自制の泉は永遠に


『東の森を真っ直ぐに進むと大きな洞窟がある。その奥深くにある美しい泉に辿り着くことが出来れば、水に困ることは無くなるだろう。』

 これは俺の村に代々伝わる言い伝えだ。

 何でも大昔、村の井戸が長引く日照りに干上がって困っていたら、旅の占い師がフラリとやって来て、そう占っていったそうだ。

 村の東に広がる森のことを知らない奴なんて、この村にはいない。

 誰もが占い師の言葉に笑った。

 何しろ森の中には洞窟が出来そうな場所が無ぇからな。

 だけど、溺れる者は藁をも掴む…って言うのか?

 当時の村長は占い師の言葉に従い、村の男を三人指名して森に向かわせたそうだ。

 森の中で三人は酷ぇ霧に包まれて、二人はその日の内に村に戻って来れたが、残りの一人は数日後に森の中で倒れているのを発見された。

 肝心の村の井戸は…ってーと、三人が出掛けた翌日から湧き出るようになったらしい。

 結局のところ、泉のある洞窟が見つかったのか見つからなかったのかは判らねぇままだ。

 何せ、森の中で倒れていた男は村を出てから数日間の記憶を失っていた…と、伝えられているからな。

 とにかく俺の村は今、そんな不確実で怪しい言い伝えに頼らなくてはならない程、深刻な水不足に陥っていた。

「マジかよ。ジイさん達。あんた等、頭がどうにかなっちまったんじゃねーのか?」

 がん首揃えて俺の家にやってきたジジイ共に、思わず悪態をついてしまう。

 そりゃあ俺だって生まれ育った村だ。

 なんとかしてぇとは思う。

 だけどその方法はもっと別にある筈だ。

 そんな俺の考えとは裏腹に、ジジイ共の面はどいつもこいつも切羽詰まったような色を浮かべている。

 どうやら策は完全に尽きているらしい。

「………判ったよ。」

 溜息混りに答えると、ジジイ共の顔が一斉に安堵の色を浮かべる。

 出発は明日の朝だと村長が俺に告げ、ジジイ共はゾロゾロと家を出ていった。

 そして嫌になるぐらい快晴の翌朝。

 俺を含めた三人は村中の人間に見送られて、森の中に入っていった。

 小一時間も歩いただろうか?

 目の前に真っ白な霧に包まれた異様な空間が広がっていた。

 俺達三人は互いに顔を見合わせて頷いた後、ゆっくりと霧の中に入っていった。

 十センチ先すら見えない深い霧に俺は二人を見失い、真っ白な霧の中を歩き続けて方向感覚まで失った。

 しばらくして霧が薄くなってきたと思ったら、でっかい洞窟がぽっかりと口を開けて目の前に姿を現した。

「……………マジかよ。」

 俺は一瞬、言葉を失った。

 森の中のことは知り尽くしているつもりだった。

 言い伝えそのままに洞窟があるとは思っていなかった。

「洞窟の奥の泉に行けば水には困らねぇ…か。どうやんのかはしんねーけど、行くしかねーか。」

 ふうっ…と息を吐いた後、村のあるだろう方角を見つめてから洞窟に近づく。

「…んだぁ? こりゃあ?」

 洞窟脇の立て看板に、俺は素っ頓狂な声を上げた。

「なんで、んなトコに看板なんてあんだ? えーと。なになに…中に入っていく者へ。お前の自制心一つで全てが決まる。アンジェリークに決して触れてはいけないよ。………はぁ? なんだ。これ? 訳わかんねーな。」

 奇妙なことが書いてある立て看板に頭をかきながら、俺は洞窟の中に入っていった。

 暗闇に少しずつ目を慣らしながら壁づたいを奥に進んでいくと、遙か先に一点の光が見えた。

「だからなんで、んな洞窟の中に扉があんだよっ!」

 一枚の扉を目の前に、思わず怒鳴ってしまう。

 この先は行き止まりで、どうやらこの扉の向こうが目的の泉らしい。

「………邪魔するぜ。」

 取りあえず、一言断って扉を開ける。

 扉の向こうには、洞窟の中とは思えないほど明るい部屋が広がっていた。

「どこにも泉らしいモンは無ぇじゃねーか。それにこのベッドは何だぁ?」

 どう見ても人が生活しているらしい空間に首を捻る。

 奥の方にも部屋があるのを見つけて行ってみると、部屋の真ん中にでっかい水がめが置いてあった。

「でけー水がめ。………空っぽだな。」

「ゼフェル?」

 水がめの中を覗き込んでいたら、俺の名前を呼ぶ女の声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、金色の巻き毛をフワフワと揺らした女が一人、緑色のでっかい目をキラキラと輝かせて立っていた。

「おめぇは………! なっ…なんちゅーカッコをしてんだよっ! おめぇはっ!」

 顔の下に視線を動かして、俺は慌てて後ろを向いた。

 女は薄い布を身体に巻き付けているだけだった。

「ゼフェル? どうかしたの?」

「だ〜っ! 来んなっ! おめぇには羞恥心ってもんがねーのかっ!」

「羞恥心?」

 近づいてきそうな気配に怒鳴ると、不思議そうな問いかけが聞こえてくる。

『マジかよ。この女。』

 どうやら女は羞恥心という言葉を知らないらしい。

「ゼフェル。あのね。」

「ちょ…ちょっと待てっ! ………ついて来いっ!」

「う…うん。」

 戸惑う女に、俺は最初の部屋に急いで戻った。

「これを身体に巻けっ! それを身体に巻いてからじゃねーと、落ち着いて話が出来ねーんだよっ!」

「えっ? あ…うん。」

 ベッドのシーツをひっぺがして投げつけると、後ろでゴソゴソと動く気配を感じる。

『………信じらんねー女。俺とおなじぐらいの年なんじゃねーのか? なのに何なんだよ? あのカッコはよ。布がスッケスケで肌の色まで見えてたぞ? 胸…けっこうデカかったよ……………。』

 ほんの一瞬だったと思っていたのに、しっかりと目に焼き付いてしまった女の裸体を思い出して頭を振る。

「ゼフェル? これで良い?」

 不思議そうに呼びかけられてゆっくりと振り返る。

 先程の裸体を思い出したせいか、まだ若干肌の露出が気になるが、それでもましな方だろう。

「おめぇは一体、誰………。アンジェリーク…か?」

 誰なんだ…と聞こうとして、表の立て看板を思い出す。

「うん。ずっとゼフェルを待ってたの。早く来て。」

「お…おいっ! 表の立て看板に、俺はおめぇに触っちゃなんねーって書いてあったぜ?」

 嬉しそうに俺の腕を取るアンジェリークに尋ねる。

「そうよ。ゼフェルが私に触るのは駄目なの。でも私がゼフェルに触るのは良いんだもん。」

『マジかよっ! 勘弁しろよっ!』

 アンジェリークの言葉に心の中で叫んだ。

 そんな蛇の生殺しみてぇなマネに、耐えきれる自信がなかった。

 なんつーか、その………。

 俺はこいつに一目惚れしちまったらしいから。

「あのね。私ね。この辺一帯の新しい水の番人として生まれたの。だから古い泉から私の泉に水を移し替えないといけないんだけどね。どこかに穴が空いてるみたいで、どんなにお水を運んでも泉が空になっちゃうの。」

「泉…って、あのでっけー水がめか?」

「うん。ホントは泉の元…って言うのかな? 時が経つと泉になるんだって。泉の女神様がね。私の話し相手になってくれるゼフェルがすぐに来て直してくれるよって。だから私、ずっと待ってたの。」

「………………………………………。」

 訳の判らねー説明に頭を抱える。

 泉の女神だとか、水の番人だとか………。

 …って事は、こいつは人じゃねーのか?

「ゼフェル…直してくれないの?」

 不安そうに俺を見上げる翡翠色の瞳。

「俺が直して良いものなのか? 道具とかは?」

「女神様は良いって言ってた。道具もここにあるよ?」

「判った。」

 俺の言葉にアンジェリークが嬉しそうな顔になる。

『あぁ。…っそっ。抱きしめてー。』

 身体の奥底から沸き上がる想いを無理矢理押さえ込む。

 普段の俺だったら、とっくの昔に押し倒しただろう。

 だけどあの立て看板が心の中に引っ掛かっていた。

 俺の本能が、立て看板に従えと警告してた。

 従わなければ大変なことになる…と。

「ちょっと転がすぞ。」

「あ…それは私がやるから、ちょっと待ってて。」

 俺の言葉にアンジェリークが水がめをコロンと転がす。

 転がった水がめの中に入ると、底の部分に無数の穴が光って見えた。

 その一つ一つに粘土をねじ込みパテで伸ばす。

「そう言ゃよ。前にも男がここに来なかったか?」

 ふと、思いだして聞いてみる。

 大昔に泉を目指した記憶喪失の男のことを。

「先輩の話し相手だった人のこと? その人ね。表の看板を無視して先輩に触っちゃったんだって。だから先輩…消えちゃってね。泉の水も少ししか溜まらなかったの。だからその人、女神様が追い出したって。」

「ふーん。…って、ちょっと待てよ。じゃ何か? 俺がおめぇに触ったら、おめーは消えちまうのか? 水はどうなっちまうんだよ?」

「うん。消えちゃうの。水は…泉に入ってる量だけ保つけど、私の泉…空っぽだから………。私の担当場所全部、水不足のまんまになっちゃうの。」

『や〜め〜ろ〜。』

 アンジェリークの言葉に、俺は水がめの底に頭を打ちつけたい気分になった。

 薄っぺらな…ちょっと動けば中身が見えてしまいそうな服装のこいつと一緒で、俺の理性は何日持つだろう?

 多分、大昔の日照りから今まで村が水に困らなかったのは、ここに来た男が数日間でもこいつの先輩に触るのを我慢したからなんだろう。

 数日でも我慢出来た先人に、俺は敬意を表した。

 だけどそんな女が目の前で消えて………。

 そりゃ、記憶の一つも無くしてぇよな。

 俺は先人の轍を踏まないように、アンジェリークにはぜってー触らねぇと、心に誓った。

「………終わったぜ。水を入れてみな。」

「うん! ありがと。ゼフェル。」

 水がめから出て呟くと、アンジェリークは嬉しそうに礼を言って、ここより更に奥の部屋へと消えていく。

 しばらして、バケツに水を入れたアンジェリークがフラフラとした足取りで戻ってきた。

「あっ! 水が漏れない。良かったぁ。」

 バケツの水を水がめの中に入れたアンジェリークが安堵の息を吐く。

 そしてまた、バケツを持って奥へと消えていく。

「……なぁ。バケツって一個っきゃねぇのか?」

 奥へ消えたアンジェリークを追うと、奥の部屋にも同じようなでっかい水がめがあった。

 その水がめから水を汲むアンジェリークに尋ねる。

「うん。水の扱いは番人しかやっちゃいけない…って言われてるから。」

「だけどそんな小せぇバケツじゃ、水を移すのに何日かかるか判んねーぞ。運ぶだけでも代わってやるよ。」

「ありがと。ゼフェル。でも、運ぶのも番人の役目なの。ごめんね。せっかく言ってくれたのに………。」

 本当に申し訳なさそうに謝って、アンジェリークは水を運び続ける。

 そんなアンジェリークを見ている事しか出来ない自分に、俺は酷く腹が立った。

『何とか楽になる方法はねぇもんかな?』

 部屋中を見渡すと、部屋の隅に色んな道具が雑然と置かれているのに気付く。

 そんな不要物のような道具の山から、俺は長いホースとふいごを見つけた。

「………使えそうだな。」

 壊れてなさそうなふいごに、俺はニヤリと笑った。

 さっき水がめの底を修理するのに使った工具箱の工具を使って、ふいごの加工を始める。

「ゼフェル? 何を始めたの?」

 水運びに疲れて小休止していたアンジェリークが興味津々に俺に聞いてくる。

「少しでも水運びが楽になればと思ってよ。………って、何でおめーは、シーツを取っちまうんだよっ!」

 俺の目線と同じ高さでモロに見えた白い胸に、慌てて下を向く。

 身体の一点に熱が集中してた。

「だって暑くなっちゃったんだもん。」

「………アンジェリーク。おめぇなぁ。俺に長ぇこと話し相手になって貰いてぇんなら、シーツは出来るだけ取るな。」

「えぇ〜っ。何でぇ?」

 拗ねたような口調のアンジェリークに俯いたまま声をかけると、不満そうに聞き返してくる。

「何ででもっ! だ。」

「う〜。………判った。」

 渋々頷きシーツを身体に巻くアンジェリークの気配を感じながら、俺は頭の中でやたらと小難しい数式や公式を思い浮かべて身体の熱を冷ましていた。

 そんな間にも、手だけはしっかりと動かし続ける。

「…っしと。アンジェリーク。俺の言うとおりにこれを設置してみ。」

「えっ?」

 再び水汲みを始めたアンジェリークに、出来たばかりの道具を渡す。

「まず、こいつをその水がめの縁に取り付けるんだ。」

 古い水がめの縁に針金で作った輪っかを取り付けさせて、ホースをくぐらせて水がめの底まで降ろさせる。

 そのホースを伸ばしながら、アンジェリークの水がめに向かう。

 ホースの長さは十分だった。

 まだ水が少ししか入ってねぇ新しい水がめの所で、俺は加工済みのふいごをアンジェリークに渡した。

「まず、後ろの穴に今のホースを差し込むんだ。んで、こっちの穴に短けぇホースを差し込んだら、下に置いて踏んでみろ。何度か繰り返すんだぞ。」

「う…うん。」

 アンジェリークは訳が判らないと言った顔でふいごを踏む。

 何度か踏むのを繰り返していたら、アンジェリークが手に持っていた短いホースの先から水が出てきた。

「ゼフェル…これ………?」

「これでちったぁ楽だろ。ポンプだったら水が出りゃ放っといても良いんだけどふいごだからな。でも、運ぶのも番人の役目だっつーんなら、その方が良いだろ?」

「ゼフェル。ありがとうっ!」

 俺の言葉にアンジェリークが抱きついてくる。

 おまけに頬にキスまでしやがった。

「おめーは何を考えてるっ!」

 触れることが出来ない俺は、アンジェリークにされるがままだ。

「どうして? 女神様は、感謝の気持ちはこうやって表すんだよ…って教えてくれたのよ?」

「とにかく、俺に長くいて貰いてぇんなら離れろっ!」

 ぜってー何かが間違ってる。

 泉の女神ってのは、こいつに男を誘う方法を教えてんじゃねーのか?

 そう思わずにはいられなかった。

 とにかく毎日がこんな感じで過ぎていった。

 俺がここに来てから何日目なのかは判らねぇ。

 アンジェリークが毎日せっせとふいごを踏み続けたお陰で、水がめはいつの間にか満杯になっていた。

 その頃、俺は酷い寝不足に陥っていた。

 何しろベッドが一つしかねーんだもんな。

 俺はいいっつってんのに、アンジェリークの奴は一緒に寝ないと自分も寝ない…なんて言いやがる。

 おかげで毎晩が、自制の日々だった。

 そんなある日………。

「ゼフェル! 来てっ!」

 ベッドの上で一人、浅い眠りを貪っていたら、アンジェリークが驚いたような声を上げる。

 驚いて奥の部屋に行くとでっかい水がめの姿はどこにも無く、綺麗な泉がこんこんと水を溢れさせていた。

「ゼフェル! ゼフェルのお陰よ。ありがとう。」

 アンジェリークは嬉しそうに俺に抱きつき、唇にキスをしてきた。

「………なんべん言ゃあ、判るんだ?」

「だって………。私…ゼフェルのこと好きよ? ゼフェルは私のこと嫌い?」

「んな訳、ねーだろっ! 俺は…おめーに惚れてる。」

 曇りかけていたアンジェリークの顔が、俺の言葉にパァッと輝く。

「だけどっ! おめーに触れもしねーでされるがままってのは嫌なんだよ。俺は、おめーを俺の好きなようにしてぇんだよっ!」

「良しっ! 合格。」

 滅茶苦茶恥ずかしい言葉を怒鳴り散らしたと思っていたら、女の声が聞こえて頭の上から紙吹雪が舞ってくる。

「………女神様。」

「おめでとう。アンジェリーク。良くやったね。」

『女神〜? こんながさつそうなのが?』

「がさつで悪かったね。」

 アンジェリークの言葉に思わず心の中で呟いたら、そんな心を読まれたらしい。

 どうやら本当に神には違いねぇみてぇだ。

「ま。それはともかく。アンジェリーク。良かったね。これであんたが番人を続ける必要は無くなったよ。」

「どういうことだよ。それ。」

 アンジェリークに語りかけていた女神に俺が尋ねる。

「番人ってのは水がめが壊れるのを防ぐためにいてね。水がめが泉になれば壊れる心配も無いだろ。水がめが泉に代わるには満タンになってから十日はかかる。だけどあんたは一ヶ月番人に触れずにいたろ? まさか一ヶ月も我慢できる男が現れるとは思わなかったよ。さっきの言葉でその気が無い訳じゃないのも判ったしね。」

 意味ありげに笑う女神から顔を背ける。

 嫌な言い方しやがる………ん?

「女神さんよぉ。一ヶ月…っつったよな?」

「そうだよ。あんたのお陰でこの泉は永遠に枯れない。この辺り一帯は永遠に水に困らない。アンジェリーク。あんたを普通の人間にしてあげるよ。幸せにおなり。」

「女神様………。」

「おいっ! …って事は外の看板は?」

「あぁ。そんなモン、とっくの昔に外したよ。」

 消えかけていく女神の言葉に、俺はアンジェリークを見た。

「………なに赤くなってんだよ?」

「えっ? あ…判らない。ゼフェルを見てたら何だか変なの。私のこの格好も………。」

 ズレかけていたシーツで身体を隠すアンジェリーク。

 普通の人間になって羞恥心も出来てきたんだろうか?

 でも、そんなことはどうでも良い。

「きゃっ! ゼフェル? んんっ。」

 アンジェリークを思いっきり抱きしめて唇を塞ぐ。

「さっきも言ったけどよ。今から、おめぇを俺の好きなようにするぜ。」

「えっ? でも…あの………。」

「拒絶は許さねーぞ。俺が好きならしっかりしがみついてろ。」

 アンジェリークを抱き上げて呟くと、言われたとおり素直にしがみついてくる。

 そして俺は、俺の永遠を手に入れたのだった。


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