切ない男心


 どさどさどさっ。
「ちょ…ちょっとゼフェル。こんな夜中に人のこと叩き起こして何なのさ。それにその荷物は。」
「……悪りぃ。しばらくの間、泊めてくれ。」
 深夜。
 突然、館にやってきて持っていた荷物を広げ始めた鋼の守護聖ゼフェルの言葉に夢の守護聖オリヴィエが口をポカンと開けて立ち尽くした。
「泊めてって……。なぁに? あんた達ケンカでもしたの? 新婚ほやほやのクセに………。」
「ケンカの方がまだましだよ。」
 冷やかすようなオリヴィエにゼフェルはポツリと呟くと口を閉ざした。
『あらら。黙り込んじゃったわ。こうなるとこの意地っぱり坊主は何にも言わないのよねぇ………。』
 黙り込んだゼフェルにオリヴィエが心の中で溜息をついた。
「仕方ないわね。泊めてやっても良いけど一つだけ条件があるわよ。」
「判ってるよ。部屋ん中でメカの改造すんなってんだろ? だからメカの類は持ってきてねーだろ。」
「そっ。判ってれば良いのよ。部屋の中オイル臭くなったら堪らないもの。……そこじゃなくて奥の部屋貸してあげるわよ。入りなさいよ。」
「………サンキュ。オリヴィエ。」
『仕方ない子達だよね。全く……。何があったんだか。』
 広げた荷物を拾い集め奥の部屋に向かうゼフェルにオリヴィエはやれやれと言いたげに肩をすくめていた。


「ッモーニン。アンジェ。………ん?」
「オ…オリヴィエ様………?」
 次の日。
 女王補佐官の部屋を訪れたオリヴィエは目を赤くしているアンジェリークに怒ったように眉を寄せた。
「なぁに? 目が真っ赤っかのウサギさんみたいじゃない。寝てないの?」
 オリヴィエの言葉にアンジェリークが無言で頷いた。
「ふぅーん。そっか。まぁ当然よね。新婚さんだもの。寝不足にもなるわよね。どーせゼフェルがなかなか寝かせてくれないんでしょ。」
 昨夜、自分の家にゼフェルが泊まった事を承知の上でオリヴィエはわざとそう言ってみた。
「ち…違いますっ!」
「あら。そうなの?」
「当たり前です。オリヴィエ様。変な想像なさらないで下さい。だって私達…まだ十七なんですよ。そんな事………。」
『ちょ…ちょっと待ってよ。まだ十七って………。』
「ア…アンジェリーク? 変な事聞くけどさ。あんた達。ちゃんと愛し合っているんでしょうね?」
「………はい。勿論です。」
「その…夜の方は……………。」
 カーッと赤くなった顔を更に赤くするアンジェリークにオリヴィエが言葉に詰まる。
「夜…二人で寝てるんでしょ?」
「………ゼフェル様に…腕枕して貰って眠ってます。抱きしめて貰うと雲の上を歩いているみたいにフワフワして気持ちよくって………。」
「……抱きしめて貰う…だけ?」
 頬に手を当て恥ずかしそうに頷くアンジェリークにオリヴィエはゼフェルの『ケンカの方がまし』と言った言葉の意味を理解した。
「オリヴィエ様……?」
 眠るアンジェリークの脇でどうすることも出来ずに悶々としているゼフェルの姿を想像したオリヴィエが肩を震わして笑い始めた。
 アンジェリークはそんなオリヴィエを不思議そうに見つめていた。
「ね…ねぇ。アンジェリーク。ゼフェルはちゃんと眠ってるの?」
「えっ? それは……。私の方が先に眠っちゃうし…朝はゼフェル様の方が早いから………。」
『つまりは眠ってない…と。』
「ふーん。それで? 今日あんたの目が赤いのは何でなのかな?」
「……………。」
 オリヴィエの言葉にアンジェリークが顔を曇らせる。
「ゼフェル様が…ゼフェル様が夕べ突然荷物をまとめて家を出て行っちゃったんです。それで私…心配で眠れなくって……。夕べの事はゼフェル様の方が悪いのに………。」
「……夕べ。何があったのかな?」
 泣き出しそうなアンジェリークにオリヴィエが優しく尋ねた。
「私…ゼフェル様に抱きしめて貰うの大好きなんです。もうそれだけでうっとりする位幸せで……。なのにゼフェル様ったら時々意地悪して私の耳たぶを噛んだり胸を触ったりするんですよ。夕べも………。」
『何だかめまいがしてきたわ……。』
「……アンジェリーク。まさかとは思うけどさ。あんた…赤ちゃんの作り方………。」
「し…知っています。それ位。でも…でも私達には早すぎます。だから………。」
「今までずっとゼフェルを拒んできたの?」
 コクリとアンジェリークが頷く。
『惨いわぁ………。』
「昨日の夜もゼフェル様。私の事を抱きしめてくれたんです。気持ちよくってゼフェル様に寄り掛かったらゼフェル様ったら私の服を脱がし始めて……。慌てて駄目って言ったら凄くむっとした顔して私の事をベッドに押しつけたんです。だから…つい……。こんな事するゼフェル様なんか大嫌いって叫んじゃって………。そしたら荷物まとめて出て行っちゃったんです〜。」
『あー。成る程ね……。』
「アンジェリーク。泣かなくて良いのよ。」
 泣き出したアンジェリークをオリヴィエは慰めるように言った。
「……これはね。二人の問題だから私がとやかく言うのも何だけどさ。あんたの言い分は判ったわ。でもね。私も男だからさ。ゼフェルの気持ちも判っちゃうんだな。だから…あんたには男心を判って貰いたいな。」
「男心……?」
「そっ。男ってさ。好きな子が出来ちゃうとその子の全てが欲しくなる生き物なんだよね。……ゼフェルの事はさ。二・三日すればケロッとして戻ってくるわよ。その間、あんたはゼフェルの気持ちを考えてやってよ。それと…ちゃんと眠りなさいよ。寝不足はお肌に良くないからね。」
「ゼフェル様の気持ち? ……はい。判りました。オリヴィエ様。私…考えてみます。」
「うんうん。じゃあね。アンジェリーク。 」
 笑顔で出ていくオリヴィエをアンジェリークは涙混りの笑顔で見送った。


「ねぇ。ゼフェル。一杯付き合わない?」
 ベッドに寝ころんだまま天井を睨み付けるゼフェルにオリヴィエがグラスを片手に声をかけた。
「……んだよ。珍しいな。寝不足と深夜の深酒は美容の敵じゃなかったのかよ。」
「私だってたまには飲むわよ。いらないの?」
「誰もいらねーなんて言ってねーだろ。」
 そう言って起きあがりグラスを受け取る。
「……ねぇ。ゼフェル。」
 一時間ほどが過ぎて完全に酔ったゼフェルにオリヴィエが声をかけた。
「……ん?」
「あんたとアンジェリークってうまくいってないの? 夜中に突然私の所に来るなんてさ。」
「……うまくいってねー訳ねーだろ。ただ……。」
「ただ?」
 言葉に詰まるゼフェルに聞き返す。
「あいつがお子様過ぎるんだよ。抱こうと思って胸を触ればスケベだエッチだって大声出すし……。その気にさせようと思って耳たぶ噛んだり首筋にキスすりゃ今度はくすぐったいって騒ぐし……。てめーはこっちの気持ちも知らねーで抱きしめろだのキスしてだの何だのって散々甘えたコト抜かすクセによ………。」
「ヘビの生殺し状態なんだ……。」
「そっ。そうなんだよ。なにが私達にはまだ早すぎますだよ。十七の何処が早すぎるってんだよ。なぁ。そう思わないか? オリヴィエ。」
「はいはい。思いますとも。」
『ホント。酔うと多弁になるんだよね。この子……。』
 自分に詰め寄るゼフェルにオリヴィエは苦笑した。
 ゼフェルの本心を聞き出すための酒がこれほど効力をあげるとは思っていなかった。
「一ヶ月以上だぜ? 一緒に暮らすようになって……。その間あいつの寝顔を見せつけられて…どうしろってんだよ。ずっと我慢してたんだぜ? 我慢できなくなってあいつ押さえ込んで……。っきしょー。」
「それで拒まれて怒って飛び出しちゃったの?」
「違うっ! ………あいつを泣かしちまったから。」
『おんや?』
 突然ゼフェルの声のトーンが落ちる。
「あいつの嫌がる事はしたくない。だから我慢してた。でも…これ以上は駄目だ。限界なんだ。あいつを泣かせて傷つける位なら…あいつと離れていた方がいい。ただ…それだけなんだ………。アンジェ……………。」
 完全に酔いが回ったゼフェルが酔いつぶれて眠り込む。
「………ゼフェル? ……やれやれ。ボトル三本。すっかり空にされちゃったわ。」
 眠ったゼフェルの頬をつついたオリヴィエが空になったワインのボトルを逆さまに振る。
「……何だか私ってば莫迦みたい。二人に揃ってノロケられちゃったわ。……ま。それぞれの言い分は判ったんだし後は二人の問題ね。……ゼフェル。武士の情けよ。ちょっとだけ手助けしてあげるわ。」
 真っ赤なルージュを化粧箱の中から取りだしたオリヴィエはにっこりと微笑んでいた。


「ちょっとゼフェル。大変よ。」
「……ん。痛てて。なんだよ。オリヴィエ。頭が痛いんだから…んなキンキン声出すなよ。」
「二日酔い位なんだってのよ。それよりアンジェリークが倒れたんですってよ。」
「何だと?」
「部屋で倒れてる所を発見して…今はあんたの家に寝かしてあるそうよ。」
 オリヴィエの言葉も終わらぬ内にゼフェルはもの凄い勢いで自宅に戻っていった。
「アンジェリーク!」
「ゼフェル様っ?」
 ベッドの脇に立っていたアンジェリークは突然入ってきたゼフェルを驚いたように見つめていた。
「………お前。倒れたって……。大丈夫なのか? もう起きあがっても平気なのか?」
「えっ? 倒れたって…私がですか? 私…何ともありませんけ……………。」
 心配そうに近づくゼフェルの首筋についた赤いルージュにアンジェリークが目を丸くした。
「………ゼフェル様? 今まで何処にいたんですか?」
「何処って…オリヴィエの所に………。」
「オリヴィエ様……? 嘘っ! 嘘。嘘。嫌だ。嫌だ。嫌あっ!」
「お…おい? アンジェリーク?」
 首を激しく振り抱きついてきたアンジェリークにゼフェルは慌てた。
「ゼフェル様…他の女の人の所に行っちゃ嫌っ!」
「は……? 女の所って……。なに言ってんだ? お前……。」
「だって……。ゼフェル様お酒臭いし首に口紅がついてるし……。私以外の女の人の所に行っちゃ嫌っ!」
「首に口紅? ………オ…オリヴィエの野郎。」
 アンジェリークに言われて首筋を擦ったゼフェルが赤く色づく己の手にオリヴィエの悪戯を知った。
「落ちつけ。アンジェリーク。酒臭いのはオリヴィエの所で飲んだからで、この口紅もオリヴィエの悪戯だ。嘘だと思うならオリヴィエの所に行って確かめて来い。俺の荷物がまだ置いてあるから。」
「……ホントに? 本当にオリヴィエ様の所? 女の人の所じゃない?」
「当たり前だろ。お前がいるのに何で女の所に行かなきゃなんねーんだよ。」
 そう言ってゼフェルはアンジェリークを抱きしめた。
「あの…あのね。ゼフェル様。」
「………ん?」
「オリヴィエ様にね。男心を判って欲しい。ゼフェルの気持ちを考えてあげて。って言われたの。それでね。ずっと考えてたの。……ゼフェル様。私のこと…好き?」
「当たり前だろ。」
「大好き?」
「……ああ。」
「あの……。私の…全てが欲しいくらい?」
 消え入りそうな声でアンジェリークが尋ねた。
「……アンジェリーク?」
「あのね。オリヴィエ様に言われたの。男って好きな子が出来るとその子の全てが欲しくなる生き物なんだ。って。ゼフェル様もそうなの?」
「……ああ。おめーの全てが欲しいよ。だけどな。俺はおめーを泣かすのが一番嫌いなんだよ。おめーを泣かす位なら自分が我慢してた方がよっぽど良いんだ。……ゴメンな。この間は我慢できなかった。おめーが良いって言うまで我慢するつもりだから……。もし我慢できなくなったら頭が冷えるまでどっか他の奴の所に行ってるから………。アンジェリーク?」
 しがみついてくるアンジェリークをゼフェルは不思議そうに見つめた。
「……何処にも行っちゃ嫌。」
 ゼフェルの胸に顔を埋めるようにアンジェリークが呟いた。
「何処にも行かないで。他の守護聖様の所にも…どこかの女の人の所にも。私の所にいて。私を一人にしないで。」
「……………。」
「あのね。ゼフェル様の首の所に口紅がついているのを見た時…凄くショックだったの。私じゃない誰かを抱きしめているゼフェル様を想像するだけで身体中が震えてくるの。それで私判ったの。他の誰かを抱きしめるなら私を抱きしめて。私だけを抱いて。ゼフェル様に全部あげるから。私の全てをあげるから。」
「む…無理すんなよ………。」
「無理なんかじゃないのっ!」
 アンジェリークの言葉に必死に自分を押さえるゼフェルが言葉を絞り出す。
 そんなゼフェルにアンジェリークは更に言った。
「無理なんかじゃないの。私…ゼフェル様が好きなの。ゼフェル様だから…ゼフェル様だから私……。私の…全てをあげたいって………。きゃっ!」
 突然抱き上げられたアンジェリークが小さく悲鳴をあげた。
「今の言葉…本当だな?」
 真顔で尋ねるゼフェルに顔を赤くしたアンジェリークがコクリと頷いた。
「ゼ…ゼフェル様………?」
「もう…我慢するのは止めるぞ。」
 そっとアンジェリークをベッドに横たえたゼフェルが告げる。
「あ…あのっ……。ま…待って………。」
「待たない。言っただろ? もう我慢しないって……。」
「ち…違うの。だって…朝なのに………。」
「関係ねーよ。」
「そ…外、明るいし……。」
「……………。」
「ゼフェ……ん……………。」
 唇を塞がれたアンジェリークが瞳をきつく閉じる。
「……あっ! ま…待って。ゼフェル様。駄目っ!」
 服に手をかけるゼフェルにアンジェリークが叫んだ。
「……アンジェリーク。お前の許しが出るまでは我慢できた。どんなに辛くても我慢するつもりだった。でも…許しが出ちまったら…もう歯止めが効かねぇよ。」
「ま…待って。ゼフェル様。鍵……。お願い。鍵…閉めて。誰かが入ってきたら恥ずかしい…から………。」
 アンジェリークの言葉にゼフェルはサイドボードに手を伸ばす。
 カチャリと電子ロックの音が室内に響いた。
「……これで良いだろ?」
「ゼフェル様………。」
 ニヤリと笑うゼフェルにアンジェリークが視線を逸らす。
「アンジェリーク………。」
 ゼフェルの顔がゆっくりとアンジェリークに近づいていった。


「ゼフェル。」
 翌日。
 聖殿の廊下で呼び止められたゼフェルが足を止める。
「……なんだよ。オリヴィエ。」
「はいよ。これ。頼むわね。」
 ポンと手渡された包みをゼフェルが不思議そうに開く。
「……んだ? これ?」
「んふふ〜。ルヴァの所から貰ってきた鉱石だよん。そこに書いてあるデザイン通りに加工してよね。」
「嫌なこった。なんで俺がそんな事してやんなきゃなんねーんだよ。」
 つっけんどんなゼフェルの言葉にオリヴィエが目を細める。
「あっ。ふーん。そんな事言うんだ。誰のお陰で可愛い可愛いアンジェちゃんが愛しい愛しい鋼の守護聖様に身体を許すようになったと思ってるのかな?」
「なっ! てめっ!」
「ねぇ。そうでしょ? 一緒に暮らすようになって一ヶ月以上もヘビの生殺し状態だったのに……。それを解消してあげた人間の頼みも聞けないんだ………。」
「オリヴィエっ! てめっ! それを………。判ったよ。この通りに加工すりゃ良いんだろ。」
「そっ。宜しくねぇ〜。」
 真っ赤な顔でずんずんと歩いていくゼフェルにオリヴィエは艶やかな笑顔を見せて手を振った。


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