セカンド・ラブ


 それはある日の事だった。
 鼻歌混りにシャワーを浴びていたアンジェリークはバチンと言うもの凄い音と共に真っ暗になった室内に、慌ててバスタオルを身体に巻いて廊下に出た。
「どうしたの? 何があったの? お母さん。」
「アンジェリーク。ブレーカーが飛んじゃったみたいなのよ。今、お父さんが見てるから。あなたの方は大丈夫?」
「シャワーの最中だけど…取り合えず大丈夫よ。」
 階下にいる母とそんな会話を交わしていると懐中電灯を手にした父が首を捻りながら姿を現した。
「おかしいんだよ。ブレーカーを戻しても電気がつかないんだ。」
「ええっ? お父さん。私、シャンプーの途中なのよ? 髪が痛んじゃうわ。」
 二階から顔だけ出したアンジェリークが父に抗議する。
「どうするんですか? こんな時間じゃ修理も頼めませんし……。」
「うん………。いや…大丈夫。ちょっと待ってておくれ。」
 少し考え込んでいた父は笑顔を見せて懐から携帯電話を取り出した。
「……やぁ。私だよ。すまないがちょっと頼まれてくれないかな? 実は……。」
 明るい声で話す父の背をアンジェリークは不安そうに見つめていた。
「そう……。悪いね。じゃあ。待ってるから。………安心して良いよ。アンジェリーク。すぐに修理に来てくれるから。」
 振り返った父はアンジェリークを見上げてにっこりと笑った。
「どなたに頼んだんですの?」
「私の部下の一人なんだけどね。彼ならすぐに直してくれるさ。……アンジェリーク。お前は降りて来るんじゃないよ。年頃の娘が若い男性にそんな姿見せるもんじゃないからね。」
「判ってるわよ。そんな事……。」
「お若い方なんですか?」
「確かアンジェリークと同じ年だよ。」
「まぁ………。」
 そんなたわいのない会話をしていると外の方からバイクのエンジン音が聞こえてきた。
「どうやら来たようだ。………やぁ。ゼフェル君。突然ですまないね。」
 玄関を開けてやってきた人物を迎え入れる父に、アンジェリークは手すりの影から顔を覗かせた。
 黒の革のつなぎに黒いヘルメット。
 赤い工具箱を父に渡してヘルメットを無造作に外す。
 その瞬間、アンジェリークは魅入られたように青年を見つめていた。
 かぶっていたヘルメットとは対照的な銀糸の髪にルビーの輝きを持つ赤い双眼。
『………綺麗。』
 身を乗り出すように青年の姿を見つめるアンジェリークの視線に気が付いたのか、青年がふと二階に顔を向けた。
 ドッキーンと心臓が飛び出しそうな位大きな音を立てる。
 慌てて部屋へと戻ったアンジェリークの身体中が熱くなった。
 身体全体が心臓になってしまったようにドキドキと鼓動を続ける。
「や…嫌だ。どうしたんだろ? 私………。」
「どうしたんだい? ゼフェル君。」
「……いいえ。なんでも………。」
 階下から響く青年の声に熱くなった身体が更に熱くなる。
「私…どうしちゃったんだろ? ホントに………。」
 部屋の真ん中にペタリと座りこむ。
 先程の青年の姿が目に焼き付いて離れない。
「………あっ!」
 突然室内が明るくなりアンジェリークは慌てて立ち上がった。
 大急ぎでシャワールームへ向かうとシャワーを浴びて部屋に戻る。
「やっ!」
 再び聞こえたエンジン音に慌てて服に着替え窓に駆け寄る。
 走り去るバイクの赤いテールランプをアンジェリークは二階の窓から身を乗り出すように見送っていた。
『………帰っちゃった。』
 吹き付ける風がアンジェリークの心に隙間を作る。
 ブルッと身体を身震いさせてベッドの中へと潜り込む。
「あの人…ゼフェルって言うのか。ゼフェル…か……。」
 指でそっと名前を綴るとトクンと胸が鳴った。
 アンジェリークは瞳を閉じて瞼の奥に映る青年の姿を見つめながらなかなか寝付けない眠りについた。


「あれは…まさかな。他人のそら似だよな。」
 バイクを走らせながらゼフェルは呟いた。
 ゼフェルは五年前の夢のような世界での出来事を思い出した。


「アンジェリーク。本当に帰っちまうのか?」
「はい。ロザリアは補佐官にって言ってくれたんですけど私じゃ役不足ですから……。父と母の元に帰ります。」
「そっか………。」
 女王候補のアンジェリークはそう言って目の前で不満そうな顔をする鋼の守護聖に笑いかけた。
「家族が相手じゃ勝てねーよな。……元気でな。」
「ゼフェル様も。ゼフェル様の事は決して忘れません。さようなら。」
「ああ………。」
 そんなアンジェリークの言葉にゼフェルは哀しそうに笑った。
『忘れません…か。アンジェリーク。おめーは此処を出たら何もかも忘れちまうんだよ。聖地の事も。飛空都市やおめーが育てた大陸の事も。何もかも………。』
 違う時を刻む聖地と外界。
 守護聖のように長きに渡りその場に滞る者はともかく世話係や警備の者など聖地に滞る時間が短い者は外界に戻った時に聖地での出来事を全て忘れてしまう。
 ただ覚えているのは聖地で暮らしたと言う事実のみ。
 そこで何をし誰と会ったかなどは全て忘れる。
 それが二つの時の流れを生きる者達への女王の配慮であった。
 女王候補であるアンジェリークも例外ではない。
 ゼフェルはそれを知っていて、だが敢えて口にしなかった。
 アンジェリークがその事実を知って悲しむ事が判っていたから………。
「ゼフェル様? あの…あのね。最後に…聖地を出る最後に一つだけ我侭言っても良いかなぁ。」
「……言ってみろよ。どうせ最後だ。」
「………ゼフェル様の…ゼフェル様のサクリアがなくなっちゃえば良いのに…。そうしたら同じ時間にいられるのにな…って………。」
 ポタリと一粒の涙が聖地の大地に落ちる。
「……アンジェリーク。」
 そんなアンジェリークにゼフェルはたまらず唇を重ねた。
「………ゼフェル様。私…もう誰も好きにならない。ゼフェル様以外の人を好きにはならないから………。さようなら。ゼフェル様。」
 ゆっくりとゼフェルの元を離れたアンジェリークはそう言って外界へ向かって歩き出した。
 その次の日、聖地で大異変が起こった。
 アンジェリークの涙を吸い込んだ聖地の大地がまるで彼女の最後の願いを聞き届けたかのようにゼフェルのサクリアが消えてしまった。
 徐々に衰える所ではなく、完全に消滅してしまったのだった。
 この事態に慌てふためいたのは本人よりもむしろ他の守護聖達であった。
 すぐさま後任の鋼の守護聖が聖地へ招かれ、ゼフェルは晴れて自由の身になったのだった。
 外界に出たゼフェルはアンジェリークと同じ大地で生き続けるために故郷に帰る事はせずに主星に滞り現在に至るのだった。


「何処に住んでるのかも聞かなかったしな……。第一あいつは俺の事は何も覚えてねーんだから………。もし会えてもどうしようもねーよな………。」
 自分に言い聞かせるように呟いてゼフェルはバイクを走らせていた。


「……えっ? 今日? この間の人が来るの? でも今日は………。」
 三日後の日の曜日。
 父の言葉にアンジェリークは驚いたように口ごもった。
「ああ。私達は出かけなくちゃならないから。悪いけどアンジェリーク。家に残ってくれないか? 彼が電力が一つに集中しているから分散させた方が良いだろうって言ってね。この間は取り合えずの応急処置をしてもらっただけなんだよ。」
「そ…そうなんだ。」
「もうそろそろ来ると思うんだけどね。」
 アンジェリークの耳に父の言葉はもう入って来なかった。
『あの人が来る……。私…この格好でおかしくないかしら? だ…大丈夫よね。でも……。もう一度髪をとかした方が……えっ? ちょ…ちょっと待って。』
 外から聞こえたバイク音にアンジェリークが慌てて立ち上がった。
「お早うございます。部長。」
「お早う。ゼフェル君。すまないね。ちょっと用が出来て我々は出かけなくてはならないんだ。娘に話はしてあるから。」
「……何だったら別の日にしましょうか?」
「気にしなくても良いよ。またこの間みたいに停電すると困るからやってくれないか? 但し! 娘に変な真似は………。」
「部長は普段は温厚だけど娘さんの事になると人が変わるから気を付けろって仲間に散々言われましたよ。」
「ははは。そうか。……アンジェリーク。おいで。紹介するから。」
「は…はい。」
「ア…アンジェ…リーク……?」
 呼ばれて父の元に近寄るアンジェリークの姿にゼフェルは驚いたようにその名を呟いていた。
「娘がどうかしたのかい? ゼフェル君。」
「???」
「い…いえ。昔…俺の知り合いに同じ名前の奴がいたから………。」
「ははーん。さしずめ君の彼女なのかな?」
「な…! ぶ…部長っ!」
 顔を赤くするゼフェルにズキンとアンジェリークの胸が痛んだ。
『彼女? ……そ…そうよね。いて当たり前よね……。』
「ははは。図星か?」
「そんなんじゃありません。あいつは…もう俺のトコにはいないんです……。」
「………そうか。悪かったね。変な事を言って……。」
「良いですよ。別に……。じゃあ。勝手にやらせて貰いますから。」
 無愛想にゼフェルはアンジェリークの脇を通り抜けていった。


『マ…マジかよ? アンジェリーク・リモージュ……。そう言ゃ確かそんな名前だったよな。……一寸待てよ。部長出かけるって言ってなかったか? …って事はあいつと二人っきりか? ヤベー。……耐えろよ。俺。あいつは俺の事なんて何一つ覚えてねーんだから。』
 配電盤のカバーを取り外しながらゼフェルが心の中で自分に言い聞かせる。
 五年の間、片時も忘れなかった愛しい少女。
 すっかり大人の女性として美しく成長したアンジェリークの姿に、彼女への想いが溢れて暴走しそうになるのをゼフェルは必死になって押さえていた。
「あ…あの………。何かお手伝いしましょうか?」
 そんなゼフェルの心も知らずアンジェリークが遠慮がちに声をかける。
「あ…あんたに手伝って貰う事なんてねーよ。汚れるからあっち行ってろよ。」
 心の動揺を隠すようにぶっきらぼうに答える。
 しかしそんな自分の言葉に緑の瞳が哀しそうな色を見せるのをゼフェルは見逃さなかった。
「……コーヒー。」
「はい?」
「バイクぶっ飛ばしてきて喉乾いてんだ。コーヒーでもいれてくれよ。」
「えっ? ……あ…はい。待ってて下さいね。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークは嬉しそうにキッチンに姿を消した。
 ややしばらくして、煎れたてのコーヒーをトレイに乗せたアンジェリークが配電室に戻ってきた。
『……真剣な顔。不思議ね。何だか懐かしい気がする。あの人の顔を以前にもずっと見てたような気がするわ。』
 自分が入ってきた事にも気付かず作業を続けるゼフェルの横顔をアンジェリークはじっと見つめていた。
 どの位時間が経ったのだろうか?
「おっと。」
「あっ!」
 作業中のゼフェルの手からドライバーが落ちた瞬間、アンジェリークが小さく声を出した。
「ん? 何だ。いたのか。……コーヒー煎れてくれたんだろ? サンキュな。」
「えっ? あっ! あの……。だ…駄目です。」
『や…嫌だ。すっかりぬるくなってる。』
 近寄りマグカップに手を伸ばすゼフェルにアンジェリークはトレイを持ったまま背中を向けた。
 鼓動が早鐘を打つ。
「ま…間違えてぬるく煎れちゃったから……。すぐに熱いのに煎れなおして来ますから………。!」
 開きかけた配電室の扉が乱暴に閉められる。
 アンジェリークの背後からゼフェルの手が伸びマグカップが宙に浮く。
「あのっ……。」
 驚いて振り返ったアンジェリークの目の前でゼフェルはぬるくなったコーヒーを一息で飲み干した。
「……ごっそさん。」
 マグカップをトレイに戻し再び配電盤に向かう。
 アンジェリークの鼓動はなかなか静まらなかった。


「部長達…遅いな。」
 結局作業が夜までかかってしまったゼフェルがアンジェリークと夕食を取りながらポツリと呟く。
「そうですね。もしかしたら…今日は帰って来ないかもしれません。叔父の家に行くといつも父はお酒を飲まされて帰って来れなくなりますから……。それより…あの、お味の方はどうですか?」
「……カレーに味もへったくれもねーだろ?」
『こいつ…何となくでも覚えてるのかな? 俺の好物。まっ。以前に比べて料理の腕は確実に上がってるけどな……。』
 アンジェリークの作ったチキンカレーを食べながらゼフェルは思った。
「おかわりありますよ?」
「いや…もう腹一杯だ。うまかったよ。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークは嬉しそうに微笑んだ。
 アンジェリークが立ち上がりテーブルの上を片付け始めた頃、突然ゼフェルの携帯電話が鳴った。
「はい? ……部長? はい。はい。えっ? ………代わってくれってよ。」
 手にした皿をテーブルに戻したアンジェリークがゼフェルから携帯を受け取る。
「もしもしお父さん。……えっ? うん。うん。大丈夫。判ったわ。………どうもすみません。今日は戻らないって……。」
「……そうか。じゃあ。俺も帰るから……。しっかり戸締まりしろよな。」
「えっ? あの…待って……。」
 背中を見せるゼフェルの服の端をアンジェリークが掴む。
「? 何か用があるのか?」
「えっ? いえ……。あの……………。」
『変な私。この人に帰って欲しくないって思ってる。』
 振り返るゼフェルの怪訝そうな顔に慌てて手を離す。
 何を言っていいのか判らず戸惑いアンジェリークは俯いた。
『だ…駄目だ………。押さえきれねぇ……。』
「えっ?」
 両腕を取られ引き寄せられたアンジェリークが驚きで目を大きく見開く。
「………悪りぃ。」
 ゆっくりと唇を離したゼフェルがポツリと呟き呆然とするアンジェリークをそのままに外へと出ていった。
 バイクの爆音が響きその音が聞こえなくなるまでアンジェリークは身動きが出来なかった。


「……ん? な…あれは………。」
 あれからかなりの日が過ぎたある日、降りしきる雨の中を歩くゼフェルは傘もささずにびしょ濡れの姿で歩くアンジェリークを見つけた。
「………あんた。こんな所で何してるんだよ。」
 慌てて傘をさし出しアンジェリークに声をかける。
「あ…あなたは………。」
「お…おいっ……!」
 自分の姿を認めた途端抱きつき大粒の涙を零すアンジェリークにゼフェルは慌てて彼女を自分の家に連れ帰った。
「ちょっと散らかってるけど……。ほら。そっちにシャワールームがあるから。これに着替えろ。俺は部長に連絡しておいてやるから。」
「お願いっ。お父さんには連絡しないで。家に…家に帰りたくないの……。」
「何を言って………。判った。判ったから身体しっかり暖めてこい。良いな。」
 縋り付くようにゼフェルの手を握るアンジェリークの手の冷たさにゼフェルは彼女を安心させるためにその場を取り繕った。
「………部長ですか? 俺です。実はお嬢さんが……。ええ。帰りたくないって言うんで……。はい。はい。……判りました。」
 アンジェリークがシャワールームへ入りシャワーを使い始めた事を確認してからゼフェルは急いで彼女の家に連絡をいれた。
 ややしばらくしてアンジェリークが自分より二廻りは大きなシャツを着て姿を現した。
「あの………。」
「ほら。そこ座って飲めよ。」
 部屋中に漂う甘い香りの中、ゼフェルに言われたアンジェリークがソファに座り出されたマグカップに口をつけた。
「……甘くて…おいしい。」
 大きめのマグカップに並々と注がれたホットココアに嬉しそうに口をつける。
「あの………。」
「全部飲んじゃえ。話はその後だ。だからって急いで飲む必要ねーからな。」
 自分を見つめるゼフェルにアンジェリークが申し訳なさそうに声をかける。
 そんなアンジェリークにそう言い渡してゼフェルは黙ってアンジェリークを見つめていた。
「………ごちそうさまでした。」
「飲み終わったか?」
 コクリとアンジェリークが無言で頷いた。
「で…その……何が………。」
「私…社長の息子さんにプロポーズされたんです。」
『えっ? プロ…ポーズ………?』
 聞きづらそうに尋ねるゼフェルにアンジェリークは言った。
「私は会った事もない人なのに…相手の人は私と結婚したいって父に……。父にその話を聞いてそれで………。」
「家を飛び出したのか?」
 再びコクリと頷く。
「……社長の息子が相手じゃ玉のこしじゃねーかよ。」
「でもっ…嫌なんです! 私…父からこの話を聞いて判ったんです。」
「判ったって…何が?」
「……聞いてくれますか? 五年前に女王陛下の交代がありましたでしょ? 私…その時の女王候補なんです。女王になれなくて家に戻ったんですけど…その時から私。誰かを好きになる事が出来なくなった。何でなのか判らないけどどうしても……。女王候補になる前は憧れる人や素敵だなって思う人がいたのに今は……。誰かを特別視する事なんて出来なかった。あなたに会うまでは……。私…あなたが好きです。あなたが好きだから…他の人なんて考えたくない。」
「あ…あんた……。」
 抱きつくアンジェリークにゼフェルは言葉を失った。
「そう言う事ならそうとはっきり言って良いんだよ? アンジェリーク。」
「お父さん!」
「……部長。早かったですね。」
「ああ。連絡ありがとう。ゼフェル君。」
「……ひ…酷い。連絡しないでって言ったのに……。」
 ゼフェルと父の顔を交互に見ていたアンジェリークがゼフェルの胸に拳をぶつける。
「悪かったよ。だけど…連絡しない訳には行かねーだろ?」
「そうだよ。アンジェリーク。母さんも心配しているから帰ろう。」
「嫌っ! 私…帰らない。此処にいる。この人が好きなの。この人が……。」
「……ゼフェル君。娘はこう言ってるけど君はどうなんだい?」
「お…俺ですか? ……………俺は。」
 ゼフェルが言葉に詰まる。
 ふっと視線を落とすと縋るようなアンジェリークの瞳とぶつかった。
 ぎゅっと腕に力が入る。
「……好きです。初めて会った時から………。」
『別れてからもずっと………。』
 心の中で言葉を続ける。
「………お父さん。」
「……アンジェリーク。私は物わかりの言い方なんだよ。」
 不安そうに見つめるアンジェリークににっこりと微笑む。
「ゼフェル君。私は先に帰るよ。娘が落ちついたら連れてきておくれ。」
「部長……。」
「お父さん……。」
 部屋を出ていく父の姿をアンジェリークとゼフェルは呆然と見つめていた。


「あの………。さっき言った事…本当ですか? 初めて会った時から……って。」
 二人きりになってかなりの時間が過ぎた頃、しーんと静まり返った部屋の中でアンジェリークが遠慮がちに尋ねた。
「何だよ。信じねーのか? ……初めて会った時から…好きだ。アンジェリーク。」
「んっ。」
 唇を塞ぐゼフェルにアンジェリークが瞳を閉じる。
 ゼフェルはそのままゆっくりとアンジェリークを寝室に運びベッドに横たえる。
「あの…ま…待って。」
「何だ?」
 着ていたシャツのボタンを一つ一つ外していくゼフェルの手を頬を赤く染めたアンジェリークが押さえた。
「あの…あのね。お願いがあるの。」
「……言って見ろよ。」
「もう一度。もう一回私の名前を呼んで……。」
「じゃあ、お前も俺の名前を言えよな。………アンジェリーク。好きだ。」
「……ゼフェル。」
 ゼフェルの首に手を廻したアンジェリークがゆっくりと近づくゼフェルに瞳を閉じる。
 アンジェリークの身体中に懐かしさと安堵感が広がる。
 ゼフェルの心の中も一度手にしたものの長い間失っていたものが再び自分の元へ戻ってきた事の喜びで溢れる。
『アンジェリーク。おめーはやっぱ凄げぇよ。……もう一度。もう一度初めからお前とやっていけるんだな。今度は守護聖と女王候補じゃなくただの男と女として………。』
『……不思議。何かずっと以前からこうしていたみたい……。ずっと前から………。足りなかった何かが満たされていくみたい………。』
 互いを求めあい互いの存在を強く感じあう。
 聖地を同時期に去った元守護聖と元女王候補の物語はここから始まった。


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