ルーレット
カラカラと小気味よい音を響かせて廻っていたルーレットが回転を止めると、ルーレットの中を転がっていたボールがコトリと枠の中に収まった。
「まぁ! また当たったわ。おほほほほ。」
ギンギラギンに飾り立てたババアの金切り声が頭にキンキン響く。
黒服はまだ合図を寄こさない。
「素晴らしいですね。奥様。いかがですか? この辺で一つ大勝負に出てみては。」
「あら。宜しいわね。」
黒服の巧みな話術にババアはコロッと引っかかった。
『バーカ。』
表面上は無表情に、だけど心の中でババアに舌を見せる。
俺は廻るルーレットの中にボールを落とした。
ルーレットが回転を緩めると、ボールはババアの言った色の枠内に収まっていた。
「おーほほほほほほほっ!!!!!」
ババアの金切り声がますます甲高くなる。
『いい加減にしてくれよ。』
俺は目だけで黒服に合図を要求した。
このババアの金切り声をこれ以上聞いてられなかった。
「素晴らしいっ! 本日のツキは奥様が一人でお持ちのようだ。」
「さぁさ。次も参りますわよ。」
「奥様。これ以上はあまりにもリスクが………。」
「構いませんことよ!」
完全に熱の上がったババアが今までの儲けを全部黒に賭ける。
黒服からの合図がようやく出る。
俺はさっきと全く同じ動作でルーレットを回しボールを落とした。
徐々にスピードを緩めるルーレット。
黒い枠に入りそうになったボールは出っ張った枠にあたり、コトンと隣の赤い枠の中に収まり動きを止めた。
「ぎゃーっ!!!!!」
ババアの悲鳴が店内に響き渡る。
ショックのあまり失神したババアを余所に、俺は他の奴とディーラーを交代する。
「………良くやったぜ。さすがだな。」
離れ間際に黒服がボソリと呟き嫌な笑みを浮かべてみせる。
『ふ…ん。』
俺は当然だと言わんばかりに黒服に視線をやって控え室に向かった。
この詐欺まがいのイカサマカジノで働くようになってから、どのくらい経ったのかは覚えてねー。
面白半分で通っていて…ここのオーナーに目を付けられた。
俺がルーレットの枠に自由自在にボールを落とすことが出来るって事に。
そして色んな難クセをつけられて…いつの間にかここで働くハメになった。
控え室に入ると同時に、つけていた蝶ネクタイを外してワイシャツの前を開く。
途中のバーで引ったくってきたバーボンをラッパ飲みする。
いつまでもこんな家業を続ける気はさらさら無かった。
だけど、すましたツラをした奴等が狼狽える様を見るのは何とも小気味よかった。
『もう…カタギには戻れねーんだろーな。』
半ばヤケ気味にバーボンをあおっていた俺の元に、黒服の一人が慌てた様子でやってきた。
「ゼフェルっ! 大変なんだ。オーナーが呼んでる。台に戻ってくれ。」
緩めた服を直してルーレット台に戻ると、さっきのババアを後ろに従えた若い女がオーナーと向き合っていた。
その手元には……………。
『おいおい。冗談だろ?』
イカサマでぬか喜びさせていたババアが持っていたチップよりもはるかに多いチップがその女の前に並べられている。
オーナーが俺の存在に気付いた。
「お嬢さん。ディーラーを変えたいのだが宜しいかな?」
「………私のルールでやらせて頂けますか? それならディーラーさんを変えても構いませんけど?」
不敵なツラで笑うオーナーに、少し考え込んだ女が遠慮がちに答える。
「あなたのルール? どんなルールですかな?」
「それは…あなたがOKしてくれるまで秘密です。」
にっこりと笑う女に今度はオーナーが考え込む。
「………良いでしょう。あなたのルールでやりましょう。その代わりにこちらもディーラーを交代させて頂きますよ。……ゼフェル。」
葉巻1本分の時間をかけて考えたオーナーの返事に女が頷く。
指先で俺を呼ぶオーナーに、俺はルーレット台の前に立って女に一礼した。
「それじゃ次で終わりにしたいから……。もし私が負けたらお祖母様の負け分と私の負け分。全部お支払いしますね。」
女の言葉にどよっと店内がどよめく。
とてもじゃないが、払いきれる額じゃ無い。
「もし私が負けたら…ですか。あなたは勝つ気でいるようだ。では仮に私が負けたらあなたに何を差し上げれば宜しいかな?」
オーナーは面白くて仕方がない…といった様子で笑う。
そりゃそうだろう。
俺を立たせたって時点で、オーナーの勝ちは決まっている。
「私が勝ったらチップはいりません。その代わり、お祖母様の負け分は無しにしてください。それと…そのディーラーさん。私に下さい。」
『……………はぁ?』
女の言葉に俺は耳を疑った。
オーナーも目が点になっている。
「ゼフェルを…ですか? この男はうちの看板ディラーなのですが………。」
「だから欲しいの。わざわざここに来なくても自宅で遊べるでしょ。………始めましょ。」
女の言葉にオーナーは頷き、俺はルーレットを回転させた。
「さぁ。どちらの色にしますかな?」
「ディーラーさん。ボールも投げちゃって。」
ガタンッ!
女の言葉にオーナーが椅子から立ち上がる。
「お嬢さん。いま…何と?」
「先にボールを投げてください。それから赤か黒か選びます。これが私のルールです。」
真っ直ぐ俺を見たままの女に、オーナーが苦り切った表情で椅子に座り直す。
俺は女を睨み返してボールをルーレットの中に落とした。
このルールなら、どっちに転がろうと俺の知ったこっちゃ無かった。
「……………赤。」
緑の瞳で真っ直ぐに俺を捉えたままの女が色を告げる。
店内が水を打ったように静まりかえった。
カタン…と軽い音がして、ルーレットが止まる。
「あ…赤です。」
黒服の言葉に女の表情が緩む。
「私の勝ちですね。お祖母様の負け分。無しにして貰いますね。」
「……………判りました。」
嬉しそうに立ち上がる女の言葉に、長い溜息を吐いたオーナーが呟く。
「アンジェリーク。ありがとう。ホントにお前は幸運の天使だよ。」
「もう。お祖母様。おだててもダメよ。いくらルーレットが好きだからって、あんまり夢中になり過ぎちゃダメって言ったでしょ。」
「ごめんなさいねぇ。」
ババアと女はそんなことを言いながら出口へと向かう。
「えっと…ゼフェル。何をしてるの? あなたも一緒に帰りましょ。」
ルーレット台から動かない俺を女が呼ぶ。
『マジか?』
恨めしげなオーナーの真横を通って女の後を追う。
どうやら俺はこのイカサマカジノから離れられるらしい。
「………よぉ。」
黒服に見送られて外へ出た女に俺は声を掛けた。
「何?」
「さっきの勝負。あんた…何で赤にしたんだ?」
振り返るそいつの金色の巻き毛が夜のネオンの中で波打つ。
「………このお店。あんまりいい評判聞かないの。実際来てみたらホントに嫌な目をした人が多くて嫌になっちゃった。」
「??? 答えになってねーぜ。」
こいつの言葉は俺には理解不能だ。
「嫌な目をした人ばっかりの中でね。あなただけだったの。綺麗な目をしてたのは。あなたの目の色があんまり綺麗だから赤を選んじゃった。良かった。当たって。」
ふふふと笑う女に俺は何も言えなくなる。
幸運の天使…ババアがさっきこの女をそう言っていた。
『アンジェリーク(天使)…か。』
どうやら不運続きだった俺にも幸運の天使は微笑んだようだった。