いつの日か……
「ゼフェルっ! またこんな暗い所にいる。」
地下室の奥にうずくまっていた俺に声を掛けたのは現在の俺のマスター。
完全な人型アンドロイドとして作られた俺の、何人目のマスターになるのかは俺自身もはっきりと覚えていない。
「ほら。早く出て。暗いトコにばかりいると考え方まで暗くなっちゃうよ。」
「……判りましたよ。マスター・アンジェ。」
「アンジェで良いって言ってるでしょ。マスターなんて付けなくていいの。」
プッ…と膨れるマスターの顔を俺は無表情に見つめる。
この、コロコロと表情を変える新しいマスターは俺を人間として扱った。
かつてのマスター達は皆、俺をロボットとして扱っていたというのに。
こんなマスターは初めてだった。
いや。
一度だけ…俺が作られるきっかけになった最初のマスターは俺を人として…息子として扱っていた。
ほんの僅かな間だけだったけどな。
バイク事故が元で死んでしまった息子の代わりが欲しい…と。
そう依頼されて作られた俺。
『手先は器用なんですけど根が不器用なのか思ったことをうまく口に出来ない子でねぇ。いつも不機嫌そうな顔をして言葉遣いも乱暴だったけど…優しい子だったんですよ。』
性格付けプログラムにインプットされているマスターの言葉。
マスターの言葉通りにプログラムされ希望通りに作られた筈…だった。
だけど…………………………。
『あんたはやっぱりロボットなんだねぇ。いっつも不機嫌そうな同じ顔をして。あの子は時たまだけど笑ってくれる時もあったんだよ。』
別れ間際の最後の言葉が甦る。
笑う…だと?
なんだ?
それは?
俺は知らない。
そんなものはプログラムされてない。
笑顔(それ)を望むなら、何故そう言わなかった。
新しいマスターに引き取られていく中、俺は心の中で叫び続けていた。
その後のマスター達は俺のことを完全にロボットとして扱った。
自分の命令だけを忠実に実行するように…と。
いつも不機嫌そうな顔をして言葉遣いも悪い俺は、マスターの不興を買って売却されるケースが多かった。
アンジェという新しいマスターに買われた時は、殆どタダみたいな値だったと記録してある。
『すぐにまた売りに出されっだろうな。でも、そろそろ値もつけられなくなってっから廃棄処分か?』
最悪の事態も考えていたが、どうやらそれは避けられたようだ。
「初めまして。私はアンジェリークよ。アンジェって呼んでね。宜しく。」
「俺はHNA−Zタイプ。」
初対面の時、マスター・アンジェは笑顔を作り俺に向かって右手を差し出した。
そんな右手を見つめながら俺はプロトナンバーを伝える。
「HNA−Zタイプ? うーん。じゃあ。あなたの名前。今日からゼフェルね。はい。」
少し考える素振りを見せてからもう一度右手を差し出すマスターに俺は戸惑いを隠せない。
「握手よ。知らない? こうするの。」
そう言って俺の右手を握ったマスターの手の温もりに俺は驚いた。
こんな事は初めてだった。
「俺は何をしたら良い?」
「好きなことをしてて良いわ。用があるときは呼ぶから。でもなるべく側にいてくれると嬉しいな。」
この言葉のせいで俺はますます戸惑った。
好きなこと?
考えたこともなかった。
思いつきもしなかった。
今までマスターから下される命令だけを聞いていたから。
仕方がないのでしばらくの間はマスターの側にいることにした。
でもマスターは、向こうに行っててだのこっちに来ちゃ駄目だのと、側にいてくれると嬉しいと言っていた割に、俺を側に寄せない時が多かった。
それが着替えるときや風呂にはいるときに集中しているのに後で気付き、そんな時にはマスターの側から離れることにしていた。
でも、好きなことなんて見つからない。
そんな俺に好きなことを見つけさせてくれたのはマスターだった。
「どうしたんだ?」
「あ…うん。壊れちゃったみたいで動かないの。」
ある朝、寝室から出てきたマスターが困ったような顔で目覚まし時計を持っていた。
「見せてみろよ。」
「うん。」
一度ぶっ壊れたら修復不可能な俺と違い、こう言った単純なモンは結構修復がきく。
機械いじりが好きな息子…と言う、初期設定のお陰でいつも携帯していたドライバーセットで目覚ましを分解して故障個所を直す。
組み立て直すと目覚まし時計はしっかりと動いていた。
「す…すっごぉ〜い。ゼフェル。ありがとう。」
不安そうなマスターの顔が、動き出した時計に一気に輝く。
そうか…と思った。
これが笑顔か…と。
それからの俺は、時間があると機械をいじくっていた。
そんなマスターと俺は、今、南の島に来ていた。
以前のマスターの所が灰色の廃墟と灰色の重い空だったせいか、この南の島の青い空も碧い海も植物の緑も何もかもが俺には眩しかった。
そしてそれ以上に、南の太陽の陽差しに輝くマスターの金の髪が眩しかった。
「今日はどこに行くんだ?」
「自然植物園。ハイビスカスが見頃ですって。」
何が楽しいのか、笑顔を絶やさないマスターを助手席に乗せてレンタカーを走らせる。
辿り着いた植物園は色とりどりの花に溢れていた。
「同じ花なのに、こんなに色があるんだな。」
「そうね。綺麗よね。」
赤。黄色。オレンジ。
様々な色のハイビスカスが今を盛りと咲き乱れている。
「ねぇ。ゼフェル。見て見て。」
呼ばれて振り返ると、マスターが赤いハイビスカスの花を髪にさしていた。
「……………綺麗だ。」
自然と口から零れた。
マスターは驚いたように目を丸くして…次の瞬間、大粒の涙を零した。
「なっ! ど…どうした? どっか痛てぇのか? 何か嫌なこと言ったか?」
「違…の。嬉しいの。」
嬉しい?
何が嬉しいって言うんだ?
「気付かなかった? ゼフェル。あなた。いま笑ったのよ。こうやって口の端を上げて。」
笑った?
俺…が………?
「もう一度、笑って。」
「出来ねーよ。」
「出来るわよ。ほら。こうするの。」
一筋の涙を零しながら唇の端を上げるマスターに、俺もぎこちなく唇の端を上げる。
「うふふ。ほら。笑えた。良かった。ゼフェルもちゃんと笑えるんだって判って。ずっと不安だったの。ゼフェル。私の側にいるの嫌なんじゃないかな…って。」
「何でそう思うんだよ。俺の方こそ、俺を買って損したと思ってんじゃねーかって思ってたぜ。」
「どうして? ゼフェルがいなかったら私、独りぼっちよ。それにうちの電化製品。全部、買い換えなきゃいけなかったわ。」
「……………アンジェ。」
はにかむように微笑むアンジェを思わず抱きしめる。
「二人でいっぱい笑おうね。ゼフェル。ずっと側にいてね。」
「あぁ。」
腕の中で呟くアンジェに短く答える。
いつか。
いつの日か、心の底からの笑顔をアンジェに向けよう。
このハイビスカスの花達の中で、アンジェと二人、いつまでも笑顔でいられるように。