金色天使


「んー。」

 短くうめき声を上げてゆっくりと瞳を開ける。

 真っ白な大きな花が真下で咲いていた。



『………俺。まだ夢、見てんのか?』

 はっきりと覚醒した筈なのにそう思う。

 夢を見ていたのだ。

 自分が真っ赤な瞳に銀色の翼のペガサスになった夢を。

 夢の中で真っ白な衣を纏い金色の巻き毛をふわふわ揺らす翡翠の瞳の天使を見上げていた。

 天使に恋い焦がれ…自分の背に乗せ飛びたいと願っていた。

 そんなペガサスの元に翡翠の瞳の天使は舞い降り、そっと手を伸ばしてきた所で眠りから覚めた筈だった。

『……ちょっと待て。これが夢の続きなら何で俺は天使を見下ろしてんだ?』

「………ゼフェル様?」

 小首を傾げ、見惚れる程の笑顔を作って天使が自分の名を呼んだ。

「あ……………。」

『アンジェリーク。』

 天使と思っていたのはアンジェリークだった。

 クルリと枝を一回りしてアンジェリークのすぐ脇に飛び降りた。

「アンジェリーク……。おめー。こんなトコで何やってんだ?」

「ゼフェル様を探してたんです。」

「俺を……?」

 心の動揺を隠すようにぶっきらぼうに尋ねる。

 そんな自分にアンジェリークは零れるような笑顔を見せるのだ。

「はい。だって今日はバレンタ……………きゃーっ!!!」

「うわっ!」

 もの凄い悲鳴と共にアンジェリークに突き飛ばされる。

「痛ってて。アンジェリーク! てめーっ! 何しや………。」

 抗議の声をあげようとして絶句する。

 アンジェリークは魂が抜けたかのように呆然と潰れた箱を見つめていた。

「な…お…おいっ! アンジェリ……。おめー。ど…どうした………。」

 見たこともないアンジェリークの姿に戸惑いながら彼女が手にした箱に視線を落とす。

『う………。やべぇ……………。』

 潰れた箱にくっきりと残る己の靴跡に顔をしかめる。

「そ…その。………すま……。」

「ごめんなさい。ゼフェル様。」

 己の非を詫びようとしたのにアンジェリークに先に謝られてしまった。

「ゼフェル様にお渡ししようと思ってたのに…駄目にしちゃいました。」

「な…なんでおめーが謝んだよ。それ踏んづけて駄目にしちまったのは俺だろ。」

 焦って言うがアンジェリークは首を横に振る。

「ううん。こんな所に置いた私が悪いんです。あの…一日遅れちゃうけど…作り直します。明日…執務室に持っていきますから……受け取って下さいね。」

 悲しくて悲しくて…泣きたいのを我慢してます。

 そんな顔で無理矢理笑うアンジェリークに何も言えなくなる。

 特別寮へ走るアンジェリークの後ろ姿を呆然と眺めていた。



「やぁ。ゼフェル。暗い顔してどうしたんだい?」

「………おめーはいつも以上に脳天気なツラしてやがるな。ランディ。」

 辺りが薄暗くなってようやく部屋に戻る気になったと言うのに、苦手な相手に出会ってしまった。

 ランディとは馬が合わず、寄ると触るとケンカになってしまうのだが、今日は何か様子が違っていた。

「これっ! 見てくれよ。」

 自慢げにランディが綺麗にラッピングされた小箱を見せる。

「……………。」

「良いだろう。ロザリアがくれたんだぜ。」

 無言で箱とランディの顔を交互に見る自分に得意げに自慢する。

「それがどうかしたのか?」

「………おまえ。今日が何の日か知らないのか?」

 不思議そうに尋ねる自分にランディは驚いたように聞き返した。

「今日………?」

『そういや…あいつも何か言ってたよな。今日は何とかだって………。』

「今日はバレンタインなんだぞ。女の人が好きな男にチョコを渡す日じゃないか。………それとも知らないのか?」

『あ………。』

「莫迦にすんじゃねーよっ! それ位、知ってらぁ。そうか…今日がそうだったのか。で、おめーはロザリアにそのチョコを貰って得意満面って訳か。」

『ふーん。あの箱はそう言う事だったのか。なんだ………。』

 アンジェリークの持っていた箱の意味を理解する。

 自分はアンジェリークに惚れている。

 だから喜ぶランディの気持ちは何となく判るし、アンジェリークに他の守護聖と同じ扱いをされたようでショックを受けてもいた。

 そうして目の前で照れたように頭をかくランディに今朝方のことを思い出して心の中で溜息をついた。

 見たのだ。

 ロザリアがルヴァやオリヴィエに同じ包みのチョコを渡す姿を。

 ランディは己一人が貰ったと思い込んでいるらしい。

 しかし、あの完璧な女王候補のお嬢様が一人だけえこひいきするとは到底考えられなかった。

 ランディはロザリアに惚れている。

 だから、そんな簡単な事にも気付かないのだろう。

『ここは黙っているのが一番だな。』

 舞い上がっているランディを目の前にそう思う。

 だが、そんな男心を未だ理解しきれていない人物がランディを奈落の底へ突き落とした。

「あっ! ゼフェル。ランディ。ほら。見て見て。ロザリアとアンジェリークにバレンタインのチョコ貰っちゃった。」

 ひゅるるるる〜〜〜。

 ランディのテンションが一気に下がっていく一言だった。

「あれ? ランディ。どうしたの?」

「い…いや。何でもないよ。マルセル。そうか。……ははは。ロザリア…皆にも………。」

「美味しかったよ。アンジェリークのチョコクッキーもロザリアのトリュフも。」

 まだ残ってるんだと続くマルセルの言葉は聞こえなかった。

『クッキー? あの箱は…どう見てもケーキの箱だったぞ?』

「ゼフェル? どうしたの?」

「……何でもねーよ。マルセル。アンジェリークの奴。どんな箱でくれたんだ?」

「箱じゃなくて袋だよ。ほら。これ。」

 マルセルの差し出したものをまじまじと見る。

「ねっ。………ゼフェルは貰ってないの?」

「ゼフェル?」

 ランディとマルセルが黙り込んでしまった自分を不審そうに見つめているのが判った。

「俺…もう行くな。」

 短くそれだけ言って部屋へと戻る。

 ベットの上に仰向けになって天井を見つめた。

『どういう事だ?』

 マルセルの見せてくれたクッキーの袋と自分が踏みつぶしてしまった箱とを思い出して考えた。

『何で違うんだよ。』

 心の中で問うが答えはとうに判っていた。

 ただ、その答えを鵜呑みにしても良いのか戸惑っていた。

 目の前にアンジェリークの顔がチラつく。

 鮮やかな笑顔で見上げるアンジェリーク。

 泣きたくて仕方ないのに…それでも無理に笑って見せたアンジェリーク。

 ガバッと身体を起こして特別寮へと歩き出した。



「………ゼフェル様。」

 チャイムを押して扉が開くのをもどかしく待つ。

 扉から出てきたアンジェリークの顔に爪がくい込むほど強く拳を握った。

「ちょっと良いか? アンジェリーク。」

「あ…はい。どうぞ。」

 低く絞り出すように言うと戸惑ったように部屋に入れてくれた。

「すみません。今、片付けますか………。」

「アンジェリーク。おめー。昼間着てたドレスみてーな白い服に着替えてこい。」

 既に部屋着に着替えていたアンジェリークにそう告げる。

 不思議そうな瞳が返ってきた。

「えっ? あの……………。」

「良いから着てこい。」

「は…はい。」

 アンジェリークは慌てたように隣室に飛び込んでいった。

 彼女には何が何だか判らないだろう。

『俺だって訳わかんねーよっ!』

 心の中で叫ぶ。

 昼間の…自分を捜していたと言っていた時の服装になって欲しかったのだ。

 テーブルの上に視線を戻し、潰れた箱を引き寄せる。

 金色の縁取りが施された緑色のリボンをシュルンとほどく。

 銀色のラインの入った赤い包装紙をビリビリと破いて真っ白な蓋を開ける。

『うっ………。』

 チョコクリームの甘い香りに一瞬、身体が硬直する。

 それでも、ケーキ屋などの前を通ったときのような香りではない。

 甘いものが嫌いな自分のためにアンジェリークは苦労したのだろう。

「ゼ…ゼフェル様?」

 遠慮がちな声が聞こえて顔をあげる。

 アンジェリークが大きな緑色の瞳を見開いて自分を見ていた。

 ガッとケーキを鷲掴みにしてばくばくと口に運んだ。

『あ…甘めぇ………。』

「ゼフェル様っ!!! そ…そんな潰れたケーキ食べないで下さい。」

『…っるせぇ。』

「駄目ですってば。」

 泣き出しそうな情けない顔でアンジェリークが呟く。

 手についたチョコクリームを舐めてアンジェリークに向き直った。

「………良いんだよっ!」

「だって………。」

『んなツラすんじゃねーっ!』

 困ったように眉を八の字に寄せるアンジェリークにゼフェルは覚悟を決めた。

「……他の奴等はチョコクッキーだったな。」

「えっ?」

「でも俺にはケーキなんだろ。」

「あの………。」

「今日はバレンタインで……。だからそう言う意味なんだろ? これはっ!」

『俺は特別って意味なんだろ! 俺が好きだって事なんだろっ!』

「ゼフェル様………。」

 アンジェリークがまた泣きそうな顔になった。

 でも、昼間の悲しくて泣きそうになったのとは違う…嬉しくて涙が出そうな顔だった。



「痛っ!」

 ケーキの残骸に伸びたアンジェリークの手を軽く叩く。

「妙な気ぃ使うんじゃねーっ! 俺に作ったモンなんだろ? だから俺が全部食うんだよっ!」

「でも…ゼフェル様辛そうだから……。」

「だからっ! ……どんなに不味かろーと甘かろーと全部食うっつったら食うんだよっ! そんなに気になるんなら水の一杯でも持ってきやがれっ!!」

「は…はいっ!」

『…ったく。莫迦野郎。』

 キッチンに慌てて駆け込むアンジェリークの後ろ姿に呟く。

「はい。どうぞ。ゼフェル様。」

「おう。……………と。」

 差し出しされたコップを取ろうとして、チョコクリームだらけの指をペロリと舐める。

 そんな自分の姿にアンジェリークは顔を赤くしていた。

『あ……。』

 赤くなった顔よりももっと赤い唇に夢の続きを少し思い出した。

 舞い降りた天使はペガサスになった自分に赤い唇で口付けてくれたのだ。

「アンジェリーク。」

「は…はははいっ!! きゃっ!」

 思い出したらアンジェリークを引き寄せて抱きしめていた。

「ケーキ…サンキュな。」

 顔を見られないように頭をしっかり抱え込んで呟く。

「甘かったでしょ。ゼフェル様には。」

「んー。まぁな。でも…これからもっと甘めーモン食うから………。」

『きっと甘いんだ。ケーキなんかよりもっと………。』

「えっ?」

 驚いて身体を離したアンジェリークの「え」の形の唇に口付ける。

『やっぱ…チョコより甘めぇや………。』

 苦しそうにしがみつくアンジェリークの震える身体を抱きしめながら頭の片隅でそう思う。



 その夜、ゼフェルが夢の続きを見たかどうかは定かではなかった。


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