運命の出会い


『運命の出会いだったのよ。』
 なんであんなクソ親父なんかを好きになったんだと聞いた時の返事はこうだった。
 心の底から幸せそうに呟く母の姿が俺には心底不思議でしょうがなかった。


「惑星調査? それにクソ親父が行くの?」
「セフィロスっ! またそんな言い方をする。もう。いくら言ってもちっとも直らないんだから。」
「だってアンジェ。クソ親父だって俺のことクソガキクソガキっていっつも言うんだぜ? そんな事よりホントなの? 惑星調査って。」
 女王の私室であるこの部屋に自由に出入り出来る数少ない人間の一人である俺は、母であり宇宙を統べる女王でもあるアンジェに聞き返す。
「ええ。本当よ。ゼフェル様とルヴァ様にお願いしたの。新しい調査器具を使っての調査なんだけど、それを扱えるのが今の所ゼフェル様だけなのよ。………しばらくの間、ゼフェル様がいなくて寂しいでしょうけど大丈夫よね。セフィロスなら。頼りないかもしれないけど私もいるし。」
 アンジェの言葉に俺はぶんぶんと首を振った。
 寂しいなんてとんでもない事だった。
 親父がいない間アンジェと二人っきりだなんて…そんな嬉しいことがあって良いんだろうか。
 嬉しさの余り、アンジェみたいに背中に羽が生えて空を飛んでる気分だった。
「寂しくなんてあるわけないだろ。アンジェ。親父がいない間、二人で遊ぼうぜ。お弁当持って湖行ったり、公園行ったり。俺がちゃんと守ってやるからさ。」
「…ったく。このクソガキは。また、なに自惚れたこと言ってやがる。」
 突然の声に高かったテンションが一気に落ちる。
 振り返ると扉の所にクソ親父が仏頂面で立っていた。
「ゼフェル様。」
 俺の目の前に座っていたアンジェが嬉しそうに立ち上がり、俺はソファに取り残される。
「準備はすんだんですか?」
「あぁ。俺はな。ルヴァの奴が手間取っててな。何かしんねーけど色々持っていかなきゃなんねー本が山積みらしい。……………セフィロス。お前、ルヴァの手伝いして来い。」
「えっ! 俺が? 何でっ!」
 親父の言葉に俺は怒って立ち上がる。
 ルヴァ様は嫌いじゃないけど、ここでアンジェとクソ親父を二人きりにしたくなかった。
「セフィロス。嫌なの?」
 困ったように眉を寄せて首を傾げるアンジェにうっと詰まる。
 俺…アンジェのこの顔に弱いんだよな。
「別に嫌じゃないけど………。」
「だったらさっさと行って来い。」
 言い淀む俺に即座に言い放つ親父の言葉にムッとする。
「お願いね。セフィロス。」
 にっこり笑うアンジェに俺は仕方なく渋々歩き出した。
「……………っがっ!」
 優越感に満ちた親父の顔に腹が立って、通りすがりに親父の臑を思いっきり蹴飛ばしてやった。
 ざまぁーみやがれ。
 でも廊下を出て扉を閉めようとした俺は、それが墓穴だったことを知らされた。
 心配そうに親父の顔を覗き込んだアンジェをクソ親父はキス付きで抱きしめていたのだ。
 あんまりな光景に扉を乱暴に閉めることでしか対抗できない自分が悔しかった。
 俺は…アンジェが………。
 物心ついた頃には既にアンジェと呼んでいた。
 アンジェは俺にとって母と言うよりも守らなければならない存在だったから。
 あんなクソ親父といるよりもアンジェは俺と一緒にいる方が幸せに決まってるんだ。
 それが証拠にアンジェは俺の前ではいつも笑顔だ。
 アンジェを笑顔のままでいさせてあげられるのは俺だけなのに…なのに何でアンジェはあんなクソ親父が良いんだろう。
『運命の出会いだったの。』
 頭の中にアンジェの言葉が蘇る。
 アンジェにとって親父が運命の相手なのだとしたら、俺の運命の相手は絶対にアンジェに間違いない筈なのに………。
 ルヴァ様の執務室へと向かいながらも、俺は私室で二人きりになったアンジェと親父が気になってしょうがなかった。


「ゼフェル様っ! 今の…絶対あの子に見られてましたよ。」
「良いんだよ。見せつけてやったんだから。」
 ゼフェルの腕の中でアンジェリークが真っ赤になって抗議する。
「もう。また二人して変な競争始めるんだか……んっ。」
 なおも抗議しようとするアンジェリークの唇をゼフェルが塞ぐ。
「……仕方ねーだろ。あいつ…まだ七歳になったばっかのガキのクセして生意気に俺に立ち向かってくっからよ。…っつっても俺もそうだったけどな。」
「ゼフェル様ったら………。すっごく嬉しそうですよ。……良いな。男同士って。どんなに反発しあっててもちゃんと親子してるんですもの。」
「アンジェリーク?」
 拗ねたように口を尖らせるアンジェリークの顔をゼフェルが怪訝そうに覗き込む。
「あの子…私のこと『おかあさん』って呼んだこと一度も無いんですよ。いっつもアンジェって……。私が母親らしくないから…あの子にとって私は友達なんでしょうね。」
「……ったく。相変わらずニブい奴だよな。おめーも。」
「えっ?」
 呆れたように呟くゼフェルにアンジェリークが俯いていた顔を上げる。
「……なんでもねーよ。それよりっ!」
「きゃっ!」
 突然、自分を抱き上げるゼフェルにアンジェリークは小さく悲鳴を上げてゼフェルの首に手を回してしがみついた。
「ルヴァの準備がすむまでかなり時間がかかっだろーからのんびりしよーぜ。」
 アンジェリークを抱き上げたままゼフェルがソファに腰を下ろしてアンジェリークの首筋に唇を寄せる。
「ちょ…な…何してるんですか。執務の最中に。私…ゼフェル様に大切なお話があるんですよ。」
「どーせ未開の土地に行くから身体に気をつけてとか…見送りの時にも聞かせられる話だろ?」
「………。」
 ゼフェルのその通りな指摘にアンジェリークが黙り込む。
「そろそろ、あのクソガキに妹か弟作ってやんねーか? ……今度は女が良いな。おめーに似た。」
「莫迦………。」
「あぁ。莫迦だよ。俺は。何しろ女王を孕ませちまった大莫迦だからな。」
「そんな言い方しないで………。あれは私の意志でもあったんだから。」
 アンジェリークがセフィロスを身ごもった時のことを思い出す。
 あの時も確か、ゼフェルを惑星調査に向かわせたのだ。
「俺は女王を孕ませた大莫迦だからな。我慢出来ねーんだよ。惑星調査なんて何日かかるか判かんねーモンに行ってる間おあづけ食らうのがよ。」
「……………莫迦。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークが真っ赤になって黙り込む。
 ルヴァから出発の準備が出来たと連絡が入ったのはそれから三時間も後の事だった。


「では。ルヴァ。ゼフェル。未開の地で何が起こるか判りませんが二人とも気をつけて行ってきて下さい。お二人の調査が無事に済むことを祈っていますね。」
 謁見の間で玉座に立つアンジェが目の前に立っているルヴァ様と親父に声をかける。
 俺はそんなアンジェをロザリア様の隣で見ていた。
 不思議なことにアンジェは普段は可愛くて俺が守ってやらなくちゃって感じなのに、こうやって玉座に立っていると凛としていて格好良い。
 守護聖様達の呼び方だって普段は『様』をつけているのに公の場ではそんなヘマはしない。
「不思議だよな。」
「何がなの? セフィロス。」
 ポツリと出た呟きがロザリア様に聞こえたらしい。
 聞き返された俺はいつも俺が不思議に感じていることをロザリア様に話した。
「そうね。陛下がより陛下らしくなったのは…あなたが生まれてからなのよ。セフィロス。」
「俺が?」
「ええ。そうよ。あなたが生まれる前は公の場でも守護聖様方を『様』付きで呼んだり失敗がそりゃあ多かったの。でも陛下はあなたが生まれてから本当に陛下らしくなって…私も安心して見ていられるようになったの。あなたのお陰ね。セフィロス。」
 ロザリア様の言葉に俺は嬉しくなった。
 笑顔だけじゃない…俺はアンジェが女王としてやっていく上でも役に立ってるんだ。
 やっぱりアンジェには俺がついてなくちゃ……。
 そんな誇らしい気持ちで一杯になった俺は、普段は憎まれ口をきいちまうってのにそんな言葉も思い浮かばず気持ちよく親父達を見送った。


 親父達が惑星調査に出掛けてから数日が過ぎた。
 その間、俺はアンジェと殆どの時間を一緒に過ごした。
 アンジェが女王としての執務を行っている時は邪魔をしないようにとちゃんと隣の部屋にいた。
 そんなある日、気になることが出来た。
 アンジェが…あんなに凛としていたアンジェが執務を行っていると言うのに時々ボーッとして、話しかけても上の空でいる事が多くなったのだ。
 もちろん俺と一緒にいる時は執務じゃないだけにその比率が格段に跳ね上がる。
「アンジェ…疲れてるの?」
 執務を終え私室に戻るアンジェに俺は尋ねた。
「えっ? どうして?」
「何だかぼーっとしてる。……そうだっ! 明日休みだからさ。ちょっと遠出しようよ。お弁当持って。親父のエアバイがあるからあれに乗ってさ。」
 俺の提案にアンジェは困ったように俺を見た。
「駄目よ。私…エアバイクの操作なんて出来ないもの。」
「誰がアンジェに運転させるって言ったよ。俺が運転してやるよ。」
「駄目っ!」
 俺の言葉にアンジェはピシャリと言い放った。
「駄目よ。そんな危ないこと。絶対に駄目。」
「危なくなんて全然無いよ。俺…親父が運転してるの見て覚えてんだから。」
「それでも駄目。」
 何とか取り繕うとする俺にアンジェは全く妥協しない。
 何だか子供扱いされてるようで腹が立った。
 確かに…アンジェにして見れば俺は子供なんだろうし、事実、アンジェは俺の母親だ。
 だけど俺にとってアンジェは守ってくれる母親ではなく、守るべき存在なのだ。
 守らなければならない存在に子供扱いされていては俺の男としてのプライドが許さなかった。
「……じゃあ。俺が上手く操作できるのが判ればアンジェも納得するね?」
 ムッと頬を膨らませたままアンジェに尋ねる。
「えっ?」
「中庭で見てて。俺…エアバイに乗って来るから。」
「ちょっ…駄目よ。セフィロス!」
 止めようとするアンジェをその場に残して俺は親父の家へとダッシュした。
 こちらの家も勝手知ったる何とやらで格納庫みたいな車庫の壁からエアバイのキーを取り出してエンジンをかける。
 フワリと浮き上がるエアバイに乗ってアンジェが待っている宮殿の中庭へと向かった。
 エアバイの操作は想像通り簡単で俺はあっと言う間に宮殿の中庭にたどり着いた。
 実際に動かしたのはこれが初めてだけど、こんなに簡単なら何の問題もなさそうだった。
「セフィロスっ!」
 中庭で心配そうにしていたアンジェが俺を見上げて悲鳴を上げた。
「アンジェ〜。」
 俺はそんなアンジェを安心させるように手を振った。
 と、その時だった。
「きゃあっ! セフィロスっ!」
 片手を離した途端にエアバイがバランスを崩してクルクルときりもみを始めた。
 どうすることも出来ずにエアバイにしがみついた俺はエアバイごと中庭に落下したのだった。
「痛って〜。」
 ザックリと切ってしまった足を押さえて俺は呻いた。
「セフィロスっ!」
「アンジェ………。」
 慌てて駆け寄るアンジェに俺は顔をあげた。
「だから言ったでしょ。駄目って。私の言うこと聞かなかった罰よ。」
 困ったように眉を寄せるアンジェに俺は目が潤んできた。
「泣いても駄目よ。ゼフェル様の大事なエアバイクまで壊しちゃって。戻ってきてから怒られるの覚悟しときなさいね。」
 そうだったと思い出して青ざめる。
 このエアバイは親父がチューンナップして…大事にしている奴なのだ。
 親父が戻ってきた時のことを考えて…足の痛みも手伝って俺は半べそをかきはじめた。
「……………手当しましょうね。セフィロス。ゼフェル様には私も一緒に謝ってあげるから。」
 本格的に泣き始めた俺にアンジェは優しく言った。


「はい。これで良いわ。」
 お世辞にも上手とは言えない包帯を巻き終えたアンジェが俺の頭を撫でる。
 俺は痛いのと怖かったのでスンスンとしゃくりあげていた。
「セフィロス? まだ痛いの?」
 アンジェの言葉に俺はコクリと頷いた。
 切れてる部分がズキズキしてて…痛くない訳なかった。
「………仕方ないわね。」
 アンジェはそう言って俺を抱きしめて背中を優しく叩いてくれた。
 何度も何度も………。
 まるで赤ん坊があやされてるみたいでちょっと情けないと頭のすみで思ったが、足の痛みがそんなことを何処かに放り投げていた。
 だってアンジェの腕の中は暖かくて心地よかったから……。
 ふと…背中を叩くアンジェの手が止まって俺はそっと顔を上げた。
 アンジェはじっと一点を見つめていた。
 何を見ているんだろうと思った俺はアンジェの見ている方に顔を向けた。
 そこにあったのは親父の設計机。
 親父自身が何度気が散るからと言っても、俺がこの部屋には似合わないと言っても、アンジェが頑として譲らずに置いてある机。
 最近では慣れたのか、どんなに俺とアンジェが騒いでいても親父は平気でこの部屋で図面を書けるようになった。
 アンジェの入れたお茶をソファに座って飲む俺と設計机に向かったまま飲む親父の背中。
 思い出すと…それが俺にとっての唯一の家族の団欒なのかもしれない。
 アンジェは今、いつも設計机に向かって背中を向けている親父を思い出しているんだろうか?
 もう一度アンジェに顔を戻して俺はギョッとした。
 アンジェが…アンジェの緑色の大きな瞳が潤んで揺れていた。
 真珠色の涙が今にも溢れかえってピンク色の頬を伝っていきそうなほどだった。
「……………アンジェ。」
「………! あ…嫌だわ。目にゴミが入っちゃったみたい。」
 そっと呼びかけた俺の声が聞こえたらしく、アンジェがはっとして目を擦りながら俺を見た。
「何? セフィロス。」
「親父…早く帰ってくると良いね。」
 笑顔で尋ねるアンジェに俺はそう言うのが精一杯だった。
 アンジェは俺が初めて見る泣きそうな笑顔で『そうね』と呟いた。


 その二日後。
 午後のお茶を楽しんでいた俺とアンジェの元にロザリア様が慌てた様子でやってきた。
「あれ? ロザリア様。」
「ロザリア……。何かあったの?」
 青ざめたロザリア様の表情にアンジェも顔を険しくさせる。
 俺はアンジェの統べる宇宙に何か大変なことが起こったのだろうと察して部屋を出ようとした。
「セフィロス。あなたにも関係のある事だから聞いてて頂戴。……陛下。たった今、惑星調査を行っているスタッフから連絡が入りました。」
 ロザリア様に呼び止められた俺はアンジェの隣りに立った。
「………ゼフェル様が…怪我を負われて重傷だそうです。」
 親父が怪我で…重傷……?
 ロザリア様の言葉が信じられずに俺は唖然とロザリア様を見つめた。
「そ…うですか。それでロザリア。他に怪我をした人は?」
「スタッフの数名が軽傷を負ったとの事ですが大した怪我ではないそうです。あちらでも混乱しているようでして詳しいことはまた後ほど連絡が入ると思いますわ。」
 感情を押し殺した…俺が初めて聞くアンジェの声に俺はアンジェを見上げた。
 強ばった顔は小刻みに震えていたけど、それでもアンジェは凛と前を向いていた。
「アンジェ……………。」
「大丈夫よ。セフィロス。ゼフェル様なら絶対に大丈夫だから。」
 アンジェが今にも倒れるんじゃないかと不安に思ってそっと声をかけた俺は無理矢理笑顔を作るアンジェの言葉に頷くことしか出来なかった。
「………セフィロス。呼び止めて置いて悪いけど、今度は少しの間だけ席を外してくれる? 陛下と今後の事を話し合わなければならないの。」
 ロザリア様の言葉に頷いた俺はびっこをひきながら隣の部屋へと移動した。
 扉を閉めた俺はそのまま扉に張り付いた。
 いつもならこんな事は絶対にしない…だけど今日だけは………。
 アンジェが心配で俺はドアの隙間から部屋の中を覗き込み、どんな小さな声も聞き漏らさないようにと自分の意識の全てを耳に集中させた。


「さぁ。アンジェリーク。もう良いのよ。我慢しなくても。」
「ロザリア………。」
「セフィロスがいるから無理に我慢してたんでしょ。もう我慢しなくても良いのよ?」
 ロザリア様がアンジェに優しく言い聞かせているのが聞こえる。
 俺がいるからアンジェが無理してるって…どういう事なんだろう?
「無理なんか…私が決めた事なの。あの子を産むって決心した時に。周りの皆様に女王はあの子のせいで女王らしくないって言われないようにしようって。だってロザリア。私…あの子が出来たのが判った時ね。最初は堕ろそうと思ってたのよ。」
 微かに聞こえたアンジェの言葉に俺は愕然とした。
 何だって?
 アンジェが俺を………?
「だってあの頃はそうでなくても女王らしく無かったでしょ。宇宙と子供と…どっちも中途半端になっちゃうんじゃないかって思ったの。だけどね。ゼフェル様にもの凄く怒られたわ。おめーは宇宙全体を守ってるクセしやがっててめーの腹の中にあるたった一つの命も守れねーのかって。それでね。散々怒鳴り散らしたその後でゼフェル様が泣きそうな顔で言ったの。頼むから産んでくれ。俺の子供を殺さないでくれ。って。」
 アンジェが涙を零しながらロザリア様に笑いかけた。
 泣いていても…今まで一度も見たことのないすっごく綺麗な笑顔だった。
「莫迦だなって思ったわ。何て私は莫迦なんだろうって。お腹の中の子は私だけの子じゃ無かったのに…なに勝手なことを考えてたんだろうって。だから決めたの。産もうって。駄目な女王だって言われないようにしっかりしようって。ゼフェル様も…あの子が女王と守護聖の間に生まれたことで変に特別扱いされないようにって考えてくれてるの。なのに…ゼフェル様が………。ゼフェル様がいなくなっちゃったら私……………。」
「アンジェリーク。」
 両手で顔を覆うアンジェの背中をロザリア様が優しく叩いていた。
 まるで一昨日の俺の様なアンジェの姿を俺は呆然と見つめていた。
 俺を堕ろそうと考えたアンジェと俺が生まれるのを望んだ親父………。
 アンジェのことも親父のことも…色々と俺の知らないことが多すぎたみたいだった。
 バタバタバタと廊下を走る音が聞こえて俺は意識をアンジェ達に戻した。
「失礼しますっ! 陛下っ! ロザリアっ!」
 入ってきたのはランディ様だった。
「ど…どうかしたのですか? ランディ。」
 アンジェは突然入ってきたランディ様に慌てたように目を擦って尋ねていた。
「ゼフェルが…調査隊が調査を終えて帰ってきたんです。謁見の間で陛下のお越しを待っています。」
 ランディ様のその言葉に俺は痛む足を引きずるように謁見の間に向かった。


「あー。陛下。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。色々とアクシデントもありましたけど無事に調査が終わりまして戻って参りました。」
「ご苦労様でした。ルヴァ。ゼフェルを含め何人か怪我をしたそうですが?」
「はい。あの惑星は狩猟民族が多くいまして…地元民に追い立てられた手負いの獣が偶然、我々調査隊の目の前に現れたんですよー。ゼフェルは逃げ遅れた私を庇って……。」
「余計な事まで話すんじゃねーよ。ルヴァ。………あんな惑星には一日たりとも長居したくねーからな。さっさと終わらせて帰ってきたぜ。」
 玉座に立つアンジェを見上げるルヴァ様と親父。
 親父は…顔色は酷く悪いがそれ以外は何処も悪くないように見えて俺はちょっとだけ安心した。
「ホントーはもうしばらく安静にしていた方が良いんですけど、どうしても帰ると言って聞かなかったものですから……。痛い。ゼフェルー。何するんですか。」
「余計なこと喋んなっつったろ?」
 ルヴァ様の足を軽く蹴飛ばす親父に何だか俺は笑ってしまった。
 大袈裟に怪我の話が伝わってきただけでホントは何ともないんだって思った。
 これでアンジェも安心するだろうと思った俺はアンジェを見て目を見開いてしまった。
 アンジェは両手を前できつく握りしめ…とてもじゃないが安心しているようには見えなかった。
「ご苦労様でした。二人とも。お疲れでしょう。ゆっくりと休んで下さい。」
「あー。陛下。調査報告を先に済ませちゃいましょう。ロザリアの部屋で。……ゼフェル。後は任せますからあなたは此処に残って下さいね。さ。ジュリアス。クラヴィス。行きましょう。」
 アンジェの言葉にルヴァ様は親父に微笑みかけてジュリアス様とクラヴィス様を連れて謁見の間を出ていってしまった。
「さて。俺達も退出するか。」
 オスカー様の声に他の守護聖の皆も謁見の間を出ていった。
「あの…ロザリア………?」
 なんか…いつもと違う謁見の様子に俺だけじゃなくアンジェまでが慌てだした。
「皆さん。判ってらっしゃるんですよ。陛下。……ジュリアス様達にお茶を煎れて差し上げなければなりませんので私も失礼しますわ。………思った通りに動いて良いのよ。アンジェリーク。」
 そう言ってロザリア様がアンジェに背中を見せたのとアンジェが涙を零しながら親父に向かって駆け出したのはほぼ同時だった。
 そんなアンジェを親父は呆れたような顔で…でも嬉しそうに待っていた。
「ゼフェル様っ!」
「アンジェリーク。」
 飛び込むように抱きついたアンジェを受け止めて親父がアンジェに口付ける。
 普段の俺だったらこんな光景に、はらわたが煮えくり返る思いだったろう。
 だけど今日は不思議とそんな思いは出てこなかった。
『運命の出会いだったの。』
 頭の中で繰り返されていたアンジェの言葉が本当の事なんだって俺は初めて理解できた気がした。
「大丈夫なんですか? 怪我したって聞いて…私………。」
「なんともねーだろ? ん?」
 ポロポロと涙を零すアンジェが俺といて笑っている時よりずっと可愛くて綺麗だった。
 そんなアンジェの涙を親父は一粒残らず唇で吸い取っていた。
「アンジェリーク。いつまでも泣くな。今度はおめーの番だぞ。」
「えっ?」
「えっ? じゃねーよ。俺が命がけで調べてきたんだ。ジュリアスの野郎も待ってる。さっさとロザリアの部屋に行って…女王としての務めって奴を終わらせてこい。続きはそれからだ。」
「でも……………。」
「セフィロスっ! その辺にいるんだろ? 出てこいっ!」
 言い淀むアンジェを無視して俺を呼ぶ親父に俺は二人の前に出ていった。
「さっさと仕事を終わらせて俺の家に来い。こいつと待っててやるから。」
 そう言って親父が俺の頭の上にでかい手をおいた。
「待ってて…くれる?」
「…ったりめーだ。おめーは俺の女房だろ?」
「すぐ…すぐに終わらせるから待っててね。セフィロス。ゼフェル様をお願いね。」
 アンジェは心底嬉しそうに微笑むとそれだけ言って身体を翻し、親父のことが気になるのか何度も何度も振り返りながらロザリア様の部屋へと走っていった。
 アンジェの姿が完全に見えなくなったら、いきなりずしっと頭が重くなった。
「お…親父。重いよっ! ……………。」
 文句を言って親父を見上げた俺は言葉を失った。
 さっきまであんなに平然としていた親父が苦しそうに顔を歪めていた。
 身体は小刻みに震え脂汗をかいていて…口からは呻き声みたいな声が時々漏れていた。
「親…父……?」
「肩貸せ…って、おめーも怪我人だったな。どうしたんだ? その足。」
 苦しそうな顔をしながら…それでも尋ねる親父に俺は答えられずに下を向いてしまった。
「ふん。大方、俺のエアバイでも勝手に動かして落っこちたな?」
 ズバリと言い当てられて驚いて顔を上げる。
「図星か。………仕方ねー奴だな。おめーも。」
「親父…怒んないの?」
「俺もおめー位の頃に同じ事したしな。それに………今は怒る気力もねーよ。」
「さっきまで平気そうだったのに………。」
「ったりめーだ。あいつの前で無様な姿見せられっか。覚えとけ。セフィロス。惚れた女に無様な姿見せんな。心配している女にこれ以上の心配かけんな。」
 親父の言葉に俺は足の傷に視線を落とした。
「やせ我慢もそこまでくると見事なモンよね。」
「……オリヴィエか。」
 いつの間にか俺達の後ろにオリヴィエ様とオスカー様が立っていた。
「男として立派だったぜ。何しろ騙し通せたんだからな。敬意を表して肩を貸すぜ。ゼフェル。」
「そうそ。医療スタッフのオマケ付きでね。」
「…ったく。勝手にしやがれ。」
 オスカー様とオリヴィエ様に両脇を抱えられた親父と俺は家に戻った。
 家で親父を待っていたのは大勢の医療スタッフだった。
 俺は締め出しを食わされたが鍵穴から覗いた親父の怪我の具合に愕然とした。
 子供の俺にも、親父が本当はとてもじゃないが立っていられる状態じゃなかったってのが判った。
 平然としているどころの話ではない…痛いと泣き喚いても不思議じゃないくらい酷い傷だった。
 それなのに親父はアンジェに心配をかけないようにとあんなにも平然としていたのだ。
 俺はアンジェに足の手当をして貰った時の事を思い出して恥ずかしくなった。
 自分がどれだけ自惚れていたのかを思い知らされた気分だった。
 扉が開いて治療を終えた医療スタッフとオリヴィエ様達が出てきて、医療スタッフはついでとばかりに俺の足まで治療していった。
 こんな足の怪我でも飛び上がりたいほど痛かったが、さっき見た親父の傷に比べたらこんなの大したこと無い。
 俺は治療の間、痛いのをぐっと奥歯を噛みしめて堪えていた。
「ホーント。似た者親子とは良く言ったわよね。」
 そんな俺を見てオリヴィエ様が笑いながら言った。
「………オリヴィエ様。親父は?」
「麻酔が効いて眠ってるわ。あんた…今夜はゼフェルの莫迦をちゃんと監視してるのよ? 良いわね。」
「陛下の前では無理をする奴だからな。自滅しないようしっかり止めるんだぜ。まぁ。目が覚めればの話だがな。」
「まぁね。麻酔が効いてるから明日の朝まで多分起きないでしょうけど万が一ね。」
 オリヴィエ様とオスカー様は俺の頭を撫でながらそんな事を言って帰っていった。


 辺りが暗くなってもアンジェは家に来なかった。
 多分、親父が持って帰ってきた調査報告の検討に時間がかかっているんだろう。
 親父は麻酔であれからずっと眠ったままだったので、俺は親父の枕元に椅子を置いて親父の顔を眺めていた。
 瓜二つだと良く言われるし、俺自身も似てると思っている。
 俺も大きくなったらこんな風になるのかな?
 親父のちょっとだけザラザラする尖った顎に手を伸ばして自分の丸い顎と比べてみる。
 と、その感触に親父が赤い瞳をうっすらと開けた。
「親……………。」
「俺…か?」
 朦朧とした口調で呟いた親父が俺の頬に手を伸ばす。
 油の臭いの染みついた骨ばったごつい手が俺の頬を撫でる。
「大丈夫だ。親父が死んで…お袋が死んで………。親戚中たらい回しにされて邪魔者扱いされたおめーにも居場所が見つかる。ヨメさんが出来る。ヨメさんは今のおめーにそっくりな小憎たらしいガキを産んでくれる。おめーにも家族が出来るんだ。一人じゃなくなる。だから安心しろ。」
 言うだけ言うと親父はハァーっと息を吐き出してもう一度眠ってしまった。
「セフィロス。」
「………アンジェ?」
 小さな声で名前を呼ばれて振り返るとアンジェが扉を開けて手招きをしていた。
 俺は親父の出しっぱなしになった手を布団の中に入れて立ち上がり静かに部屋を出た。
「お帰り。アンジェ。」
「ただいま。ゼフェル様…具合が悪いの? ルヴァ様は絶対安静の筈っておっしゃってたけど。」
「えっと……。医療スタッフが親父に麻酔を打ったんだよ。暴れるから。それで寝てるんだ。」
『あいつに無様な姿が見せられるか。』
 親父のそんな言葉を思い出した俺は不安そうなアンジェにあの酷い傷のことは言えなかった。
「……ねぇ。アンジェ。親父の親ってどんな人だったのかな?」
「えっ? 突然どうしたの? セフィロス。」
「ん…だってアンジェはよく話してくれるけど親父は何も話してくれないから………。」
 アンジェの入れたお茶を飲みながら俺はアンジェに尋ねた。
 先程の親父の言葉が妙に胸に残っていた。
「私も詳しくは知らないの。ゼフェル様はあの通りの人だからあまり自分のことを話す人じゃないでしょ。今のセフィロス位の年に事故でご両親が亡くなられたらしいって事だけは知ってるわ。」
「何? その『らしい』って。」
「本人の口から直接聞いた訳じゃないのよ。時々、事故のことを思い出してうなされて…一人で泣いてるのよ。慰めてあげたくても私に気付かれるのすら嫌がる人だから……。本当は人一倍愛情に飢えてる人なのにね。………さ。お話はもうおしまい。寝なさい。セフィロス。」
 アンジェに促されて俺は親父の部屋の隣りに作られた俺の部屋で眠りについた。


 目が覚めるとすっかり陽が上っていた。
「何処が大丈夫なんですか。こんな酷い怪我をしているのに………。」
「見た目ほど酷い訳じゃねーって言ってっだろ。大丈夫だからんなに心配すんなっ!」
「だって……………。」
 隣の部屋の騒々しさをそっと扉の影から覗き込む。
 どうやら親父の傷は包帯を取り替えようとしたアンジェにしっかり見られてしまったらしい。
「…ったく。口で言って判んねーなら身体に判らせてやるよっ!」
「えっ? きゃっ!」
 心配そうに目を潤ませていたアンジェが親父のベッドに引き倒される。
「ゼフェル様?」
「言ったろ? あいつに妹か弟作ってやろうってよ。」
「な…駄目駄目駄目。今は絶対駄目。ゼフェル様の怪我が悪くなっちゃう。」
 アンジェはそう言って親父の怪我をしている部分を……………。
「……痛っ!」
 あぁ…やった。
「ゼフェル様? ……ゼフェル様っ! 嫌だ…しっかりして………。」
 親父の怪我の部分をクリーンヒットしたアンジェが自分のした事に気が付いてベッドに突っ伏して痛みを堪えている親父の身体を揺する。
 アンジェ…それは却ってマズイって………仕方ないなぁ。
「お早う。」
 パニクってたアンジェが俺の言葉に我に返る。
「あ…お早う。セフィロス。ゼフェル様、目が覚めたのよ。」
「……よぉ。」
 まだ揺すられていた痛みが退ききれてないらしく、ちょっと青ざめた顔で親父が俺に声をかける。
「セフィロス。後でおめー専用のエアバイ作ってやっからな。もう勝手に俺のに乗ってブッ壊すんじゃねーぞ。良いな。」
「な…駄目ですっ! ゼフェル様は当分ベッドから動いちゃいけません。さっきまであんなに痛そうにしてたのに何てこと言うんですか。」
 親父の言葉にアンジェが驚いて目をむいた。
「おめーが妙なマネしなけりゃなんともねーんだよ。なぁ。セフィロス。おめーだってエアバイに乗ってみたいだろ?」
「ゼフェル様っ! ……これは女王命令です。鋼の守護聖ゼフェル。その傷が完全に治るまでベッドから離れることを禁止します。良いですね。」
「…ったねーぞ。アンジェリーク。判ったよ。…ったく。好きにしろっ!」
 とうとう伝家の宝刀を抜いたアンジェに親父が諦めてベッドに沈んだ。
 あんなに酷い傷なのだからその方が良いとは思うが、ちょっと親父が気の毒に思えた。
 拗ねたような親父と勝ち誇ったようなアンジェの幼い顔に俺は笑った。
 親父の前ではアンジェは女王でも何でもない普通の女の人だったんだと気が付いた。
 自然な表情に自然な動き。
 本当に好きな人間の前でだけ、それらが現れるんだって事を俺はようやく理解した。
 完全に俺の負けだった。
「……とうさん。俺…かあさんに似た妹が欲しいな。でも…作るのはとうさんの傷が完全に直ってからにしてくれよな。じゃ…俺、遊びに行って来るから。」
 素直に親父のことを『とうさん』と、そしてアンジェのことを『かあさん』と言えた。
「……………ゼフェル様。聞きました? あの子…初めて私のこと………。」
「あぁ。良かったな。アンジェリーク。」
「私…何だかこれで初めて本当にホントの家族になれたみたいで嬉しい。」
「莫迦か。おめーは。あいつが生まれるずっと前から俺達は家族だろーが。」
 走る俺の背後でアンジェの涙声と嬉しそうな親父の声が途切れ途切れに聞こえていた。


「キャアッ!」
「わ…悪い。大丈夫…か……………。」
 公園に向かう途中で人にぶつかった俺は尻もちをついた相手を見て息を止めた。
 アンジェのような柔らかそうな金髪ではない…どっちかって言うとツンツンしていて硬そうな髪の毛の同い年位の女の子。
 何よりも俺が引き込まれたのは、そいつの瞳の色だった。
 ジュリアス様の藍でもオスカー様の青でもリュミエール様の碧でもない、ただただ深い蒼の色。
「あ…お母さん。」
 立ち上がり、母親の方へ走っていこうとするそいつの手を捕まえる。
「お前……。名前…何て言うんだ?」
「えっ? あの………。クラウディアって言うの。」
 クラウディア……………。
 戸惑ったような顔で答えるこいつを見ながら俺は『運命の出会い』って奴をしたらしい自分を感じていた。


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