報われない想い
「…っきしょー! ぜってー突破してやる。」
幾重にも複雑に組み込まれたセキュリティプログラムを解除しながら、頬に絆創膏を貼った鋼の守護聖ゼフェルが怒りも露わに呟く。
「大体よ。てめーの女に逢いてぇってのが、んなにいけねー事なのかよ。…ったく。」
ピピピッ…と軽い電子音がして、いくつめになるのか判らないプログラムの解除が終了する。
ここは神聖な女王のプライベートルームに繋がる一室の扉の前。
ゼフェルの目指す人物は、この扉の奥にいた。
「…ったくよぉ。んな事になんなら、あいつを女王になんかさせんじゃなかったぜ。」
今更ながらに悔やんでしまう。
『私、ゼフェル様のことが好きです。だから今まで通り、二人でデートしたりしたいです。女王になったからって逃げるのもこそこそ隠れるのも嫌です。』
次期女王に決定してしまったアンジェリークをさらっていこうと決意した就任式前夜。
緑色の真っ直ぐな瞳でそう告白された。
そのあまりにストレートな告白に、ゼフェルはアンジェリークの女王就任を容認してしまった。
そしてアンジェリークは驚いたことに、女王就任式の席で前夜と同じ言葉を、大勢の目の前で言ってのけたのである。
怒る者、呆れる者、感心する者と、反応は様々であったが新女王の意志は尊重され、ゼフェルとアンジェリークは聖地全体の公認となった。
この時、ゼフェルは確信していた。
これで以前と何も変わらない…と。
今まで通り、自由にアンジェリークに逢うことが出来る…と。
しかし、それは大きな誤算だった。
崩壊しかけていた宇宙には、守護聖達の力がかなり必要とされていた。
そして、ゼフェルのことが大好きな新女王体勢になったから…と言うのもあるだろうが、鋼の力が特に必要とされることが多くなったのである。
そのためゼフェルはなかなか時間を作ることが出来ず、また、せっかく余暇が出来ても、処理しなければならない書類の山で埋め尽くされてしまう日々を過ごすことを余儀なくされていた。
元々ゼフェルは守護聖になりたくてなった訳ではないので、お世辞にも仕事熱心とは言えない。
そんなゼフェルが黙々と仕事をこなしていたのは、守護聖が仕事をサボると新女王の負担が大きくなると諭されたからに過ぎない。
だからアンジェリークに逢う暇も無いほどの忙しさに、ゼフェルのフラストレーションは徐々に溜まっていったのだった。
そしてある日。
実は宇宙はとうの昔に安定していて、ゼフェルの死ぬほどの忙しさが全て、今まで不真面目だったゼフェルに守護聖としての責務を再認識させたい首座の守護聖ジュリアスや世話役だった地の守護聖ルヴァと、新女王に女王の職務に集中させたい補佐官ロザリアの画策だったと知ったとき、ゼフェルのフラストレーションは一気に爆発してしまったのだった。
書類の山を放り投げ、ゼフェルはエアバイクにまたがってアンジェリークの元へ向かった。
そして驚きはしたものの、やはりゼフェルに逢えず寂しがっていたアンジェリークを宮殿から連れ出して、愛の逃避行に走ったのだった。
聖地を抜け出した女王と鋼の守護聖に、秘密裏だが大々的な捜索隊が派遣された。
しかし五日後。
捜索隊に発見される前に、二人は自主的に聖地に戻ってきたのだった。
本当だったらゼフェルは五日と言わず、一週間でも一ヶ月でも二人でいたかったのだが、女王としての責任を心配するアンジェリークにほだされての帰還だった。
聖地に戻った二人は早速ジュリアスやロザリアにこってりと絞られる事になったのだが、今回はゼフェルの方にも言い分はある。
画策のことを追求され、二人へのお小言は早々に打ち切られたのだった。
しかしこの件が発端となり、女王のプライベートルームの周りには、様々なセキュリティが施されるようになってしまった。
ゼフェルの頬の絆創膏も、三日前にここに来たときにセキュリティプログラムの一つによって付けられた傷であった。
「…っかし、とんでもねープログラム組みやがる。俺を殺す気かってんだよ。あいつ等。」
思いだすと頬の傷が疼く。
保安ロボットによる威嚇レーザーが頬を掠めたのである。
まさか守護聖である自分に向けて発射はされないだろう…と、タカをくくっていての傷だった。
ましてや自分が設計段階を担当した保安ロボットによる傷である。
怒り心頭、痛みは二倍…と言っても過言ではなかった。
「…っし! これでラストだ。」
ゼフェルの器用な指先が最後のセキュリティプログラムを解除する。
重たい扉を開くと、三体の保安ロボットがゼフェルの動向を窺うように動いていた。
「この間はよくもやってくれたよな。今度はそうはいかねーからな。」
扉の中に一歩でも足を踏み入れると、ロボットは威嚇攻撃を始める。
その事を前回嫌と言うほど味わっているゼフェルは扉ギリギリの所に立ち、ポケットから何やら細いワイヤーのようなものを取り出した。
「へへへ。後で俺がちゃんと直してやるぜ。俺の邪魔をしねーように…な。」
自信満々の顔で、ゼフェルがロボットに向けてワイヤーを伸ばす。
ヒュン…と伸ばされたワイヤーの先端がロボットに触れた途端、バチンと激しい音がしてロボットが全ての機能を停止させる。
三体のロボット全部が動きを止めたところで、ゼフェルはようやく室内に足を踏み入れた。
「いくらおめー等でも超高圧電流にゃ勝てねーだろ。悪りぃな。通させて貰うぜ。」
ロボット達の間を通り抜けながら呟く。
自然と口元に笑みがこぼれた。
「ざまぁみやがれっ! 俺に解けねーセキュリティなんてねーんだよ。……… のわっ!」
勝ち誇ったように呟いていたゼフェルが、何かに足を掴まれる。
「…んだ! こりゃあっ!」
それはあっという間の出来事だった。
ゼフェルは片足をロープに取られ、見事に天井に逆さ吊りに吊られてしまったのだった。
「…っくしょー。何なんだよ。こりゃあ?」
「騒々しいですわね。」
ユラユラと揺られながら、ゼフェルが足のロープを外そうともがく。
と、そんな室内にロザリアが訝しげに呟きながら入ってきた。
「あらっ! まぁ。ゼフェル様じゃありませんの?」
「ゼフェル様じゃねーよっ! ロザリア! てめー。これは一体、何なんだよっ!」
驚きとも呆れともつかない顔で自分を見上げるロザリアに、ゼフェルは怒鳴った。
逆さ吊りのせいか、頭に血が上ってきた。
「陛下の所へ侵入してくる不届き者を阻むためのシステムですわ。念には念を入れて…とルヴァ様に助言を頂きましたので、仕掛けてみましたのよ。ですけど………。まさか最新のセキュリティを見事にお破りになるゼフェル様が、こんな原始的な罠にかかるとは思いもしませんでしたわ。」
ホホホホホ…と、笑い声が聞こえてきそうなロザリアの嬉しそうな声に、頭に上った血が沸騰しそうになる。
「…っせーよっ! さっさと降ろしやがれっ!」
「えぇ。お待ち下さいね。今ルヴァ様をお呼び致しますから。」
そう言って部屋を出ようとするロザリアに、ゼフェルは慌てた。
「おいっ! 何もルヴァを呼ぶことねーだろっ! おめーが降ろせよ。おめーがっ!」
「生憎ですけどゼフェル様。女の私の力では、ゼフェル様を安全にお降ろし出来ませんのよ。それに私は別に、お呼びするのはオスカー様やオリヴィエ様でも構いませんですことよ?」
にっこりと優雅に微笑むロザリアの言葉に、ギャンギャンと吠えていたゼフェルが黙り込む。
頭を下にしたままのこの状態で、確かにこの高さから落ちたくはない。
更に、天井から逆さ吊りにされているこの姿をオスカーやオリヴィエに見られようものなら、何と言ってからかわれるのか判ったものではない。
「……………さっさとルヴァを呼んで来やがれっ!」
「そういたしますわ。しばらくお待ち下さいね。」
パタン…と扉が閉じられて、廊下を歩くロザリアの足音が徐々に小さくなっていった。
「…っくしょー。腹立つ。」
振り子のようにユラユラと横に大きく揺れながら、ゼフェルが腕組みをしたまま呟く。
ロボットをクリアした段階で、油断したのがいけなかった。
「俺ってホント、報われねーよな。」
「………誰かいるの? ゼフェル!?」
自分の不遇をしみじみと実感していたら、奥の部屋から待ち焦がれていたアンジェリークが出てきた。
「アンジェ………。」
「どうしたの! ゼフェル? ………あ。待ってて。いま降ろしてあげるから。」
「ばっ…。おめーにゃ無理だって。いまロザリアがルヴァを呼びに………。うわっ!」
天井から吊られているゼフェルの姿に驚いたアンジェリークは、ゼフェルを吊り上げているロープの存在に気付いて駆け寄った。
ゼフェルはロープの結び目を解こうとするアンジェリークを止めようとしたが間に合わず、床に落とされてしまった。
何とか頭は庇ったものの、背中をしたたかに打ち付けて息が止まる。
「きゃーっ! ゼフェル? ごめんなさい。大丈夫?」
床に落ちて身動きしないゼフェルに、慌てていたアンジェリークもさすがに冷静になったのか、青い顔をして心配そうに近寄ってきた。
「おめー…なぁ………。」
何とかそれだけ絞り出して、目の前のアンジェリークに縋り付くように抱きつく。
「ごめんなさい。ゼフェルが逆さまになってたから早く助けなきゃ…って思って………。ホントにゴメンね。痛い? 痛い?」
額をアンジェリークの肩に乗せていると、アンジェリークが打ち付けた背中を優しく撫でてくれる。
「少しは報われてんのかな。」
「えっ?」
そんな小さな幸福感にボソリと呟くと、不思議そうな声が返ってくる。
「何でもねーよ。それより行くぞ。」
「行くって………。ゼフェルまた?」
嬉しそうだけど、ちょっとだけ困ったような顔をしてみせるアンジェリークに、ゼフェルが苦笑する。
「そうしてぇのは山々だけどよ。今回は俺の家だ。聖地の中なら、おめーも安心だろ?」
「あ…うんっ! ありがとう。ゼフェル。」
「礼は良いから、早く来いっ!」
「うん。……………あっ! ちょっと待って。」
差し出されたゼフェルの手を取りかけたアンジェリークが、何かを思いだしたかのように机に向かう。
「…んだよ? ……………おめぇなぁ。」
サラサラと何かを書いているアンジェリークの文字を横から覗き見たゼフェルが呆れたような声を出す。
「だってロザリアに心配かけちゃうモン。」
「だからって………。あぁ。もうっ! …ったく。やっぱ俺って報われねー! 行くぞっ!」
「うんっ!」
もう一度差し出された手を今度こそしっかりと握って、ゼフェルとアンジェリークがバルコニーから庭へと出ていく。
しん…と静まりかえった室内に、扉が開く音が響いた。
「本当に報われないのは私の方だわ。」
誰もいなくなった室内で、ロザリアが溜息混りに呟いた。
本当はとうの昔にルヴァと共に到着していた。
だけどアンジェリークとゼフェルのやりとりに、室内に入ることをためらっていたのだった。
「まぁまぁ。ロザリア。陛下もあなたのことは気にしてらっしゃるんですから。」
一緒にいたルヴァにそう慰められて、ロザリアが机の上の書き置きに目を走らせる。
『ロザリアへ。ゼフェルのお家にいるから心配しないでね。アンジェリーク。』
「………ホントにしょうがない子。」
残された書き置きの文字に、ロザリアは苦笑しながら溜息を零したのだった。