金色仔猫のパン屋さん


 表通りの道を左に曲がって二本目の路地の奥。
 赤い看板が目印の、小さなパン屋さんがありました。
 職人さんの名前はゼフェル。
 ちょっと無口で無愛想だけど、ゼフェルの作るパンは近所でも美味しいと評判で、パン好きの人の中には、わざわざ遠くから買いに来る人もいるほどでした。
「…っくしょー。これも駄目だ。」
 そんな評判を余所に、ゼフェルは毎日せっせとパンを焼いています。
 だけど今日は何だか渋い顔。
 だってゼフェルは、どんなに美味しいパンを作っても、一つも満足していないのです。
 美味しいと評判になっているゼフェルのパンは、ピリッとタバスコの利いたピザトーストや、焼きそばパンなどのいわゆる食事パン。
 トロ〜リと甘いカスタードの詰まったクリームパンや、ずっしりとあんこの入ったアンパンなどのおやつパンの評判は、食事パンほどありません。
 ゼフェル自身が甘い物嫌いなので、その辺は仕方がないと言えばそうかもしれません。
 だけどゼフェルもパン職人の一人です。
 食事パンだけでなく、おやつパンも『美味しい』との評判を貰わなければ、一人前とは言えません。
 だからゼフェルは毎日毎日遅くまで、美味しいおやつパン作りに試行錯誤しながら励んでいたのでした。
「…っし。こんなモンかな。」
 カスタード作りを終えたゼフェルが一息つきます。
 目の前には五つのボール。
 そのどれの中にも、黄色いカスタードが入っています。
 少しずつ砂糖の量を調整して、自分がこねたパン生地に一番合うカスタード作りに励んでいる最中でした。
「…っかし………。どれにすりゃ良いんだ?」
 これまでに何度も何度も調整を続け、最終的にこの五種類に絞り込むことが出来ました。
 でも、その五つの中から最後の一つを選ぶことがゼフェルには出来ません。
 カスタードの甘い香りに耐えるのが精一杯で、味まで確かめることが出来ないのです。
「いっそのこと、五種類のクリームパン作って、一番売れたのにすっかな。………ん?」
 思案を重ねていたゼフェルが、カリカリと微かに扉を引っ掻く音に、表の扉を開けます。
「誰もいねーじゃねーか。……………ん?」
「ニャー。」
 キョロキョロと辺りを見回しても、誰もいません。
 だけど足下から小さな声が聞こえて、ゼフェルは視線を下に移しました。
 そこにいたのは一匹の金茶の仔猫。
 ゼフェルの足の間を擦り抜けて、お店の中に入っていくところでした。
「あ…こらっ!」
 ゼフェルは慌てて仔猫を追い出そうとしました。
 だけど仔猫は出ていかず、売れ残っていたクリームパンをくわえて、貪るように食べ始めたのでした。
「何だ。おめー。腹が減ってたのか? …っかし、猫もクリームパンなんて食うんだな。………うめぇか?」
「ナー。」
 ゼフェルは呆れたように呟いて、だけど一心不乱にパンを食べている仔猫に尋ねました。
 俺の作ったパンは美味いのか?
 と。
 そんなゼフェルの言葉が判ったのか、仔猫は嬉しそうに返事をしました。
「そっか。」
 仔猫の鳴き声に、ゼフェルは目を細めました。
 例え何であれ、自分が一生懸命作ったパンを無心に食べてくれる姿を見るのは嬉しいものでした。
「それ。食ったら家に帰れよ。」
 仔猫はピンク色の可愛いリボンを付けています。
 きっと何処かの飼い猫なのでしょう。
 ゼフェルは扉を開けたままにして、キッチンの奥へ戻っていきました。
 まだ、どのカスタードを使うか決めてないのです。
 それを決めなければ、パンを焼くことが出来ません。
「ミー。」
 ゼフェルがカスタードの入った五つのボールを睨み付けていると、先程の仔猫が足下にまとわりつくように懐いてきました。
「こら。食べ終わったら帰れって言っただろ。」
 仔猫を抱き上げてゼフェルが顔を近づけると、仔猫からほんのりとカスタードの甘い香りがしてきます。
「ナー。」
「まだ足りねぇのか? 食いしん坊だな。おめーは。仕方ねー。待ってろ。」
 訴えるように鳴く仔猫を下に降ろして、ゼフェルは焼いてあった食パンにボールの中のカスタードを付けて、仔猫に与えました。
「おっ! さっきよりすげぇ勢いで食うじゃねーか。こっちの方がうめぇのか? ………そうだ!」
 ガツガツと、先程よりも凄い勢いでパンを食べる仔猫に、ゼフェルは食パンを五つに切って、そのそれぞれに違うカスタードを塗ってみました。
「おめー。この中でどれが好きだ?」
 五つのパンを仔猫の前に並べて、ゼフェルが尋ねます。
 どうせ自分では決められないのです。
 だったら、自分の作ったクリームパンを美味しそうに食べてくれるこの仔猫に決めさせようと、ゼフェルは思ったのでした。
「おっ!」
 五つのパンを目の前にして、匂いを嗅いだりカスタードを舐めたりしていた仔猫が、今までにない勢いで一つのパンを食べ始めました。
「二番のカスタードが好きなのか?」
「ミャー!」
 ゼフェルが尋ねると、仔猫は元気良く返事をします。
「…っし。なら、決まりだな。」
 仔猫の反応に気を良くしたゼフェルは、手を洗ってパン生地をこね、二番目のボールに入っているカスタードを使ってクリームパンを作りました。
「熱っちち。ほれ。チビ。おめーにいの一番に試食させて……………。」
 焼き上がったクリームパンの一つを冷ますように手にとって、ゼフェルが仔猫に声をかけます。
 でも、いつの間にか仔猫は家に帰ったらしく、何処にもいませんでした。
「何だ。帰っちまったのか。………甘ぇ。」
 ゼフェルはつまらなそうに呟いて、クリームパンをパクリと一口かじりました。
 今までに食べたことがない甘い味が、ゼフェルの口の中に広がります。
 翌日、クリームパンは見事に売り切れました。
 試食用を食べていた子供の美味しそうな笑顔に、ゼフェルはようやくクリームパンをまともに作ることが出来たと、安堵したのでした。
 でも、まだまだゼフェルの前には沢山のおやつパンが待っています。
 そのどれもを、美味しく作らなければなりません。
 だけど不思議なことに、ゼフェルがおやつパンを作り始めると、どこからともなく金茶の仔猫が現れて、作りかけのパンを欲しがるのでした。
 そして何故か、仔猫が大喜びで食べたおやつパンだけが、美味しいと大評判になるのでした。
「おめーは招き猫だな。」
「ナー。」
 チョココロネにパクつく仔猫の頭を撫でながら、ゼフェルが満足そうに呟きます。
 いつの間にか仔猫は、ゼフェルのお店の看板猫になっていました。
 そこは小さなパン屋さんです。
 表通りの道を左に曲がって、二本目の細い路地を入ったずっと奥にあります。
 ちょっと無口で無愛想な職人さんは、毎日せっせとパンを焼いています。
 ご飯代わりの食事パン。
 おやつにピッタリのおやつパン。
 種類も豊富に揃っています。
 どうぞ、一度お越し下さい。
 赤い看板の上に乗っている、金茶の仔猫が目印です。


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