誤解が解ける


「ゼフェル様、遅いなぁ。どうしちゃったんだろう?」

 ランチの入ったバスケットを持ったまま、公園内の約束の木の下で待つこと早2時間。

 どんなに首を長くして見ていても、入り口の方からお目当ての人物がやってくる気配はない。

 女王候補のアンジェリークは、既に何度目になるのか判らない溜息をついた。

「忘れられちゃったのかなぁ。」

 悲しげにポツリと呟く。

 鋼の守護聖ゼフェルのことが好きだった。

 何時から? と問われると返答に困ってしまうのだが、いつの間にかゼフェルしか目に入らなくなってしまっていた。

 自覚してしまうと黙ってられない性分で、湖に誘ったときに思い切って告白してみた。

 女性に興味を示さないゼフェルのことだから、当然玉砕するだろう…と、覚悟の上での告白だった。

 でも、そんな風に考えていたアンジェリークの身の上に、信じられない出来事が起きた。

 玉砕どころの話ではない。

 ゼフェルも同じ気持ちをアンジェリークに対して持っていてくれたのだった。

 互いの気持ちを確かめ合い、初めてのぎこちない口付けを交わして別れた後、アンジェリークは女王補佐官のディアの元に、ゼフェルは大地の守護聖ルヴァの所へ、それぞれ自らのことを相談しに行った。

 アンジェリークとゼフェルからの報告を受け、聖地にいる女王やディア、そして在位年数の長い三人の守護聖達が話し合い、次代の女王はもう一人の女王候補ロザリアとし、アンジェリークは女王補佐官として聖地に残ることが決定され、試験も終了することとなった。

 しかし、アンジェリークが導いていた大陸エリューシオンとその民達はまだまだ発展途上で、導く者を必要としており、今の状態のままで試験を中断すると導く者を失った民達が混乱し、取り返しのつかない事態になりかねなかった。

 そのため、他の守護聖達には二人のことを内密にして、大陸の育成を続けることとなった。

 そして、エリューシオンの民達が導く者を必要としなくなった段階で、二人のことを公にしようと言うことになったのだった。

 その事をルヴァとディアのそれぞれから聞かされたゼフェルとアンジェリークは、これまでに見られなかったくらい真面目に、今まで以上に真剣に、大陸の育成に励んだのだった。

 その結果、二人は逢う機会に恵まれず、ずっと逢えずじまいになってしまっていたのだった。

 しかしいくら大陸を早く安定させたい一心とはいえ、逢えない時が長く続くとやはり寂しくなるもので、我慢できなくなったアンジェリークは手紙の精霊に頼んでゼフェルの元に手紙を書いたのだった。

 逢いたい…と。

 すぐさまOKの返事をゼフェルから貰ったアンジェリークは、嬉々として壁に掛けてあるカレンダーに大きな花丸を付けた。

 その日からアンジェリークは毎日カレンダーを眺めて、ゼフェルが指定してきた日が来るのを指折り数えて待っていたのだった。

 そしてやってきた約束の日。

 早起きしてゼフェルの好きな物を沢山作り、アンジェリークは待ち合わせ場所で待っていたのだった。

「私…読み間違いしたのかなぁ。だけど…ゼフェル様が言ってきたの、この場所だったよね? 待ち合わせ場所、間違ってないよね? ………あ。」

 あまりにも来ないゼフェルに不安になったアンジェリークが、手紙の内容を確かめるために寮へ戻ろうとした時、公園の入り口にようやくゼフェルの姿を見ることが出来た。

「………うそ。」

 笑顔になりかけた顔が一瞬にして凍り付く。

 ゼフェルは一人ではなかった。

 ロザリアと一緒だったのである。

「あら。アンジェリーク。あんた、こんな所で一人でなにをしているの?」

「……よぉ。アンジェリーク。珍しいな。おめーがいつもと違うカッコしてんなんてよ。」

 物珍しいものを見たかのように、ゼフェルの視線がアンジェリークの身体の上を何度も往復する。

 当然である。

 待ちわびたゼフェルとのデートの日。

 アンジェリークは一生懸命おめかしをしたのである。

「どなたかと約束でもしているの? ……ゼフェル様。お邪魔しちゃ悪いから、私達も行きましょう。」

「あ…あぁ。」

 ロザリアに腕を取られて去っていくゼフェルの姿を、アンジェリークは呆然と見つめていた。

『ゼフェル様…私との約束。忘れちゃったの? それとも湖でのあの言葉は………。』

 見つめ続けていたゼフェルの姿がぼんやりと霞む。

 アンジェリークは滲み出る涙を振り払うように、寮へ向かって走り出した。

 部屋に戻ったアンジェリークは、そのままベッドに突っ伏して泣き出してしまった。

「バカバカバカ。ゼフェル様のバカ〜。」

 枕に顔を埋めながら、くぐもった声で呟く。

 そのまま、まんじりともしないで一日が過ぎてしまった。

 翌朝、アンジェリークがベッドの上でぼんやりとしていると、チャイムの音が部屋に響いた。

『もしかして…ゼフェル様?』

 アンジェリークは慌てて立ち上がると、泣き腫らしてむくんでしまった頬を両手で軽く叩きながら、訪問者を招き入れた。

「やぁ。アンジェリーク。良かったら今日は俺と一緒に過ごさないかい?」

 しかしアンジェリークの予想を裏切って、やってきたのは風の守護聖ランディだった。

「ランディ様。あの、私。今日は………。」

「どうかしたのかい? アンジェリーク。何だか目が赤いみたいだけど?」

「いえ…別に………。」

「………判った。ホームシックになったんだろ? だったらアンジェリーク。外に行こう。部屋に一人でいるより、公園で思いっきり身体を動かした方が良いよ。こんなに良い天気なんだからさ。」

 落胆して俯いてしまったアンジェリークの赤い瞳に気付いたランディが、一人で納得してアンジェリークを外に連れ出す。

 気乗りしないままランディについていくと、昨日アンジェリークが待っていた場所に、今日はゼフェルが立っていたのだった。

「やぁ。ゼフェル。珍しいな。お前がこんな所にいるなんて。」

「…んで、おめーがこいつといるんだよ?」

「何で…って、デートに決まって………。」

「おめーに言ってんじゃねーよっ! アンジェリーク! どうゆうこったよ? これはよっ!」

 ゼフェルの姿を見つけてからずっと顔を上げられなかったアンジェリークの頭に、ゼフェルの怒ったような声が響く。

「どういう事だって聞いてんだよ。俺はよっ! 何でおめーはランディ野郎なんかと一緒にここにいるんだよ。えぇっ! どうだってんだよっ! おいっ!」

「止せっ! 止めろよ。ゼフェル。」

 顔を上げないアンジェリークの腕を掴むゼフェルを、ランディが制する。

「おめーには関係ねーだろっ!」

「そう言う訳にはいかないぞ。彼女は今日、俺と一緒に過ごすんだからな。」

「そう言う話は永久に俺が先約なんだよっ!」

『えっ!』

 険悪な空気の中、それでも確かに聞こえたゼフェルの言葉に、アンジェリークが驚いたように顔を上げる。

「ほれっ! これが証拠だっ! おめーは来いっ!」

 目の前にいるランディにポケットから取り出した封筒を押しつけて、ゼフェルがアンジェリークの腕を掴んだまま歩き出す。

 引きずられるように歩くアンジェリークが後ろを振り返ると、ランディはゼフェルに突き出された封筒の中身を呆然とした表情で見つめていた。

『あの封筒って…まさか………。』

 見覚えのある封筒に、アンジェリークは混乱した。

 あの封筒はどう見ても、自分がゼフェルに出した手紙を入れた封筒にしか見えなかった。

 あの封筒をゼフェルが持っていた。

 と言うことは、ゼフェルも自分とのデートを楽しみにしていたのだろうか?

 ならばどうしてゼフェルは昨日、ロザリアと一緒だったのだろうか?

 どうして今日、ゼフェルは待ち合わせ場所に立っていたのだろうか?

 そして何故、こんなにも怒っているのだろうか?

『あぁ。もう、何が何だか判らない。』

 混乱したままの状態で、引きずられながらアンジェリークは寮の自室に連れ戻される。

「で? 説明して貰おうじゃねーか。」

 アンジェリークの腕を掴んでいた手の力をほんの少しだけ緩めて、ゼフェルが尋ねる。

「昨日は誰とデートだったんだよ? えっ? 見たこともねーようなカッコしてよ。」

「え…だ、だって………。」

「だってじゃねーよ。俺に判るように説明しろよな。あの手紙は何だよ。逢いてぇなんて嘘ばっかじゃねーか。それとも俺が好きだっつーのも嘘だったんかよっ!」

 僅かに顔を赤くして怒鳴るゼフェルの言葉に、アンジェリークは慌てた。

「待って。ゼフェル様。私ね。ゼフェル様からお返事頂いて、ちゃんとカレンダーに丸付けておいたんですよ。ほら。あそこ。」

 壁を指さすアンジェリークに、ゼフェルも視線をカレンダーに移す。

「ね。ちゃんと印が付いてるでしょ。昨日、待っていたのにゼフェル様の方が来なかったんですよ?」

「待てよ。アンジェリーク。何で水の曜日に印が付いてんだよ。俺が指定したのは木の曜日。今日だぞ。」

「ええっ!」

 ゼフェルの言葉に、アンジェリークが素っ頓狂な声を上げる。

「水の曜日、って書いてありましたよ?」

「いいや。木の曜日だ。」

 互いに一歩も引かず、水だ木だと言い合いが始まる。

「だーっ! 埒があかねーっ! おい。アンジェリーク。俺がおめーに出した手紙はどこだ?」

「えっ? あの…ゼフェル様からの手紙なら、手紙の精霊さんに預かって貰ってますけど。」

「…んだとぉ。チッ。おめーが持ってろよな。………やいっ! 出てきやがれ手紙の精霊っ!」

 あまりにも埒があかないので、自分が出した手紙の内容を確かめるために所在を尋ねたゼフェルが、アンジェリークの答えに短く舌打ちをして、手紙の精霊が待機する机の上をガツンと殴る。

「俺が出した手紙。おめーが持ってんだって? 出せよ。おらっ!」

 慌てて出てきた手紙の精霊は、ゼフェルの迫力に押され怖々と手紙を差し出すと、そそくさと消えていった。

「………ゼフェル様?」

 無言で自分の手紙を見つめるゼフェルに、アンジェリークが遠慮がちに声をかける。

「……あのな、アンジェリーク。俺はこれでも木の曜日って書いたつもりなんだぜ。」

 ばつが悪そうにそっぽを向いて、ゼフェルが手紙をアンジェリークに見せる。

「えぇっ! だってゼフェル様。これってどう見ても水の曜日にしか………。」

 渡された手紙を受け取ってアンジェリークが呟く。

 どうやら今回の騒動は、ゼフェルのかなりなくせ字が原因だったようである。

「悪かったな。読めねー字でよ。俺ゃあ昔っから、手先は器用なのに字が不自由だって言われててよ。」

 叱られて不貞腐れた子供のように口を尖らせて、ゼフェルが呟く。

 ゼフェル自身、今回は自分の書いた文字が原因だったと認めているようだった。

「ううん。良いんです。でも良かった。私の勘違いで。もしかしてゼフェル様とは駄目になっちゃったんじゃないかなって、思ってたから。」

「…ったく。んなコト、ある訳ねーだろ。」

 アンジェリークの安心しきったような言葉に、ゼフェルがぶっきらぼうに呟く。

「そうですよね。だってゼフェル様。私が出した手紙。あんなに大切そうに持っていて下さったんですものね。ずっと持ってて下さったんですか?」

「…っか野郎。誤解すんじゃねーよ。ありゃあ、たまたまだ。たまたま。」

 素っ気ない返事を返すゼフェルだったが、アンジェリークには判っていた。

 誤解でも何でもなく、自分が出した手紙をゼフェルがとても大切にしていてくれたことを。

 なにしろゼフェルは耳だけでなく、首筋まで真っ赤にさせていたのだから。


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