サクランボ


「やーん。おいしー。幸せー。」
 巨大なチョコレートパフェを一口食べる度に女王候補のアンジェリークが喜びの声を上げる。
 向かいの席で鋼の守護聖ゼフェルはげんなりとした顔つきでそんなアンジェリークを眺めていた。
『……気持ち悪りぃ。』
 甘い物が苦手なゼフェルがなるべくパフェを見ないようにしながらコーヒーに口をつける。
 砂糖もミルクも入れてない筈のコーヒーが甘く感じられるほどゼフェルの鼻にチョコレートの甘い香りが届いていた。
「ゼフェル様。ゼフェル様も一口如何ですか?」
「………てめっ。それ本気で言ってんのか?」
 生クリームのたっぷりついた部分をスプーンに乗せて自分の方に差し出すアンジェリークをゼフェルはじと目で睨んだ。
「そんなに睨まなくたって……。こんなにおいしいのに。ゼフェル様コーヒーだけで口寂しそうだったから………。」
 残念そうに手を引っ込めたアンジェリークがスプーンをくわえる。
「俺のことは気にしないでいいからさっさと食っちゃえ。」
「はーい。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークは再びチョコレートパフェを食べ始めた。


 クスクス。
 ふふふ。
「??? ……………。」
 雑誌を見ていたゼフェルが周囲から聞こえる笑い声に何事かと顔をあげて言葉を失う。
 パフェを食べ終えたアンジェリークが首を左右に傾けながら口をモゴモゴとさせていたのだった。
「……アンジェリーク。おめー。何してんだ?」
「んん?」
「その格好は止めろって。周りに笑われてっぞ。」
「んっ! ………。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークが真っ赤になってペーパーナプキンで口元を押さえた。
「や…嫌だ。夢中になってて全然気がつかなかった。」
「……んなに夢中になるほど何してたんだ?」
「えっ? あの…これです。」
 そう言ってアンジェリークは二つに折ったペーパーナプキンを広げる。
「……んだ? こりゃ?」
「サクランボの枝です。」
「……てめーはこんなモン食おうとしてたのか?」
「違います。口の中で結ぼうと思ったんです。」
「口の中で………?」
 アンジェリークの言葉にゼフェルが怪訝そうに眉を寄せた。
「私の友達で一人凄っごく器用な娘がいて……。その娘…喫茶店とかに入ると必ずやってたんです。私も何度か挑戦してみたんですけど全然出来なくて……。ちょっとそれを思い出したから今なら出来るかな? って思って………。そうだ! ゼフェル様なら出来るんじゃないですか?」
「……さあな。やった事ねーよ。そんな事………。」
 話の内容のあまりのバカバカしさに目眩を覚えつつゼフェルが答える。
「じゃあ。やってみて下さい。はいっ!」
「……………アンジェリーク。」
「はい?」
 笑顔でナプキンを差し出すアンジェリークにゼフェルが溜息混りの声を出す。
「おめーはおめーの口の中に入ってたモンを俺の口の中に突っ込もうってのか?」
「えっ? ………あっ! ち…違……。ご…ごめんなさい。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークは真っ赤になって俯いた。
『別に…嫌じゃねーんだけどよ……。』
 そんなアンジェリークの姿にゼフェルは心の中で呟いた。
 いつの頃からかアンジェリークは自分にとってかけがえのない存在となった。
 互いの想いを打ち明け合った今でもそれは変わらない。
 より一層、想いは強くなっている。
 だから…あまりにも強すぎる想いに未だ彼女を抱きしめる事しか出来なかった。
 抱きしめて…その先を拒まれるのが怖くて何も出来ずにいるゼフェルだった。
「………もう帰るぞ。アンジェリーク。」
 俯いたまま動かなくなったアンジェリークに声をかけて立ち上がる。
「そろそろ戻らねーとバレっからな。」
「……そうですね。今日はありがとうございました。ゼフェル様。」
 主星に新しくできた喫茶店に行きたいと言った自分の頼みを聞いてくれたゼフェルにアンジェリークは感謝の言葉を述べた。


「…っかし。こんなモンが出来たからってどうすんのかね………。」
 自宅に戻ったゼフェルは昼間の出来事を思い出し、夕食のデザートとして出てきたサクランボの枝を口の中で結んでみた。
 難しいのかと思っていたそれがあっさりと出来た事にゼフェルは拍子抜けした。
「………簡単に出来るじゃねーかよ。んなモンも出来ねーなんて…やっぱあいつは不器用なんだな。」
「はぁ〜い。ゼフェル。いる?」
 そんなゼフェルの元に夢の守護聖オリヴィエがやってきた。
「よぉ。何か用か?」
「あら。いたいた。あんた昼間どこにいたのさ? ルヴァがあんたの事、捜してたのよ。………何やってんのよ。」
 皿の上に吐き出されている結ばれたサクランボの枝にオリヴィエが目を丸くする。
「サクランボの枝じゃない。懐かしいわねぇ。私もよくやったわ。」
「へぇ〜。そうなのか?」
「そうなのか? って……。練習してたんじゃないの?」
「練習………?」
 きょとんとしたゼフェルの顔にオリヴィエが丸くなった目を更に丸くした。
「……ゼフェル? あんた……。これの事…誰から聞いたの?」
「誰って…アンジェリークだよ。何でも友達に出来る奴がいてそれを思い出したからっつって………。オリヴィエ?」
「ふ…ふーん。あの娘も女だねぇ。朴念仁相手に苦労してるんだ。」
「女って……。あいつとこれと何か関係あるのか?」
 肩を震わせて笑うオリヴィエにゼフェルが不思議そうに尋ねた。
「……ゼフェル。サクランボの枝をさ。口の中で結べる人間ってね。」
「ああ……。」
「………キスが巧いって言われてるのよ。」
「へっ? ……………。」
 オリヴィエの言葉にゼフェルが顔を赤くする。
「きゃはははは。あー。おかしい。私…てっきりゼフェルがあの娘とキスする練習してるのかと思ってたのに……。なぁに? あんた…あの娘にキスの一つもしてないの? 告白してから随分になるのに………。」
「し…仕方ねーだろ。あいつに…あいつが嫌がったら立ち直れねーだろ。」
「………ま…まぁね。気持ちは判るけどさぁ……。あの娘は待ってるのかも知れないわよ? 嫌って言葉も裏を返せばOKって事があるしさ。」
「……………。」
 オリヴィエの言葉にゼフェルは黙って口を尖らせた。
「あんた…自分からデートに誘った事ないでしょ。告白だってあの娘の方からで……。男でしょ。ちょっとは強引になってもいいんじゃない?」
「…っせーよ。このお節介。」
「いつまでもぐずぐずしてるとあの娘が不安になって離れてっちゃうわよ。ゼフェル様は本当は私のこと好きじゃないのね。ってさ。……ふふふ。まっ。私には関係ないか。んじゃあね〜。」
「…………ちぇっ。オリヴィエの野郎。言いたい放題言って行きやがった。」
 一人になったゼフェルはじっと皿の上のサクランボの枝を見つめていた。


「はーい。どなたですか? って……ゼフェル様。」
 チャイムの音に慌てて扉を開けたアンジェリークはゼフェルの姿に目を丸くした。
「よ…よぉ。ヒマが出来たから来てやったぜ。一緒に遊ばねーか?」
「……は…はいっ! 誘いに来て下さって嬉しいです。ゼフェル様。」
 照れたようなゼフェルの言葉にアンジェリークは満面に笑みを零した。
「それと…これ。土産だ。」
「えっ? ……わぁ。おいしそうなサクランボ。」
 編み篭の中に山と積まれたサクランボをアンジェリークは嬉しそうに受け取った。
「どうぞ。入って下さい。お茶をいれますから。」
「ああ………。」
 ゼフェルはアンジェリークに促されるままに室内に入り椅子に腰掛けた。
「……嬉しそうだな。」
 お茶をいれて隣りに腰掛けるアンジェリークに声をかける。
「えっ? そうですか? だって…ゼフェル様がデートに誘って下さるのって告白してから初めてなんですもの。」
「……悪かったな。出不精で………。」
「ううん。良いんです。それよりゼフェル様。サクランボの枝…結べます? やって下さいよ。」
「おめーもやれよ。そのために買って来たんだからよ。」
 そう言ってサクランボを口に含む。
 果肉をかじると甘酸っぱさが口の中に広がった。
「………。ほれっ。」
「す…凄ーい。初めてなのにこんなに早く……。ゼフェル様ってやっぱり器用。私もやってみようっと。」
 結ばれた枝を舌の上に乗せて見せるとアンジェリークは感心したように叫んだ。
「………よぉ。何で首を傾けるんだ?」
「ん? ………だって。後もう少しで輪をくぐるのぉって感じで…つい首を………。」
 尋ねるゼフェルにサクランボの枝を口に含んだままのアンジェリークが呟く。
「………コツ…教えてやろうか?」
「本当ですか?」
「実地で…な。」
「えっ? ……んっ。」
 突然唇を塞がれたアンジェリークが小さく呻き声をあげる。
 歯列を割って入り込んだゼフェルの舌がアンジェリークの舌をからめ取る。
「んんっ……。んーっ。」
 どんどんと胸を叩くアンジェリークにゼフェルが唇を離しサクランボの枝を吐き飛ばした。
「アンジェリーク。」
「ゼ…ゼフェル様。待って………。」
 慌てて立ち上がり逃げ出そうとするアンジェリークを壁際に追い込む。
「逃げるな。アンジェリーク。」
「あの…ゼフェル様。私…ね。嫌じゃないけど…まだ外は明るいし………。んっ!」
 なおも言い訳しようとするアンジェリークの唇を再び塞ぐ。
「んっ……ふっ………。」
 長く深い口付けにアンジェリークの頭の中が真っ白になる。
 突然カクンっとアンジェリークの身体が音を立てたように崩れ落ちる。
「………へっ? お…おいっ! アンジェリーク………。」
 抱き留めたゼフェルは気を失ってしまったアンジェリークに呆然となった。


「どうしても聞きたかったんだけどよ。オリヴィエに口の中でサクランボの枝を結べる奴がどうだってのは聞いた。で、巧くなってどうするつもりだったんだ?」
 目覚めたアンジェリークはゼフェルの腕の中にいる自分の姿に真っ赤になった。
 そんなアンジェリークにゼフェルは尋ねていた。
「えっ? あの…それは……………。」
「言え。言わねーともう二度とキスしねーぞ。」
 心にもない事を言ってみる。
「あ…あのっ……。ゼフェル様…私が告白してからずっと何もしませんでしたでしょ。オスカー様が本当に好きな女に何もしない男なんていないって以前言ってたから……。それで私不安になって……。それで…あの……。」
「……………。」
 口ごもるアンジェリークの姿をゼフェルは無言で見つめた。
「ゼフェル様に巧くキス出来たらゼフェル様…私の事本気になってくれるかな? って………。」
「この莫迦野郎っ! オスカーなんかと一緒にすんじゃねーよ。………おめーに拒まれるのが怖くて何も出来なかった俺の立場はどうなんだよ。おめーに嫌な思いも怖い思いもさせたくねーんだよ。俺はっ!」
「………ゼフェル様。」
「おめーのキスが巧かろうとヘタだろうと関係ねーんだよ。判ったかっ!」
「ゼフェル様……。ごめんなさい〜。」
 縮み込むように身体を竦ませるアンジェリークを抱きしめる。
「おめーが良いって言うんなら俺ももう我慢しないぜ。」
「あっ! ま…待って! ゼフェル様。私…また気を失っちゃ………。」
 顔を近付けるゼフェルから逃れようとしたアンジェリークは唇を塞ぐゼフェルに成す術もなくゼフェルの首に手を廻ししっかりとしがみついていた。


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