ミラーハウス
「ゼフェル様。私…ここに行ってみたいんです。」
女王候補のアンジェリークがそう言って一枚のチラシを鋼の守護聖ゼフェルの執務机の上に置いた。
ゼフェルはそのチラシをチラリと見て…思いっきり目を細めた。
「………アンジェリーク。」
「はい?」
目を細めたままのゼフェルにアンジェリークが金色の髪を揺らして首を傾げる。
「聞くけどよ。おめーはここに来てどの位たつ?」
「飛空都市にですか? えーと…100日は過ぎてます。」
「だよな。で、おめーはここで何回、道に迷った?」
「えっ! あの……………。」
「俺が知ってるだけでも聖殿で6回。寮から聖殿に来るまでの途中で8回。王立研究院に至っちゃ2ケタ越えてたよなぁ。違ったか?」
椅子に座ったままのゼフェルが頬杖をついてアンジェリークを見つめる。
「あ…その………。そうです。」
「そうですじゃねーっ! んな方向音痴が何だって迷路になんぞ行きたがるんだっ! …んのボケっ!」
しどろもどろに返事をするアンジェリークにゼフェルのカミナリが落ちる。
「だって……。」
「だってじゃねえっ! 駄目だっ! んなのに行ったってどーせ迷うだけだ。」
「えー。ゼフェル様ぁ〜。」
「甘えた声出すんじゃねえっ! 駄目なもんは駄目だっ! 第一っ! ここに行くってことは飛空都市抜け出すって事になんだぞ?」
チラシに再び視線を戻す。
主星の遊園地でリニューアルされた鏡の迷路。
宇宙一の規模と銘打たれたミラーハウスにアンジェリークは行きたいとねだったのだった。
「だからゼフェル様に頼んだのにな……。良いです。だったらオスカー様にでもお願いしてみますから。」
「ちょ…ちょっと待てっ!」
拗ねたようにクルリと背を向けたアンジェリークにゼフェルは慌てたように立ち上がり呼び止める。
「何ですか?」
「………どうしても行きてぇのか?」
溜息混りに尋ねると無言でコクリと頷く。
そんなアンジェリークの緑色の瞳にゼフェルは降参するしか無かった。
「………判った。連れてってやる。だからオスカーなんかに頼むな。……こんどの日の曜日で良いか?」
「ホントですか? 嬉しい。ありがとうございます。ゼフェル様。大好き。」
「……………莫迦野郎。」
満面に笑顔を作り抱きつくアンジェリークにゼフェルは照れたようにポツリと呟いて彼女を抱き返した。
「遅せぇ………。」
日の曜日。
件のミラーハウスの出口でゼフェルが腕組みをしたまま呟く。
アンジェリークは一人で入ると言って聞かなかった。
仕方なく先に入らせ、自分は5分ほど遅れて中に入った。
ミラーハウスの平均クリア時間は10分。
平均よりも数段短い時間で出口にたどり着いたゼフェルがそのままアンジェリークを待ち続けて早20分。
一向にアンジェリークの姿は見えない。
「あの莫迦…やっぱ迷ってんな? …ったく。仕方ねーな。」
頭をかきながらゼフェルはそのまま中へ入っていった。
宇宙一の規模とは言っても所詮はただの迷路。
絶叫マシンが好まれる昨今、ミラーハウスを利用しているのはゼフェルとアンジェリークの二人だけだった。
「おい。アンジェリーク。」
ゼフェルは交差する自分の姿を眺めながらアンジェリークの名を呼んでみる。
しかしアンジェリークからの返事は返ってこなかった。
「あれ? ここも行き止まりだわ。………あーあ。何だか疲れちゃった。」
行き止まりに突き当たったアンジェリークが溜息と共にしゃがみ込む。
「やっぱり無謀だったのかな? 一人で入るの。でも…ゼフェル様があんまり方向音痴だ方向音痴だって莫迦にするから悔しくて……。えっ?」
名前を呼ばれた気がしてアンジェリークが立ち上がる。
「アンジェリーク。何処だ?」
『ゼフェル様?』
「おい。アンジェリーク。」
「あ……。ゼフェル様。ここです。」
ゼフェルの呼びかけにアンジェリークが答える。
「やっぱ迷ってやがったな。動かねーでそこで待ってろ。良いな。」
「………だ…大丈夫ですっ! 絶対一人で出口まで行くんだからっ!」
「なに意地はってんだよ。おめーにゃ無理だって。」
「絶対絶対一人で行ってみますっ!」
つい意地を張ってしまったアンジェリークがすぐに激しく後悔する。
再び歩き始めたのは良いが、完全に方向を見失ってしまっていた。
「や…やだ……。どうしよう。」
周り中に映る自分の姿にアンジェリークが身震いする。
幾重にも幾重にも重なる自分の姿。
どこを見ても一人ぼっち。
次第に怖さと心細さが大きくなる。
「ゼ…ゼフェル様………。あっ!」
消え入りそうな声で呟いたアンジェリークの視界のはしに小さくゼフェルの白いマントが映る。
「ゼフェル様。待って!」
アンジェリークは叫ぶとマントの映った方へと走り出す。
「アンジェリーク? おめー。どこにいんだよ。」
「ま…待って。ゼフェル様。すぐ行くから………。」
鏡に見え隠れするゼフェルの姿をアンジェリークは追った。
「な…何で? 何で追いつかないの? ゼフェル様。待ってよぉ〜。」
「んな……。アンジェリークっ! おめー。動くなっ!」
すぐ近くにいる筈なのにお互いなかなか近付けなくてゼフェルが怒鳴る。
「な…何なのよ。もぉ…嫌ぁ………。」
アンジェリークはすっかりパニックを起こし、顔を両手で覆うと立ち尽くしてしまった。
「もう嫌。一人は嫌。ゼフェル様。早く来て。早く来て。」
顔も上げられずにアンジェリークは呟き続けた。
顔を上げてもそこに見えるのは一人ぼっちの自分。
そんな姿はもう見たくなかった。
「ゼフェル様。早く来て。早く………!」
「…ったく。手間かけさせやがって………。」
突然後ろから抱きすくめられてアンジェリークがピクリと身体を震わせ顔をあげた。
「……ゼフェル様。……………。」
「な…ば…莫迦野郎っ! なにも泣くことねーだろっ!」
「だ…だってぇ〜。」
ゼフェルの顔を見た途端、安心したのか涙を溢れさせるアンジェリークにゼフェルが慌てる。
「…ったく。だからおめーにゃ無理だっつったろ? おめーは俺の後についてくりゃ良いんだよ。判ったか? ……良し。じゃあ、いつまでもこんなとこいねーで行こうぜ。」
コクリと頷くアンジェリークの頭を撫でてゼフェルが歩き出した。
「あ……………。」
「んだよ。これなら迷わねーだろ?」
小さく声を漏らすアンジェリークにゼフェルが振り返る。
ゼフェルはアンジェリークの手をしっかりと握りしめていた。
「ううん。違うんです。あのね。ゼフェル様。さっきまで何処を見ても私しか映ってなくて…凄く怖くて悲しかったの。」
「悲しい?」
「なんか…一人ぼっちになったみたいで悲しかったの。」
「………もう…悲しくねーのか?」
正面からアンジェリークを見据えたゼフェルが尋ねる。
「ゼフェル様が…いてくれるから………んっ。」
頬を染めて呟くアンジェリークにゼフェルは口付けた。
数え切れないほど沢山のゼフェルとアンジェリークが幾重にも重なる鏡の間にその姿を映していた。