異次元空間


 じぃ〜っと恨みがましい目で、ゼフェルの部屋の扉を見つめてしまう。
 扉には『立入禁止』の四文字が書かれた札が掛けられていて、無視したくても無視できないほどの大きさと存在感を持って私の前に立ちはだかっていた。
 扉の向こうは、私にとっての異次元空間。
 ゼフェルにとってのパラダイス。
『きっと今頃、嬉々としてドライバーを握っているんだろうなぁ。』
 諦めとも呆れともつかない溜息が一つ。
『確認したいことがあったんだけどな。』
 もう一度、今度は完全に諦めの溜息を一つ。
 立入禁止の札を一度掛けちゃうと、中での作業が終わるまで、ゼフェルは何があっても誰が呼んでも絶対に出てこない。
 火事が起きても出てこないんじゃないか…って言われてるぐらい。
 でもだからって、ここで開かずの扉を開けるようなバカな真似は絶対にしちゃいけない。
 扉の向こうにはどんな異次元空間が広がっているのか判らないんだから。
 ずいぶん前…まだ立入禁止の札が無かった頃、異次元空間に入り込んで作りかけのロボットを踏んづけて壊しちゃった私。
 気象状態も多分に関係してたと思うんだけど、パソコンなんかの精密機械部品を静電気で全部ショートさせて駄目にしてしまった私。
 どっちの時も、もの凄い勢いで怒られて………。
 あの時は、ゼフェルに愛想をつかされちゃったんじゃないかって本気で心配した。
 気まずくて気まずくて、ずっとゼフェルを避けていた。
 そしたらゼフェルにまた、もの凄い勢いで怒られたんだった。
『何であんぐれーで来なくなんだよっ!』
 …って。
『どんなにおめーに迷惑かけられよーと、嫌いになったりするわけねーだろっ!』
 …って、怒鳴るのと同じぐらいの勢いで抱きしめられて。
 あの時はゼフェルの言葉に安心して、涙が止まらなくなってしまった。
 オロオロするゼフェルがおかしくて、ますます涙が溢れて大変だった。
 それからゼフェルは部屋の扉に、立入禁止の札を掛けるようになったんだっけ。
 私が部屋の中の物を壊すのを防ぐため。
 私を怒鳴らずにすますため。
 私自身もゼフェルの大切な物を壊したり、怒鳴られるのはとても嫌。
 だからそんなゼフェルの心配りがとても嬉しい。
 でもね、ゼフェル。
「誕生日…どうするの?」
 立入禁止の札を指で揺らして、しばらくの間、籠もりっきりになってしまうであろう異次元空間の住人にポツリと呟く。
 ゼフェルが異次元空間に籠もっている間、私は独りぼっちなのよ?
 6月4日がもうすぐ来るんだよ?
 6月4日はゼフェルの誕生日でしょ。
 今年は金曜日にあたったゼフェルの誕生日。
 次の日は学校がお休みの土曜日で、その次の日は日曜日で………。
 いつまでたってもラブラブカップルなうちの両親は、ゼフェルの誕生日の金曜日出発予定で、娘の私を残して旅行に行く計画を立てている。
 自由奔放、放任主義のゼフェルのご両親を誘って。
『何だったら、あんたもゼフェル君と二人で何処かに行ってらっしゃいよ。』
 とは、私のお母さんの言葉。
 これが年頃の娘を持つ母親の言葉だなんて、誰が信じるだろう?
『もしかしてチューもまだなのか? あいつも存外、奥手だな。』
 とは、ゼフェルのお父さん。
 キスはとっくの昔に経験済みだけど、それを私が言えるわけがない。
 それに、18才と16才で出来ちゃった結婚をしたおじさん達から見たら誰だって奥手だろうし、17にして未経験の私達が敵う訳がない。
『旅行に行こうって誘ってらっしゃいよ。部屋にいるから。』
 そんな感じでラブラブな二組に送り出されるようにここに来たけれど、当のゼフェルがこんなんじゃどうにもならない。
「ゼフェルのバーカ。」
 もう一度呟いて、扉に背中を向ける。
『プレゼント…無駄になっちゃうのかな。一生懸命、考えたのに………。』
 もう一回、諦めの溜息を吐く。
「誰がバカだって?」
 後ろからの突然の声。
 驚いて振り返ると、小さなネジを持ったゼフェルが扉を開けて立っていた。
「ゼフェル。作業…終わったの?」
 近寄ってゼフェルの肩越しに部屋の中を覗くと、異次元空間が広がったままになっている。
「いや。まだ終わんねー。………何か、おめーの声が聞こえた気がしてよ。」
 ちょっとだけ顔を赤くして呟くゼフェルに、私まで赤くなってしまう。
「何か用か?」
「あ…うん。週末ね。うちの両親、ゼフェルのおじさんとおばさんと旅行に行くんだって。」
「かー。またかよ。あの中年ラブラブカップルは。」
 私の言葉にゼフェルは呆れたように顔をしかめた。
「でね。あんた達もどっかに行ったら? って言われたの。」
「行きてーのは山々だけどよ。先立つもんがねーよ。」
 ゼフェルが心底残念そうに呟く。
 それは私も同じ。
 学生の身で、泊まりがけの旅行に行けるほどのお金なんて持ってない。
「だよね。またどっちかの家で過ごす? あ…でも、ゼフェルは部屋に籠もっちゃうよね。いつまでかかるの?」
「多分、週末まで………。」
『それじゃあ、ゼフェルの誕生日は過ぎちゃうよ。』
 あれこれと作業の手順を考えながら答えるゼフェルに心の中で呟く。
 プレゼント…先渡しにしちゃっても良いのかな?
 遅くなるよりは…良いよね?
「ゼフェル。プレゼント、先にあげるね。」
「ん? ………!」
 ゼフェルの肩に両手を置いて、少し背伸びをするようにしてゼフェルに口付ける。
 ゆっくりと唇を離すと、ゼフェルが赤い目をまん丸にしていた。
「今のが…プレゼントか?」
「うん。だってね。工具とかの物は色々あげつくしちゃったでしょ。だから何にしようかなって悩んでたときに、テレビで『彼女から貰う物で一番嬉しいのは?』ってアンケート調査をやってたの。私達と同年代の人達の回答だと『彼女からのキス』ってのが上の方にあってね。じゃあそうしようかな…って。嬉しくない?」
「いや。すっげー嬉しい。」
 驚きで目を丸くしたまま尋ねるゼフェルに、真っ赤になって答える。
 あんまり喜んで貰えなかったのかと不安になったけど、破顔するゼフェルにホッと一安心した。
「だけどよ。どーせなら、もっと濃いのにしろよ。」
「えっ! 濃いのって?」
「こーゆーの。」
「あ………。」
 安心していたのも束の間、少しだけ不服そうに呟いて顔を近づけるゼフェルから逃げようとしたけれど、腰に回っていたゼフェルの手がそれを許してくれない。
 唇が重なったと同時に、生暖かいゼフェルの舌が私の口の中に入ってきて、私の舌に絡まる。
 強く吸われるように舌を絡められて、身体中の芯が痺れてボーっと霞んだ。
「………こーゆー奴。」
 ゆっくりと唇が離れると、唾液が糸のように唇を繋いでいた。
 チュッと軽く触れるだけのキスをするゼフェルの呟きを聞いて、私は顔が更に赤くなるのが判った。
「今…の?」
「そう。くんねーの?」
 私の目の前で両膝をついたゼフェルが、訴えかけるような赤い瞳で私を見上げる。
『あうう〜。』
 たっぷり1分間は恥ずかしさとお祝いしたい気持ちがジレンマになって格闘していた。
 話題のチワワよりも威力のある訴えかける瞳に負けた私は、意を決して数回の深呼吸の後、ゼフェルの頬に手を添えてそっと口付けた。
 ゼフェルにされたように上手くは出来ないけれど、それでもぎこちなく舌を絡める。
 息苦しくなって唇を離すと、ゼフェルは閉じていた瞳をゆっくりと開けた。
「…サンキュ。アンジェ。」
「誕生日おめでとうね。ゼフェル。」
 立ち上がるゼフェルにお祝いを言って背中を向ける。
 これ以上ゼフェルの側にいたら、ドキドキしすぎてどうにかなっちゃいそうだった。
「アンジェ!」
 玄関の手前まで来たとき、ゼフェルが私を呼んだ。
「なに?」
「金曜の夕方までに何が何でも終わらすからよ。美味いモン食わせてくれよ。な。」
「うん。判った。」
 顔だけゼフェルに向けていた私は、パチンとウインクするゼフェルに笑顔を見せて家に帰った。
 そして迎えたゼフェルの誕生日。
 ゼフェルのおじさんやおばさん、私のお父さんやお母さんが残していったゼフェルへのプレゼントに、私とゼフェルは目を白黒させてしまっていた。
 真っ白なフリルやレースのついたエプロン。
 本当にこんなの着られるの? と疑いたくなるような、スケスケで丈の短いキャミソールドレス。
 着ている意味が無いんじゃないの? と思ってしまうぐらい布地の部分の少ない、色とりどりのベビードール。
 そのどれもに『アンジェリークに着て貰いなさい』と、手紙が添えられていた。
 そして極めつけは『早く孫の顔が見たい!』と、四人連名で書かれた手紙が添えられていた精力増強剤だった。
「折角の好意だから、有り難く使わせて貰おうぜ。」
 嬉々として呟くゼフェルに、私は真っ赤になって抗議した。
 だけど惚れた弱み。
 ゼフェルの訴えかける瞳に私が勝てるはずも無い。
 四つのプレゼントと共に抱き上げられた私は異次元空間に連れて行かれ、ゼフェルはパラダイスな誕生日を過ごしたのだった。


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