雨と紫陽花と私


 またこの季節がやってきた。
 紫陽花の花の咲く季節。
 部屋の窓からぼんやりと外を眺める。
 紫陽花の淡いブルーの色が雨に濡れて鮮やかさを増しているように見えた。
 この季節がとても好き。
 六月って月が特に好き。
 ゼフェルの生まれた月だからってのもあるけどね。
 初めて会ったのはひまわりの花の季節。
 それから秋が来て冬になって桜が咲いて………。
 紫陽花の花言葉は『移り気』だったっけ。
 だけど何回紫陽花の季節を迎えても、私の心は変わらない。
 ひまわり畑でときめいたあの頃の気持ちのまま、今でもゼフェルが好きだった。
 当のゼフェルは出会った頃のまんま。
 私の気持ちになんかちっとも気付かないで、自分の好きなことに夢中。
 今は昔っからの夢だった、お手製飛行機での世界一周の旅に出ている。
 時たま、本当に気が向いたときだけ送ってくれるエアメール。
 それだけがゼフェルの居場所を知らせてくれる唯一のものだった。
 友達以上恋人未満…って、こういう関係を言うんだろうな。
 何となく気があって、他の女の子達より仲良くしてくれているとは思う。
 だけどそれだけ。
 ゼフェルに対して期待しちゃいけないってのは、もうずいぶん前に悟った。
 だけど、それでも、あの淡い紫陽花の青色みたいにほんの少しだけ期待してしまう。
 ゼフェルに聞きたくなる。
 私のこと好き? って。
 だけど絶対に言わない。
 言っちゃいけない。
 そんなことを言ってしまったら、今の友達以上の関係まで壊れてしまうから。
 だから私はなにも言わない。
 ゼフェルが世界一周に行くときも、ただ『いってらっしゃい』って笑っただけ。
 おうっ…て、子供みたいな笑顔を作ってゼフェルは行っちゃった。
 いつ帰ってくるのかも知らせずに。
 会いたいな。
 凄くそう思った。
 会いたいな。
 いてもたってもいられなくなって、雨の降りしきる外へと出ていった。
 いないことは充分に承知している。
 だけど行きたくなった。
 ゼフェルと初めて出会ったあの場所へ。
 ひまわり畑だったあの場所は、今のこの時期だけ紫陽花広場になっている。
 いつもならピンク色の傘。
 だけど今日の気分で青い傘。
 紫陽花の花の色に溶け込むように。
 誰にも私のいる場所が気付かれないように。
 広場の紫陽花は満開だった。
 薄青の紫陽花を見ていたら、何だか無性に泣きたくなった。
 理由なんか無い…なんてことは無いよね。
 ゼフェルに会えないから泣きたいの。
 ゼフェルに会いたくて泣きたいの。
 紫陽花の花影にしゃがみ込んで、本格的に泣きはじめる。
 自分では凄く冷静なつもりだったのに、ずっと我慢していたせいか涙が後から後から溢れてくる。
 人が殆どいなくて良かった。
 冷静になっている頭の隅でそう思う。
 ゼフェルに見られずに済んで良かった…とも。
『女って奴は何かあるとすぐ泣きゃあいいと思ってる。』
 以前、本当に嫌そうにゼフェルがそう呟いていたのを見たことがある。
 その時から私はゼフェルの前でだけは絶対に泣かないって心に誓った。
 でも…今は良いよね?
 だってゼフェルはいないんだもん。
 どこか遠くに行ってて、私の事なんて思い出しもしないんだもん。
 色々と考えていたらどんどんドツボにはまってきた。
 涙もまだまだ止まりそうにない。
「こらっ! おめーはんなトコで何してんだ。」
 何か空耳が聞こえたみたい。
「おいっ! シカトかよ。」
 真上から振って来るみたいな怒鳴り声。
 驚いて立ち上がったら、目の前にはいる筈のないゼフェル。
「な…ど…どうしたんだよっ! 腹でも痛てぇのか? それとも誰かにいじめられたのか?」
 涙の残っていた私の顔を見て、ゼフェルは驚いたみたい。
 だけど私も驚いてるんだよ。
「ゼフェル。何でここに?」
「何でって…帰って来たに決まってんだろ。」
 呆然と尋ねる私に、ちょっとムッとした口調でゼフェルが呟く。
「えっ! もう一周しちゃったの?」
「ばっ…んなに早く終わるわけねーだろ。途中で切り上げたんだよ。」
「どうして? 世界一周はゼフェルの夢だったのに。」
 不思議そうに尋ねる私からゼフェルが顔を背ける。
「予定を変更することにしたんだよ。」
「だから何で?」
 ゼフェルの言葉が理解できない私は何度も尋ねる。
 何だか…ゼフェルの様子がいつもと違った。
「一人じゃつまんねーんだよ。………おめーと一緒じゃなきゃ。」
 トクン…と胸が鳴った。
「昔…一緒に行きてぇって言ってたろ。だから二人乗りに改造して、仕切直ししようと思って帰って来たんだよ。」
 トクン…ともう一回。
「な…なに冗談ばっかり………。きゃっ!」
 何か…自分に都合の良い夢でも見ているみたいだった。
 ゼフェルに背中を向けて歩き出そうとしたら、ぬかるみに足を滑らせて転びそうになった。
 でも、ドロ道の上に転がるはずだった私の身体はゼフェルの腕の中。
「冗談なんかじゃねーよ。」
「ゼフェル……………。」
 上を見るとそこにあるのは赤い瞳。
 ゆっくりと瞳を閉じた。
 私の唇にそっと触れるゼフェル。
 何度も何度も………。
「ホントに私も連れて行ってくれるの?」
「あぁ。」
 ゼフェルの胸に顔を埋めて呟くと、私の髪の毛にゼフェルの呟きが返ってくる。
「絶対だからね。」
 そう言ってつま先立ちになって私からゼフェルにキス。
 6月4日。
 ちょうど今日はゼフェルの誕生日だった。


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