新しい年
新年の清々しい一日を間もなく迎えようとしている明け方近く。
微かに震えるように、突然枕が泣いた。
正確には枕の下に隠しておいた、ゼフェルがくれた呼び出し用のベルが鳴った。
「こんな時間に〜?」
眠い目を擦りながらも起き出して、身支度を素早く整える。
どんなに微かでも、ゼフェルがくれた呼び出し音には敏感に反応してしまう自分に笑ってしまう。
以前の私は、一度眠ったら自主的に目覚めるまで何があっても絶対に起きない…とまで言われていたのにね。
静かにテラスに通じる窓を開けると、そこに鋼の守護聖ゼフェルが自慢のエアバイクにまたがったまま私が来るのを待っていた。
「遅せぇよ。」
「だって眠ってたんだもん。それにいつも言ってるけどね。女の子の身支度って結構時間がかかるの! 私はこれでも早い方なんだからね。」
短く呟くゼフェルに口を尖らせる。
顔が笑っているから、本気で言ったんじゃないって判ってる。
だから私も口を尖らせて反論できるの。
「トロくせーおめーがぁ? ま、いいぜ。早く乗れよ。連れて行きてぇトコがあっからよ。」
「………遠い?」
利き腕でもある左手を私に差し出すゼフェルに尋ねてしまう。
遠いと困るの。
出来れば朝の8時までには、ここに戻っていたい。
だって私は女王なんだもん。
いくらゼフェルとのことが公認でも、仕事をサボるわけにはいかないの。
例えそれが日常茶飯事のことでも。
特に今日だけは絶対に駄目なの。
それはゼフェルも判っているでしょう?
今日は大事なお仕事があるんだよ?
ゼフェルだって出席しなきゃ…でしょ?
新年の祝賀行事を、女王が新年早々すっぽかすわけには行かないじゃない。
「安心しろよ。7時ちょい過ぎには、ここに帰れっからよ。」
私の問いかけの意味が判ったのか、ゼフェルが唇の片側をニィと上げて私に告げる。
「ホントに?」
「ホントだって。行くのか行かねぇのか。早くしろよ。」
ちょっと焦れた様子のゼフェルに伸ばした私の手は、もう一度差し出された大きな左手にすっぽりと掴まれた。
そのままその手にぐいっと引っ張り上げられて、ゼフェルの腕の中に私が収まる。
「決断遅せぇのは危ねぇぞ。」
「ゼフェルがらみの時だけだもん。」
私の前髪を揺らすゼフェルの吐く息が白く見える。
遅い決断が危ないのは、宇宙のこと。
判ってるよ。
それくらいは。
だけどゼフェルのことは、あまり早いとかえって危ない気がするの。
「冷えるね。今日は。吐く息が真っ白。」
「明け方近くだからな。この時間が一番冷え込むんだよ。ほれ。」
真っ白な息を吐きながら呟く私に、ゼフェルが着ていたコートを被せてくれる。
ポンチョみたいに上から被るタイプの大きなコートは、ゼフェルと二人で顔を出しても少しも窮屈じゃない。
むしろゼフェルの体温とゼフェルとの距離感が心地良いくらい。
「どこに行くの?」
「おめーにとっちゃ、懐かしいトコ。」
それだけ言って、ゼフェルがエアバイクを走らせる。
サイレント機能だとかで、エアバイクは物音一つたてない。
「風が冷たくて顔が痛い。」
「だったらコートん中にでも顔つっこんどけ。」
ゼフェルの言葉にそれもそうかって思って、コートの中に顔を潜り込ませる。
コートの中は春みたいに暖かい。
寒がりのクセに薄着なゼフェルの心臓の音が、雪解けの水の流れみたいだと思った。
「アンジェ。着いたぜ。」
エアバイクが進む感覚が無くなったと思ったら、ゼフェルがそう呟いた。
モコモコしたコートから顔を出すと、眼下に広がっていたのは懐かしい場所。
私と、友人でもありライバルでもあったロザリアが、どちらが女王になるかを決めるための試験を受けていた地。
飛空都市。
その一角。
当時ゼフェルが仮住まいしていた宮殿の裏手に設けられたテラスの上空に、私達は浮かんでいた。
「もしかして飛空都市なの? うわぁ。懐かしいなぁ。でも何でここに?」
「あっち。見て見ろよ。」
顎をしゃくるゼフェルに、しゃくられた東の方角に顔を向けると………。
「…わぁ。おっきい。あれ太陽? 凄〜い。綺麗。」
真っ赤で大きな太陽が、地平線から徐々に姿を浮かび上がらせている所だった。
何だか神々しくて尊厳すぎて、息も止まっちゃいそう。
「守護聖なんて…よ。」
ボソリと呟くゼフェルに、私は顔を上げてゼフェルを見た。
「守護聖なんてモンになっちまうとよ。時間の感覚ってのが妙でな。だけど何でかな。新しい年を迎える日の出を見るとよ。あぁ、新しい年が始まるんだなって思うんだよ。で、何か身が引き締まるっつーか、なんつーか。うまく言えねーけど、とにかく頑張ろうって思うんだ。」
「うん。そうだね。何か判る。ゼフェルの言いたいこと。」
ちょっと恥ずかしそうに呟くゼフェルに頷く。
気持ちは判る。
だってこの日の出は、新しい年の最初の一日のスタートなんだもの。
だけど一つだけ疑問が生まれる。
「ねぇ。ゼフェル。一つ良い? 私に日の出を見せたかったのは判ったの。でも、どうしてここなの?」
不思議そうに尋ねる私に、ゼフェルは渋い顔をしてみせる。
これは………照れてるときの顔。
「おめーが女王候補んとき。このテラスで昼間の青空と夕焼けは見ただろ。」
「うん。………それで?」
そっぽを向いてボソボソと話し始めたゼフェルに、私は更に続きを促した。
「ここで見る夕焼けが俺はすっげー気に入っていて………。おめーも好きだって言ってくれたろ?」
「うん。」
まともに私の顔を見ようとしないゼフェルに頷く。
だってホントにあの時は感動したの。
大きくて真っ赤な夕日が周り中をオレンジ色に染めて、ゆっくりと大地の中に沈んでいく姿に。
沈む最後の最後に、オレンジだった太陽がパァッと緑色に光る姿に。
「あん時、おめーが言ったじゃねーか。日の出もここから見てみたいってよ。」
夕焼けを見たときの事を思いだしていた私の耳に、ゼフェルの呟きが届く。
えっ!
あの…それってもしかして……………。
確かにあの時、そう言ったような記憶はある。
それを覚えていてくれたの?
相変わらず私の方を見ようとしないゼフェルの耳が赤くなっている。
これは寒いからじゃないよね。
「ゼフェル。ありがと。」
嬉しくなって、横向きのままのゼフェルの頬にキスをした。
チュって軽く音を立てて。
「ア…アンジェ!」
「だって嬉しかったんだもん。ゼフェルが私の言ったこと覚えていてくれて、実行してくれたから。」
焦ったように私の方をやっと見てくれたゼフェルに、感謝の気持ちいっぱいの笑顔を見せる。
「おめーが喜ぶことなら、俺は何でもしてやりてーよ。」
眩しそうに目を細めるゼフェルと見つめ合っている内に、二人の顔の距離がどんどんと縮まっていく。
「…………………………新年おめでとう。」
「………おめでとう。新年初キッスだね。」
長く重なっていた唇がゆっくりと離れ、同じぐらいゆっくりと瞳を開いた私の目の前ににあるゼフェルの顔が呟く。
私も短く呟いて、余韻を味わうようにそっと唇に手を当てた。
『何だか物足りない。』
そんな考えが胸の中にぽっかりと浮かぶ。
「そろそろ戻らねーとな。」
「………うん。そうだね。」
太陽は完全に大地から姿を現している。
そろそろ戻らないと式典の準備が始まっちゃう。
だけど……………。
何だかこのまま帰るのは嫌だった。
「………帰る前にも一回…な。」
「えっ! ゼフェ………んっ。」
そんな私の気持ちをゼフェルは察したらしい。
もう一度、こんどはさっきよりちょっとだけ激しいキス。
頭の中が真っ白になっちゃうキス。
気が付いたら自分の部屋に戻っていた。
いつ戻ったのかも、いつゼフェルが帰ったのかも覚えてない。
ただ、補佐官になって私をいつもフォローしてくれるロザリアの機嫌がちょっとだけ悪いから、あまり早めに帰れた訳ではないみたい。
そして新年の祝賀式典の最中に、朝のキスのせいで高ぶってしまった気持ちを抑えられずにゼフェルに抱きついて、ロザリアだけでなく首座の光の守護聖ジュリアスにも大目玉を食らってしまった。
勿論、ゼフェルと二人で。