スイッチ
「お父さんの莫迦。もう嫌い。」
突然の引っ越しで、私は新しい家を飛び出して見知らぬ街を一人歩いていた。
「君。君。ちょっと………。」
黒縁メガネの真面目そうなおじさんに声をかけられて足を止めようとした私は、突然腕を掴まれてもの凄い力で後方へ引っ張られた。
腕を掴んでいるのは同い年くらいの銀髪の男の子。
制止の声をあげるおじさんを無視して私を引きずるように走り続ける。
おじさんの姿が完全に見えなくなって男の子はやっと止まってくれた。
「離してよ。何なの? あなた。」
「それは俺のセリフだ。補導員に呼び止められて立ち止まる奴がいるかよ。」
振り返った男の子の真っ赤な瞳を呆然と見つめる。
補導…員……って事はつまり……………。
「あ…ありがとう。」
「ふ…ん。」
自分が助けて貰った事を理解してお礼を言うと、男の子は照れくさそうに横を向いてしまった。
「おめー。見ねぇ顔だけど…学校は?」
「あ…私はこの街に今日引っ越してきたばかりなの。あなたこそ学校に行ってる時間なんじゃないの?」
「休みなんだよ。……………ちょっと待ってろ。」
「えっ?」
ボソッと呟いた男の子は私を置き去りにしてどこかに行ってしまった。
「待ってろって………。どうしよう。」
オロオロしてたらさっきの男の子が自転車に乗って戻ってきた。
「乗れよ。この街を案内してやるから。」
「えっ? でも………。」
「さっさと乗れっ!」
怒鳴られてビクッと身体を硬直させて自転車の荷台に腰掛ける。
男の子の腰に手を回してしがみつくと、自転車はシャーっと小気味よいチェーンの音を響かせて走り始めた。
男の子は街中を案内してくれた。
彼が通っている学校。近くの浜辺。大きな遊園地。
私は何だかすっかり楽しくなってこの街が好きになった。
「ねぇ。」
「何だ?」
「どうしてバイクじゃないの?」
「あぁ?」
ペダルをこぐ男の子に後ろから声をかける。
「だって…ちょっと不良っぽい男の子の乗り物って言ったらやっぱりバイクなんじゃないのかな? って思ったんだもの。」
「…んだよ。その不良っぽいってのはよ。……先週コケて修理中なんだよ。」
「あはは。やっぱり持ってるんだ。」
「…ったく。笑ってろ。」
男の子の腰に手を回したまま彼の背中に額をつけて笑った。
最後に男の子は街を一望できる小高い丘に連れていってくれた。
「今日は楽しかった。お陰でこの街を好きになれたみたい。ホントにありがとう。」
「そっか。良かったな。家まで送らなくて良いのか?」
「うん。大丈夫。……あっ! ねぇ。また…会えるかな?」
「縁があったらな。」
パチン…と男の子が片目を瞑ってウィンクする。
トクン…と胸が鳴って自転車で去っていく後ろ姿を私はずっと見つめていた。
彼のお陰で大好きだと思っていた先輩の事をずっと忘れていられた。
彼のせいで先輩への想いが本当はただの憧れだったんだって判ってしまった。
「………あ。名前…聞くの忘れちゃった。」
気付くのが遅すぎた事実に呆然とした私が家に戻ったのは周りが茜色に染まる頃だった。
家に帰った私はお父さんとお母さんと3人でお隣の家にご挨拶に行った。
お隣の家のおばさんは旦那さんと息子さんがいるけど二人共出掛けていると教えてくれた。
そのまま大人達の会話が始まったので私は家に戻ろうと歩き出した。
「おめー…俺んちで何してんだ?」
庭を出たところで昼間の銀髪の少年と出会った。
俺んち…って……………。
「あの…私の家……。お隣なの。」
「…………………………。」
男の子の赤い瞳が驚きで丸くなる。
もう一度出会えた嬉しさで私の心臓は爆発寸前だった。
「ゼフェル〜。帰ってきたの?」
「おー。」
家の方からおばさんに大きな声で呼びかけられて男の子が返事を返す。
ゼフェルって言うんだ……名前………。
「あの…私、アンジェリークって言うの。これから宜しくね。それじゃ。」
「あっ! おいっ! アンジェ。」
彼の声でアンジェって言われて心臓が大騒ぎをおこす。
爆発寸前なんだからそんなにドキドキさせないで………。
「なに?」
「週末までに修理終わらせとくからよ。遠乗り行こうぜ。バイクで。な。」
パチン…と彼が赤い瞳の片方を閉じる。
ボンッ!!!
爆発寸前だった心臓がとうとう爆発してしまった。