サンタが家にやってきた


 その日、ゼフェルは暇を持て余し、ここ数年使った試しのない暖炉の煙突掃除をしたのだった。

 使っていなかったとは言え、すすにまみれたゼフェルは夕暮れとともに風呂に入った。

 そして風呂から上がってきたゼフェルは、部屋の真ん中に奇妙な物を見つけたのだった。

「…んだぁ。こりゃあ?」

 落ちていた物を拾い上げる。

「サンタの長靴…にしちゃ妙だな。」

 それは白いボアの縁飾りがついた真っ赤な靴だった。

 見ようによってはゼフェルの言った通り『サンタの長靴』に見えなくもない。

「女のサンタがいんのかよ。いるならお目にかかりてーぜ。」

 どうひいき目に見ても女物のブーツに、ゼフェルはからかうように笑うと火の入ってない暖炉の方にブーツを放り投げた。

「きゃ…や……。滑…る。」

「……………。」

 はっきりと聞こえた女の声にゼフェルの足が止まる。

 それはどう考えても暖炉の上の方からの声だった。

「あ…駄目………。」

 暖炉に近づくとパラパラと上の方から細かいすすが落ちてくる。

 ゼフェルは風呂上がりだと言うことも気にせずに、人が余裕で入れるくらい広い暖炉の中に入って上を見上げた。

「きゃーっ!!!」

 大きな悲鳴とともに上から何かが落ちてくる。

 咄嗟にゼフェルはそれを受け止めた。

「あ。」

「……………。」

 腕の中の…空から落ちてきた『もの』を黙ったまま凝視する。

 ブーツと同じようにサンタ仕様のミニのワンピース。

 ご丁寧に帽子までもがサンタと同じ赤と白。

 すすのついた白い頬。

 金色の巻き毛に大きな緑の瞳。

 その大きな瞳は驚いたようにゼフェルを見つめている。

「あっ!」

 抱き上げたまま暖炉を出るゼフェルに少女が声を漏らす。

 取りあえずソファに少女を降ろしてゼフェルは風呂場へと戻った。

 湯の入った洗面器とタオルを持って部屋に戻ると、ソファに座らせていた筈の少女の姿が無かった。

 驚いて辺りを見回す。

 キィと寝室に繋がる扉が軋む音に気付いてそちらへ向かう。

 ……………少女がいた。

 ベッドサイドで何かを探しているようだった。

「おい。」

 声をかけたら少女の身体がビクッと反応した。

「顔。すすついてっぞ。」

「えぇっ!?」

 洗面器を差し出すと少女は慌てて顔を洗った。

「ありがとう。あの……………。」

「何だ?」

「あなた…私が見えるの?」

「あぁ?」

 奇妙なことを言い出す少女にゼフェルが怪訝そうに眉を寄せる。

 見えるどころか、話すことも触れることも出来ていると言うのに、この少女は何を言っているのだろうか?

「あの……。普通の人には私の姿は見えない筈なの。」

「それじゃあ、俺は普通じゃねーんだろ。」

 人嫌いで変わっていると言われているゼフェルが自嘲気味に口の端を上げる。

「でも…そんな……。もしかして、あなたはサンタ村の出身なの?」

「はぁ?」

 またまた少女が訳の判らない事を言う。

「あの…サンタクロースの事はあなたも知ってるでしょ。」

「あぁ。」

「私…ね。サンタのおじさまの住んでるサンタ村の人間で、アンジェリークって言うの。ホントはね。おじさま1人じゃ世界中を回れないから村中の人がプレゼント配るの手伝ってるの。私も今年からお手伝い出来るようになってここに来たの。」

「ここ…って、この家にか?」

「えぇ。そうよ。ここにゼフェルって男の子がいる筈なの。でも小さな男の子はいないみたいだし、ベッドにくつ下もないし………。」

「そりゃそうだろーよ。クリスマスにゃ、まだあと1ヶ月はあるからな。」

「ええっ!!! 嘘っ!」

「何で嘘なんかつかなきゃ何ねーんだよ。ほれ。そこ見て見ろ。因みにゼフェルってのは俺の名前だぜ。」

 壁に掛けてあるカレンダーを顎でさして名前を名乗ると、アンジェリークと名乗った少女がポカンと口を開ける。

「子供用のおもちゃじゃない…本格的な工具セットが欲しいって………。」

「あー…んな願い事を手紙に書いた事もあったな。随分昔の事だけどよ。」

 アンジェリークが呟いた品物は、確かに昔、サンタへ宛てた手紙に書いた記憶があった。

「だって…そんな………。」

「何かの手違いだろーよ。それより…おめーどうやって屋根に登ったんだ? かなり鈍くさそうだってのによ。」

「鈍くさいって…酷いわ。」

「はっ。ホントの事だろ。煙突から落っこちてくるサンタなんて聞いたこともねーぞ。」

 頬を膨らませて怒るアンジェリークにゼフェルは笑った。

「だってそれはっ! ………足が滑ってブーツが脱げちゃったから…慌てただけだモン。」

「ほー。じゃあ1ヶ月も間違えたのも慌ててたんだな。」

「う……………。あなたって意地悪ね。も、良い。私、帰る。」

 荷物を持ったままクルッとアンジェリークが背中を向ける。

「おい。おめー、帰るってどうやって帰るんだ?」

「どうやって…って、ちゃんと迎えが……………。あぁっ!!!

 振り返って答えていたアンジェリークが突然悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。

「お…おいっ。どうした?」

「どうしよう。今…11月なのよね?」

「あ? あぁ。そうだけど。」

「私…いまはまだ村に帰れないの。」

 三度目の理解不能な言葉にゼフェルの眉間にしわが寄る。

「トナカイのそり…知ってるでしょ。」

「あぁ。」

「プレゼントを配るお手伝いをする人はね。サンタクロースのおじさまの家から目的の家の屋根の上に転送されるの。そしてトナカイのお迎えを待つの。あのトナカイ達…今は眠っているの。12月にならないと目が覚めないの。」

「転送ねぇ。…ってちょっと待てよ。じゃ、何か? おめーは12月になんなきゃ帰れねーって事か?」

 ゼフェルの言葉にアンジェリークがコクリと頷く。

「………どうすんだよ。おめー。」

「…………………………。」

 しゃがみ込んだままのアンジェリークをゼフェルが上から見下ろす。

 そんなゼフェルをアンジェリークは縋るような瞳で見上げた。

「…っ方ねーな。判った。迎えが来るまでここにいろ。どーせ、この家にいなきゃ迎えのトナカイって奴もおめーの居場所が判んねーんだろ。」

「………良いの?」

「だから仕方ねーっつってっだろ。」

「あ…ありがとう。ゼフェル。」

「ばっ…だからって抱きつくんじゃねーっ!!!!!」

 パッと顔を輝かせて抱きつくアンジェリークにゼフェルは大いに慌てたのだった。



 それからの日数は驚くほど早く過ぎていった。

 ゼフェルは毎日、アンジェリークの話を聞いた。

 地図の上にはないサンタ村のこと。

 おじいさんだと思われているサンタクロースが意外とまだ若いこと。

 サンタ村のトナカイが皆、赤い鼻だと言うこと。

 子供だけでなく、大人の願いも叶えてくれること。

 手紙を出さなくとも、ベッドサイドのくつ下に欲しい物の名前を書いて入れるだけで、サンタの所に届くこと。

 アンジェリークに促されて、ゼフェルも珍しく自分のことを沢山話した。

 自分の好きな物のこと。

 嫌いな物のこと。

 生まれ育った今日までのことを………。

 日が経てば経つほど、ゼフェルはアンジェリークを帰したくなかった。

 だが、ゼフェルは既に思い知らされていた。

 最初に彼女はこう言っていたではないか。

『普通の人には自分の姿は見えない』

 ……………と。

 先日、珍しくゼフェルの家に人が来た時、アンジェリークの存在に慌てたゼフェルだったのだが、その訪問者にはアンジェリークの姿は見えなかったのである。

「ね。だから言ったでしょ。」

 呆然としていたゼフェルにアンジェリークは笑って言った。

 その時、ゼフェルはアンジェリークを自分の元に引き止めることは出来ないのだと悟った。

 アンジェリークを自分の元に引き止めても、寂しい思いをさせるだけなのだ…と。

 12月の足音が大きくなる毎に、ゼフェルはアンジェリークを避けるようになった。

「………ゼフェル。」

 明日…夜が明ければ12月になる、アンジェリークと過ごす最後の夜。

 軽いノックの音にゼフェルが振り返ると、扉の所にアンジェリークが立っていた。

「あの…少しお話ししても良い?」

「俺りゃあ、もう眠みぃんだ。勘弁してくれ。」

 眠気などある訳がない。

 だけどゼフェルはそう言ってベッドへ向き直った。

「すぐっ! なるべく手短にすますから………、」

「駄目だ。」

「どうして? どうしてゼフェルは私を避けるの? 私…何かゼフェルを怒らせるようなことをした?」

「そうじゃねぇっ!!」

 泣き出しそうなアンジェリークの声に背中を向けていたゼフェルが怒鳴りながら振り返る。

「…っそっ!」

「ゼフェル? ………きゃっ!」

 ずかずかと大股で近づきアンジェリークを抱き上げる。

 初日に…煙突から落ちてきた時と同じ重さを腕に感じながらベッドに向かう。

「あの…きゃあ!!!!! ………んんっ。」

 ゼフェルの一連の動きに戸惑っていたアンジェリークがベッドに降ろされた途端に唇を塞がれる。

「ん…んーっ! ……はぁ。」

「おめーを帰したくねー。………何で? なんて聞くなよ。俺にもよく判らねーんだからなっ! だけど、このままおめーといてぇ。でも! それは出来ねー事だろ。おめーは村に帰っちまう。いや。帰った方が良いんだ。」

「ゼフェル………。」

 吐き出すように呟くゼフェルの苦しそうに歪んだ眉間にアンジェリークはそっと手を伸ばした。

「私…私も………。帰りたくない…よ。このままゼフェルの所にいたい。………でも。」

「判ってる。それ以上いうなっ!」

「ゼフェ……………。」

 見る見るうちに大粒の涙を溢れさせるアンジェリークの唇をゼフェルが再び塞ぐ。

 翌朝目覚めたゼフェルの側に、アンジェリークの姿は無かった。



 12月に入ると、あっ! という間に街中がクリスマス一色になる。

 クリスマスイブの夜、ゼフェルは自分でも『らしくない』と思いつつ、ベッドサイドに願い事を書いた紙を入れたくつ下を吊して眠りについた。

 生まれてこの方、そんな事をしたことはなかった。

 今まで、本当に欲しいものが見つからなかったから。

 でも、今は違う。

 ゼフェルは心の底から欲しいと願っているものの名前を紙に書いた。

『サンタ村のアンジェリーク。』

 ……………と。

 翌朝、ゼフェルは自分の隣で安らかな寝息をたてているサンタクロースの少女を手にしたのだった。


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