ハレノクニヘユコウ
初めてゼフェルと会ったのは5歳の時だった。
家の近くの公園で私は傘もささずに立っているゼフェルを見つけた。
濡れるのも構わず空を見上げたままの…ゼフェルの赤い瞳から頬へと雨の滴が涙のように伝っていた。
「ねぇ。どうしたの?」
「…んでもねぇ。」
突然傘を差し出して尋ねた私にゼフェルは声を掠れさせて答えた。
「濡れたままだと病気になっちゃうってママが言ってたよ?」
「……………。」
空を見上げたまま黙り込んでしまったゼフェルの隣りに私もずっと立ち続けた。
どのくらいしてからだろう。
ハァっと息を吐いたゼフェルが頭を振って私を初めて見た。
「何か…用でもあんのか?」
「えっ? うん。お友達になりたいなって。ほら。あそこの赤いお屋根が私のおうちなの。あなたは?」
「……………その隣の緑の屋根だ。」
「わぁ。お隣に引っ越してきたのってあなたなんだ。私…アンジェリークって言うの。宜しくね。ええっと……………。」
「………ゼフェルだ。」
「宜しく。ゼフェル。あの…お友達になってくれる?」
「……………おう。」
「うわーい。約束だよ。ゼフェル。」
指切りをするように小指を出してゼフェルの小指と絡ませた。
ゼフェルがお母さんと離れて暮らすことになったあの日。
それが私とゼフェルの出会いだった。
いつも…雨が降るとあの時のことを思い出す。
そして、もしかしたらゼフェルが泣きたいくらい辛い思いをしているんじゃないかって心配になる。
昨日、ゼフェルのお父さんが工場で事故にあったのも心配の一つ。
ゼフェルは大丈夫だろうか?
この雨の意味は一体……………。
心の中の心配事を振り払うようにシャッとカーテンを引いて私は雨の音を聞きながらベッドに潜り込んだ。
どのくらい時間が過ぎただろう。
ふと…何かに呼ばれたように私は目を覚ました。
外からは相変わらず雨の音だけが響いている。
何だろう…胸がざわざわ言っている。
胸騒ぎがしてベランダに通じる窓のカーテンを開けた私は悲鳴を飲み込んだ。
ベランダに…白いパーカーを着たゼフェルがびしょ濡れの姿で立っていた。
いつもの生気溢れる赤い瞳は輝きを失って…ゼフェルは窓ガラスに額をつけるようにして静かに立っていた。
「ゼフェルっ!」
慌てて窓を開けて手を取るとゼフェルの手は冷たくて…長い間、雨に濡れていたことが判る。
「早く…中に入って。こんなに冷たくなって………。」
タオルを取りに行こうとした私の手をゼフェルが強く握り返した。
「ゼフェ……?」
振り返る間もなくゼフェルに引き寄せられて唇を塞がれる。
パンッ!
突然の口付けに驚いてゼフェルの頬を叩いてしまった私の心の中でもう一人の私が『駄目よ』と諭す。
こんな…精神状態がボロボロなゼフェルを突き放しちゃ駄目……と。
横を向いたまま動かないゼフェルの頬を一筋の水が伝った。
「ゼフェル………。」
そっとゼフェルの頬に手を伸ばして頬を伝う水の雫を指ですくう。
冷たい雨の滴とは明らかに違う…温かい雫だった。
「ゼフェル…私が判る?」
「…ア……。」
ゼフェルの頬を両手で挟んで下から見上げる私の目の前でゼフェルの唇が私の名前を形作る。
「そうよ。アンジェリークよ。ちゃんと言って。私の名前。ここにいるから。」
「アン……。」
苦しそうに辛そうに哀しそうに…眉間に皺を寄せてゼフェルが言葉を紡ぐ。
私は堪えきれずにゼフェルをぎゅっと抱きしめた。
背伸びをして未だ震えているゼフェルの唇に今度は私から口付ける。
冷たい唇とは対照的な熱い舌を自分から絡める。
そのまま濡れるのも構わずにベッドに倒れ込んだ。
拒めなかった。拒みたくなかった。
「ゼフェル……。」
私の素肌の上に冷たい指先を滑らせるゼフェルが名前を呼ばれてピクリと震えるように動きを止める。
「良いの…よ。あなたの心に出来る隙間。全部、私が埋めてあげるから。」
ゼフェルの首に手を回して耳元で囁くように呟く。
「アン…ジェ………。」
ようやく名前を言ってくれたゼフェルに私の方が泣き出してしまった。
「………泣くな。」
舌で私の涙をすくいながらゼフェルが掠れた声で呟く。
「良いの。これはゼフェルの涙だから。私がゼフェルの代わりに泣いてあげる。もうゼフェルが…雨に濡れなくても良いように。私が泣くの。だから…雨に濡れるような事はもうしないで。ね。」
涙を浮かべたままの顔でゼフェルに微笑む。
何とも言えない複雑な表情でゼフェルが赤い瞳を細める。
「アンジェ………。」
甘えるように私の胸に顔を埋めるゼフェルの頭をかき抱く。
雨はいつの間にか止んでいた。