銀色ペガサス
『どうしよう………。』
上を見上げながら溜息をついてしまう。
あっちこっちを散々、歩き回って探したのだ。
バレンタインのチョコを渡したくて………。
それなのに、ようやく見つけたお目当ての相手は、木の上の太い枝に抱きつくように居眠りをしているようだった。
『あんな所で眠って…起こした方がいいかしら? でも…それで驚いて落ちちゃったら大変だし………。』
考えながら手にした箱を脇に置いて木の根本に腰掛ける。
『起きてくれないかな。ゼフェル様。』
木に寄り掛かり、上にいるゼフェルを見つめる。
はっきり言って、この木に上ることは出来るのだ。
『………駄目よ。そんなの。』
一瞬、上っていってゼフェルを起こそうかと言う考えが頭をよぎり、慌てて首を激しく振った。
『だって…折角のバレンタインなんだもの。女の子らしくしなきゃ。オニューのワンピースだって着てるのに………。』
買ったばかりのフレアのワンピースの裾をふんわりと広げるように座りなおす。
そのまま…ちょっとばかり辛い態勢ではあるが、座ったままで樹上のゼフェルを見つめ続けた。
そんな時、さぁっと一陣の風が吹いてゼフェルの真っ白なマントがふわりとなびいた。
『え………。』
パチパチと瞬きをして大慌てで両目を擦る。
風がゼフェルのマントを揺らした瞬間、ゼフェルの背に銀色の翼を見たような気がしたのだった。
『今のって……………?』
呆然とした表情でゼフェルを見つめる。
「んー。」
頭上からのうめき声に我に返ると、ゼフェルはゆっくりとその赤い瞳を開く所だった。
「………ゼフェル様?」
赤い瞳を完全に開いた後も、ゼフェルは身動き一つしなかった。
何か…まるで何か信じられないものを見て固まっているかのように思えた。
だから声をかけたのだ。
あまりにも動かないゼフェルを不審に思って小首を傾げ、それでも彼に一番綺麗な自分を見せたくて…自分が出来る最高の笑顔を作って………。
「あ……………。」
呼びかけでゼフェルの呪縛が解けた。
クルリと枝を一回りしてすぐ脇に飛び降りてきた。
「アンジェリーク……。おめー。こんなトコで何やってんだ?」
「ゼフェル様を探してたんです。」
「俺を……?」
「はい。だって今日はバレンタ……………きゃーっ!!!」
「うわっ!」
ゼフェルに笑顔を見せて視線を下に移した瞬間、もの凄い悲鳴をあげてゼフェルを突き飛ばしてしまった。
「痛ってて。アンジェリーク! てめーっ! 何しや………。」
尻もちをついて怒ったように抗議の声をあげるゼフェルの声も聞こえない。
見事に踏まれ、潰れてしまった箱を呆然と見つめることしか出来なかった。
「な…お…おいっ! アンジェリ……。おめー。ど…どうした………。」
言葉を詰まらせるゼフェルに視線を移す。
『あ……。いけない。』
「そ…その。………すま……。」
「ごめんなさい。ゼフェル様。」
ゼフェルの言葉を遮るように謝罪する。
「ゼフェル様にお渡ししようと思ってたのに…駄目にしちゃいました。」
「な…なんでおめーが謝んだよ。それ踏んづけて駄目にしちまったのは俺だろ。」
焦ったようなゼフェルの言葉に首を振る。
「ううん。こんな所に置いた私が悪いんです。あの…一日遅れちゃうけど…作り直します。明日…執務室に持っていきますから……受け取って下さいね。」
無理矢理笑顔を作って立ち上がる。
呆然としているゼフェルから逃げるように特別寮へ走って帰っていった。
「………ゼフェル様。」
テーブルの上の駄目になってしまったチョコケーキをぼんやりと眺めていたら部屋のチャイムが鳴った。
扉を開けるとそこにゼフェルが立っていた。
「ちょっと良いか? アンジェリーク。」
「あ…はい。どうぞ。」
思い詰めたような表情に戸惑いながらゼフェルを部屋に通す。
こんな…夜の時間に誰かが訪ねてくることなど今まで無かった。
「すみません。今、片付けますか………。」
「アンジェリーク。おめー。昼間着てたドレスみてーな白い服に着替えてこい。」
ゼフェルの言葉にテーブルの上を片付けようとした手が止まる。
「えっ? あの……………。」
「良いから着てこい。」
「は…はい。」
訳も判らず、ただただゼフェルの迫力に押されて隣室へ行きワンピースに着替える。
「ゼ…ゼフェル様?」
おずおずと顔を出して大きく目を見開く。
潰れた箱開けてぐちゃぐちゃになったケーキを睨んでいたゼフェルが呼びかけに我に返ったように顔を上げて自分を見ると、ケーキの塊を鷲掴みにしてもの凄い勢いで食べ始めたのだった。
「ゼフェル様っ!!! そ…そんな潰れたケーキ食べないで下さい。」
「……………。」
「駄目ですってば。」
かなり甘さを押さえたつもりだが、それでもゼフェルには甘いらしく眉間に皺を寄せて無言で食べ続けるゼフェルを押し止めようとする。
「………良いんだよっ!」
「だって………。」
睨み付けるゼフェルを困ったように見つめる。
「……他の奴等はチョコクッキーだったな。」
「えっ?」
「でも俺にはケーキなんだろ。」
「あの………。」
「今日はバレンタインで……。だからそう言う意味なんだろ? これはっ!」
「ゼフェル様………。」
嬉しさに胸がじーんとして涙が出そうになった。
何とか涙を我慢して…辛そうに食べるゼフェルの負担を少しでも軽くしようとケーキの残骸に手を伸ばす。
「痛っ!」
途端にゼフェルにペチリと手を叩かれた。
「妙な気ぃ使うんじゃねーっ! 俺に作ったモンなんだろ? だから俺が全部食うんだよっ!」
「でも…ゼフェル様辛そうだから……。」
「だからっ! ……どんなに不味かろーと甘かろーと全部食うっつったら食うんだよっ! そんなに気になるんなら水の一杯でも持ってきやがれっ!!」
「は…はいっ!」
キッチンに慌てて駆け込むとうれし涙がポロリとこぼれた。
大急ぎで水差しとコップを持って部屋へと戻る。
「はい。どうぞ。ゼフェル様。」
「おう。……………と。」
差し出したコップを取ろうとして、チョコクリームだらけの指をゼフェルがペロリと舐める。
そんなゼフェルの口元を見ていて思わず顔が赤くなるのが判った。
『や…嫌だ……。私ったら何考えてるんだろ。』
思わず想像してしまったのだ。
今、ゼフェルとキスをしたら絶対にチョコの味がするだろう…と。
「アンジェリーク。」
「は…はははいっ!! きゃっ!」
真っ赤になって俯いていたら突然引き寄せられて抱きしめられていた。
「ケーキ…サンキュな。」
「甘かったでしょ。ゼフェル様には。」
「んー。まぁな。でも…これからもっと甘めーモン食うから………。」
「えっ?」
ゼフェルの言葉の意味を計りかねて身体を離す。
……と、唇が「え」の形のまま塞がれた。
「んっ………。」
そっと瞳を閉じて思考が真っ白になる前に気付く。
『やっぱりチョコの味…がす……る……………。』
その夜、アンジェリークは銀色の翼のペガサスに乗った金色の天使の夢を見た。