4通目の手紙


「ゼフェル。手紙だ。」

 戦地で一時の休息を取っていたゼフェルの元に多数の封筒の束を持った彼の上官がやってきてその内の1通を手渡す。

「全く。貴様の女は何を考えているのか判らんな。」

 ブツブツ言いながら背中を向ける上官に聞こえないように舌打ちをしたゼフェルが既に封を切られている手紙に眉を潜める。

 戦地にいる兵士達にプライベートなど無いご時世だった。

 兵士に送られてきた手紙。兵士が送った手紙。

 そのどちらにも検閲がかけられていた。

「ふ…ん。」

 手紙の束を配っている…第一線に出る事もしない名前だけの上官を一瞥してゼフェルは封筒の中から淡い桜色の便せんを取り出した。

 誰からの手紙なのか…宛名など見なくても判っていた。

 なにしろこれが3通目の手紙なのだから………。

「……………くっ。」

 綺麗に4つ折された便せんを開いて思わず笑い声を漏らしてしまう。

 便せんいっぱい…隙間もないほどに細かく書き込まれたゼフェルの名前。

『ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。……………。』

「…ったく。またかよ。あの莫迦。」

 彼女がどんな想いでこの手紙を書いたのか想像して苦笑する。

『ゼフェル元気? ゼフェル大丈夫? ゼフェル怪我してない? ゼフェル…会いたいよ。ゼフェル早く帰ってきて。』

 名前の裏に隠された彼女の想いがゼフェルの胸を締め付ける。

 会いたい気持ちは彼自身も同じなのだった。

 自分の名前しか書かれていない手紙を胸ポケットに入れて右腕に視線を落とすと、彼女から贈られた腕時計がチッチッチッと小気味の良い音を立てて時を刻んでいた。

 立ち上がり物資輸送担当者達の集まっているテントへと向かう。

 用事を済ませてテントを出たゼフェルに第一線への進軍の命が下る。

 数名の仲間と共にゼフェルは第一級戦闘地域へと赴いていった。



「嘘……………。」

 ゼフェルの戦死の知らせを聞かされたアンジェリークが呆然とする。

「信じたくない気持ちは判るが事実である。これが彼の持ち物だ。」

 軍からの使者はそう言って、天涯孤独の身の上のゼフェルの遺品を恋人のアンジェリークの目の前に置いてその場を立ち去っていった。

 ガラスの割れている…見覚えのある腕時計をそっと手に取り耳にあてる。

 時計はしんと静まり返ったまま何の音も立てはしなかった。

 文字盤に付着した泥を指で落とすと時計の止まってしまった日付がはっきりと見て取れる。

 所々こびりついているどす黒いもの…これは彼の血なのだろうか?

「……………。」

 アンジェリークは声も立てずに泣いた。

 戦死した者を嘆き悲しむ事すら…今のご時世では出来ない事なのだった。

 それから1週間後。

 アンジェリークの元に1通の手紙が届いた。

 うす汚れてボロボロになっていたが、その封筒には見覚えがあった。

 大急ぎで封を開けて中身を取り出す。

 黄ばんだ便せんの真ん中にたった一言だけ書かれている文字。

 彼女の名前……アンジェリーク。

「ゼフェル……………。ば…莫迦。莫迦。ゼフェルの莫迦。どうして…どうしてあと1週間頑張ってくれなかったのよぉ。莫迦莫迦莫迦〜。」

 アンジェリークは大声をあげて泣いた。

 わずか昨日の事なのだ。

 これ以上の戦闘は互いに無益として双方で和平が結ばれたのは。

 なんにしてもアンジェリークが哀しみを表すのに、もう何の遠慮もいらなかった。



「本当に宜しいのですか?」

 1年後、修道院の前に立つアンジェリークに尼僧長が問いかける。

 平和な時代が訪れると、世話好きな近所の者がいつまでも1人でいるアンジェリークにいくつもの縁談話を持ちかけた。

 しかしアンジェリークはそのどれにも首を縦に振らず修道院の門を叩いた。

 アンジェリークの心は修道院へ入り一生ゼフェルに祈りを捧げる事で既に決まっていたのだった。

 しかし闘いで大切な人を失い一時の感情だけで修道院の門を叩く女性が多いらしく、尼僧長は1年経ってそれでも気持ちが変わらなければ…と諭してアンジェリークを帰した。

 そして1年が過ぎて…アンジェリークは再び修道院の門を叩いたのだった。

「お気持ちは変わってないんですね?」

「はい。」

「一度この門をくぐると二度と外へは出られませんよ? それでも………。」

「良いんです。宜しくお願いします。」

 ペコリと頭を下げるアンジェリークに尼僧長は小さく息を漏らして修道院の扉を大きく開けた。

「アンジェ!!!」

 後ろからの…聞こえる筈のない懐かしい呼び声に歩き始めたアンジェリークの足が止まる。

 恐る恐る振り返ったアンジェリークの目に太陽を背にした懐かしいシルエットが映った。

「それ以上、動くなっ!」

 黒いシルエットは怒鳴りつけるように叫んで足を引きずりながら一歩一歩ゆっくりとアンジェリークに近づいていった。

「ゼ…フェ……………。」

 アンジェリークは自分の頬を大きな手で挟むゼフェルを大きな瞳を見開いて見つめた。

「遅れて悪かった。ドジって1年動けなかった。」

「ゼフェ………。」

 苦笑するゼフェルにアンジェリークの顔がくしゃくしゃに歪む。

「莫…迦……。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。」

 アンジェリークはゼフェルにしがみついた。

 自らが便せんになったように4通目の手紙を言葉にしてゼフェルに送る。

「……………アンジェリーク。」

 便せんになってしまったアンジェリークをゼフェルと言う名の封筒が包み込んで彼女に4通目の返事を送る。

 修道院の扉が2人の後ろでゆっくりと閉められていった。


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