あなたのおかし・わたしのうつわ


『………嘘ぉ〜。』
 意外な所で意外な人の姿を見つけてしまった。
 本屋さんの一角。
 新しいお菓子作りの本を買おうと思っていた私は、いつもの本屋さんへ直行していつもの本棚の角を曲がった所で立ちつくしてしまった。
『嘘でしょう。何でこんな所に……………。』
 お目当ての本棚の前でお菓子の本を食い入るように見ている同じ学園の男の子。
 スウィートナイツの一人…だからここにいても不思議じゃないのかもしれない。
 でも学園の女の子の中では彼がスウィートナイツだと言うことに反対する意見が大多数。
 それは彼がスウィートナイツを名乗るにはあまりにも乱暴なせい。
 口が悪くて女の子に優しくなくて…そして何よりも甘い物が嫌いなせい。
 そんな彼…ゼフェル先輩がお菓子作りの本の頁をパラパラとめくっていた。
 ときたま気になるお菓子があったのか、頁をめくる指を止めてじっと見つめていた。
『ホントはお菓子が好きなのかな?』
 ゼフェル先輩の真剣な横顔を見ながらそんな事を考えていたら、鼻の辺りが突然むずむずしだして……………。
「…ックシュ。」
 小さく堪えたつもりの私のくしゃみは真剣に本を眺めていた先輩の耳にしっかり届いていて…顔を上げたゼフェル先輩と私はバッチリ目が合ってしまったのだった。
 なんてタイミングが悪いんだろう。
 ゼフェル先輩もばつが悪そうに顔を顰めるとプイッとそっぽを向いてしまった。
『早く買って帰ろう。』
 あまりの居心地の悪さにゼフェル先輩を気にしながら本棚に近づいてお目当ての本を探す。
『何であんな高い所に……………。』
 ようやく見つけたお目当ての本は棚の一番上に並んでいた。
 つま先立ちになって思いっきり背伸びをして手を伸ばしたけれど、もうちょっとの所で届かない。
 何度も何度もチャレンジして…でも取れなくて諦めかけていたその時。
「こいつか?」
 後ろから黒い制服の腕がにゅっと伸びてお目当ての本が私の目の前に差し出された。
「……………。」
「こいつじゃねーのか?」
 驚いて目を丸くしていた私に本を取ってくれたゼフェル先輩が眉をひそめる。
「……あっ! いいえ。これです。ありがとうございます。先輩。」
 差し出されたままの本を受け取って頭を下げる。
 こんな…ゼフェル先輩に親切にされるなんて思っても見なかった。
「礼なんていらねーよ。それより…頼みてー事がある。」
「なんでしょうか?」
 不思議そうに尋ねた私にゼフェル先輩はズボンの後ろポケットからお財布を取り出すとさっきまで見ていた本と一緒に私に渡した。
「そいつを買うんだろ。そん時…こいつも一緒に買ってきてくれねーか? 俺は外で待ってるから。じゃ頼んだぞ。」
 そう言ってゼフェル先輩はさっさと私に背中を向けて行ってしまった。
 呆然とその背中を見送っていた私はハッ! と我に返り、慌ててレジで会計を済ませて大急ぎでお店の外に出ていった。
「……あれ?」
 大急ぎで出たお店の外にゼフェル先輩の姿は無かった。
『何処に行っちゃったんだろう。』
「ここだ。」
 きょろきょろと辺りを見回していたらゼフェル先輩がお店の脇の路地から顔を出して手招きをしていた。
「あっ! 先輩。……良かった。はい。お財布お返ししますね。それと…頼まれた本買ってきました。これレシートです。」
 たたたっ…とゼフェル先輩に駆け寄って預かったお財布と頼まれた本を渡す。
「あぁ。…っと。言っとくけどよ。俺がこんな本買ったなんて誰かに喋んじゃねーぞ。」
 お財布と本を受け取ったゼフェル先輩がキッと眉を上げて恐い顔で私を睨み付けた。
「は…はい。言いません。誰にも。」
 ゼフェル先輩のあまりの迫力に私は内緒の約束をする時のように人差し指を唇に当てた。
 それも両手の人差し指を二本とも使った二重の内緒の約束。
「……………くっ。」
 そんな私の格好を驚いたように目を丸くして見ていたゼフェル先輩が次の瞬間、目を細めて喉の奥を鳴らすようにして笑った。
『笑った……。』
「約束だぞ。じゃあな。ありがとよ。」
 私の取ったポーズがそんなにおかしかったのか、口元を緩ませたままのゼフェル先輩が背中を向けて歩き出す。
『笑った……………。』
 ゼフェル先輩の、まず見ることは不可能に近いだろう笑顔に呆然としていた私はこの後とんでもない行動に出てしまった。
「あ…あのっ! 先輩っ!」
 前を開けっぱなしにしているゼフェル先輩の制服の上着の端を握りしめて私は先輩を引き留めてしまったのだった。
 驚いたようにゼフェル先輩が振り返る。
「あの……。私で良かったら、その本に載っているお菓子。作りましょうか?」
「おめーが?」
 私の言葉にゼフェル先輩は訝しむように私の方へと向き直り、頭のてっぺんからつま先まで何度も何度も視線を往復させた。
「はい。私…今年のローズ・コンテストの出場者の一人なんです。それに前からお菓子作りは好きだから。」
「ローズ……。あぁ。そう言ゃそんな時期だな。……おめーが出るのか?」
「はい。アンジェリークって言います。」
 心底嫌そうに顔を顰めたゼフェル先輩に笑顔で挨拶する。
『そんなにコンテスト嫌いなのかな?』
「作れんのか? おめーに。この本に載ってる奴が。」
「はい。大丈夫です。私もその本持ってるんですよ。その本ってレシピがしっかりしてるから作りやすいんですよね。オリジナルのお菓子はまだまだ苦手なんですけど、レシピ通りに作るのは得意なんです。先輩が食べたい時に作ってきますからいつでも言ってください。」
「食わねーよ。」
「えっ?」
 笑顔で言った私の言葉に嫌そうに顔を顰めるゼフェル先輩に私はびっくりした。
『だって……。だから買ったんじゃない…の?』
「誰がんなベタベタに甘めぇモンなんか食うかよ。………でもま。作ってきてくれるんなら歓迎するぜ。じゃあな。アンジェリーク。」
 唖然としたままの私の頭をわしゃわしゃと撫でて、ゼフェル先輩は今度こそ本当に行ってしまった。


 ローズ・コンテストの予選が始まって数日後。
 レシピを集めてジュースの街を歩いていた私は溜息をついてしまった。
 お菓子を作るのは何ともないんだけど、あちこちに転々と散らばっているレシピを集めるのが一苦労。
 本当はやっちゃいけない事なんだけど、同じコンテスト参加者のロザリアやコレット、レイチェルなんかと内緒でレシピ交換なんかもしちゃってる。
 なのに…思うようにレシピが集まらない。
『コンテストって結構大変。』
 そんな事を考えながらとぼとぼと次のお店に向かって歩き出した時。
「よぉ。元気ねーな。」
 後ろからかけられた声に驚いて振り返ったらそこにゼフェル先輩が立っていた。
「ゼフェル先輩。」
「あの後…全然作ってこねーからどうしたのかと思ったぜ。さすがのおめーもコンテストで手一杯って奴か?」
「さすがの…って。」
「俺の服、ひっ掴んだあの迫力だよ。」
 ニヤッと笑うゼフェル先輩の言葉にあの時の事を思い出して恥ずかしくなる。
 あの時は…ホントに何であんな事をしちゃったのか、自分でも判らなかった。
 そう言えばあの後、一回だけ本に載っていたお菓子を作ってゼフェル先輩の所へ持っていった事があったっけ。
『気にしてくれてたのかな?』
 チラッ…と横目で隣を並んで歩くゼフェル先輩を見る。
『あの時の……。食べてくれたのかな?』
「あの……。あの時の…どうでしたか?」
「ん? あぁ。あれ…な。……………ちょっと来いよ。」
 ちょっとだけ考えるような素振りを見せたゼフェル先輩にいきなり手を取られてぐいっと引っ張られる。
「えっ? 先輩。どこに………。」
「良いから来いって。」
 戸惑う私を無視してゼフェル先輩は私の手を握りしめたままずんずんと先に進んで一軒の家の前で止まった。
「ここは?」
「俺の作業場。こっちだ。」
『作業場って……?』
 ぐいぐいとゼフェル先輩に引っ張られるまま私はその家の中に入っていった。
「……………どうだ?」
 一つの部屋のドアを開けて私を先に中に入れたゼフェル先輩の誇らしげな声が後ろから響く。
 部屋の中は…ガラスや陶器で出来た器が沢山あった。
「すご……………。」
 あまりに膨大な量に唖然とする。
「ほら。こいつを見て見ろよ。」
 壁一面が飾り棚になっているその部屋をクルクルと見回していた私にゼフェル先輩は一枚の写真を見せてくれた。
「あっ!」
 写真を受け取って思わず叫び声を上げてしまった。
 あの時の…私がゼフェル先輩に作ったのと同じお菓子が綺麗な器に乗っている写真だった。
「えーと。何処にやったっけかな。……あぁ。これだ。」
 ガチャガチャと飾り棚を探っていたゼフェル先輩が一つの器を手にとって振り返る。
『あ……………。』
 写真に写っているのと同じその器を見て口をポカンと開けてしまった。
「おめーが作ったお菓子だぜ。こいつに乗せて…そら。あそこで撮影したんだ。」
 クイッ…とゼフェル先輩が顎だけ動かした先を見ると、確かに写真と同じ風景がそこにあった。
「俺は菓子よりもそいつを盛り付ける器の方に興味があってな。どうだ。こっちの写真より美味そうだろ。」
 そう言ってゼフェル先輩が私に見せたのは、以前私が頼まれて買った本。
 開かれているのは確かに私が作ったお菓子の頁。
 でも……………。
「な。そっちの写真の方が断然美味そうだろ。」
 手元の写真とゼフェル先輩が持っている本の頁とを見比べて唖然としてしまう。
 本当に…ゼフェル先輩の言う通り、本に掲載されている写真よりも私が手に持っている写真に写されているお菓子の方がおいしそうだった。
「盛り付ける器が違うだけでこんなに受ける印象が違うんだ。見る角度なんかもな。その菓子に一番あった器で盛り付けてーと思わねぇ?」
 赤い瞳をキラキラさせてゼフェル先輩が私に尋ねる。
 私は感動してコクコクと何度も頷いてしまった。
「凄い。凄いです。ゼフェル先輩。私…自分の作ったお菓子がこんなにおいしそうに見えたのって初めて。」
「そっか。おめーも気に入ったか。」
『あ…また、笑った。』
 心底嬉しそうに笑うゼフェル先輩に私の視線は釘付けになってしまった。
「ん? どうした?」
「……………あっ! いいえっ! 何でも……。でも先輩。こんなに沢山の器を買い揃えるのは大変だったんじゃないですか?」
 固まってしまった私に不思議そうに声をかけるゼフェル先輩に、我に返った私はポカンとした顔を見られていた気恥ずかしさに背中を向けて尋ねた。
「莫〜迦。ここにあんのは全部、俺が作ったんだよ。」
『ええっ!?』
 先輩の言葉に驚いて振り返った私の目の前に誇らしげな顔をするゼフェル先輩がいた。
「すっごーい。凄い凄い凄い。………先輩っ! 私、また作ってきます。色々なお菓子。そしたらまた写真にとって見せてくれますか?」
「あぁ。良いぜ。」
 興奮している私の様子にゼフェル先輩が嬉しそうに目を細める。
「じゃあ…明日! 作ってきます。」
「ば…莫迦か。おめーは。コンテストで手一杯なんじゃねーのか? さっきも派手に溜息ついてたクセしやがってよ。」
「でも…でもっ! 作りたいんです。」
 そう。
 確かにコンテストのレシピ集めで忙しいけど…でも、これだけは譲れなかった。
「……んなツラすんな。コンテストが終わったら、もう作りたくねーって言うぐらい作らせてやっから。」
「ホントですか?」
「あぁ。予約入れといてやるよ。」
 多分…凄くしょげた顔をしたんだと思う。
 ゼフェル先輩は仕方なねーなって苦笑して約束してくれた。
「コンテストが終わったら…ですよね。頑張らなきゃ。」
「…ったく。変わり身の早えぇ奴だよな。おめーも。」
 ぴょんぴょんと室内を飛び跳ねる私に、ゼフェル先輩は肩を震わせてくっくっくっと笑った。
「変ですか?」
「いや。おめーらしくて良いんじゃねー。」
 まだ笑ってるゼフェル先輩にちょっとだけ口を尖らせる。
『なにもそんなに笑わなくたって………。』
「んな怒んなよ。レシピ集めやんだろ。」
 つん…とおでこを突っついてゼフェル先輩が言う。
「はい。私、頑張ってレシピ全部集めますね。」
「……じゃあ。貢献してやるよ。ほれ。」
 そう言ってゼフェル先輩はポケットの中から一枚の紙を取りだして私に渡した。
「先輩…これ……………。」
「他の奴からも貰った事あっだろ。俺の分だ。やるよ。」
 それはスウィートナイツの方達が持っているオリジナルお菓子の作れる特別レシピ。
 確かに他の方からも貰ったけど…ゼフェル先輩から貰ったレシピは何だか凄い宝物のように感じた。
「良いんですか?」
「あぁ。構わねーよ。」
「ありがとうございます。じゃあ私。失礼します。」
「あぁ。…っと。そうだ。アンジェリーク。」
「はい?」
 再びレシピを集めるために街へ繰り出そうとしていた私は、ゼフェル先輩に呼び止められてひょっこりとドアの陰から顔を覗かせた。
「言っとくけど…ここの事は他の奴等にゃ内緒だぞ。」
 そう言ってゼフェル先輩は人差し指を唇に当てて内緒のポーズを取った。
 それも両手の人差し指で。
 初めて会った時に私がゼフェル先輩にしてしまったポーズ。
「……………判ってますっ!」
 恥ずかしくなって思いっきりドアを閉めてしまった。
 部屋の中からゼフェル先輩が大笑いしている声がいつまでも聞こえていた。


 頑張ってレシピを集めよう。
 早くコンテストを終わらせよう。
 そしたら毎日、ゼフェル先輩のためにお菓子を作るの。
 私が作ったお菓子の器を先輩に作って貰うの。
 そしていつか先輩に食べて貰える最高のお菓子を作ろう。
 最高の器に盛り付けされたそのお菓子を二人で食べよう。


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