愛の障害物競走
「ふん。おめーかよ。」
鼻を一つならして、鋼の守護聖ゼフェルが目の前にいる緑の守護聖マルセルを冷ややかに見つめる。
「僕だってこんな事やりたくないよ。ゼフェルに勝てるなんて思ってないもん。でもロザリアにお願いされたから仕方ないんだ。だからゼフェル。この先には通さないからね。」
気丈にも両手をいっぱいに広げて通せんぼするマルセルに、ゼフェルはポケットの中から一枚の紙を取りだす。
「マルセル。」
「な…なにっ?」
「おめー。チェリーパイが好きだったよな?」
ゼフェルに何をされるかとビクついていたマルセルが、ゼフェルの意外な言葉に目を丸くする。
「う…うん。好きだけど…それがどうかした?」
「こいつが何か判っか? 俺があいつから聞いた、チェリーパイの旨い店リストだ。その店の無料サービス券もあるぜ。」
「ええっ! チェリーパイの美味しいお店? そのお店のただ券があるの?」
「あぁ。おめーがここを通してくれんなら、こいつをおめーにやるよ。」
ゼフェルの言葉にマルセルの心が揺れる。
「で…でも駄目だよ。絶対にゼフェルを通しちゃ駄目って言われてるんだもん。」
「あー。そうかよ。じゃ、こいつはいらねーな。」
「あぁっ! 何するのっ!」
ライターを取り出して火を付けようとするゼフェルに、マルセルが悲鳴に近い声を上げる。
「何って、おめーはいらねーんだろ? だったら俺がこいつを持っててもしょーがねーからな。燃やすに決まってんだろ。」
そう言ってゼフェルはライターの火を紙に近づける。
「や…止めてよっ! そんな勿体ないことするなら僕に頂戴よ。」
「欲しいんなら、ココ、通せよ。」
ゼフェルは言いながら、更に火を近づける。
「わ…判ったよ。通って良いよ。だから早く、その紙、頂戴ってば。」
「ほらよ。じゃあな。」
半分涙目で手を出すマルセルに紙を渡す。
目を輝かせながら受け取ったリストを見つめるマルセルの横を通り抜けて、ゼフェルは先に進んだ。
「ゼフェル。ここは通さないぞ。マルセルに酷いことはしなかっただろうな?」
「チッ。次はおめーかよ。」
目の前に立ちはだかる風の守護聖ランディに、ゼフェルが舌打ちする。
「ここは絶対に通さな……………。」
「おーい。おめぇ等。出てきて良いぞ。」
「わーい。」
ゼフェルを睨み付けていたランディが、ゼフェルの呼び声と共に物陰から出てきた沢山の子供達に毒気を抜かれる。
「わーい。ランディ様。遊ぼー。」
「遊びに行こー。」
「なっ…君たち。どうして………。」
あっという間に子供達に囲まれてしまったランディが慌てて尋ねる。
「だって最近、ランディ様。全然公園で遊んでくれないんだもん。そしたらゼフェル様がね。俺についてくればランディ様の所に連れてってくれるって。」
「……………ゼフェル! お前。」
「いいお兄ちゃんすんのも大変だな。ランディ。………おめぇ等。しっかり遊んで貰えよ。」
「うんっ! ありがとう。ゼフェル様。」
「ゼフェル。待てっ!」
「ランディ様。遊んでくれないの?」
歩き出したゼフェルを追いかけようとしたランディが、子供達の傷ついたような顔に動けなくなる。
「あ…いや………。判った。遊ぼう。ここじゃなくて公園で。」
「わーい。」
後ろから聞こえる子供達の歓声に、ゼフェルは肩を震わせて笑った。
「おや。来たね? ゼフェル。お化粧させてくれたら、ここを通してあげても良いよん。どうする?」
「………ほらよ。」
笑顔を作る夢の守護聖オリヴィエに、ゼフェルが何かを投げ渡す。
「ちょ…これってダイヤじゃない。どうしたのさ。百カラットはあるわよ。これ。」
「地下室の整理をしてて見つけたんだよ。前の奴の忘れ物らしいな。調べたらよ。それ。天然モンなんだぜ。」
「天然……………。んっふっふ。ゼっフェル〜。」
模造品ならいざ知らず、天然物でのこの大きさに、オリヴィエが意味深な笑みを浮かべる。
「通してくれるよな?」
「あったり前じゃなーい。どうぞ〜。」
優雅に腕を振り下ろしてオリヴィエがゼフェルを通す。
オリヴィエの頭の中は既に、手に入れたダイヤのことしかなかった。
ポロン…と、ゼフェルの耳にハープの音が聞こえる。
「おめーまで、俺の邪魔すんのかよっ!」
「私は争いを好みません。」
怒鳴りつけると、物陰から悲しそうな顔をした水の守護聖が現れる。
「だったら邪魔すんなっ!」
「ですがゼフェル………。」
「あんなぁ。おめー等、何か勘違いしてねぇか? あいつは俺の女なんだぜ? 自分の女のトコ行くのに、何でおめー等がいちいち邪魔に入んだよ。いい加減にしろっつーの!」
「ゼフェル…そのような言い方は………。」
リュミエールの戸惑ったような表情に、ゼフェルは畳みかけるように言葉を続ける。
「どんな言い方だろーと、あいつが俺の女だってーのは違いねーだろ。あいつだって俺が来んのを待ってんだよ。さっさと行って抱きしめてキスしてあいつの肌に思いっきり跡残して………。そうしてやんねーと、あいつは壊れちまうんだよっ!」
「ゼフェル! あなたはそのようなことを……………。あぁ。」
赤裸々なゼフェルの言葉にショックを受けたリュミエールは、フラフラと自室に籠もってしまった。
「ふんっ!」
鼻息を荒くして、ゼフェルが再び歩き出す。
「ここまで来るとは根性だな。ゼフェル。しかし、残念だがここまでだ。野暮なことはしたくないが、これも運命だと思って……………。おまえ…これ………。」
青いマントを翻して現れた炎の守護聖が、廊下に落とされた一枚の写真に言葉を失う。
「まだ、あるぜ。偶然見つけたんでな。悪りぃけど撮らせてもらったぜ。こいつ…ジュリアスの野郎に見せたら、あの石頭、どうすっだろーなぁ。」
次から次へと出てくる写真の数々に、オスカーの顔が徐々に青くなる。
「フッ。お前も同罪じゃないのか? ゼフェル。」
聖地を抜け出した動かぬ証拠を突きつけられて、オスカーが不敵な笑みで反撃する。
「へっ。おあいにく様だな。写真の日付。よく見て見ろよ。オスカー。」
「日付? ………!」
ゼフェルに言われて写真に記された日付を確認したオスカーが驚愕する。
「ドジったよなぁ。オスカー。おめー、焼きが回ったんじゃねーの? あいつと公認デートの日に聖地を抜け出すなんてよぉ。今んとこ口止めしてあっから、ロザリアにもバレてねーみてーだけど…どうする?」
「………フッ。俺としたことが迂闊だったぜ。ゼフェル。俺の負けだ。通ってくれ。……………写真とネガ、早く寄こせっ!」
商談が成立して、ゼフェルが写真とネガをオスカーに渡して奥へと進む。
オスカーは大急ぎで写真とネガの処分に走った。
「あのー。ゼフェル?」
遠慮がちにかけられた声に、ゼフェルがガクリと項垂れる。
「ルヴァ先生よぉ。頼むぜ。応援してくれてんじゃなかったのかよ。」
「はぁ。ですがロザリアから頼まれましてねぇ。それにあまりにも頻繁な出入りは……………。」
言葉を濁す大地の守護聖に、ゼフェルは話の長くなりそうな気配を感じる。
「………判ったよ。ルヴァ。立ち話もなんだからよ。茶でも飲みながら話さねーか?」
「判って貰えましたかー。はぁ。良かったです。そうですねー。では私の部屋で待っていて頂けますかー。すぐに準備をしますねー。」
嬉しそうにお茶の準備をしに行くルヴァの後ろ姿に、ゼフェルは心の中で手を合わせて謝罪した。
「ゼフェル。」
「………あんたまで俺の邪魔をするのか?」
闇の守護聖クラヴィスの呼びかけに、ゼフェルは眉を寄せる。
「お前の邪魔をする気はない。通るが良い。」
「なんだ。驚かすなよ。」
「だがな。ゼフェル。」
自分の前を通り抜けようとするゼフェルをクラヴィスが呼び止める。
「この先は手強いぞ。………ジュリアスにこれを見せると良い。私から渡されたと言ってな。」
「判った。サンキュ。クラヴィス。」
書類のようなものを受け取ったゼフェルが、クラヴィスに礼を告げ先に進む。
「なんと! ここまで来るとは………。他の者達は何をしていたのだ。」
怒りを露わにした光の守護聖の登場に、ゼフェルは先程クラヴィスから受け取った書類を渡す。
「………ゼフェル。これは何だ?」
「よく判んねーけど、クラヴィスに貰った。おめーに見せろってよ。」
「なにっ! クラヴィスが?」
光と闇の守護聖の、複雑極まりない不可解な関係は、誰にも理解できない。
クラヴィスという単語に激しく反応したジュリアスが、手渡された書類に素早く目を通す。
「なんとっ! これは先日あやつに渡した書類ではないかっ! それを自らが持って来ずに他人に持って来させるなど言語道断。職務怠慢も甚だしい! あやつに一言言わねば………。」
「…………………………判んねー奴等。」
自分の存在も忘れてクラヴィスの元へ向かうジュリアスの背中を眺めながら、ゼフェルはポツリと呟いた。
「さて…と。」
「ここから先は立入禁止ですわよ。ゼフェル様。」
大きな扉を開けると、女王補佐官のロザリアが室内の真ん中で仁王立ちをしていた。
「出たな。ラスボス。」
「何ですのっ! ラスボスなんて失礼な。」
ゼフェルの低い呟きに、ロザリアが細い眉を歪める。
「…っせーよ。ラスボスはラスボスじゃねーか。俺がアンジェのトコに行くのを邪魔しやがって………。」
「ゼフェル様があまりにも陛下の元に入り浸るのが悪いんです。陛下のお仕事にも支障をきたしますし、ゼフェル様ご自身も滞りがちでらっしゃいますでしょう。さぁさぁ。早くお帰り下さいな。」
キッ…と睨み付けたにも係わらず部屋に入ってきたゼフェルをロザリアが押し戻す。
さすがに女性に対して乱暴なことは出来なくて、ゼフェルも対処に困っていたその時だった。
「………あれっ。ロザリア。おめー。ここんトコ、ハゲになってっぞ。」
つん…っと、ゼフェルに頭頂部の辺りをつつかれたロザリアが動きを止める。
「何ですって! へ…変な事を言っても無駄ですわよ。ゼフェル様。」
「変な事じゃねーって。ほれ。ちょっとじっとして見ろよ。鏡…あっか?」
「………あそこですわ。」
呆然とした様子のロザリアを促して、ゼフェルがロザリアを鏡台の前に座らせる。
「わ…私の髪が……………。」
目の前の大鏡に映された、手鏡の中の円形にロザリアが驚愕する。
「心労が重なったせい…だろーな。これ。」
「ゼ…ゼフェル様のせいですわっ! ゼフェル様が私に心労をかけるから………。」
「そ…そうじゃねーって。」
襟元を掴んでガクガクと揺するロザリアに、ゼフェルは反論した。
「おめーが、俺がアンジェのトコに行くのを邪魔しなきゃ良いんだよ。」
「そんな筈は……………。」
「だってそうだろ。おめーは神経すり減らして邪魔する手だてを考える。でも俺は突破する。更に難しい手だてを考えるためにおめーは神経すり減らす。だけど俺は突破する。………ほらな。邪魔する手だてなんて考えなきゃ、おめーに心労なんてねーんだよ。」
無茶苦茶な論理かもしれないが、パニックを起こしているロザリアには効果的だった。
「それも…そうですわね。私…もう休みますわ。」
「あぁ。ゆっくりな。ルヴァが茶の用意をしてっから、行ってみたらどうだ?」
「え…えぇ。そう致しますわ。」
心神喪失状態で、ロザリアが部屋を出ていく。
ようやくゼフェルは目的地に到着できるのだった。
「アンジェ。」
「ゴールっ!」
扉を開けたと同時に、パーンと言う音と共に、紙吹雪やらテープが飛んでくる。
「人に向けちゃなんねーって書いてなかったか?」
「えへへ。ごめ〜ん。でも凄いね。この間より二分も縮まったよ。」
頭の上の紙テープを取りながら呟くと、女王陛下アンジェリークが舌を見せて笑う。
「まぁな。でもよぉ。おめーもいい加減にしろよな。マジで俺が来れなくなっても知らねーぞ。」
「良いよ。」
「おいっ!」
あっさりと、自分が来れなくなっても良いと言うアンジェリークに、ゼフェルが眉を上げる。
「ゼフェルが来れなくなったら、今度は私がゼフェルの所に行くから。」
「……………それも良いかもな。」
「でしょ。それより、新記録達成のご褒美で〜す。」
アンジェリークの言葉に苦笑していたゼフェルが、愛しい恋人の祝福の口付けを受ける。
「んっ。………んんっ!」
物足りなさを感じたゼフェルが、触れるだけの口付けを深いものへと変えていく。
逃げられないように、しっかりと腕を廻して。
「……………はぁ。もうっ。ゼフェル、激しすぎ。」
「…っせーよ。障害物を九個も乗り越えて疲れてんだ。少しは厭え。」
「きゃっ! もうっ! それはあっちで!」
首筋の柔らかな部分にキスをするゼフェルに、アンジェリークの身体がピクンと跳ねる。
「………判った。」
「きゃあっ!」
真っ赤になって指さす先を確認したゼフェルが、アンジェリークを抱き上げて寝室へと向かう。
愛の障害物競走は終わったが、新たな競技が始まりそうだった。