鋼の手
その国の古びたお城の一番高い塔のてっぺんには不思議な力を持った少年が住んでいました。
少年は色々な物を作り出す『鋼の手』を持っていました。
国王は少年の作り出す武器で他国の侵略から国土を守り、少年の作り出す農機具を国民に貸し与え国土を潤していました。
今の国王の何代前になるのかは少年も覚えていません。
少年の持つ『鋼の手』の喪失を恐れた国王の命により、王宮付きの魔導士が少年に年を取らない魔法をかけたのでした。
そんな国王が寿命を迎え、魔法をかけた魔導士もその生を全うして………。
年を取ることのない少年だけが1人残り、生まれ育った国のため『鋼の手』を使い続けていたのでした。
「あー。それではゼフェル。お願いいたしますねー。」
「あぁ。判った。」
王宮付きの魔導士ルヴァの言葉に少年ゼフェルが頷きます。
ゼフェルの暮らしている塔のてっぺんに来るのは国王か魔導士のルヴァだけで、他の人間にゼフェルの存在は殆ど知られていません。
「すみませんねぇ。いつもいつも無理ばかりお願いして。国王陛下もあなたの事を気にかけていらっしゃいます。あなたにかけられた魔法を解くことが出来れば良いんですけど…私では力不足のようで………。」
「気にすんなよ。ルヴァ。俺にかけられた魔法は誰にも解けなかった。あんたの師匠でも無理だったんだ。もうとっくの昔に諦めてっぜ。」
すまなそうに眉を寄せるルヴァにゼフェルが苦笑します。
ゼフェルに魔法をかけるよう命令した国王の後を継いだ新国王は、国の内外を問わず大勢の魔導士を呼び寄せゼフェルを自由にしようとしてくれました。
しかし強力な魔法に、集った魔導士達の殆どが力不足と挫折を味わったのでした。
「またそんな事を言って………。ゼフェル。私は諦めませんよ。きっと何か手がかりを見つけて見せますからね。」
「わーったよ。ルヴァ。期待しないで待ってっぜ。」
部屋を出ていくルヴァにゼフェルは軽く手を挙げます。
パタン…と扉が閉じられて、ゼフェルは視線を窓の外に移して溜息をつきました。
ゼフェルのシルバープラチナの髪が光に弾いてキラキラと輝いていました。
「………きれーい。」
「!!!」
唐突にかけられた幼い声にゼフェルが驚いて振り返ると、扉の影から幼い少女が1人、じっとゼフェルを見つめていました。
「誰だ? おめー。どうやってここに来た。」
「あのね。アンジェね。ルヴァの後をついてきたの。だってね。アンジェのお部屋からここの窓が見えるの。でね。時たまキラキラって光ってるから何かな? って。お兄ちゃんの髪の毛だったんだね。」
「部屋ぁ?」
少女に言われてゼフェルが窓の外を見回します。
ゼフェルの暮らす塔の窓から見えるのは今の国王達の住む王宮だけです。
「アンジェ…って……。おめー。ひょっとしてこの国の………。」
口の中で少女の名前を呟いたゼフェルが国王にアンジェリークと言う名の姫がいたことを思い出します。
「お兄ちゃん。どうしてこんな所に1人でいるの? あのね。アンジェね。ここには近づいちゃいけないって言われてるのよ? なのに何でお兄ちゃんはいるの?」
ととと…と近づいてきたと思ったら、緑色の大きな瞳で不思議そうに見上げられてゼフェルが頭をかきます。
「………俺は昔っからここに住んでる化け物なんだよ。」
ゼフェルの言葉にアンジェリークはビクッっと震えて後ずさりをしました。
「ここに来んなっておめーが言われてんのは俺がおめーを食っちまうからだよ。だから食われねーうちにとっとと帰れっ! 二度と来んなっ!!」
ゼフェルの一喝にアンジェリークは怯えたように逃げていきました。
「…っとに。来んじゃねーよ。余計な顔見知り、作りたくねーんだからよ。」
何人もの人間との出会いと別れを繰り返したゼフェルの寂しさを含んだ呟きが風に流されていきます。
翌日、ルヴァに頼まれた物を作っていたゼフェルの鼻に甘い香りが届きました。
「……お兄ちゃん。」
「!!!」
おそるおそるかけられた声に慌てて顔を上げると、そこにアンジェリークが大きなお皿にのった生クリームたっぷりのケーキを持って立っていました。
「……食われに来たのかよ。来んなっつったろ。」
「あ…あのね。お兄ちゃんがアンジェ食べたいのはお腹が減ってるからなの。だからこれあげる。アンジェね。このケーキ大好きで食べるといっつもお腹いっぱいになるの。お兄ちゃんもこのケーキでお腹いっぱいになったらアンジェ食べたくなくなるよ。」
「…………………………。」
震えながら…それでもフォークにケーキの塊をさして差し出すアンジェリークにゼフェルが言葉を失います。
「はい。お兄ちゃん。これでお腹いっぱいになって。」
口元にフォークを運ぶアンジェリークにゼフェルが仕方なくケーキの塊を口の中に入れます。
『甘えぇ。』
じっと自分を見つめるアンジェリークに眉間に皺を寄せたゼフェルが口の中の塊を無理矢理喉の奥に押し込みます。
「おいしいでしょ? はい。」
「……………もう良い。」
笑顔で尋ねるアンジェリークが再びフォークにケーキの塊をさして口元に持ってくるのでゼフェルは嫌そうに呟いて顔を背けました。
「何でぇ? 一口じゃお腹いっぱいにならないよ。……それとも…アンジェを食べるの?」
アンジェリークに上目遣いで見つめられてゼフェルが仕方なく口を開きます。
アンジェリークは顔を輝かせて何度も何度もケーキの塊をゼフェルの口に運びました。
「も…ホントに腹いっぱいだ。」
半分ぐらい食べたところでさすがに気分の悪くなったゼフェルが呟きます。
「お腹いっぱいになった? もうアンジェ食べない?」
「あぁ。」
「良かったぁ。じゃあアンジェ毎日、ここに来ても良いよね。」
満面に笑みを浮かべるアンジェリークにゼフェルの顔が蒼白に変わります。
「……判った。おめーは食わねーって約束してやる。来ても構わねーけど二度と食い物持ってくんな。良いな。」
蒼白の顔のままゼフェルが左手で顔を覆って呟きます。
これが『鋼の手』を持つゼフェルと王女アンジェリークの出会いでした。
「ねぇ。聞いてるの? ゼフェル。」
「あぁ。聞いてっぜ。…って、おい。んなトコに立つなよ。手元が暗くなっだろ。」
数年後、すっかり大人らしく成長したアンジェリークが出会った頃の少年のままのゼフェルに近づきます。
「だってゼフェル。ずっと何かやってて生返事ばっかりなんだもの。ホントに聞いてたの? 私が何て言ったのか言ってみてよ。」
「明後日、おめーの誕生祝いの舞踏会が開かれるって話だろ。」
手元の作業を続けたままゼフェルが呟きます。
「その後は?」
「その後……………。」
口を尖らせたアンジェリークに催促されてゼフェルが言葉を失います。
「ほら。やっぱり聞いてない。舞踏会にはゼフェルも出席してね。って言ったの。」
硬直して動きの止まった『鋼の手』にアンジェリークはウェストに手を置いて膨れっ面をして見せます。
「俺に出席しろだぁ? 冗談じゃねーよ。んな面倒なこたぁーごめんだね。」
「何でよ。私、お父様にゼフェルのこと教えて貰ったんだから。この『鋼の手』でずっと私達の国を助けてくれたんでしょ。なのにっ! その事を知らない人が多すぎるわよ。お父様とルヴァだけじゃなくて大臣なんかもゼフェルのことを知るべきだわ。」
顔をあげたゼフェルの小さな左手にアンジェリークが白い手を添えます。
「俺は…あんま大勢の人間と関わりを持ちたくねー。」
「ゼフェル………。」
顔を背けて言いたくなさそうにボソッっと呟くゼフェルをアンジェリークは抱きしめました。
「そうだったね。ごめんね。ゼフェル。何代前のご先祖様なのかは知らないけど…酷いことしちゃってホントにごめんね。」
「莫迦野郎。何も泣く事ねーだろ。それにっ! 何度も言ってっけどよ。なりはガキでもおめーより年上なんだ。ガキ扱いすんじゃねーよ。」
ぐいっ…とアンジェリークの頬を流れる涙を左手の親指で擦ってゼフェルが呟きます。
「うん。……ねぇ。ゼフェル。ゼフェルにかけられた魔法。どうやったら解けるんだろうね。」
「さぁな。…っと出来た。ほら。誕生祝いにやるからもう帰れ。」
先程までずっと手の中で作り続けていた物をゼフェルがアンジェリークに渡します。
「わぁ。素敵なイヤリング。……ありがと。ゼフェル。また来るね。」
「!!!!!」
チュッ…とゼフェルの頬に軽くキスをしてアンジェリークが部屋を出ていきます。
「…っくしょー。やっぱガキ扱いしてっじゃねーかよ。」
取り残されたゼフェルはアンジェリークの唇が触れた頬に手を置いて真っ赤な顔で呟きました。
その日からアンジェリークはゼフェルの元を訪れませんでした。
最初の内こそ舞踏会の準備で忙しいのだろうと思っていたゼフェルでしたが、10日以上もアンジェリークが顔を見せない事など今まで無かったので、さすがのゼフェルも戸惑いを隠せませんでした。
「アンジェかっ?」
コトリ…と扉の外で音がして、叫んだゼフェルの目の前にルヴァが姿を現しました。
「ルヴァ……。アンジェは…王女はどうしたんだ? また来るっつって全然来ねー。こんなに長いこと来ねー事なんて今まで無かった。」
「あの…ゼフェル………。」
ルヴァの暗い顔にゼフェルの背中に冷たいものが走ります。
「アンジェがどうかしたのか?」
「王女は…アンジェリーク様はご病気で………。」
「…んだとぉ?」
「医師団も手を尽くしたのですが手遅れで……。王女は熱にうなされながらあなたを呼んでいるんです。」
ルヴァの言葉を聞いた途端、ゼフェルは塔の階段を滑るように降りていました。
「王女の部屋は宮殿の南側です。あなたの事は王から宮殿にいる全ての者に伝わっていますから………。」
ルヴァの叫び声は走るゼフェルの背中にかろうじて届いていました。
「アンジェっ! ……………王。」
初めて入る宮殿の中は静寂に包まれていました。
ルヴァにいわれた南側の部屋に入るとベッドの脇に王が立っていました。
「ゼフェルか。……アンジェリークの願いだ。側にいてやってくれ。」
王は悲痛な面もちで呟いて後ろに下がりました。
「………アンジェ。」
枕元に近づきそっと名前を呟くと、熱にうなされていたアンジェリークがうっすらと目を開けました。
「ゼフェル。」
「…ったくよぉ。なに根性ねー事やってんだよ。」
力無く微笑むアンジェリークの耳にゼフェルがプレゼントしたイヤリングが光ります。
「ごめんね。心配かけて。」
「んなこたぁー構わねーからとっとと良くなれ。」
ぶっきらぼうに言いつつも、ゼフェルはアンジェリークの死期が間近に迫っているのを感じました。
ゾクリ…とゼフェルの身体中が恐怖に震えます。
今まで数多くの出会いと別れを繰り返してきたゼフェルにとって初めて味わう恐怖でした。
「うん。ゼフェル。手……………。」
布団の中から伸びてくるアンジェリークの真っ白な手をゼフェルは自分の小さな手で握りしめます。
「早く良くなるね。そしたらまた何か作って。この『鋼の手』で。」
アンジェリークはそう言って瞳を閉じてゼフェルの左手にキスをしたまま動かなくなりました。
「アンジェ?」
左手に感じる筈の生命の息吹を感じられず、ゼフェルがアンジェリークに握られたままの手を退けて口元に顔を近づけます。
「おいっ! アンジェっ! しっかりしろっ! 目を開けろっ!」
ゼフェルの身体中が荒れ狂うように熱くなりました。
今までも別れは何度も経験してきました。
でも今日の…アンジェリークとの別れはいつもとは全く違うものでした。
「王女………。」
「アンジェリーク。」
遅れてようやくやってきたルヴァや後ろに下がっていた王をはじめ、部屋中の者達が口々に王女の名を哀しそうに呟きます。
「死ぬな。アンジェっ! …っくしょー。死ぬんじゃねーっ!!!」
そう叫んだゼフェルの赤い瞳から銀色の涙が零れ落ちました。
この時ゼフェルは生まれて初めて涙を流しました。
「アンジェ…死ぬな。目ぇ開けろっ!」
ゼフェルの頬を伝った涙はポトリとアンジェリークの唇に落ちてスッっと吸い込まれて消えていきました。
その直後、部屋中にざわめきが起こります。
少年の姿だったゼフェルが少しずつですが成長していったのです。
アンジェリークの白い手を握っていた小さな手は浅黒い大きな手に変わりました。
「ん………。」
「アンジェっ!」
小さく身じろぎをするアンジェリークの名を呼んだゼフェルの声も少年の声ではありません。
「………あ。誰?」
「…っのとんちき野郎っ! ゼフェルに決まってっだろっ!」
パッチリと目を開けたアンジェリークに問われてゼフェルは怒鳴ります。
「えぇっ! だってゼフェル…おっきくなって………。きゃっ!」
「…っ迦野郎。」
元気に飛び起きたアンジェリークに部屋中が喜びに沸きます。
ゼフェルはそんなアンジェリークの細い身体を力一杯抱きしめていました。
「陛下。ようやく判りましたよ。」
「何がだ。ルヴァ。」
「ゼフェルの魔法が解けた理由です。」
数日後、王の御前で分厚い文献を持ったルヴァが話しました。
「我が魔法かかりし者。愛する者のために涙を流し、その者に愛された時、魔法は解けるであろう。……昨夜やっとこの文献を見つけました。ただ涙を流すと言うキーワードだけだったならもっと早く魔法は解けたでしょう。2重3重のキーワードだったために今まで解けなかったようです。」
「……成る程な。」
王はルヴァの言葉に苦笑しながら宮殿の外へと目をやりました。
ゼフェルが今まで住んでいた古い城は、ゼフェルとアンジェリークの新居となるべく現在『鋼の手』によって改築が行われているのでした。