恋人達の事情
「こんにちはー。アンジェリークでーす。お邪魔しまーす。」
勝手知ったる何とやら。
いつものように玄関口で挨拶をして、幼なじみのゼフェルの家に上がり込む。
「ゼフェル? いる?」
コンコン…とノックを二回。
いつものように声をかけ、返事が無いのにもお構いなしでドアを開け、ひょっこりと部屋の中を覗き込んだ。
今日のゼフェルのご機嫌はどうだろう?
何の作業をしてるだろう?
さすがに、どんなに勝手知ったる何とかでも、こればっかりは注意しないといけない。
あ…今日は図面を描いてるんだ。
ご機嫌の方は…そんなに悪くないみたい。
「ゼ〜フェル。」
それでも、もう一度声をかけてみる。
でも私の声にも気付かないくらい、ゼフェルは図面に集中しているみたい。
私はそうっと部屋の中に入って、静かにドアを閉めた。
凄いよね。
ゼフェルって。
バイトしたお金で、プロが使うみたいな本格的な製図机、買っちゃうんだもの。
縦横無尽に動き回る可動式定規を眺めながら、いつもの指定席に腰掛ける。
図面を描いてるゼフェルの左側。
ゼフェルが座っているグリーンの椅子とお揃いの、設計机の左側にちょこんと置かれたレッドの椅子が私の指定席。
今度は何を作るんだろう?
ちょっとだけ気になったけど、図面を見ても私にはちんぷんかんぷんなのでパス!
代わりにゼフェルを見つめる事に専念する。
シャーペンを持つゼフェルの手。
私よりずっと色が黒くて、本人に言ったら絶対怒られるけど、身長の割には大きいのよね。
節張っててごつごつしてるし………。
あ…あの腕時計。
私が誕生日のプレゼントにあげた奴だ。
文字盤の所に見えるの…傷…かなぁ?
ロボットを作るのに金属板を扱ったり、工具を使うんだもんね。
傷が付いて当たり前か。
ちょっと残念だけど、とっても嬉しい。
どんな時でも外さずに、ずっと付けていてくれてるんだ…って判ったから。
視線を手から上の方に移動させる。
暑がりのゼフェルは少しでも暖かくなってくると、すぐにランニングになっちゃう。
身体は細身のクセに、剥き出しの腕は結構がっしりしてて逞しい。
深い襟ぐりから見えた鎖骨にドキリとした。
いっつもあそこに寄りかかってたんだ。
頭を乗せたり、おでこをくっ付けたり、頬をすり寄せたり………。
キスしたこともあったっけ。
ゼフェルが手を動かすたびに微妙に変化する鎖骨を見ていたら、何だか身体がポォ〜っとしてきちゃった。
あんまり身体が熱くなってきちゃったんで、視線をゼフェルの顔に移す。
端正な横顔。
黙っていればいい男…って言ったのは誰だったっけ?
整った顔立ちをしてるから、結構女の子に人気があるんだよね。
そんな噂を聞いたりすると、ちょっと心配しちゃったりする。
だけど、ゼフェルの言動を目の当たりにしちゃうと、みんな退いちゃうんだよね。
退かずにいれば、良いトコが沢山沢山判るのにね。
ツンツンして硬そうなイメージの銀髪。
ホントはくせっ毛なだけで、イメージよりもずっと柔らかいんだよね。
向こうの窓から入ってくる陽の光で透けて見える。
すっごく綺麗。
深い深〜い、赤い瞳。
見ているだけで吸い込まれていきそう。
どんな絵の具でもどんな方法でも作り出すことの出来ない神秘の赤。
私の大好きな色。
だから椅子の色を赤にしたの。
すっと通った鼻筋。
小さい頃、よくつまんで遊んだっけ。
それで高くなったのかな?
…って、そんな訳ないか。
細く尖った顎。
小さい頃は私と同じまん丸だったのに………。
一人だけ細くなっちゃってずるいなぁ。
そう言えば、テレビで言ってたっけ。
美男美女の条件は、鼻の頭から顎の先にかけて線を引いた時に、唇がその線から出てない事だ…って。
ゼフェルは……………。
図面を描いている時のクセで、ちょっとだけ口を尖らせてるけど出てないモンね。
やっぱりハンサムなんだ。
ピクッ…とゼフェルの唇と眉が微かに動いた。
………何か、問題が起きたのかな?
手も止まっちゃってる。
何か…凄く考え込んでるみたい。
描き終わった部分の一部を消して、ゼフェルは新たな線を描き始めた。
あ…解決したみたい。
口元が緩んでる。
形のいい唇。
強引だけど優しいんだよね。
キスの時…とか、特に……………。
ふぅ〜っと、ゼフェルの唇が息を吐く。
シャーペンを置いて、大きく伸びをした。
「終わった………。」
「何かあったのか?」
終わったの? って聞こうとして、逆に尋ねられる。
「気が付いてたの?」
「そりゃ、おめぇ。んなに熱っぽく見つめられてたら、嫌でも気付くっつーの。」
ククッ…って喉を鳴らしてゼフェルが笑う。
私…そんなに風に見てた?
「で、何があったんだ? 何か言いたそうなツラしてっぞ。おめー。何か俺に言うことがあって来たんだろ?」
ツン…とおでこをつつかれて、私は椅子をクルリと回転させてゼフェルに背を向けた。
「こらっ。どうしたんだよ?」
そんな私を後ろから抱きしめるゼフェル。
ごつくって節張った手が私のウエストに回る。
浅黒い逞しい腕が私を包み込む。
腕時計をしている方の腕に自分の手を添える。
さっき見ていてドキドキした鎖骨に、私は頭をもたれさせた。
「あのね。ゼフェル。私達って、恋人同士だよね?」
「はぁ? ………おめーはそう思ってねーのか?」
「ううん。そんなこと無いよ。だけど友達が………。」
ゼフェルの家に来る前まで一緒だった友達の言葉を思い出して口ごもる。
「何て言われたんだ?」
「ずっと前から恋人同士だって割には、デートしてるトコを見たことが無い…って。」
変だ…って言われたの。
恋人同士なら、映画を見に行ったり遊園地に遊びに行ったりするだろう…って。
だけどゼフェルは人混みが嫌いだから。
私はゼフェルが好きなことをしているのを見ているのが好きだから。
だから良いの…って言っても判って貰えなくて………。
頬に伸びてきた左手を捕まえて、人差し指をパクリとかじる。
「こらっ! 噛むな。………アンジェ?」
本気で噛んだ訳ではないのでゼフェルが苦笑する。
でも、報復とばかりに耳元で名前を囁かれて、身体中が鳥肌が立つほどゾクゾクした。
ゼフェルのいじわる。
そうされるの弱いって、知ってるクセに………。
「だって………。あのね。アンジェリークにとってゼフェルって何なの? って聞かれたから、空気や水みたいな存在なの…って言ったら、倦怠期なのかって笑われたの。そんなに変なこと言った? 私。」
クルリと振り返ると、ゼフェルが少しだけムッとした顔をしていた。
「俺は空気か水か?」
「そうよ。だってどっちも生きていくのに絶対必要なものでしょう? 私…ゼフェルがいなかったらきっと生きていけないもの。私はそのつもりで言ったんだけど、友達は違う意味に取ったみたいなの。」
「……………そりゃ当たり前だ。…ったく。おめーって奴はほんと仕方ねーな。」
私の言葉にちょっと驚いた顔をしたゼフェルが、フッ…と目を細めて優しい笑顔を見せる。
……………それって反則だよ〜。
カーッ…と、顔が赤くなっていくのが自分で判った。
私はコツン…とゼフェルの鎖骨に額を付けて、スリスリと甘えてみせた。
ズルイよ。
ゼフェル。
こんな時にあんな顔するなんて………。
そう思っていた私の髪をゼフェルの大きな手が弄ぶ。
クルクルクルクル、指先で。
「気になんなら、いっぺんぐれーしてみるか? デートって奴をよ。」
「ううん。いらない。私はゼフェルが好きなコトしてるの見てるのが好きなんだもん。」
「………そっか。」
ゼフェルの言葉に慌てて顔を上げて否定すると、ゼフェルが恥ずかしそうな嬉しそうな顔をする。
あ…この顔も好きだな。
そう思っていた私の顔に、真剣な表情になったゼフェルの顔が近づいてくる。
私はゆっくりと瞳を閉じた。
さっきまで見ていた形のいい唇が、強引に優しく私の唇に重なる。
「……おめぇ、イチゴパフェ。食ってきたろ?」
唇を離したゼフェルが苦笑しながら呟く。
「え? う…うん。何で判ったの?」
「イチゴの味がした。」
「ゴメン。甘かったでしょ?」
甘い物が嫌いなゼフェルに、間接的にでも甘い物を味あわせてしまったことに謝罪する。
「おめぇが甘ぇ分にはいくら甘くても良いんだよ。それに、他の奴等のことは気にすんな。俺の気持ちはガキの頃から変わってねーから。」
そう言ってゼフェルがもう一度私の唇を塞ぐ。
うん。
そうする。
返事の代わりに、私はゼフェルの首に腕を廻してしがみついた。
私の気持ちも、幼稚園の頃から変わってないモン。
『アンジェは俺のモンだ! 俺が幸せにするんだ!』
沢山の男の子達の前で、ゼフェルはそう言ってくれたんだもんね。
何が嬉しくて何が幸せなのかなんて、当事者じゃないと判らないもんね。