゼフェルがこんなに大っきくなったんだな…って。いっつも私の後を走って追いかけてたのに。」
「大昔の話だろ。それ。」
「そうだけど………。ゼフェル。覚えてる? 願いを叶えるおまじない。やったげるよ。ゼフェルが大学に合格しますようにって。」
「いいよ。んなの。」
 願いを叶えるおまじない。
 小さい頃に二人でよくやった遊びだった。
 互いの手の平を合わせて願いを呟く。
 ただそれだけのことだが、今のゼフェルにはとても出来なかった。
「駄目よ。大学に落ちちゃったら、うちに下宿できないじゃない。ほら。手、出して。」
 そう言って差し出されたアンジェリークの右手にゼフェルは自分の左手を合わせた。
「ゼフェルが試験に受かりますように。……………。」
「ねーちゃん? どうかしたのか?」
 合わせられた手を見つめて押し黙ったアンジェリークにゼフェルは尋ねた。
「ううん。怒るかもしれないけどね。ホントに大きくなったんだな…って。前は私の手の方が大きかったのに今じゃゼフェルの手の方が大きいんだもん。」
 悔しそうなアンジェリークの呟きにゼフェルも合わさったままの手を見る。
 浅黒い自分の手よりも一回り小さくて白いアンジェリークの手。
「ねーちゃ………。アンジェ。」
 生まれて初めて『アンジェ』と呼び捨てした。
「俺が大学卒業するまで嫁に行くなよな。」
「………ゼフェルはそんなに私を行かず後家にさせたいの?」
 突然呼び捨てされて目を丸くしていたアンジェリークが、続けられたゼフェルの言葉に眉間に皺を寄せる。
「…じゃねーよ。いくら叔父き達が人が良くてもよ。俺が学生の間はアンジェを嫁にはくれねーだろ。」
「…………………………よ…嫁って。」
「いとこ同士ってのは結婚出来っだろ。大学卒業したらアンジェを嫁に貰う。それまでは嫁に行くなっつってんだよ。」
 呆然としていたアンジェリークの顔がゼフェルの言葉に見る見るうちに真っ赤に染まる。
 ゼフェルは合わせたままのアンジェリークの手を握りしめて顔を近づけた。
「………約束したかんな。」
 驚きで大きな瞳を開けたままのアンジェリークに口付けたゼフェルが小さく呟いて手を離す。
「……………な…何よ。バカぁ〜。ゼフェルなんか試験に落ちちゃえ〜!」
 後ろから聞こえる狼狽えたようなアンジェリークの叫び声に、ゼフェルが笑みを浮かべる。
 ゼフェルが大学に合格したのは言うまでもないことだった。


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