運命の糸


 高い空の上には神様や女神様とともに沢山の天使が住んでいました。

 アンジェリークはその長い金色の髪で光を紡ぐのが役目でした。

 真っ白な翼を持ってはいましたが、光を紡ぐ役目を担った天使達は飛ぶことは出来ず、光を紡ぐ原から動くことも出来ませんでした。

 アンジェリークには同時期に生まれた仲間の天使が沢山いました。

 風を作る役目を担うゼフェルもアンジェリークと同時期に生まれた天使でした。

 本来、同時期に生まれた天使達は仲が良いのですが、ゼフェルに近づこうとする天使はいませんでした。

 それはゼフェルが鈍く輝く鋼鉄色の翼と、天使では持つはずのない血の色の瞳を持っていたからでした。

 ゼフェルと同時期に生まれた天使達だけでなく、天使の殆どが本来持つ筈のない色を持ち乱暴なゼフェルを恐れていました。

 ゼフェル自身もそんな仲間を煩わしく思っていたので気にした事はありません。

「ゼフェル。ゼフェル。」

 でもアンジェリークは違いました。

 高い空の更に高い所で風を作っているゼフェルを見つけると、いつもありったけの声を出してゼフェルを呼ぶのでした。

「……んだよ。」

「ほら。見て。少しは上手くなったでしょ。」

 キラキラと光る金色の髪を見せてアンジェリークが笑顔を作ります。

「おめーって……。ホンっト! 不器用だよな。後何年、光を紡ぎゃ上達すんだよ。」

「ひどーい。これでも皆は誉めてくれたんだよ。」

 ぷっ…と頬を膨らませるアンジェリークにゼフェルの赤い瞳が優しい色を浮かべて細められます。

 アンジェリークといる時だけ、ゼフェルは穏やかな時を過ごせるのでした。

「今日は何処に行ってたの?」

「北の大地に行って来た。天にまで届きそうな高い山があったぜ。」

「わぁ。凄いねぇ。ねぇ。そこからなら人が近くで見られたかな?」

「さすがにそこまでは無理だって。」

 決して話すのが得意ではないゼフェルでしたが、光を紡ぐ原から動けないアンジェリークのためにゼフェルは自分が見てきた世界を話して聞かせるのでした。

 ゼフェルのほんの僅かな言葉でもアンジェリークは緑色の瞳をその髪の毛よりもキラキラと輝かせて聞き入るのでした。

 アンジェリークの嬉しそうな顔を見ているとゼフェルは自分まで嬉しくなるのでした。



 平和な空の上でも争い事はおこります。

 それは神様同士の言い合いだったり、天使同士の些細な喧嘩だったりします。

 でも、今回の争いは違いました。

 闇に潜む魔の者が空へと攻め入ってきたのでした。

 男神を始めとして、雄々しき天使達が魔の者と戦いました。

 魔の者と戦うためゼフェルも空の上で風を作ります。

 ゼフェルの作った風は味方には追い風となり、魔の者には向かい風となって魔の者の侵入を拒みます。

 しかし元々、天の原にはその優しさ故に戦う事の出来ない天使が大勢いて、魔の者と戦える雄々しき天使の数が足りませんでした。

 多勢に無勢。

 魔の者達は天の原をどんどんと侵略し、とうとうアンジェリーク達のいる光を紡ぐ原にまでやってきたのでした。

「ここは俺達で何とかする。ゼフェル! 光を紡ぐ役目の天使達を頼むっ!」

 一緒に戦っていた他の天使に叫ばれてゼフェルは光を紡ぐ原に向かいます。

「………や…止めろっ!!!!!」

 上空から魔の者が動けない光を紡ぐ役目の天使達を次々と汚し引き裂いていく様を見て、ゼフェルが強風を作り出します。

「ゼフェルっ!!!」

 聞き覚えのある声にゼフェルが声のした方に視線を向けると、魔の者の1匹がアンジェリークの目の前に立っていました。

「アンジェっ!」

 その時、ゼフェルは光よりも早く空を飛びました。

「きゃあっ!」

 高く掲げた剣を振り下ろす魔の者にアンジェリークは目を瞑ります。

 ザクッ…とアンジェリークの耳に鈍い音が届きました。

 でも不思議に痛みはありません。

 暖かな何かに包まれ守られているようで、そっと目を開けたアンジェリークの目の前にゼフェルの苦痛に歪む顔がありました。

「ゼフェ…ル?」

「怪我…ねーな………。」

 コクリと頷くアンジェリークに安心したのか、グラリとゼフェルの身体がアンジェリークの前で崩れ落ちます。

「ゼ…ゼフェルっ!」

 明るくなった目の前では、魔の者が見覚えのある鋼鉄色の片翼を奪い合っていました。

「え……………。」

 アンジェリークは震えながら目の前のゼフェルを見ました。

 ゼフェルの背中、アンジェリークの大好きな悠然と空を飛ぶ鋼鉄色の翼の片方が無惨に切り落とされていました。

 アンジェリークはゼフェルに庇われ髪の毛を切られただけですんだのです。

 光を紡いでいた金色の長い髪の毛はゼフェルの血を吸って真っ赤に染まり地上へと落ちていきました。

「や…ゼフェル。しっかり。嫌だ。死んじゃ嫌ーっ!!

 悲痛な声をあげてアンジェリークがゼフェルにしがみつきます。

「ゼフェル。お願い。目を開けて。ゼフェル!」

 ポツリ…とアンジェリークの零した涙の一滴がゼフェルの血で真っ赤に染まった光を紡ぐ原の雲の上に落ちます。

 と、途端に辺りが眩い光に包まれたのでした。

 魔の者達はあまりの眩しさに自分たちの住む闇の世界へと逃げていきました。

 眩い光は傷ついた神々や天使達の傷をも癒したのでした。



「……アンジェ?」

「ゼフェル……………。」

「泣くな。」

 ふ…と目を開けたゼフェルはボロボロと大粒の涙を零すアンジェリークにゆっくりと左手を持ち上げました。

「……んだ? こりゃ?」

「あ……………。」

 左手の小指に結ばれていた赤い糸にゼフェルが怪訝そうな声を出します。

「あの…あのね。ゼフェル。それは私の髪の毛なの。」

「おめーの? だっておめーの髪は光を紡ぐ金色の……。」

 真っ赤になったアンジェリークにゼフェルは驚いたように聞き返しました。

「うん。そうなんだけど…あのね。運命の女神様がおっしゃったの。光を紡いでいた私の髪の毛がね。自分よりも私を大切にしてくれたゼフェルの血を吸っちゃったからね。『運命の糸』に変わっちゃったんだって。あの時、地上に沢山髪の毛が落ちたの。でね。地上の人達には見えないんだけど、生まれたときから自分の一番大切な人と一緒にいられる運命の赤い糸になったんだ…って。だから…これ……………。」

 言いながら更に顔を赤くして自分の左手の小指をアンジェリークはゼフェルに見せました。

 アンジェリークの左手の小指には赤い糸が結ばれていて、それはゼフェルの小指に結ばれた糸と繋がっていました。

「あの…傷、大丈夫?」

「こんぐれー何ともねー。」

 真っ赤になったアンジェリークがやはり顔を赤くしたゼフェルに尋ねます。

 ゼフェルは赤い顔のままそっぽを向いてぼそっと答えました。

「………アンジェ。ごめんな。おめーの髪の毛。守れなかった。」

 しばらくして、ゼフェルは悔しそうに呟いて綺麗に切り揃えられたアンジェリークの髪の毛に左手で触れました。

「そんな事…私よりゼフェルの方が………。」

「…んなの大したこっちゃねーよ。」

 ブンブンと大きく首を振るアンジェリークにゼフェルは一瞬だけ視線を後方に向けて苦笑しました。

「あのね。ゼフェル。私…光を紡ぐお役目から外されちゃったの。」

「…んだとっ! …痛っ。」

「だ…駄目よ。興奮しちゃ。」

 苦痛に顔を歪めるゼフェルにアンジェリークが慌てます。

「髪が伸びりゃ出来んだろ。」

「ううん。魔の者の剣で切られちゃったからもう伸びないんだって。」

「………そうか。」

「うん。それでね。新しいお役目ももう決まってるの。新しいお役目はね。ゼフェルを手伝う事なの。」

 アンジェリークの言葉にゼフェルが目を丸くします。

「ゼフェルはね。今まで通り風を作るお役目なのよ。」

「な…なに莫迦いってんだ。俺はこの通り翼の片っぽがねーんだぞ。それでどうやって風を作る。どうやって空を飛べるってんだ。」

 自嘲気味に呟くゼフェルにアンジェリークが首を振ります。

「………私がゼフェルの片翼になるの。」

「…………………………。」

「私がゼフェルの無くなった翼になるの。そしたら2人で空を飛べるでしょ。色んな所に連れて行ってね。ゼフェルが知っている所も知らない所も…全部2人で飛ぶの。」

「アンジェ……………。」

 優しく微笑みながら自分を見上げるアンジェリークの唇にゼフェルはそっと口付けました。

 それから天の原では、真っ白な2枚の翼を持つ金色の天使と鋼鉄色に鈍く輝く片翼の天使が寄り添い合うように高い空の上で風を作っていました。

 地上に落ちたアンジェリークの髪の毛は、2人の作った風に流され沢山の人達の指に巻き付きました。

 ゼフェルとアンジェリークの左手の小指に結ばれた赤い糸のように、一番大切な相手と結ばれるために。


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