黄門様の印籠と暴れん坊将軍
「それでね。あのね。」
「やだぁ。」
うららかな昼休み。
陽あたり抜群の窓際の机に突っ伏してうたた寝をしていたゼフェルがクラスの女子の甲高い笑い声に眉間に皺を寄せてもぞもぞと動きだす。
「あ…ねぇ。まずいよ。……ほら。あれ。」
「あ。ホント。しぃ〜。」
めざとく見つけた女子の1人が動くゼフェルを指さして声を潜める。
他のメンバーも人差し指を口の前にたててゼフェルの様子を窺っていた。
ゼフェルはクラスで知らない者のない『暴れん坊将軍』だった。
元々目つきが悪い上に口が悪い俺様なので、女子の評価は最低ラインだった。
しかも寝起きがかなり悪くて何をするのか判らない暴君だった。
入学してまもなく、寝入ってしまったゼフェルを起こそうとした教師が顎の骨を折られる大怪我をしたのも未だに学校中の話題になっている。
本人には意識も悪気も全く無かったので、その件は不慮の事故として処理されたが、以来、寝入ってしまったゼフェルを起こそう等という強者は現れなかった。
つい先日までは……………。
「ゼフェルゼフェルゼフェル。起きて起きて起きて〜。」
転校してきたばかりのアンジェリークがそんな暴れん坊将軍を叩き起こす。
アンジェリークの登場にクラスの誰もが安堵の溜息をもらした。
最初、ゼフェルを叩き起こすアンジェリークを見たクラスメイトはその場に凍り付いてしまった。
『雷が落ちる。』
思いっきり顰めっ面をして顔を上げたゼフェルに誰もがそう思った。
しかしアンジェリークに雷は落ちなかった。
「目が覚めた? ゼフェル。」
ニコッ…っと小首を傾げるアンジェリークの姿にゼフェルは開きかけた口をへの字に閉じたのだった。
『黄門様の印籠だ。』
クラスメイトだけでなく教師までもがそう思った。
アンジェリークは小さい頃、ゼフェルと隣同士に住んでいた幼なじみだそうだ。
父親の仕事の都合で引っ越し、またこの街に帰ってきてゼフェルと再会を果たしたのだと彼女は嬉しそうにクラスメイトに話してくれた。
そんなアンジェリークの笑顔と言う印籠は暴れん坊将軍ゼフェルですらひれ伏させてしまう威力があったのだった。
「……んー。もちっと。」
「駄目ぇ。もう予鈴が鳴るよ。起きてったらぁ。」
ぼそぼそっと呟くゼフェルにアンジェリークがしぶとくゼフェルの身体を揺する。
仕方なく顔を上げたゼフェルは壁に掛けてある時計を細めた赤い瞳で見つめた。
予鈴が鳴るまでは、まだあと5分ほど早かった。
「…んだよ。まだ5分もあっじゃねーかよ。もちっと寝かせろよ。」
「駄目えっ! このまま寝ちゃったらゼフェル絶対、授業までに頭が覚めないんだから起きてぇ。」
再び机に突っ伏そうとしたゼフェルの髪の毛をアンジェリークが引っ張る。
アンジェリークもゼフェルの寝起きが悪いのは承知しているのだ。
だからこそ、予鈴よりも早い時間に彼を起こすのだった。
「痛てて。わぁーったよ。起きてりゃ良いんだろ。起きてりゃ。」
「良かった。起きてくれて。」
諦めて身体を起こしたゼフェルにアンジェリークが安堵の笑顔を見せる。
「…ったく。」
ゼフェルはそんなアンジェリークから視線を外して小さく舌打ちしたのだった。
「ね。ゼフェル。今日、一緒に帰ろ。」
「あぁ?」
予鈴が鳴るまでの僅かな時間を利用してアンジェリークがゼフェルに提案する。
「良いでしょ。ゼフェル。お買い物付き合って。ね。」
ニコッ…と小首を傾げてアンジェリークが印籠を振りかざす。
「……別に構わねーけどよ。おめー、掃除当番じゃねーのか?」
一瞬、うっ…っと言葉に詰まったようなゼフェルが壁に貼ってある当番表を見ながら呟く。
「うん。そうだけど、待っててくれるでしょ。」
ニコニコニコ。
「…っ方ねーな。早いトコ終わらせろよ。」
「うん。」
満面に笑みを浮かべるアンジェリークにゼフェルの頬がうっすらと赤くなる。
無敵の印籠がある限り、クラスは安泰だった。