花嫁のブーケ


「カラーン。カラーン。」
 高らかに鳴り響く鐘の音に鋼の守護聖ゼフェルと女王候補のアンジェリークが足を止める。
 二人の視線の先にあるのは小さな教会。
 純白のウェディングドレスに身を包んだ幸せな花嫁が同じく純白のタキシードを着た花婿の腕を取って教会の扉から出てきた所だった。
「わぁ。結婚式だ。」
 最初に口を開いたのはアンジェリーク。
 友人達の投げるライスシャワーを浴び、祝福する人々にもみくちゃにされながらゆっくりと階段を降りていくカップルをうっとりと眺めていた。
「ゼフェル様。結婚式ですよ。結婚式。花嫁さん、綺麗ですねぇ。」
「あ…ああ。そうだな。」
「本当に綺麗。……………良いなぁ。」
 ポツリと呟くアンジェリークをゼフェルは横目で見つめた。
 確かにあそこで純白のドレスに包まれた花嫁は綺麗だと思う。
 でも……………。
『こいつが着たらもっと綺麗だろうな。』
 ふと、頭の中に浮かんだ考えにゼフェルは慌てて口元を押さえる。
 チラリとアンジェリークを見るが花嫁のウェディングドレス姿に目を奪われているらしく自分の動作に気付かなかったらしい事が判ってゼフェルはほっとしてゆっくりと手を降ろした。
「良いなぁ。私も着てみたいなぁ。」
 アンジェリークのそんな呟きにゼフェルは真っ白なウェディングドレス姿のアンジェリークを思い浮かべた。
「……………似合わねぇ……。」
「えっ?」
 驚いたように聞き返されてゼフェルがハッとする。
 今度は頭の中に思い浮かんだ言葉が口に出てしまったようだった。
「私じゃ…似合いませんか? ウェディングドレス。」
「ば…違げーよっ!」
「だって今、似合わないって………。」
「おめーじゃねーよ。俺が似合わねーって言ったのは俺………。」
 傷ついたような顔で自分を見つめるアンジェリークに慌てたゼフェルが口をつぐむ。
 つい、考えてしまったのだ。
 真っ白なウェディングドレスを着て幸せそうに微笑むアンジェリークの隣りに立つ白いタキシード姿の自分を。
『ちんどんやみてーだな。俺が着っと。似合わねぇ……。』
 我ながら自分で想像して苦笑してしまったのだ。
 そして最後の言葉だけが口からこぼれてしまったのだった。
「俺…俺が似合わねーっつったのは横にいる男の事だよ。女の方は確かに綺麗だけどよ、男の方は似合ってねーだろ? 白のタキシードなんてよ。」
 苦しいと思いつつもそう言ってゼフェルは花婿を指さす。
「……そうですか? お似合いだと思うけどな。……んー。でもゼフェル様が言う通り真っ白じゃなくて何かアクセントがあった方が良かったかもしれませんね。………ゼフェル様だったら白よりも薄いグレーの方が似合いそうですよね。」
「ば…莫迦か。てめーはっ! 俺にあんな格好が似合うわけねーだろ。」
 疑わしげに見つめていたアンジェリークが突然パァッと花が咲いたような笑顔を見せて言ったのでゼフェルは露骨に嫌そうな顔を見せて否定した。
 アンジェリークにあんな風に微笑まれると………。
 ゼフェルの頭の中はパニックに陥るのだ。
 あまりにも可愛くて何よりも愛しい存在だから。
 抱きしめてキスをして………。
 いますぐにでも触れたい衝動にかられてしまうのだ。
 でも、今ここでそんな事が出来るわけもなく、ましてや自分達はほんの少し前にやっと互いの気持ちを打ち明けたばかりで、初めてキスをしたのもつい最近の事で………。
「………ゼフェル様。ちょっと行ってみましょ。ねっ?」
 パニックを起こしたゼフェルを助けるのはいつもアンジェリークの方。
「……あん? 行くって何処に?」
 いつもいつもアンジェリークに話題を変えて貰ってゼフェルはようやくパニックから脱出出来る。
「あの二人の所ですよ。ねっ? もっと近くで見たいし…もしかしたらブーケを……………。」
「ブーケ?」
「あっ! 何でもありません。行きましょ。ゼフェル様。それとも…嫌…ですか?」
 小首を傾げて覗き込むように尋ねる。
「……んなことねーよ。」
「良かった。じゃ、行きましょ。」
「お…おいっ………。」
 ゼフェルの左手に腕を廻してアンジェリークが歩き出す。
 そんなアンジェリークに苦笑しながらゼフェルは引っ張られるように参列者の中に紛れていった。


「おめでとう。」
「おめでとー。」
「おめでとうございます〜。」
 祝福する人々の輪の中に混ざったアンジェリークが花嫁に手を振るように声をかける。
 花嫁はそんなアンジェリークに、にっこりと微笑んで花婿とともにオープンカーの方へと近づいていった。
「ねっ。ゼフェル様。やっぱり近くで見るとなおさら綺麗でしょ。」
「ああ……。そうだけど……。よぉ。もう良いだろ?」
 笑顔で振り返るアンジェリークにゼフェルが困ったように呟く。
 何故か綺麗に着飾った女性達の輪の中に入れられてしまったゼフェルは居心地が悪くて落ちつかなかったのだ。
「えっ? もうちょっと。もう少ししたらきっと花嫁さんがブーケを投げるから。」
「ブーケ…ってあの小せぇ花束の事か?」
「ええ。そうです。」
「あんなモンが欲しいのか? なら俺が後で花屋で買ってやるから行こうぜ。」
「違うんです。欲しい訳じゃなくて……。誰が受け取るのか見たいの。買った花束と花嫁のブーケは違うから……。ねっ? ゼフェル様。もう少しだけ。だから…お願い。」
「………ちっ。仕方ねーな。」
 アンジェリークに顔の前で両手を合わされてゼフェルが渋々承諾する。
「きゃー。こっちよ。こっち。」
 すぐ隣で一際大きな黄色い声があがりゼフェルとアンジェリークはハッとして花嫁に視線を戻す。
 花嫁は今まさに手にしていたブーケをこちらに投げようとしていた所だった。
「あ………。」
『あんなのがそんなに欲しいのかよ。…ったく。顔にそう書いてあっぜ。』
 もの欲しそうな視線でブーケを見つめるアンジェリークにゼフェルが心の中で舌打ちをする。
 ポーンと花嫁がブーケを投げる。
 弧を描いて落下してくるその小さな花束に沢山の手が伸びた。
「………そっ。」
「えっ?」
 アンジェリークが驚きの声を上げる。
 周り中が花嫁の投げたブーケを空中でキャッチした人物へと視線を向ける。
「……………ほらよ。」
 ゼフェルは憮然とした表情で目を見開いたまま呆然としているアンジェリークに小さな花束を手渡した。
 静寂が辺りに広がった直後、わーっと言う歓声がゼフェルとアンジェリークを取り囲んだ。
「な…何だよ?」
 全く訳の分からないゼフェルは驚いて廻りを見回す。
 アンジェリークはと言うと、真っ赤になってブーケを握りしめていた。
「ゼフェル様………。あの……………。」
「なんだってんだよ。こいつ等。わっ! 止めろよ! てめーらっ!」
 自分達にまで降ってきたライスシャワーにゼフェルが怒鳴る。
「ゼフェル様。花嫁の投げたブーケの意味ご存じ無いんですか?」
「花嫁の投げたブーケの意味ぃ〜? んな花束に意味なんてあんのかよ。花束は花束だろ?」
 ライスシャワーの集中豪雨を浴びながら尋ねるアンジェリークにゼフェルは不機嫌そうに聞き返した。
「花嫁の投げたブーケを受け取った女の子は次の幸せな花嫁を約束されるのよ。」
 突然の声に振り返るとウェディングドレスの花嫁がにこにこしながら目の前に立っていた。
「おめでとう。次にこの教会で式をあげるのはあなた達ね。」
「へ……………。」
 花嫁の言葉にゼフェルが固まり絶句する。
「あの…おめでとうございます。」
「ありがとう。あなたもおめでとう。素敵な彼氏ね。うちの旦那様も少し見習って欲しい位の積極さだわ。」
「おいおい。それは無いだろう。………そうだ。何だったら今ここで式を挙げたらどうだい? こっちの彼にはこれをあげるよ。」
 それまで黙っていた花婿は苦笑すると白いタキシードを飾っていたブーケとお揃いの小さな花束をゼフェルのシャツの胸ポケットにさした。
「それが良いわね。あなたにはこれをあげるわ。はい。これであなたも立派な花嫁よ。」
 被っていた真っ白なベールをアンジェリークに被せた花嫁はそう言って無邪気に微笑んだ。
「さっ。行ってらっしゃい。あそこで神父様もお待ちになってるわよ。」
「………な。ば…莫迦野郎っ! 人をからかうのもいい加減にしやがれっ! 行くぞ。アンジェリーク!」
「え……。きゃっ!」
 花嫁に背中を押され、ようやく我に返ったゼフェルはアンジェリークの手を取り走り出した。
 二人を囃し立てる声がいつもでも耳に届いていた。


「ゼ…ゼフェル様………。私…も…走れな……………。」
 アンジェリークの声にゼフェルはようやく走るのを止めた。
 いつの間にか二人は森の湖まで戻ってきていた。
「は…はぁ。……っの莫迦野郎……。んな花束にあんな意味があるなんて知る訳ねーだろ。なのにてめーは………。」
「私…欲しいなんて一言も言ってないもん。」
「口じゃ言って無くてもてめーの顔に欲しいって書いてあんだよ。」
「……………だから…取ってくれたんですか?」
「……………。」
 嬉しそうなアンジェリークの声にゼフェルが黙り込む。
「うふふ。」
「なに笑ってやが……………。」
 背中の方から聞こえる笑い声にゼフェルが真っ赤になって振り返り言葉を失う。
 アンジェリークは花嫁の被せたベールを被ったままだった。
 白いベールはアンジェリークの緑色の瞳を隠すように顔の前に垂れ下がっていた。
「……おめーは。そんなモンいつまで被ってんだよ。」
「だって…折角被せてくれたから………。夢なんですよ。女の子の。いつか真っ白なウェディングドレスを着て教会で神父様の前で…って。こうやってベール被ってると夢にちょっとだけ近づいた気になるんですもの。」
 ベールの向こうでアンジェリークが恥ずかしそうに微笑んだのが判った。
「……………アンジェリーク。」
 ゼフェルは背中を丸くしてアンジェリークの顔に自分の顔を近付けて白いベールをそっと持ち上げた。
「ここは教会でもねぇし神父もいねぇ。だけど…言えよ。いま目の前にいる俺に…誓いの言葉って奴をよ。」
「ゼフェル様……………。普通…男の人が先に誓いの言葉を言うんですよ?」
 ちょっと拗ねたように口を尖らせるアンジェリークにゼフェルが眉をあげた。
「………ちっ。……………おめーは…おめーはずっと俺のもんだ。一生離してなんかやんねー。ほら。言ったぜ。おめーはどうなんだよ。」
「酷い言い方。……私アンジェリークは目の前のゼフェル様を愛し続けることを誓います。永遠に……。こう言ってくれなきゃ。」
「言えるかよ。んな事。」
「だって………んっ。」
 白いベールを頭の後ろにまわしたゼフェルがアンジェリークに口付ける。
 触れ合うだけの軽いキス。
 少し離れてもう一度。
 何度も何度も……………。
 いつの間にか深い深いキスに変わって二人とも頭の中が真っ白になるまで。


 小さなブーケがアンジェリークの手からパサリと落ちた。


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