好きだから
「ゼっフェルっ様っ。」
「……よぉ。」
明るい日差しの差し込む芝生の上にあぐらをかいていたゼフェルが、アンジェリークの弾むような声に顔を上げ、口にドライバーをくわえたまま短く返事をした。
「こんな所にいたんですね。色々探しちゃった。」
「あ? 今日なんかおめーと約束してたっけか?」
「特に約束はしてませんけど…何を作ってらっしゃるんですか?」
不思議そうに尋ねるゼフェルの手元を覗き込みながらアンジェリークは小首を傾げた。
「何でもねーよ。………っと。そうだ。アンジェリーク。」
「はい?」
「おめーよ。甘めーモン好きだよな。」
「は……?」
作業の手を止め尋ねるゼフェルにアンジェリークはポカンと口を開けた。
「甘めーモン好きだろ?」
「は…はい。好きですけ……きゃっ!」
「やるよ。」
ポンッとゼフェルはアンジェリークに小さな箱を投げてよこした。
「………ゼフェル様。どうしたんですか? これ?」
箱の中身を見たアンジェリークが目を丸くしてゼフェルを見つめた。
手作りのチョコトリュフ。
甘いものが苦手なゼフェル用に特別に作られたらしいビターチョコの香りがアンジェリークの鼻をくすぐった。
「今朝ロザリアの奴が『普段お世話になってるお礼ですわ』とか言って持ってきてよ。中見たらそれだろ。俺は甘いモンなんて食わねーからな。おめーにやるよ。」
事も無げに言うゼフェルにアンジェリークが驚いたように丸くなった目を更に丸くした。
「……………ぶっ。おめー。なんてツラしてんだよ。鳩が豆鉄砲くらったみたいだぜ?」
「わ…笑い事じゃありませんっ! これっ! 受け取れませんっ!」
お腹を抱えて笑うゼフェルにアンジェリークは怒ったように詰め寄り、渡された箱を突き返した。
「………何でだよ。」
「これはゼフェル様が食べなくちゃいけないんですっ!」
ゼフェルはアンジェリークの言葉に心外し、思わず眉間にしわを寄せた。
自分は甘いものが嫌いだ。
だけどアンジェリークは甘いものが大好きで……。
自分が食べないもので…あまつさえ他人からの貰い物を渡すのはどうかとも思ったが、捨てるよりかは好きな相手に喜んで貰いたい。
そう思ってチョコを渡したのだ。
だと言うのにアンジェリークは受け取れないと突き返すのだ。
しかも甘いものが嫌いなこの自分に食べろとまで言って。
「これはっ! ゼフェル様が食べなくちゃいけないものなんですっ!」
「……んで、んな事言うんだよ。」
納得のいかないゼフェルが怒ったように声を絞り出す。
「……ゼフェル様。今日が何の日かご存知無いんですか?」
「今日……………?」
眉を八の字にしてゼフェルを見つめるアンジェリークが考え込むようなゼフェルの表情に俯いてしまった。
「……信じらんない。」
プルプルと肩を震わせてアンジェリークは呟いた。
「何がだよっ!」
「信じらんない。今は2月で…今日は14日なんですよ?」
「莫迦にすんじゃねーよっ。いくら守護聖やってる時間が長いからってなぁ。日付感覚まで無くなってねーんだよっ。今日が14日だって事ぐらい知ってらぁ。」
「そうじゃありませんっ!」
怒って反論するゼフェルにアンジェリークは顔を真っ赤にさせて叫んだ。
「……もう。ホントに信じらんない。今日…今日、女の子から受け取ったものは全部、自分が食べなくちゃいけないんですからねっ!」
「は? ……おめー。なに訳わかんねー事言ってんだよ。おいっ。」
涙目のアンジェリークをゼフェルが呆然と見つめる。
「ゼフェル様…ニブ過ぎ。鈍感。もう…もう……。ゼフェル様の莫迦っ!!」
「痛っ! てめーっ! アンジェリークっ!!」
アンジェリークはずっと持っていた紙袋をゼフェルに投げつけて走り出した。
そんなアンジェリークの背中にゼフェルは罵声を浴びせた。
「…ったく。なんだってんだよ。一体。」
ぶつぶつと文句の言葉を呟きながらアンジェリークの投げつけた紙袋の中身を覗き込む。
「……んだぁ。こりゃあ? なになに……ゼフェル様へ……ってこれ。俺宛てか?」
取り出した箱に添えられたメッセージカードに書かれた文字にゼフェルは目を丸くした。
どうしようかと一瞬躊躇したが、思い切って包装を破き箱を開ける。
「げっ……………。」
大きなハート形のチョコレートにゼフェルが顔をしかめて呻き声をあげる。
「な…なに考えてんだよ。あいつまで………。」
眉間のしわをそのままに蓋を閉めて紙袋の中に戻す。
散乱していた工具を工具箱にしまい、ゼフェルは紙袋と工具箱の二つをぶら下げて歩き出した。
「はぁ。そうなんですかぁ。」
「な。訳わかんねーだろ。大体、あいつら二人とも俺が甘いモン嫌いなの知ってるんだぜ? なのにどうしてチョコなんて持ってくんだよ。もっと別なモンにすりゃ俺だって喜んで受け取ったのによ。」
大地の守護聖ルヴァの執務室に入り込んだゼフェルがルヴァにひとしきり愚痴る。
こういった愚痴を聞いてくれそうな相手はルヴァだけなのである。
「それは…仕方ありませんよ。ゼフェル。何しろ今日は2月の14日ですからねぇ。」
「………アンジェリークの奴も言ってたけどよ。2月14日だからって何かあんのか?」
不思議そうに尋ねるゼフェルにルヴァは目を丸くした。
よくよく今日は目を丸くされる日のようである。
「ゼフェル……。あなたはもしかしてバレンタインデーと言うものを知らないんじゃ……………。」
「バレタイ? ……なんだ? そりゃ?」
「バレンタインデーですよ。その昔ですね……………。」
と、ルヴァの長い説明が始まった。
「……ちょ…ちょっと待てよ。ルヴァ。そのバレンタインって坊さんの事は判った。でもよ。それとチョコとなんの関係があるんだ?」
一時間以上続いている説明が更に続きそうな気配にゼフェルが慌てて制止をかける。
「本当に判ってもらえたんですかねぇ。その教会で二人が結ばれたのが2月の14日なんですよ。そんなことから、この日は女性が好きな相手にチョコを渡して思いを打ち明ける日となった訳です。」
「好きな男に思いを打ち明け……………。」
カーっとゼフェルの顔に火が走る。
「いやー。そうだったんですねぇ。アンジェリークは。うんうん。」
「な…なに一人で納得してやがるっ! おめーだってあいつ等から貰ってんじゃねーかっ!! ルヴァっ!!!!」
「あー。確かに二人から貰いましたよ。今では好きな男性にチョコをあげると言う意味以外に、お世話になっているお礼に…と言う意味も含まれてますからねぇ。ロザリアは守護聖全員が同じ物を貰ってますから確実に『日頃のお礼』の意味合いですよ。でも…アンジェリークからチョコを貰ったのはゼフェル。あなただけなんですよ。」
「……………なんでそんな事が判るんだよ。」
にこにこと…本当に嬉しそうなルヴァにゼフェルが憮然とした表情で尋ねる。
「ゼフェル。あなた…今日、ジュリアスの所で昼食会があったのにきませんでしたよね。その席にアンジェリークが来ましてね。皆にカップケーキを配っていったんですよ。」
「カップ…ケーキ?」
「そう。ただのカップケーキです。チョコレート味でもなんでもない普通の。なのにゼフェル。あなたにはこんな大きなハート形のチョコレートなんですよ。彼女があなたをどう思っているのか…このチョコで判りませんか?」
呆然とチョコレートを見つめるゼフェルにルヴァは目を細めた。
「……なぁ。ルヴァ。そのバレンタインってよぉ……………。」
チョコレートから目を離さずにゼフェルはルヴァに問いかけていた。
「ゼフェル様………。」
「ま…待てよっ!! アンジェリーク。ちょっと…入るぞ。」
軽いノックの音にドアを開けたアンジェリークはゼフェルの姿をみとめて慌てて扉を閉めようとした。
ゼフェルはそんな閉じかけた扉を無理矢理こじ開けて室内に入ってきた。
「……………。」
「……座れ。」
無言で立ち尽くすアンジェリークにゼフェルは短く言った。
向かい側に座るのを待ってから、ゼフェルは先刻アンジェリークに投げつけられた紙袋をテーブルの上に乗せた。
「あの………。」
袋の中から取り出した中くらいの箱を目の前に押し出されてアンジェリークが戸惑ったようにゼフェルを見た。
「食え。」
「えっ?」
短く呟くゼフェルにアンジェリークは聞き返した。
「食え。」
有無も言わさぬゼフェルにアンジェリークはおずおずと箱を開けた。
中には卵型のチョコレートが一つ。
戸惑うアンジェリークがゼフェルを見る。
ゼフェルは何も言わず目だけで『食べろ』と言っていた。
思い切ってパクリとかじる。
卵がパキッと音を立てて割れた。
「あ……………。」
空洞になっている卵の中からキラリと光るものを見つけてアンジェリークが驚きの声を上げる。
コロリと手の平に取り出したのは、緑色の石をはめ込んだ金色のリング。
「俺の星にバレンタインなんて習慣はなかった。」
呆然と指輪を見つめていたアンジェリークがゼフェルの声にハッと顔を上げる。
「そんな習慣があるなんて知らなかった。ルヴァから聞いた。おめーがロザリアに貰った奴を俺に食べろっつったのはだからなんだな。」
ゼフェルの言葉にアンジェリークがコクリと頷く。
「だから返してきた。俺が…俺が食わなきゃなんねーのはこれだけだからっつってな。」
そう言ってゼフェルは大きなハート形のチョコを取り出してかぶりついた。
「ゼフェル様。」
「……バレンタインの意味合いも随分変わってきた。最近じゃ女だけでなく男も好きな女にプレゼントをしたりする。ってルヴァの奴が言ってた。今日はそう言う事をする日なんだろ。だからそいつはおめーにやる。とっとと食っちまえ。」
「は…はい………。」
涙を浮かべてアンジェリークは卵型のチョコを食べ続けた。
向かいの席ではゼフェルが顔をしかめながらもハート形のチョコを食べていた。