君の誕生日


「あれっ? ゼフェル。何でそんな所にいるのさ。」
「ああっ? 俺が俺の家にいちゃいけないってのか? マルセル。」
 鋼の守護聖の家の前を通りかかった緑の守護聖マルセルの驚いたような言葉にゼフェルは怪訝そうに眉をよせた。
「いけなくはないけどさ。……ゼフェル。もしかしてずっと家にいたの?」
「…ったりめーだろ。ここんトコ宇宙に俺の力は必要無かったからな。久しぶりに大がかりなメカの改造してたんだぜ。見るか?」
 得意そうに尋ねるゼフェルにマルセルは目を細めた。
「………ねぇ。ゼフェル。一昨日。何の日か知ってる?」
「一昨日? ……………知らねぇな。謁見の日だったっけか?」
「ホントーに知らないの?」
「知らねぇモンは知らねぇよ。マルセル。てめー。何が言いたいんだよ?」
 真顔で尋ねるマルセルにゼフェルは不機嫌そうに答えた。
「ふぅーん。知らないんだ。じゃあさ。一昨日。アンジェリークが朝からずっと家の前で誰かさんを待っていたのも知らないんだね。」
「あいつが? それとこれと何の関係が……………。」
 マルセルの言葉に不思議そうな顔を見せたゼフェルが突然黙り込む。
 ゼフェルの顔からさぁーっと血の気が引いていく音をマルセルは聞いたような気がした。
「………思い出した?」
 コクリとゼフェルが無言で頷く。
「酷いよね。ゼフェルも。恋人の誕生日忘れるなんてさ。」
 目を細めたマルセルに言い返す言葉も無い。
「一日中外で待ってたんだよ? アンジェリーク。それなのに当のゼフェルはずっと家にこもってメカの改造をしてたんだ。」
「……………。」
「……もう。早く謝りに行って来なよ。アンジェリーク。怒ってるんだからね。」
「あ…ああ。」
 マルセルに背中を押されてゼフェルは女王補佐官の私邸に向かって走り出した。


『やっべぇ〜。すっかり忘れてたぜ。あいつ…怒ってんだろうな。』
 そう考えながらもの凄い勢いで廊下を走る。
 女王補佐官の私邸を鋼の守護聖が訪れる事自体は珍しくは無いのだが、慌てたように走る姿はこれまで無かったらしく、侍女達が何事かと驚いたように走り去るゼフェルの後ろ姿を見送っていた。
「アンジェリークっ!」
「あら。ゼフェル様。」
 扉を壊しかねない勢いで室内に飛び込んできたゼフェルに、机に向かっていたアンジェリークが顔を上げてにっこりと微笑んだ。
『よ…良かった。こいつ怒ってねぇ。』
「何かご用ですか? 宇宙のほうはもう十日程は鋼の力を必要としていませんからごゆっくりなさって頂いて構わないんですよ。」
『……訳じゃねぇ。怒ってる。こいつ滅茶苦茶怒ってる。』
 あくまでも補佐官として自分に話しかけるアンジェリークにゼフェルはアンジェリークが心の底から怒っている事を察した。
「あ…あのな。アンジェリーク。」
「特にご用がないのなら退室して頂けませんか? 今日中にこの書類をまとめてランディ様の所へ持って行かなくてはならないんですから。」
 そう言ってアンジェリークは書類の束に視線を戻す。
「お…俺の話を聞けよっ!」
「ですから。おっしゃって下さい。何のご用ですか?」
「………悪かった。おめーの誕生日忘れて悪かったよ。だからそんな口のききかたすんなよ。頼むからそんな事務的な言い方しねーでくれよ。」
 アンジェリークにこんなしゃべり方をされるのは耐えられなかった。
 こんなしゃべり方をされる位ならまだ泣いて口を尖らせて大嫌いと罵倒された方が良かった。
「なぁ…頼むから普通にしゃべってくれよ。」
「私は普通に話してますけど? おかしなゼフェル様。」
「アンジェリークっ!」
 たまりかねたゼフェルが叫ぶ。
 つかつかと近寄り椅子に座るアンジェリークの脇に立つ。
「いい加減に止めてくれよ。悪かったって言ってっだろ?」
「何の事だか判りません。」
 ゼフェルの方を見ようともせずアンジェリークが言い放つ。
 そんな態度だけで彼女がどれ程怒っているのか簡単に想像がついた。
「よぉ。どうしたら機嫌直してくれるんだよ。言ってくれよ。」
 さすがに今回の事は自分に全面的に非があるのでゼフェルにしては珍しく、かなり根気強くアンジェリークに声をかけ続けていた。
「……ゼフェル様。私、本当に忙しいんです。ご用がないなら出ていって下さいませんか?」
 しかし自分の方を見ようとしないアンジェリークの態度とこの一言にゼフェルの堪忍袋の尾が切れた。
「きゃっ! 何を……ん…。」
 アンジェリークの金色の髪を乱暴に掴むと無理矢理上を向かせて唇を重ねる。
 抗う手を片手であっさりと押さえ込み深く長く唇を合わせた。
「……アンジェリーク。」
 アンジェリークの身体からすっかり力が抜けた頃にゼフェルはゆっくりと唇を離し、ぼーっとしている彼女を抱きしめた。
「……ゼフェル様。」
「ん? 何だ?」
 自分の名を呼ぶアンジェリークにゼフェルは抱きしめていた腕の力を緩めて顔を覗き込んだ。
「なんて事をなさるんですかっ! ゼフェル様の莫迦っ!」
 バチーンと言う激しい音と共に痺れるような痛みが頬に走る。
 アンジェリークはエメラルドグリーンの大きな瞳に涙を一杯に浮かべたままゼフェルを突き飛ばすと部屋を出ていってしまった。
「……ってぇー。」
 突き飛ばされ尻もちをついたゼフェルは顔をしかめて叩かれた頬ではなく胸に手を当てていた。


「ここにもいねぇ。参ったな。あいつ……。何処に行っちまったんだろう?」
 さすがにまずいと思ったゼフェルがアンジェリークを捜してポツリと呟いた。
 思いつく限りの場所を捜したがアンジェリークは見つからなかった。
「よぉ。おめーら。アン…補佐官知らねぇか?」
 聖地の扉の所に来たゼフェルは門番の男達に尋ねた。
「補佐官様でしたら女王陛下の御許可を頂いたとかで外へ行かれましたが?」
「な…何ーっ! 本当か?」
「はい。私が途中までお送り致しました。間違いございません。」
「な…何てこった。」
『俺のせいか? 全部……。』
「ゼフェル様?」
「何でもねぇ。ありがとな。」
 呆然とした自分を怪訝そうに見つめる門番に礼を言ってゼフェルは私邸に駆け足で戻っていった。
『あいつ…まさか俺に愛想つかして元の世界に戻ってったのか? 冗談じゃねーよ。まだまともに謝ってもねーってのに………。』
 ゼフェルはエアバイクに飛び乗るとエンジン音を響かせ一気に聖地の結界を突き抜けていった。
「あいつの行きそうな所っつったら………。」
 バイクを降りたゼフェルはアンジェリークの行きそうな場所を思い出し、人混みの中を早足で歩き始めた。


『………いた。』
 さほど大きくない公園のブランコをゆらゆらと揺らすアンジェリークの姿をゼフェルが見つけたのは捜しはじめてすぐの事だった。
「………よぉ。」
 俯くアンジェリークに遠慮がちに声をかける。
「ゼ…ゼフェル様?」
 顔を上げたアンジェリークはゼフェルの姿に驚いたように立ち上がった。
「な…何をしてらっしゃるんですかっ! また聖地を抜け出して。」
「それはおめーの方だろ。女王の許可を貰ったなんて大嘘つきやがってよ。」
「なに言ってるんですか。陛下のお許しを貰ったのは本当の事です。私は私の分と陛下の分の買い物に来たんですから。本当にゼフェル様ったら。聖地を抜け出して今度は何をするつもりだったんですか? 駄目じゃないですか。そんなに何度も聖地を抜け出しちゃ……。」
「へっ?」
 たしなめるようなアンジェリークの言葉にゼフェルは呆然となった。
「ゼフェル様?」
「アンジェリーク。許可は本当なのか?」
「でなかったら此処にはいません。」
「俺に愛想つかしたからじゃ………。」
「は?」
 かーっと顔が熱くなる。
「な…何だよ。俺の早とちりかよ。」
 顔を手で覆うゼフェルにアンジェリークがクスリと笑った。
「私がゼフェル様に愛想つかして元の世界に帰ったと思ったんですか?」
「………ああ。」
「莫迦みたい。」
「言うなよ。俺もそう思ってんだからよ。」
 再びブランコに腰掛けるアンジェリークの顔をゼフェルはまともに見られない。
「よく此処が判りましたね。」
「おめーの好きな場所だろ。此処は。おめーの好きなものは何でも覚えてるよ。ウィンドーショッピングにウサギやクマのぬいぐるみ。ピンクのガーベラに白い薔薇。おめーと同じ名前のチューリップにおめーの大陸エリューシオン。ケーキは何でも好きだけど一番好きなのがイチゴのタルト。」
「………よく覚えてますね。女王候補の頃に一度言っただけなのに……。でも…一つ抜けてる。」
 指折り数えながら言うゼフェルの姿にアンジェリークは笑った。
「へっ? 他にあったか? 今ので全部じゃなかったか?」
「一つ一番大事なものを忘れてる。」
 悪戯っ子のように笑うアンジェリークにゼフェルは必死になって忘れてるあと一つを思い出そうとした。
「判らない?」
「……………。」
「ねぇ。本当に判らないの?」
「……判らねぇ。降参だ。」
 両手を揚げるゼフェルにアンジェリークはブランコから降りるとゼフェルの隣りに立った。
「教えて欲しい?」
「ああ。」
 アンジェリークを正面から見つめるようにゼフェルがゆっくりと向き直った。
「本当に? どうして?」
「……おめーの事は何でも知りてーからだよ。教えろよ。」
「目を閉じてくれる?」
「……こうか?」
 アンジェリークの言葉にゼフェルはゆっくりと瞳を閉じた。
「絶対! 目を開けちゃ駄目よ。私の一番好きなものはね。意地っぱりで怒りっぽくて……。彼女の誕生日も忘れちゃう位機械いじりが好きな……ゼ・フ・ェ・ル・さ・ま・なの。」
 一言一言区切るようにゼフェルの名を囁くとアンジェリークはそっと唇を重ねた。
 驚いたゼフェルは一瞬目を開け、再び静かに瞳を閉じてアンジェリークの身体に腕を廻した。


「ねぇ。ゼフェル様。」
「うん?」
 聖地に戻り、補佐官の私邸への道のりをゆっくり歩くゼフェルの腕に手を回したアンジェリークがゼフェルの顔を覗き込む。
「明日……。怒られますよ。」
「んなの平気だよ。いつものこった。」
「でもロザリア…陛下が考えた処罰って……。ゼフェル様には凄く辛いかも?」
「あ? 何だよ。その処罰って……。」
 心配そうに言うアンジェリークにゼフェルが怪訝そうに尋ねた。
「聞きたい?」
「聞かせろよ。」
「……一ヶ月間私に触っちゃ駄目!」
「なっ………。」
「触るだけじゃなくて話をするのも駄目にしようってジュリアス様と話してた。」
「………戻るぞ。」
「えっ?」
 踵を返したゼフェルがアンジェリークの手を握り自分の館に戻りだした。
「ゼフェル様? 戻るって………。」
「冗談じゃねーよ。一ヶ月間も我慢できるかってんだ。だったらおめーを俺ん家に閉じ込めとくよ。俺は……。」
「ゼ…ゼフェル様! 閉じ込めてって…何もそんな事………。」
「じゃあ、おめーは平気なのか? 一ヶ月間俺に会えなくて………。」
「……………莫迦。平気な訳ないじゃない。」
「だろ? だから俺ん家に来るんだよ。これからはずっと俺んトコいろ。いいな。」
 真っ赤になったアンジェリークの手を握りしめたままゼフェルは自宅への道をずんずんと歩き続けた。
「……ゴメンな。」
「えっ?」
 ややしばらくしてゼフェルがポツリと呟いた。
「おめーの誕生日。忘れててゴメン。プレゼントも無ぇし………。」
「ううん。良いの。一番欲しい言葉を貰ったから。ずっと俺の所にいろって。」
 そんなアンジェリークの言葉にゼフェルは驚いたように立ち止まった。
「いつ言ってくれるんだろう? ってずっと待ってたの。二日遅れだけど…今までで一番嬉しいプレゼントを貰ったからもう良い。」
「……………。だったらそれらしく運んでやるよ。」
「えっ? きゃあっ!」
 ニヤリと笑ったゼフェルはアンジェリークを横抱きにすると再び自分の館へと歩き出した。


 翌日無断で聖地を抜け出した鋼の守護聖に、彼にとっては厳しい処罰が言い渡された。
 しかしそれが全く効き目のない事に周囲が気が付いたのは、もうしばらく後の事であった。


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