本当の姿


「えーっ! うっそだぁ〜。あの皇帝がぁ?」

「ホントなんだってばぁ。」

 私の言葉をまるっきり信じようとしない友達に、思わず口を尖らせてしまう。

 今朝学校へ行く途中で、乗っていた自転車のチェーンが外れてしまった。

 何度か直そうとしたんだけど全然駄目で、仕方ないから自転車を引いて歩いていた。

 そしたらクラスメイトのゼフェルが後ろから私を自転車で追い抜いて………。

 一度私の方を振り返って、Uターンしてきた。

「ちょっと見せてみろよ。」

 私の目の前まで戻ってきて、ぶっきらぼうにそう言って自転車を降りたゼフェル。

 私はまさかゼフェルが戻ってくるなんて思わなかったし、ましてや声をかけられるなんて思ってもいなかったので、びっくりして立ち尽くしてしまった。

 ゼフェルは驚いて何も言えない私を無視して自転車を奪い取ると、車輪の部分にドライバーを差し込んでカチャカチャと手を動かしていく。

「ほらよ。」

 その間、僅かに数十秒…ってトコだったんじゃないのかな?

 外れてしまったチェーンをキチンと取り付けて、ゼフェルはまた自転車にまたがって先に行ってしまった。

「ホントにホントなんだってば。そうじゃなきゃ私、遅刻してたモン。それに、ほらっ! 自転車の油で手が真っ黒でしょ。ゼフェルの手もそうなんだからね。」

「確かに汚れてたけどさぁ。やっぱ、信じらんないなぁ。だって、あの! 皇帝だよ?」

「だけど本当なんだってばぁ。」

 両手を広げてみせる私に、友達が再度『皇帝』と言う言葉を口にする。

 皇帝…って言うのは、今一番人気のあるテレビドラマに出てくる人物の一人。

 冷淡で傲慢で横暴な暴君。

『うちのクラスのゼフェルってさ。ドラマの皇帝に似てるよね。』

 一番先に口にしたのが誰なのかは判らない。

 だけどその言葉には誰もが頷いていた。

 だってゼフェルは口が悪くて、ちょっとしたことですぐに怒るし、誰とも仲良くしようとはしない、本当にドラマの皇帝みたいな男の子だった。

 勉強もそれなりに出来るし、スポーツもヘタクソじゃない。

 どっちかって言うと、どっちも標準以上。

 それなのに協調性がない。

 クラスの男子も女子も、何をするにもゼフェルの言いなりになる部分が多かった。

 ゼフェルの言うとおりにすれば間違いはなかったから。

 そんな所も、ドラマの皇帝に似ている。

 だから私達のクラスだけでなく、ゼフェルのことを知っている人達はみんな、いつの間にかゼフェルのことを皇帝と呼ぶようになっていた。

「判った判った。ここは百歩譲って信じてあげよう。で、アンジェ。お主、惚れたな? 皇帝に。」

「なっ………。そんなんじゃないわよっ! 何でそうなるのよっ!」

 興味津々に聞いてくる友達の言葉に顔が真っ赤になる。

 何でそうなる訳?

「ホントにぃ〜? なぁ〜んか怪しいなぁ。だって今まで男の話なんか一度もしたことないあんたが、いきなり話し出したのが皇帝なんだもん。何かあったと思うじゃない? 普通。」

「思わないっ! 私はただ、ゼフェルにも優しいところがあるんだな…って………。」

「ほらっ! そこっ! そう言うところが尚更怪しいの。まるで、私の彼は普段は冷たいけどホントは優しいのよ…ってノロケてるみたいに聞こえるぞ?」

「もうっ! ホントにそんなんじゃ………あっ。」

 疑いの眼で見つめる友達に真っ赤な顔で反論していたら、技術実習を終えた男子が教室に帰ってきた。

 その中にゼフェルの姿を見つけて、私は思わず立ち上がった。

「今朝のお礼、言ってくる。」

 面白そうに顔を覗き込む友達に一言言って、私はゼフェルの元に近づいた。

 変なことを言われたせいか、何か妙に意識してドキドキしてしまう。

「あの…ゼフェルくん。」

 ドキドキのせいで上擦った声になる。

 呼ばれたゼフェルだけでなく、周りにいた数人の男子までもが私に注目した。

「あ…あの、今朝は自転車を直してくれてありがとう。お陰で遅刻しないですんで、とても助かったの。これ、家庭科実習で私が作ったシュークリームなの。今朝のお礼。良かったら食べて。」

「………いらねー。」

 袋に入れたシュークリームを差し出すと、ゼフェルは嫌そうな顔をして教室を出ていこうとする。

「でも…あの………。」

「馬鹿アンジェ。知らなかったの? 皇帝は甘い物、嫌いなのっ!」

 教室を出ていこうとするゼフェルを追いかけようとしたら、真後ろに来ていた友達に袋を取り上げられて止められる。

「甘い物が嫌い?」

「そう。皇帝は甘い物が嫌いなんだよ。………あんたさぁ。皇帝のことが気になんなら、そのくらい覚えときなよね。」

「そんなんじゃない…モン。」

 袋の中のシュークリームにパクつく友達に、私も口を尖らせながらシュークリームにパクつく。

 甘いはずのクリームがホンの少しだけしょっぱかった。

 それから数日後のクラス対抗野球大会で、ゼフェルが怪我をしたと保健委員の私に連絡が入った。

 慌てて保健室に行く途中、廊下で友達とすれ違った。

「あれ? アンジェ。どうしたの? 私、これから応援に行くんだけど、あんたも行かない?」

「ごめん。ゼフェルが怪我したって………。」

 そこまでしか言葉が出なかった。

 よく判らないけど、心配で心配で堪らなかった。

「皇帝が怪我? それであんた、そんなに慌ててるんだ。………ねぇ。アンジェ。皇帝ってさぁ……………。」

 保健室に急ごうとしていた私の足が、友達の言葉に止まってしまう。

「ドラマの中の皇帝ってさぁ。すっごく嫌な奴だけど、結構ファンが多いんだよね。クールで冷酷無比な所が堪らないって。………うちのクラスの皇帝もさぁ。案外そう思ってる子が多いかもよ? うかうかしてると取られるぞっ! 早く自覚しろっ! アンジェ!」

 バシンッ…と私の背中を叩いて、友達は校舎の外へと行ってしまう。

 自覚って……………。

 そんなんじゃないモン…と、きっぱり言い切る自信が、いつの間にか無くなっていた。

「失礼します。」

 保健室に入ると保健医の先生はいなくって、ゼフェルが壁際の椅子に一人で座っていた。

「大丈夫? ゼフェルくん。」

「軽い捻挫だから大したことねーよ。他の奴等が大騒ぎしすぎんだ。それよりおめーよ。くんなんて気色悪りぃ呼び方、止めろよ。ゼフェルで良いって。」

「うん。判った。」

 利用者ノートにクラスと名前と症状、そして使用する薬剤名を書き込みながら、ゼフェルの言葉に頷く。

 書き終わったノートを机の上に戻して、私は棚から湿布薬と包帯を取り出しゼフェルの前にしゃがみ込んだ。

「自分でやるから、いい。」

「だ〜めっ! こう言うのは、保健委員の私に任せなさい。」

 嫌がって足を引っ込めようとするゼフェルをたしなめると、ゼフェルは仕方なさそうに足を戻す。

 恥ずかしいのかな?

 少し顔が赤くなってる。

 なんか…可愛いなって、思っちゃった。

 もしかしたら今の姿がゼフェルの本当の姿で、私達が皇帝に似ていると思っていた姿は、作られた仮の姿なんじゃないかなって思えてしまう。

「へぇ。結構うめぇのな。」

 きつくもなく緩くもなく、きっちりと包帯の巻かれた自分の足をしげしげと見つめたゼフェルが呟く。

「慣れてるの。私のお兄ちゃんもしょっちゅう捻挫してるから。それより、腫れがひくまでは毎日、朝と夜の二回。湿布の交換してね。」

「めんどくせぇ。………っ!」

「きゃっ…。」

 めんどくさそうに呟いて立ち上がりかけたゼフェルが足の痛みにバランスを崩す。

 慌てて支えようとしたけど私には無理だったみたいで、頭を思いっきり壁にぶつけてしまった。

「もうっ! 痛いんでしょ。面倒くさいとか言ってる余裕無いんだから、ちゃんと湿布交換してよねっ! 聞いてる? ゼフェルっ!」

「判ったから、あんま耳元でキャンキャン吠えんな。」

「キャンキャンって、私は犬じゃ……………。」

 言いかけた言葉が超ドアップのゼフェルに驚いて消えてしまう。

 ゆっくりと近づいてくるゼフェルの顔。

 どんどん。

 どんどん。

 どんど……………。

「………朝と放課後。ここに来っから、やってくれよ。包帯。」

「…………………………うん。」

 耳まで赤くしたゼフェルが、小声で呟きながら保健室を出ていく。

 私は小さな声で頷いて、ゼフェルが触れたことを確かめるように唇に指をあてた。

 惚れちゃった…んだな。

 皇帝じゃない、本物のゼフェルに。


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