おむすびクリスマス
「あぁ。判ったよ。勝手にしてくれ。」
何の感情も表さずにゼフェルが淡々と呟くと、受話器の向こうからヒステリックな声が耳をつんざくように響いてくる。
ゼフェルは眉間に皺を寄せて携帯の電源を切り、ベッドの上に放り投げた。
「はぁ〜。」
深く息を吐く。
これで一体、何人目になるだろう?
高校時代から付き合っていた彼女と三年前に別れてからというもの、有り難くもお節介な友人達が気を利かせているつもりなのか、何度となくゼフェルに知り合いの女性を紹介してくれるのだった。
ゼフェルとしては、それなりにきちんと相手をしてきたつもりであった。
しかし紹介された女性達は数回のデートの後、口々に不満と別れの言葉を呟いて、ゼフェルの元から去っていったのだった。
ゼフェルはチラリと机の上に目をやった。
机の上には、綺麗に包装された小さな細長い箱がリボンをかけられて置いてある。
今回の彼女はそれでも長続きしていた方なので、クリスマスが近いこともあってゼフェルはプレゼントを用意していたのだった。
それはティファニーやブリガリのようなブランド品ではないが、ゼフェルが彼女をイメージして作った手製のネックレスだった。
「………無駄になっちまったな。」
溜息混りに苦笑して、ゼフェルはネックレスの箱をゴミ箱に落とした。
窓の外に視線をやると、道路に面した家々のクリスマスイルミネーションがチカチカと輝いている。
ゼフェルはおもむろにヘルメットを手に取り、重い雲のたれ込む外へと出ていった。
バイクにまたがり冷たい風を切って光る街中をあてもなく走り続ける。
クリスマスは毎年こうだった。
いや、正確に言うと三年前から…だろうか?
暗い空からみぞれ混じりに白いものが落ちてきて、ホワイトクリスマスの様を呈してきても、ゼフェルはアパートに戻ろうとはしなかった。
身体ではなく、心が冷え切っていた。
三年前から。
クリスマスイルミネーションの暖かな輝きの中、ゼフェルはたった一つの温もりを無意識に求め続けていた。
みぞれが完璧に雪に変わり、さすがにバイクでの路面走行に危険を感じ始めたゼフェルがアパートへと戻る。
「……………アンジェ?」
暗いアパートの入り口近くで見覚えのある金髪を見つけたゼフェルが呆然と呟く。
「あ…こんばんわ。ゼフェル。メリークリスマス。」
少し困ったような懐かしい緑色の瞳が、戸惑いがちに笑みを作る。
その場にいたのは高校時代から付き合っていて、三年前に別れてしまったアンジェリークだった。
「おめー。何で、んなトコに………。」
「あ…あのね。たまたま通りかかっただけなの。」
呆然としたままゼフェルが尋ねると、アンジェリークは慌てたように偶然であることを強調する。
だけど路面にうっすらと積もった雪はいくつもの同じ足跡を残しているし、フワフワと軽いアンジェリークの金髪は雪に濡れてずっしりと重い印象を与えている。
どう考えても、アンジェリークが長い間この場所にいたとしか、ゼフェルには思えなかった。
彼女は何か、自分に話でもあるのだろうか?
その話とはもしかして……………。
ゼフェルの心の中に微かに温もりの火が灯る。
「………時間。」
「えっ?」
「時間あんなら、寄ってけよ。」
しかしほんの僅かの温もりしか戻ってこなかったゼフェルの口からは、そんな言葉しか出てこなかった。
心の中が未だに冷たい部分で覆われていた。
アンジェリークの緑色の瞳が、驚いたように大きく見開かれる。
「あの…でも………。ホントに良いの? 彼女とか来るんじゃないの?」
「いねーよ。んなの。寒みぃから早く来いよ。」
遠慮がちに聞いてくるアンジェリークにゼフェルは短く答えてアパートの階段を上がった。
階段の中程で振り返って待っていると、アンジェリークはおずおずと階段を上ってくる。
「風邪ひかねーように、頭よく拭けよ。」
部屋に入ったゼフェルが乾いたタオルをアンジェリークに投げて寄こす。
暖房の付けっぱなしだった室内は、初夏のように暖かだった。
「………変わらないね。この部屋。」
タオルを受け取ったアンジェリークが、懐かしそうに室内を見渡す。
「彼女と…喧嘩でもしたの?」
ゴミ箱の中の、リボンのかかった箱に気付いたアンジェリークが恐る恐るゼフェルに尋ねる。
「振られた。なに考えてんだか判んねーとさ。」
「………ゼフェルの優しさって判りづらいモンね。判んなかったモン。………私も。」
辛そうに、哀しそうにアンジェリークが呟く。
まるで自分の過ちを責めるように………。
ほわっ…と、心の中の温もりの火が大きく灯る。
「バカだった。私。子供だったんだね。ゼフェルがどんなに優しくて、どんなに私のこと想ってくれていたのか、全然気付かなかった。」
アンジェリークの言葉に、ゼフェルの息が止まる。
暖かな風がゼフェルの身体の中を吹き抜けていった。
「ごめんね。ゼフェル。私、自分勝手で酷いこと言ってゼフェルを傷つけてた。本当にごめんなさい。やっと気が付いたの。だから……………。」
「なぁ。」
持ったままのバスケットの取っ手を強く握りしめるアンジェリークにゼフェルは声をかけた。
「おめー昔、クリスマスって暖ったけー気分になる…っつってただろ?」
「えっ? ………うん。」
ゼフェルに唐突に尋ねられて、アンジェリークがきょとんとしたまま返事をする。
「おめーに振られてから三回クリスマスが来たけどよ。俺…三回とも暖ったけー気分になったこと無かった。」
「……………。」
ゼフェルの言葉をアンジェリークは黙って聞いている。
真っ直ぐ見つめてくる緑の瞳を見ていられなくなって、ゼフェルは横を向いた。
「でもよ。今日はすっげー暖ったけーんだ。だから…その………。うまく言えねーけどよ。俺達…もう一回、やってみねーか?」
「ゼフェル………。」
アンジェリークは目を大きく見開いて、ゼフェルの名前を呟いた。
横を向いたままのゼフェルの首筋は真っ赤だった。
「い…良いの? ホントに? ホントに私で良いの?」
「…っか野郎。おめーじゃなきゃ、俺はクリスマスに暖ったけー気持ちになれねーんだよっ!」
信じられないのか、何度も確認してくるアンジェリークにゼフェルは怒鳴った。
「何度も言わせんなっ! 信じろっ! 俺をっ!」
「………うん。うん。信じる。ゼフェルを信じる。ありがとう。ゼフェル。」
アンジェリークは大粒の涙をポロポロ零しながら、何度も何度も頷いた。
「泣くなよ。…ったく。………なぁ。俺さ。腹減ってんだけどよ。おめー、腹…減ってねーか?」
床にしゃがみ込んで泣きじゃくるアンジェリークの金髪を、ゼフェルはくしゃりと撫でた。
「う…ん。お腹ペコペコ。あの…ね。作ってきたから、一緒に食べよ。」
涙の雫が残ったままで笑顔を作るアンジェリークが、バスケットの蓋を開ける。
バスケットの中には、真っ白なお握りがいくつもいくつも入っていた。
「…………………………。」
懐かしさと驚きに、ゼフェルが言葉を失う。
アンジェリークと付き合っていた頃、クリスマスにはいつも真っ白なお握りを食べていた。
一人暮らしの貧乏学生で生活に余裕がなかったのと、ゼフェル自身が甘い物を好まなかったのとで、ケーキの代わりになっていたお握りだった。
「ゼフェル?」
無言のままキッチンに向かうゼフェルの名前を、アンジェリークは不思議そうに呟いた。
アンジェリークが戸惑ったように待っていると、二つのコーヒーカップと真っ白なお握りの乗ったお皿を持ったゼフェルがキッチンから出てきた。
「あ……………。」
「習慣…ってのは恐えぇモンだな。」
テーブルの上にカップとお皿を置いて、ゼフェルが苦笑する。
「食べていい?」
「あぁ。俺はおめーの貰うな。」
バスケットの中のお握りをテーブルに出したアンジェリークはゼフェルが持ってきたお握りを、ゼフェルはアンジェリークがバスケットから出したばかりのお握りを手に取り頬張った。
「おいしい?」
「あぁ。…っかしよぉ。おめーは相変わらず、不格好な握り飯を作るよな。」
アンジェリークの作ったいびつなお握りを頬張りながら、ゼフェルが口元を緩める。
「ゼフェルのは…とっても綺麗な三角形のおむすびだね。でも…ちょっとしょっぱいかな。」
ポロッ…と、真珠の粒のような涙をもう一度零して、アンジェリークが笑う。
ゼフェルはそんなアンジェリークの笑顔に目を細めて、もう一度お握りを頬張った。
「ふふっ。ゼフェル。こんな所にお弁当付けてる。子供みたいだよ。」
勢いよく食べたせいでゼフェルの口元に付いたご飯粒を、アンジェリークは身を乗り出すように手を伸ばして指に取ると、そのまま自分の口に運ぶ。
「おめーも付いてる。」
そんな一連の動作を見ていたゼフェルが、アンジェリークに顔を近づけて呟く。
「えっ! どこに?」
「ここに。」
驚いてゼフェルを見上げるアンジェリークの唇に、ゼフェルはゆっくりと口付けた。
重ねられた唇から伝わる温もりが、ゼフェルの全身を包み込む。
失ったはずの温もりを、ゼフェルは再び手に入れる事が出来たのだった。
お握りのせいなのか、先程まで盛大に泣いていた涙のせいなのか、少しだけしょっぱい唇を味わいながら、ゼフェルは二度とこの温もりを手放すまいと思っていた。
雪のせいか、いつになく静かな聖夜の出来事だった。