歌姫


「なぁ。ゼフェル。頼むよ。」
「やなこった。何で俺が、んなメンドーな事やんなきゃなんねーんだよ。」
 頭を下げるクラスメイトにプイッと顔を背けてゼフェルが呟く。
「そう言わずに頼むって。なっ。昼メシ奢るから。」
「なに言われたって嫌なモンは嫌だね。んなこたー顧問のセンコーにでもやらせろよ。」
「あのなー。うちの顧問。留守電すらまともにセット出来ないメカオンチなんだぜ。録音なんて出来るわけ無いだろ。まぁ…それでも一応、頼んでみたんだぜ。そしたらうちの顧問から放送部の顧問に話がいって……。で、言ったんだぜ。お前んトコの顧問が。『あー。それだったらゼフェルが適任でしょうねぇ』って。」
「…んだとぉ。あのグズトロ………。」
 職員室の方向を指さして口まねするクラスメイトにゼフェルが眉を吊り上げる。
 ゼフェルの所属している放送部の顧問は彼の家の隣の住人で、幼少の頃から何かと世話になっていたゼフェルは彼にだけは頭が上がらないのであった。
「な。ルヴァ先生の折り紙付きのゼフェル様。ここは一つ同じ弱小部を助けると思って協力して下さい。お願いしますっ!」
 パンッ! と両手を顔の前で合わせて自分を拝むクラスメイトにゼフェルが顔をしかめる。
 他のクラスメイト達がさっきから何事かと遠巻きに自分達を見ていた。
「……………わぁーったよっ! やってやるよ。やりぁ良いんだろ。やりぁ。だからいつまでも俺を拝むんじゃねーっ!」
「そうかっ! やってくれるか。ありがとうゼフェル。やっぱ持つべき者は友達だよな。じゃあ今度の日曜日朝六時に市民ホールに来てくれよな。……あ。なんだったら迎えに行くけど………。」
「ガキじゃねーんだっ! 迎えになんか来んなっ! ……………ちょっと待て。何でそんなに朝早えぇんだよ。コンサートは十時からなんだろ?」
 怒鳴ったゼフェルが集合時間のあまりの早さに眉間に皺を寄せて尋ねる。
「あぁ。だけど練習を兼ねたリハーサルをやるから。ゼフェルだってその間に機材のチェックやら何やら、やる事は山ほどあるだろ? ……おい。ゼフェル?」
 自分の答えに頭を抱えてしまったゼフェルにクラスメイトは不思議そうに声をかけた。
「あのなー。機材のチェックや操作チェックに三時間も四時間もかかると思ってんのか? おめー。んなにかかる訳ねーだろ。一時間もありゃチェックなんて全部終わるんだよ。第一っ! その肝心の機材の手配は大丈夫なんだろうな?」
「あぁ。ホールの備え付けの機材の使用許可を貰ってる。あそこのは最新式だから誰も操作出来そうになくってさ。そうでなくてもほら。うちの部、人数少なくて機械操作まで人数さけられないだろ。向こうの女の子達にやらせる訳にもいかないし……。どうしようかと思ってたんだよ。ゼフェルが引き受けてくれて助かるよ。頼んだぜ。ゼフェル。最高の音、拾ってくれよな。」
「……へっ。最高になるかどうかは歌うおめー等次第だろーがよ。」
「お。言ったな。腰抜かして驚くなよ。………へへへ。これで彼女も喜ぶぞ。」
「…んだよ。いやに熱心だと思ったら女がらみかよ。」
 最後の方でポロッと零れたクラスメイトの一言をゼフェルは聞き逃さなかった。
「え? あ…いや……。その………。」
「ふーん。成る程な。女がらみじゃ熱心にもなるよな。で、関係ない俺まで六時に来い…と。」
 しどろもどろのクラスメイトにゼフェルは赤い瞳を細めて意地の悪そうな口調で呟いた。
「ゼフェル〜。勘弁しろよ。………判ったよ。リハーサル来なくても良いよ。その代わり、せめて開演三十分前には機材チェック終わらせてくれよな。」
「三十分前…ね。判った。じゃ日曜にな。」
「あぁ。市民ホールだぜ。頼むな。」
「判ってるって。ほれほれ。部長がいつまでも留守してたんじゃ練習になんねーんだろ。さっさと戻れよ。」
「あぁ。じゃあな。ゼフェル。」
「おう。」
 バタバタと音楽室へ戻っていくクラスメイトの後ろ姿にゼフェルは溜息をついていた。


「ふわぁ……。」
 日曜日。
 暗いホール内でゼフェルが何度目になるか判らない欠伸をする。
 今日行われているコンサートはゼフェルの通っている学校の合唱部と姉妹提携を結んでいる女子校のコーラス部との合同コンサートだった。
「あの野郎……。あのお嬢様学校に彼女がいるとはな。…ったく。驚きだぜ。」
 ステージ上でソロをこなしているクラスメイトにゼフェルが苦笑する。
 紹介されたのはいかにもお嬢様らしい…とにかくお嬢様! と言う感じの大人しそうな子だった。
「……ま。あのトボケた野郎にゃお似合いか。……にしても退屈だな。」
 録音のための音響機材の置かれている二階のボックス席にたった一人でいるゼフェルが座っているパイプ椅子を斜めに傾けて呟く。
 音楽鑑賞…それもクラッシックや声楽曲などとは今まで全く縁のないゼフェルだった。
 会場から拍手が聞こえてゼフェルが音量調節のレバーを操作する。
 件のクラスメイトから『雑音はなるべく入れるな』と言う注文が出ていたのである。
「まだ終わんねーのかな。…っと。確かプログラムがこの辺に……………。」
 さすがに嫌気がさしてきたゼフェルが予め渡されていたプログラムに目を走らせる。
「…んだ。あと二曲か。やれやれ。やっと終わるのかよ。………次はあの女か。」
 前面の機材テーブルに足を乗せて身体を後方に傾けてユラユラと椅子を揺らしていたゼフェルがプログラムから視線を外してステージ上へと視線を移す。
 金色の巻き毛の制服姿の少女がピアノの脇に立ちペコリとお辞儀をしていた。
 ピアノ伴奏が始まると少女は緑色の瞳を閉じてスウーッと大きく息を吸い込んだ。
 ガターンッ!
 その桜色の唇から会場中に響き渡る声が零れた途端、ゼフェルは椅子に腰掛けたままの状態で後ろに倒れてそのまま身動きが出来なくなってしまった。
『……んだ? これ?』
 ゾクリ…と全身が総毛立つ。
 気味が悪い訳でも寒気がきている訳でもない。
 舞台上で歌っている少女の歌声を聞いているだけ。
 ただそれだけの事で…ゼフェルは金縛り状態になってしまったのだった。
 ゼフェルが動けるようになったのは歌い終わった少女に拍手が贈られたとき。
 慌てて身体を起こして音量調節をしたのだった。
「……………プログラム! ………アンジェリーク…か。」
 ペコリとお辞儀をして歌い終わった安堵感から笑顔を見せる少女を呆然と眺めていたゼフェルが我に返ってプログラムに書かれた彼女の名前を口の中で呟く。
 ステージ上では最後のトリを務める少女が優雅に中央へと歩み寄る所だった。
「………ゼフェル。」
 小声で名前を呼ばれてゼフェルがそちらへと顔を向ける。
「どうしたんだよ。さっき。こっちの方から凄い派手な音がしなかったか?」
 歌い終わって客席へと移動していたクラスメイトがすぐ近くに来ていたのだった。
「……悪りぃ。すっ転んだ。」
「えー。折角の歌姫の時だったのにかよ。」
「歌姫?」
 非難するようなクラスメイトの言葉にゼフェルが眉を寄せて聞き返した。
「そうだよ。かの女学園の二大歌姫の一人だぜ。さっきの彼女。で、もう一人が今歌ってる彼女なんだ。声楽やってる俺等のマドンナだよ。歌姫達は。」
「歌姫ねぇ……。」
 ステージに視線を戻したゼフェルがクラスメイトの言葉を繰り返す。
 歌い終わり優雅に礼を取る歌姫の姿にゼフェルは音響機材の全ての電源を消した。
 先程の彼女の歌声を聞いてひっくり返った自分を納得させる。
 クラスメイトの言葉通り歌姫と呼ばれるほどの歌い手ならば………。
 声楽に興味のないゼフェルがその歌声に驚いても不思議では無いだろう…と。
「……ル。ゼフェル。聞いてんのか?」
「! ……悪りぃ。何だ?」
「しっかりしてくれよ。今日のお前ちょっと変だぜ? ……あ。もしかして、さしものお前も歌姫達の歌声に腰抜かしたな?」
 全ての演奏が終わり明るく賑やかになった客席でクラスメイトが機材の片付けをしていたゼフェルをからかうように指さした。
「莫ー迦。んなんじゃねーよ。退屈過ぎて眠みぃんだよ。で。何だよ。」
 図星をつくクラスメイトが癪でゼフェルはわざと悪態をついた。
「あっ! そうそう。そのテープ。持ってって良いか?」
「アホか。おめーは。こいつは一度、家に持って帰ってトラック調整してからでねーと渡せねーよ。最高の音にしてーんだろ。んな会場で録った音をそのまま渡せっかよ。」
「………そっか。そうだよな。じゃゼフェル。頼むぜ。……いつ頃になる?」
「俺を誰だと思ってる。明日には渡してやるよ。」
「そ…そうかっ! ゼフェル。やっぱお前は最高の友達だぜ。」
 心配そうに尋ねるクラスメイトがゼフェルの返事に顔を輝かせる。
「…ったく。おめーは。気色悪りぃこと抜かすんじゃねーよ。どーせ彼女に良いトコ見せてーだけだろ。判ってんだよ。そんくれー。………じゃ。俺帰るぜ。」
「おい。打ち上げのお茶会やるんだけど…お前も出ないか?」
「そこまで付き合う気はねーよ。それにこいつを仕上げちまった方がおめーも良いだろ?」
 嫌そうに眉を寄せたゼフェルが手にしたテープを持ち上げる。
「あ…それもそうだな。ゼフェル部外者だし…うん。じゃ。宜しくな。」
「おう。」
 軽く手をあげて市民ホールを後にしたゼフェルは家に戻り早速自室の機材でサウンドトラックの調整を始めた。
 ゼフェルが対象としたのはアンジェリークの歌声。
 テープに録音された彼女の歌声を聞く。
 サウンドトラックを調整する。
 もう一度聞く。
 調整する。
 聞く。
 調整する。
 聞く。
 調整する。
 聞く……………。
 何度調整を繰り返してもホールで聞いたような音にならずゼフェルは苛立った。
 あのたった一声で全身を走り抜けた衝撃がスピーカーを通すと何故か薄れている。
 何処か間が抜けて…まるで別人が歌っているとしか思えないのだった。
「…っそ。」
 ガシャッ! とヘッドホンを放り投げてテープを持ったまま隣の家へと駆け込む。
「ルヴァっ! 鍵くれっ!」
「……はい? あー。ゼフェル。コンサートは終わったんで……………。」
「トラック調整すんのに部室の機材使いてーんだよっ! 鍵くれよっ!」
「は……。あぁ。はいはい。どう…あらっ?」
 差し出された部室の鍵を奪い取るとゼフェルは学校に向かって一目散に駆け出した。
「……はー。あの調子じゃ…今夜は学校に泊まり込みそうですねー。仕方ありませんねー。連絡を入れときましょうか。」
 走り去るゼフェルを唖然と見送ったルヴァが受話器を持ち上げて学校へと連絡を入れる。
 そしてルヴァの予想通り、ゼフェルはその日家に帰っては来ず、普段着だったゼフェルの制服一式を持ってきたルヴァに彼はますます頭が上がらなくなったのだった。


「ゼフェル。ルヴァ先生が呼んでるぜ。職員室に来てくれってさ。」
「んだとぉ? メンドくせーな。」
 数日後、クラスメイトに言われたゼフェルがおっくうそうに立ち上がり職員室へと向かう。
「そうそう。テープありがとな。聞いたけど凄かったぜ。何か…俺ってあんな風に歌えたんだなって感じ。彼女もすげー感動してた。向こうのコーラス部の皆も喜んでたってさ。」
「………そーかよ。」
 笑顔で話すクラスメイトにゼフェルは渋い顔をして見せる。
 結局、例のテープはゼフェル自身が十分に満足できる形にまでは至らなかったのだ。
『何かが違う。何処かが違う。』
 ずっとそんな思いのままで…しかし『月曜に渡す』と言い切った手前、出来なかったとは言えずゼフェルは『これなら』と思える状態の物を渡したのだった。
「そうだよ! お前もっと胸はれよ。あんな凄いテープ仕上げたんだからよ。」
「…っせーよ。あれ位で満足する俺じゃねーんだよ。第一…何でついてくんだよ。」
 教室を出てからずっと隣にいるクラスメイトにゼフェルが尋ねる。
「俺は用があんの。うちの顧問に。進学の事でね。」
「はーん。今からかよ。大変だな。音大に行くってのも。」
「まーね。」
 感心したのか呆れたのか判らないような声を出したゼフェルは到着した職員室の扉を開けた。
「…っす。」
「失礼します。………あっ! 歌姫?」
 隣で驚いたように叫ぶクラスメイトにゼフェルがハッ! と顔を向ける。
 そこにいたのは歌姫は歌姫でも、もう一人の歌姫だった。
「あの方ですの?」
 短くルヴァに確認した歌姫がカツカツとゼフェルに歩み寄った。
「初めまして。私、ロザリアと申しますわ。あなたが録音して下さったテープを聞かせて頂きました。それであなたにお願いしたい事がありますの。」
「俺に?」
「……ええ。私の友人を助けて頂きたいんです。」
 一瞬、ゼフェルの『俺』と言う単語にロザリアの眉がピクリと動いたが彼女は言葉を続けた。
「どんな。」
「……私と…もう一人、歌姫と呼ばれている子がいるのはご存じ?」
「あぁ。この間のコンサートであんたの前に歌った奴だろ。」
「ゼ…ゼフェル。お前、歌姫になんて失礼な言葉遣いするんだよ。」
 ゼフェルの隣りで呆然と立っていたクラスメイトがぞんざいな言葉遣いのゼフェルに小声で囁く。
「…っせーよ。俺は生憎とお嬢様方のお気に召すような口のききかた出来ねーんでね。てめーはさっさと顧問のトコ行けよ。……で、そいつと俺に頼みたい事ってのは関係あんのか?」
「大ありですわ。あの子と私とで後輩に残すために一本ずつテープを作りますの。私は終わりましたけどあの子はこれからで……。この間のコンサートのテープを聞いて『是非このテープを作った方にお願いしたい』とあの子が言い張るものですから私がこうしてお願いに参りましたの。」
 ハァーッと溜息混りにロザリアが言葉を止めた。
「……よぉ。何で本人が直接来ねーんだ? 今の話じゃ…おめーには関係ねー事だろ?」
「えぇ。そうですけど……。あの子は今日、都合が悪くて………。」
「都合?」
「えぇ。……………。」
 廊下に響くパタパタと言う軽やかな足音に話しかけていたロザリアが黙り込む。
「ロザリアっ!」
 ガラッ! と職員室の扉が開いたと思ったら、もう一人の歌姫…アンジェリークが飛び込んできた。
「も…もう言っちゃった? ねぇ。ロザリア。彼に会っちゃったの?」
「………落ちつきなさい。アンジェリーク。こちらにご本人がいらっしゃるわよ。」
 片手でこめかみの辺りを押さえたロザリアがもう片方の手をゼフェルの方へと差し出す。
「え? ………キャーッ! ご…ごめんなさい。気がつかなくって。あの…あの! 私…アンジェリークって言います。この間のコンサートであなたが作ってくれたテープ聞いて……。すっごくすっごく素敵だったの。自分の声じゃないみたいに綺麗な声で……。もう…もう感動して泣いちゃったくらい凄かったの。ダビングさせて貰ってね。何度も何度も…毎日聞いてるの。だってね。そのくらい素敵だった……………。」
「やかましいっ!」
 自分の右手を握りしめてまくしたてるアンジェリークにゼフェルは怒鳴った。
「…ったく。こっちはとんだ歌姫だな。」
「えぇ。本当に。アンジェリーク。あんた来ちゃって大丈夫なの?」
「えっ? ……あ…あぁ。数学の補習でしょ。うん。ちゃんと終わらせてきたから大丈夫。」
「数学の補習…ねぇ。」
 ロザリアの問いかけに慌てて答えたアンジェリークをゼフェルは呆れたように見つめた。
 本当にとんだ歌姫である。
 あのコンサートの時の…全身が総毛立った気配は今の彼女からは微塵も感じられなかった。
「……あっ! 呆れてるでしょ。だって数学って苦手なんだもの。それにいつも補習受けてる訳じゃないのよ。そりゃ確かにいつもギリギリだけど………。」
「……………く。」
「あの………。」
 左手で顔を覆って肩を震わせるゼフェルにアンジェリークは訝しげに声をかけた。
「くく…何て奴だよ。判った。OK。やってやるよ。テープの編集だろ。そっちの歌姫さんから話は聞いたからな。………あんたも大変だな。こんなのと『歌姫』って同列にされてよ。」
 肩を震わせて笑いながらゼフェルはロザリアに視線を向けた。
「そうでもありませんわよ。『歌姫』のみに絞れば。それ以外の部分で同列にされるとさすがに私も考えますけど。」
「………ロザリア。それって私のこと莫迦にしてない?」
「あら。私は誉めてるつもりよ。これでも。」
「だって…今の言い方じゃ………。」
「で、何処でやるんだ?」
 話を先に進めようとゼフェルはアンジェリークの言葉を遮るようにロザリアに尋ねた。
「私達の学校ですわ。本来なら毎日来て頂きたいんですけど…女ばかりの所にいらっしゃるのはお嫌そうですから日曜日に。休みの日を潰してしまいますけど宜しいかしら?」
「ご配慮に感謝するぜ。………で、おめーはいつまで俺の手を握ってるつもりだ?」
「え? ……………キャー! ごめんなさい〜。」
 言われて初めて気がついたアンジェリークが離そうとする手をゼフェルは握り返した。
「ゼフェル…ってんだ。宜しくな。」
 そしてゼフェルは毎日曜日を歌姫達と過ごすことになった。


「アンジェリーク! そうじゃないって言ってるでしょ。」
「だって〜。」
「だってじゃないの! もう一回!」
 ピアノ伴奏をかって出たロザリアの声がいつものように音楽室に響く。
 録音担当のゼフェルは両手で頬杖をついたまま、この見慣れた光景を半ば諦めつつ見つめていた。
 この校舎に何度足を運んだのか判らないほどの日数が過ぎているがゼフェルは一度もその役目を果たしていない。
 原因は全て歌姫のアンジェリークにあった。
 アンジェリークは極度のマイク&録音恐怖症で、ゼフェルはロザリアが終わっているのにアンジェリークがまだだと言うのを改めて納得していた。
「……よぉ。マイクかたすからよ。何もなしで歌ってみ。」
 一向に進まない録音状況にゼフェルが一石を投じた。
「そうね。練習だってしないといけないものね。」
「マイク無しで良いの? ホントに? ………録音しない?」
「俺の両手はここだろーが。どうやってボタン操作すんだよ。」
 マイクを舞台の上から下ろしたゼフェルが呆れたように呟いて両手をアンジェリークに見せる。
 そんな動作に安心したのかアンジェリークは嬉しそうな笑顔を見せた。
『ドキッ………。』
「行くわよ。アンジェリーク。」
 アンジェリークの笑顔に心臓を跳ねらせていたゼフェルが歌いだしたアンジェリークの歌声に全身を総毛立たせる。
『…んな。またかよ。何でこういう時は……………。』
 普段、話しているときは何でもないのだ。
 なのにアンジェリークが歌い出すとゼフェルは全身が総毛立ち金縛り状態になる。
 同じ歌姫と言われるロザリアの歌を聴いてもこうはならなかった。
 アンジェリークの歌だけ…アンジェリークにだけゼフェルの身体は反応していた。
 指を交互に絡ませた手の上に顎を乗せ、ゼフェルは金縛りの状態をやり過ごした。
「はい。よく出来ました。」
「ホント? ゼフェル。どうだった?」
「………判んねーって。俺に感想を求めるな。出来たんなら本番行くぞ。」
「あう……。」
「なにが『あう』だよ。おめーは。」
「そうよ。アンジェリーク。いい加減になさいね。彼だっていつまでも私達に付き合わせていたら気の毒でしょ。」
「う…判ってるけど……。マイクが見えてると歌えなくなるんだモン。あの…ロザリア………。」
 音楽室の小さな舞台の上から降りたアンジェリークがロザリアに耳打ちする。
「……良いわ。行ってらっしゃい。」
「うん。すぐ戻るね。」
「…んだよ。あいつ…何処行くんだ?」
 部屋を出ていくアンジェリークをゼフェルは不思議そうに見つめた。
「ちょっと…ね。それよりどうにかならないかしら? あの子ったら『後輩に残すテープはロザリアの分だけで良いじゃない』なんて言い出したのよ。歌姫の名を受け継いだ自覚が全く無いんだから。ホントに。」
「へー。歌姫ってのは代々受け継がれてきてんのか。………そうだな。いっそのことあいつを騙くらかして録っちまうか?」
「騙す…って。どうやって?」
 ゼフェルの言葉にロザリアが譜面から顔を離した。
「さっきみてーにマイク無しで俺がボタンに触って無いのが判れば満足いく歌になってんだろ? あいつの歌。ボタンサイズの小型マイクを調達してきてやるよ。おめーだったらあいつの服につけられっだろ。」
「………録音操作はどうする気?」
 ゼフェルのアイデアにロザリアは乗ったようだった。
「掌サイズの小型装置を用意する。俺がさっきみてーなカッコでいりゃあ、あいつもリラックスして歌えっだろ。」
「……………良いわ。それで行きましょう。」
「お待たせっ! ……二人で何を話してたの?」
 戻ってきたアンジェリークは謀り事を終えて笑顔を見せていた二人に不思議そうに尋ねた。
「なかなか進まないからどうしよう…って話してたのよ。」
「歌姫がだらしねーってな。」
「………二人とも酷〜い。」
「そう思うならやるわよ。ほら。」
「そうそう。しっかりやってくれよ。歌姫さんよ。」
「う………。ロザリアとゼフェルの意地悪。しらないっ!」
 アンジェリークは二人の言葉に拗ねてプイッ! と後ろを向いてしまい、この日も結局録音はままならなかった。
「それじゃあ…来週もお願いね。」
「あぁ。」
 迎えの車に乗り込んだロザリアが目でゼフェルに確認する。
 そんなロザリアにゼフェルは短く返事をした。
「ゼフェル。バイバイ。」
 ロザリアの車に同乗したアンジェリークだけが何も知らずに無邪気に手を振っていた。


「こいつがマイクだ。頼んだぜ。」
「えぇ。判ったわ。それで操作の方はどこにあるの?」
「此処だ。」
 次の週の日曜日。
 小型のマイクをロザリアに渡したゼフェルが右手の掌の中に収まっているカードのような物を見せる。
「これが………。」
「あぁ。スタートとストップだけだからな。後の調整は全部、家ですっことだしな。」
「お願いね。」
「任せろ。」
「お待たせー。ねぇ。ロザリア。どうして制服着なきゃいけないの?」
 今日に限って『制服を持ってこい』と言われたアンジェリークが制服に着替えさせられてロザリアに問いかける。
「あんたがあんまり緊張感がないからよ。いつもコンサートは制服でしょ。コンサートのつもりで歌いなさいって事。」
「あ…だから。……でも。マイク無くて良いの?」
 マイクのセットされてない舞台にアンジェリークが安堵したように尋ねる。
「マイク無しで全部通して歌ってみろ。本番のつもりでな。マイクのセットはそれからだ。」
「えっ? どうして?」
「あんたもいい加減うっぷんが溜まってるでしょ。思うように歌えなくて。まずはそれを解消してから…って事よ。ほら。ネクタイが曲がってる。ちゃんと直して。はい。行ってらっしゃい。」
 アンジェリークのネクタイを結び直したロザリアがアンジェリークの背中をポンッ! と叩いて舞台へ向かわせると同時にゼフェルに小さく頷いた。
 そんなロザリアに視線だけを寄こしてゼフェルは手を叩いた。
「ゼフェル?」
「コンサートにゃ拍手が付きものだろ。前にやった市民ホールのつもりで歌ってみろよ。」
「良い? アンジェリーク。あんたの選曲は恋の唄ばっかりなんだから。恋人に告白するつもりで歌いなさいね。」
「うん。ロザリア。」
 明るく頷いたアンジェリークがチラリとゼフェルを見て赤くなった。
『…んだ?』
「コホン。」
 アンジェリークの様子を不思議そうに見ていたゼフェルがロザリアの合図の咳払いに組んだ掌の中のスイッチを入れる。
 そしてゼフェルは今までで最大級の衝撃を受けた。
 稲妻が脳天から真っ直ぐにゼフェルの身体に突き刺さり破片が身体中を暴れ回る。
 ゾクリなんて生やさしいものではない…今日のはズドンッ! と狙い撃ちされたような衝撃だった。
 全身の毛という毛が全て逆立つだけでなく内臓までもがせり上がる。
 身体中を暴れ回る稲妻の破片で身動きが取れないばかりか息も出来なくなる。
『…っそ。』
 ギリリ…とゼフェルは奥歯を噛みしめた。
 自分が不抜けてロザリアの終了の合図を見落とす訳にはいかなかった。
 今日は失敗する訳にはいかない。
 何よりもアンジェリークのために……………。
『………あいつのために?』
 ふと…頭に浮かんだ言葉にゼフェルが己の思考を組み立てようと努力するが、アンジェリークの歌声にそれも長続きしない。
 やがてポロンと最後の一音を弾き終えたロザリアがゼフェルに合図の視線を送る。
 ロザリアの合図にゼフェルはスイッチを切って拍手をした。
「今までで一番良かったわよ。アンジェリーク。」
 見るとロザリアも拍手をしている。
「ん……。ありがとう。ロザリア。何だか今日は思いっきり気持ちよく歌えたの。ゼフェルもありがとう。」
「礼を言うこっちゃねーよ。本番はこれからなんだからよ。」
「そうね。今の調子でやって頂戴よ。アンジェリーク。」
 未だ稲妻の走る身体に鞭打ってゼフェルが立ち上がり舞台の上にマイクスタンドを置く。
「えっ? 続けてやるの? 休憩なし?」
「……あんたねぇ。仕方ないわね。ちょっとだけ休憩よ。ほら。ネクタイ緩めてあげるわ。はい。」
「ありがと。ロザリア。はぁー。疲れちゃった。」
 安心しきった様子で椅子に腰掛けたアンジェリークがチラッとゼフェルを見た。
「…んだ?」
「ん……。ごめんね。ゼフェル。私のせいで毎週日曜日が潰れちゃって………。」
「莫迦か。おめーは。何を今更…なんだよ。気にすんな。どーせ暇だしよ。でも…そーだな。うちの合唱部の奴等がうっせーからいい加減、終わらせよーぜ。『歌姫二人と毎週会えるなんて何て羨ましい奴なんだ。お前はっ!』ってうっせーうっせー。」
「嫌だ。何それ〜。」
 キャタキャタと笑うアンジェリークと話している内にゼフェルの中に残った稲妻の破片がゆっくりと冷えて固まっていった。
「さ。休憩はおしまい。そろそろやるわよ。」
「あっ! その前にちょっと………。」
「良いわよ。行ってらっしゃい。」
「すぐ戻るねー。」
「……んだ? あいつ。また。」
「鈍いわね。あんたも。女の子は色々あるの。……はい。マイク返すわね。」
「あ…あぁ………。」
 訳が分からないと言った表情のゼフェルが手を差し出すロザリアからマイクを受け取る。
「これでやっと終わったわね。どの位で出来るかしら?」
「あぁ。そうだな。水曜の祝日丸一日使って…次の日曜…ってトコか。あいつには何て言うんだ?」
 カレンダーを見ながら答えたゼフェルがロザリアに問いかける。
「素直に言うわよ。『あんたがあんまりしょうがないから勝手に録音させて貰った』って。」
「……………それであいつは納得すんのか?」
「するわよ。あの子なら。」
「……っか。」
 きっぱりと言い切ったロザリアとゼフェルは無事に謀り事が終了して互いに笑い合っていた。


「あんたまだ怒ってるの?」
「だって……。ゼフェルもロザリアも酷いよ。私に黙って録音するなんて………。」
「しょうがねーだろ。おめーはちょっとでも俺が録音ボタンに手をやると途端に歌えなくなっちまうんだからよ。」
「でも…だからって………。」
 ロザリアを迎えに来た車の中でアンジェリークが拗ねて口を尖らせる。
「……悪かったって。こいつに提案したのは俺なんだから怒るのは俺にだけにしとけ。それに今日録った音はこの間のコンサートより良い音に仕上げてやるからそれで水に流せよな。………よぉ。ロザリア…だったよな。おめーのテープも貸せよ。ついでにトラック調整してやるからよ。」
「………お願いしようかと思っていた所よ。ついでにお願いね。」
 窓の外から車内に手を入れてアンジェリークの頭を撫でたゼフェルがロザリアからテープを受け取る。
「じゃあな。次の日曜には持ってくるからよ。」
「えぇ。お願いね。………良いわ。出して。」
「あ…待って!」
 軽く手を上げて背中を見せるゼフェルの小さくなる後ろ姿を見送り運転手に声をかけて車を走らせようとしたロザリアがアンジェリークの叫び声に慌てて車を止めさせる。
「どうしたのよ。」
「あの…私。今日は歩いて帰るから。いつもありがとね。ロザリア。今日も…ありがと。」
 アンジェリークは大急ぎで車を降りて一息でまくしたてると走りだした。
「……ホント。判りやすい子。……………出して。」
 ゼフェルが歩いていった方向へ走っていくアンジェリークに溜息をついてロザリアは今度こそ本当に車を走らせた。


「ゼフェル! 待って!」
「……んだ。おめー。どうしたんだよ。」
 走り続けたアンジェリークがようやくゼフェルに追いついて息を弾ませる。
「ん……。ちょっと用事を思い出したから降りてきたの。途中まで一緒に行こ。」
「あぁ。まぁ…構わねーけどな。」
 ゼフェルは素気なく呟いて…それでも歩みを遅くしてアンジェリークと並んで歩いた。
「歌…好きなんだな。おめーって。」
「えっ?」
 並んで歩いていても何か口ずさんでいるアンジェリークにゼフェルが呟く。
 不思議と…今は稲妻も落ちないし総毛立つ事も無かった。
「あ。私、歌ってた? ……うん。歌うの大好き。ゼフェルは?」
「俺は音楽聴くけど自分で歌ったりはしねーからな。……カラオケとか行かねーの?」
「カラオケは…マイクがあるから………。小さい頃にね。録音した自分の声を聞いて泣いちゃった事があるの。『こんなの私の声じゃない』って。それからマイクとか録音ってどうしても好きになれなくて……。ごめんね。凄く長くかかっちゃって………。」
「だからそれは気にすんなって。」
 すまなそうに見上げるアンジェリークのおでこをゼフェルは指でツンとつついた。
「でも…もったいないね。ゼフェル歌ってみればいいのに。私…ゼフェルの声って好きよ。ちょっと低く掠れてて………。」
「そーかよ。歌姫に誉めて貰って光栄だぜ。」
「もうっ。ふざけて言ってるんじゃないのよ? ホントよ。」
「判った。判った。殴るなよ。おめーは。」
 河原沿いの土手の上でアンジェリークがゼフェルに拳を振り上げる。
 そんなアンジェリークを軽くいなしてゼフェルは苦笑した。
「だって本気で言ってるのにゼフェルちっとも信じてくれないんだもの。ホントにホントにゼフェルの声好きよ。私。」
「……………勘弁しろよ。」
「……あっ! もしかしてゼフェル。照れてるの? ねぇ。顔見せて。」
 左手で顔を隠してボソッと呟いたゼフェルの顔を覗き込もうとアンジェリークが腕にしがみつく。
「莫迦。止せって。」
「だって……。ねぇ。顔見せてってば。きゃ………。」
「わ……………。」
 ゼフェルの腕を掴んで顔を覗き込もうとしていたアンジェリークが足を滑らせてゼフェルを道連れに土手下へと転がり落ちる。
「…っててて。この…莫迦や……………。」
「……………。」
 顔をしかめて怒鳴りかけたゼフェルがすぐ真下にあるアンジェリークの顔に言葉を失う。
 身体の中で固まっていた稲妻の破片が背筋の辺りでパチパチと火花を散らし始める。
 身動き出来ずにいるゼフェルの首にスッとアンジェリークの両手が廻った。
 抱きつくようにホンの少しだけ身体を浮かせてアンジェリークはゼフェルの耳元に顔を近付けた。
「……………ゼフェル。」
 ガンッ! と空の高いところから自分めがけて落ちてきた稲妻にゼフェルが硬直する。
 歌声以外で…初めて金縛りにあった。
「……好き。………あなたが…好き。」
 バチバチバチ…と身体中を稲妻が切り裂く。
 全身が総毛立ち鳥肌がたった。
『…んだ…と………?』
「迷惑…だった?」
 無反応のゼフェルにアンジェリークは哀しそうに緑の瞳を揺らした。
『何を言って………。』
 ゼフェルは思うように動かない身体に心の中で暴れた。
 しかしゼフェルを切り裂いた稲妻は楔のようにゼフェルの身体を動けなくしていた。
「………ゼフェルの莫迦っ! もう…もう最後になっちゃうから勇気を出したのに。そんなに鳥肌たてるほど私のこと嫌いなら嫌いってはっきり言ってよ。」
「……………。」
『…っか野郎っ!』
 ゼフェルは思い通りにならない自分の身体に罵声を浴びせた。
「もう…もう良い。ゼフェルなんてしらないっ!」
 何も言わないゼフェルをドンッ! と突き飛ばしてアンジェリークがその場から走り去る。
 突き飛ばされたゼフェルは身動きが出来ないまま更に土手下へと転がっていった。


「アンジェリークが暗くて鬱陶しいの。何とかして下さらない?」
 ロザリアからそんな電話がゼフェルの所に入ったのは祝日の水曜日の事。
 その日、ゼフェルは一日サウンドの調整を行っていた。
 ロザリアの分はすぐに終わった。
 元々スタジオか何かで録音したらしく完成度が高かったので、気になる雑音等を取り去るだけですんだのだ。
 アンジェリークの分をやろうとして…ヘッドホンから流れる声に稲妻を浴びる。
 なまじヘッドホンをしているので耳に直接響くのだ。
 全身が総毛立つ気配にゼフェルは慌ててヘッドホンを外した。
「…っくしょー。何だってんだよ。」
 頭を抱えてベッドの上に寝転がる。
 最後に見た…涙を浮かべたようなアンジェリークの顔が頭から離れなかった。
『ゼフェル……………。』
 想像の中のアンジェリークに名前を言われただけでゼフェルの背筋に稲妻が走る。
 室内の静寂に耐えきれずゼフェルはラジオのスイッチを入れた。
 アナログ式のダイヤルをクルクルと回して周波数を合わせる。
 ふと…聞き慣れた曲にゼフェルはダイヤルを回す手を止めた。
 アンジェリークが歌った歌。
 ゼフェルの身体を稲妻で切り裂いた曲だった。
「……?」
 ラジオから流れる歌声にゼフェルが眉をひそめる。
 プロが歌っているはずである。
 なのにアンジェリークから受けた衝撃をラジオから流れる歌声からは全く受けない。
 アンジェリークの歌姫としての才能はプロ以上なのか?
 いや…そんな事はある筈がない。
 毎日曜日ごとの交流でゼフェルにも判ってきているのだ。
 才能だけで言えばロザリアの方が歌姫として優秀だと言うことを。
 では自分がアンジェリークの歌声から受けるこの稲妻はなんなのだろう。
『あんたの選曲は恋の唄ばっかりなんだから。恋人に告白するつもりで歌いなさいね。』
 唐突に浮かんだロザリアの言葉にパンッ! とゼフェルの頭の中で何かが弾ける。
『あなたが…好き………。』
 思い出したアンジェリークの言葉に身体中がカッ! と沸騰した。
「……くそっ!」
 ラジオのスイッチを乱暴に切ってゼフェルが再びヘッドホンを耳に当てる。
 二時間後、全てを終えたゼフェルはある事を確認するために彼の風変わりな友人の元へと向かって走っていた。


「ロザリア…遅いな。早く来てくれないかな。」
 日曜日。
 音楽室でアンジェリークはたった一人で心細そうにロザリアが来るのを待っていた。
「……あ。ロザリア。遅かっ……………。」
 カラカラッ…と軽い音を立てたドアにアンジェリークが顔を向けて硬直する。
 音楽室に入ってきたのはロザリアではなくゼフェルだった。
「あ………。久し…ぶり。」
「あぁ。」
 アンジェリークは近づいてくるゼフェルから顔を背けて逃げるように後ずさった。
「…んで逃げんだよ。」
「だって…ゼフェル私のこと嫌いじゃない。鳥肌たてるほど。だから近づかないであげた方が良いかなと思って………。」
「いつ俺がおめーを嫌いだっつったよ。」
「先週…何も言ってくれなかったじゃない。」
 哀しそうに声を沈ませてアンジェリークが背中を向ける。
「話がある。こっち向け。」
「……………。」
「こっち向けっつってっだろっ!」
「キャッ!」
 アンジェリークの肩に手を置いたゼフェルが彼女を無理矢理自分の方へと向かせる。
 そのままアンジェリークの両肩に手を置いて目線が同じ高さになるように身体をこごませた。
「おめーの歌を初めて聞いた時…身体中が総毛立った。おめーが歌った歌。一流って言われてる奴等が歌ってるのも聞いた。何人もな。………でもなぁっ! 身体中が総毛立ったのはおめーが歌った時だけだった。おめーの歌声だけが俺の身体に稲妻落として身動き出来なくさせる。他の誰の歌でもそうはならねー。おめーの歌声だけが俺の身体をズタズタに切り裂くんだ。」
 一息で言い切ったゼフェルがアンジェリークの肩に額をつけてハアハアと荒い呼吸を繰り返す。
「私の…歌声が……………?」
 呆然と呟くアンジェリークにゼフェルは彼女の肩を強く掴んだ。
「私…だけ?」
「あぁっ!」
 問いかけるような響きにゼフェルが怒鳴るように返事を返す。
「………ゼフェル。」
 耳元で呟かれた名前がゾクリとゼフェルの背筋を撫でた。
「嫌だ。名前…呼んだだけだよ? ゼフェル大好き。好き。大好……ん。」
 パッ! とゼフェルの首筋に浮かんだ鳥肌に気付いたアンジェリークが忍び笑いを漏らして更に彼の身体に稲妻を走らせるような言葉を繰り返す。
 ゼフェルはそれ以上言わせまいとするかのようにアンジェリークの唇を塞いだ。
「ん…ゼフェ……。好き…ゼフェ…ル………。大好……。」
 しかしアンジェリークは僅かの隙間を見つけてはゼフェルをズタズタにしていく。
 ゼフェルはそんなアンジェリークの唇を更に強く押さえ込んだ。
 アンジェリークと重ねた唇からゼフェルの身体の中の稲妻が徐々に抜けていく。
 身体中の稲妻が完全に消えてゼフェルが唇を離す頃、今度はアンジェリークが稲妻に打たれたかのようにすっかり全身の力を抜かされていた。
「おい。大丈夫か?」
「……あ。ゼフェル。……………。」
「〜〜〜〜〜。…っくしょーっ!」
 ペチペチとアンジェリークの頬を軽く叩いていたゼフェルが意識を取り戻した途端に真っ赤になったアンジェリークにステージの上に胡座をかいて背中を向ける。
「ゼフェル?」
「………おめーはっ! 声だけじゃなくて表情でまで俺をブッ壊す気かよっ!」
「……………ゼフェル。大好き。」
 背中を向けたままのゼフェルにおぶさるようにアンジェリークがゼフェルに抱きつく。
「……っ迦野郎。」
 アンジェリークの言葉にゼフェルはポツリと呟いた。
 そんなゼフェルが自分の『好き』と言う言葉に耳まで赤くしてパッ! と鳥肌を立てたのをアンジェリークは見逃していなかった。


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