Zの夢


「おーい。マル。何処だ? マル?」

 買ったばかりの真っ青なスニーカーを履いた俺はマルを探していた。

 マルって言うのは俺が飼っている猫の名前で…かなりな年寄り猫だった。

 俺がマルを飼う事になった経緯は今でも笑い話のようにお袋の口から語られる。

 曰く『ドライバーさえ持たせとけば他は何も欲しがらないあんたがマルだけは飼うんだ飼うんだってそりゃ大騒ぎだったんだから』だそうだ。

 全く記憶には無いがそうだったらしい。

「何だ。マル。んなトコにいたのかよ。ほら。見て見ろよ。この間、教えたスニーカーだぜ? どうだ? 似合うか?」

 扉の影からのっそりのっそり出てきたマルに俺はスニーカーを履いた足を突き出す。

 マルはフンフンとスニーカーの匂いを嗅いで俺の足にシッポを絡めて身体をすり付けた。

 こいつがこんな風に身体をすりつけるのは腹が減った時と甘えている時…それと俺が見せた物を気に入った時だった。

「そっか。マルも気に入ったか。へへへ。バイト頑張ったかいがあったぜ。」

 鼻の下を指で擦りながら自分で感心してしまう。

 俺はどちらかと言うと堪え性のない方で…他人に命令されるのは大嫌いだった。

 だけどそれ以上に親父やお袋の財布をあてにするのが嫌いだったから、欲しい物は自分で稼ぐしかなかった。

 工場でのクズ鉄拾いは油臭せぇし汚れも半端じゃねーし指も傷だらけになる。

 毎日毎日、今日こそ止めてやるって思った。

 でもマルにじっと見られていると明日も頑張んなきゃなんねーって気になる。

 マルは俺にとって大切な奴だった。

「どうした? マル。元気ねぇな?」

 おっくうそうに座り込んだマルをヒョイっと持ち上げる。

「ん? マル。おめー、ちょっと重くねぇか?」

 ずっしり重い感触に思わずからかうような口調になる。

 俺の言っている事が判んだよな。こいつ。

 すっげームッとしたツラしやがる。

「悪かったって。んなムッとしたツラすんなよ。………そーいや、おめーももういい年なんだよな。マル。長生きしろよ。」

 マルの瞳を覗き込むように額をつける。

 判っている。

 猫の方がずっと短命だって事は。

 だけど俺はマルに長生きして欲しかった。

 ずっと側にいて欲しかった。

 そんな風に思えるのはマルだけだった。

「マル。長生きしろよ。その為ならシッポが2本になったって9本になったって構わねーからな。」

 化け猫になったって構わねー。

 本当にそう思っていた。

 こいつは…マルはずっと俺の側にいてくれると思っていた。

「……………マル?」

 突然背中の毛を逆立ててマルの身体が重みを増す。

「どうした? マル? ……マルっ!!」

 ぐったりと力を無くしたマルの身体を俺はユサユサと揺すった。

 だけどマルはぐったりとしたままだった。

「マルっ! おいっ! しっかりしろよ。てめー。俺が長生きしろっつったろ?」

 判っている。

 これは俺の我侭だ。

 だけど…ちくしょー。

 マルっ! 逝くなっ!

「マル……………。」

 情けねーけど目が潤んで鼻の奥がつーんとする。

 そんな俺に勝ち誇ったような顔をしていたマルが前足を伸ばした。

『私ゃ結構、幸福者でしたよ。ご主人に拾われて。』

 生まれて初めてマルの声を聞いたような気がした。

 俺の頭を撫でていたマルが瞳を閉じる。

 俺の大好きだったマルの緑の瞳は永久に閉ざされてしまった。



「マル……………。」

「ゼフェル様?」

 呼ばれてうっすらと目を開いた俺の真上に緑色の瞳があった。

「マル…なんだ。おめー。こんなトコにいたのかよ。」

 そっと手を伸ばしてマルの頬を撫でた…らマルは真っ赤に頬を染めた。

「…………………………!!! ア…アンジェリーク?」

 マルとの感触の違いに飛び起きる。

 キョロキョロと辺りを見回して…俺は夢を見ていた事に気付いた。

「あの…ごめんなさい。お休み中に。何だかうなされてたみたいだったから……。怖い夢だったんですか?」

「いや……。」

 心配そうなアンジェリークに短く言って首を振る。

 マルとの事は…懐かしすぎて辛かった。

「あの…ゼフェル様? あの…ね。……………マル…って誰?」

 ちょっと口を尖らせたアンジェリークが遠慮がちに聞いてくる。

 こいつ…何か勘違いしてんな。

「マルってのは俺が飼ってた猫の名前だ。……………そーいや…アンジェリーク。おめーの目の色ってマルと同じなんだな。」

「ゼフェ……………。」

 アンジェリークの頬に手を置いてそっと顔を近付ける。

 真っ赤な顔をしたアンジェリークの瞳が緑色に揺れる。

『マルの代わりに…今度はこいつがずっと俺の側にいてくれるんじゃねーか。』

 いつの間にか俺はそう思えるようになっていた。


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