お守り
アンジェリークは拳法道場の一人娘だった。
多くの門下生が何とかアンジェリークの気を引こうとやっきになっているが、師範でもあるアンジェリークの父が常々口にしている『わしより弱い男に娘はやらん』の一言に、デートはおろか話しかけることすら出来ない者が殆どだった。
ゼフェルはそんな拳法道場に古くから通っている門下生の一人だった。
実は他の門下生達がアンジェリークと話すことすら出来ないのは、師範のせいだけでなく師範代クラスの実力を持つゼフェルの存在もあったからであった。
ゼフェルの家は元々、この道場近くで手作りのお守りなどを売って生計を立てている土産物屋だった。
つまり、アンジェリークとゼフェルは幼なじみなのである。
そんな訳で、アンジェリークはゼフェル以外の門下生の側には滅多に近づかなかった。
門下生達はアンジェリークに近づきたくても師範の目がある。
文句を言いたくてもゼフェルの方が自分達より遙かに強い。
と、まさに踏んだり蹴ったり状態なのであった。
アンジェリークの父にしてみても、自らが幼い頃から愛用している守り袋の作成者の一族と言うこともあって、ゼフェルの行動にはある程度寛容であった。
娘がゼフェルに話しかけることには目を瞑る。
しかしゼフェルが娘に近づくことには、他の門下生同様に厳しい眼差しを注いでいた。
だが当のゼフェルは…と言うと、己の腕を磨くことに熱心で、アンジェリークが近づくことにはむしろ迷惑気な様子で、自分からアンジェリークに近づくことも殆ど無かった。
そんなゼフェルの行動が、師範を寛容にさせている理由の一つでもあった。
アンジェリークの父の拳法道場が数多くの門下生を抱えているのは、アンジェリーク目当ての不届き者がいることも勿論だが、アンジェリークの父が国で一番強い男を決める武道大会で毎年優勝しているからでもあった。
そして今年もその大会がやってきた。
アンジェリークの父を始め、ゼフェルや他の門下生達もこの大会に参加していた。
「ゼフェル〜。」
緊張した面持ちで、アンジェリークがゼフェルの側にやってきた。
この大会には女性部門もあるのである。
アンジェリークはそのぽよよんとした見かけとは裏腹に、かなりな武術の達人で、毎年上位に名を連ねているのである。
「どした。」
「緊張して来ちゃった………。」
ゼフェルが短く尋ねると、震える声が返ってくる。
アンジェリークの対戦相手は去年の優勝者であった。
「いつも通りに動け。そうすりゃ勝てる。親父さん…師範にもそう言われてんだろ。」
「そうだけど…去年の優勝者よ?今まで勝ったこと無いのよ?」
過去の経験がトラウマになってしまっているようだ。
ゼフェルから見れば、相手は年と共に動きが鈍くなっている。
対してアンジェリークは、年々、動きが良くなってきている。
実力からすれば、既にアンジェリークの方が上であろう。
今まで培ってきた経験の差が、二人の勝敗を分けているのだった。
「……………。ほらよ。」
「なに?これ。」
溜息と共にゼフェルから手渡された物をアンジェリークが眺める。
「俺が作ったお守り。ひも、引っ張ってみ。」
「う…うん。」
アンジェリークがゼフェルの言われた通りにひもを引っ張ると、お守りの人形が手足をバタバタと動かし始める。
「や…可愛い。これ。ゼフェルじゃない?」
ゼフェルそっくりの人形の、忙しない動きにアンジェリークが笑顔で尋ねる。
「おめーにやる。安心して勝ってこい。」
「うん。頑張る。ゼフェルも頑張ってね。」
すっかりリラックスしきったアンジェリークの笑顔に、ゼフェルが口の端を上げる。
試合は見事にアンジェリークが勝ち、アンジェリークは今年の女性部門の優勝者となった。
「ゼフェル!」
表彰式を済ませたアンジェリークがこれから試合に臨むゼフェルの元に駆けつける。
「やったじゃねーかよ。」
「うん。このお守りのお陰ね。ゼフェルも頑張ってね。」
胸元から人形を取り出してアンジェリークが笑顔を見せてひもを引く。
「……………アンジェリーク。」
「なに?」
すっかり人形が気に入り、何度も何度もひもを引っ張っているアンジェリークにゼフェルが声を掛ける。
「嫁入りの準備。しとけよ。この大会が終わったら、即、祝言あげっかんな。」
「えっ?」
真っ赤になって時を止めたアンジェリークを残し、ゼフェルが試合場に上がる。
今年の優勝者を決める決勝戦。
ゼフェルの対戦相手はアンジェリークの父であった。