見習うべき所
「ディア様って素敵ですね。」
日の曜日。
女王補佐官の部屋を訪れた女王候補アンジェリークが、優雅な手つきでお茶を入れるディアに呟く。
「まぁ。どうしたの? アンジェリーク。」
突然の言葉にも係わらず優雅に微笑むディアに、呟いた方のアンジェリークが顔を赤くする。
「す…すみません。変なことを言いました。あ。だけど、ディア様が素敵だなって言うのは本当ですよ。お優しいし優雅だし気品があって。ホント、私とは大違い。」
言いながら、ついつい俯いてしまう。
本当はディアの所ではなく、鋼の守護聖の所へ行くつもりだった。
一昨日までは。
だけど昨日、部屋で話をしていて、些細なことでゼフェルを怒らせてしまったのだった。
『おめぇもちっとはディア様を見習えっ!』
去り際のゼフェルの言葉が甦る。
「ゼフェルと何かあったの?」
涼しい顔であっさりと尋ねるディア。
何もかもお見通しなのだろう。
カップを差し出すディアの微笑みに、ふっ…と身体の緊張が解れた。
「あの…昨日、ゼフェル様とお話ししていて………。」
「昨日?」
「あっ! いいえっ! 前に…です。以前。」
オウムのように言葉を繰り返すディアに、アンジェリークは慌てて訂正をいれた。
昨日…土の曜日は大陸視察のため、王立研究院へ行くことが義務づけられている。
なのにゼフェルが訪れて………。
アンジェリークは視察ではなく、ゼフェルと共に過ごすことを選んでしまったのだった。
いくら穏やかなディアとは言え、本当のことを知ったら眉をひそめるのは間違いないだろう。
「そう? ………で、その時、ゼフェルとどんな話をしたの?」
「話自体は大したこと無かったんです。好きな食べ物のこととかそう言う………。ただ…その時、ゼフェル様の頭の上にお茶を零しちゃったんです。」
「あら。まぁ。」
これにはさすがに驚いたのか、ディアが目を丸くする。
「慌ててたんですよ。ジュースを出したんですけど、そんな甘い飲み物よりお茶かお水の方が良いって言われて………。用意したお菓子もゼフェル様には甘かったみたいで、もの凄く嫌そうな顔をしてたし………。」
「そう。それで急いで用意していて、途中で何かに躓いちゃったのね?」
「はいっ! そうなんです。」
「それじゃあ大変だったでしょう。」
「そうなんですよ。もうゼフェル様、カンカンに怒っちゃって………。」
言いかけて、アンジェリークがふと気付く。
「あの…ディア様? 何で私が躓いたって判ったんですか? 私…そんなに落ち着き無いですか?」
昨日の出来事をズバリと言い当てられて、思わず落ち込んでしまう。
誰の目から見ても、自分は落ち着きのない粗忽な人間なのだろうか?
……………と。
「そんなことはないわよ。アンジェリーク。私があなたの行動を判ったのは…そうね。あなたに似た親友がいたから…って事にしておきましょうか。」
内緒よ…と言いたげに、人差し指を口に当てるディア。
そんなディアの姿に、アンジェリークは以前、ディアと女王陛下が親友同士だったと、ゼフェルが言っていたのを思いだした。
「誰にも何にも物怖じしない、行動力のある人でね。あなたを見てると本当に彼女を思いだすの。ちょっとうっかり者で、大雑把な性格に見られがちだったけどね。私自身にも似たような所があるからかしら? 私達はとても気があったのよ?」
「うっかり者で大雑把?」
アンジェリークが信じられないと言った声音で、ディアの言葉を繰り返す。
薄い幕越しでしか見たことのない女王陛下や目の前にいるディアが、自分と同じようなおっちょこちょいとは、とてもじゃないが思えなかった。
「信じられないかしら? 本当よ。だから判るの。………はい。アンジェリーク。」
未だに信じられなくて目を丸くしているアンジェリークに、ディアがテーブルの上のお菓子を素早くまとめて手渡す。
「パンタイプのベジタブルケーキよ。それならゼフェルでも食べられるわ。本当はゼフェルに会いに行くつもりだったのでしょう? まだ日も高いから早くお行きなさい。ゼフェル…あなたが来るのを待っているわよ。あんまり待たせると謝りにくくなるわよ。」
にっこりと微笑むディアに、アンジェリークは再び目を丸くする。
自分の行動ばかりか、ディアにはゼフェルの行動まで判ってしまうのだろうか?
「………判るの。短気で怒りっぽくて独占欲の強い人の考えは特に…ね。」
そんなアンジェリークの疑問を察したのか、再びディアは人差し指を口に当てて呟く。
「あの…ディアさ……………。」
「私の話はこれでおしまい。早くゼフェルと仲直りしなさいね。」
優しく…だけど悲しげに微笑むディアに、アンジェリークは何も言えなくなる。
深く礼をとってディアの部屋を出て、廊下を歩きながら考えた。
自分と似たような所があると言ったディア。
そして、ゼフェルのような性格の人間の考えが判る…とも。
ならばディアは、ゼフェルに似たような所がある人物と知り合っていたのだろうか?
その人物は、ゼフェルが自分に対して抱いているのと同じ感情を、ディアに対して持っていたのだろうか?
そしてその人物とは悲しい別れをしてしまったのだろうか?
去り際の寂しげな微笑みが、そう思わせてならない。
「遅せぇっ!」
ゼフェルの執務室の扉を開けた途端、そんな怒声が飛んでくる。
「ゼフェル様……………。」
ディアが言った通り、ゼフェルは本当に首を長くして自分が訪れるのを待っていたようだ。
部屋に敷かれた絨毯の一部分が、何度も何度も踏まれたらしく、うっすらと一本道を作っていた。
「遅れてすみませんでした。それと…昨日はごめんなさい。」
「良いって。いつものこったから。それより何処で道草くってたんだよ。」
ペコリと頭を下げて素直に謝ることが出来た。
ディアのお陰だろうか?
それとも絨毯の一本道のせいだろうか?
「昨日、ゼフェル様にディア様を見習えって言われたんで、ディア様の所に行ってました。お茶の用意しますね。今度はばっちりですから。」
「このタコ。どう逆立ちしたって、おめーがディア様みてーになれる訳ねーだろ。おめーはおめーのままで良いんだよ。」
「そんなの判りませんよ。前例があるんですもの。」
「…んだよ? その前例って。」
「女同士の秘密です。」
まだ何か言いたげのゼフェルを残して執務室奥のキッチンに向かう。
良い所だけ見習っていこうと思っていた。
ディアのように落ち着きのある女性になろう…と。
ゼフェルの言うとおり、自分らしさはそのままで。
悲しい別れをしないですむように…と。