キティのひみつ


『あのね。キティはね。パパの作ったゆりかごのベッドとお馬さんが大好きなの。あとね。ママの作った甘〜いケーキ。だからね。キティはパパとママが大好きなの。パパとママもキティのこと大好きだよってママは言うけど……。ホントはキティ知ってるんだ。パパはホントはキティのこと好きじゃないって。だってね………。』


「ミィー。」
 ポカポカ陽気の昼下がり。
 塀の上でまどろんでいた丸々と太った猫が尻尾を引っ張られて鳴き声をあげる。
「ミィなんか嫌い。」
 フワフワの巻き毛をポニーテールに縛った小さな女の子が小さく呟いて長く垂れ下がった猫の尻尾を引っ張る。
「フミャア。」
 賢いこの猫は幼い飼い主の理不尽な行動に爪を立てる事もせずに救いを求めるように声をあげた。
「……キティ。何をしているの? そんなことをしたらミィが可哀想でしょ? ………キティっ!」
「フミャアッ!」
 猫の鳴き声に家の中から顔を出した母親のたしなめにも耳を貸さず、キティと呼ばれた女の子は尚一層の力を込めて猫の尻尾を引っぱった。
 たまりかねた猫は塀から転げ落ちるようにして逃げていった。
「……キティ。どうしてあんな事をするの? ミィはキティのお友達でしょう。」
「お友達じゃないもん。ミィなんて嫌いだもん。」
「キティ。どうしてそんな事を言うの? ミィは子猫の時にキティが見つけて飼いたいって言ったのよ。パパだって最初は反対したけど今はミィのこと可愛がってるの知ってるでしょ?」
「知ってるもん! だからミィなんて嫌いなんだもんっ! ……キティ…ママも嫌いだもん!」
 口を尖らせていたキティが母の言葉に瞳に涙を浮かべて叫ぶと走り出した。
 と、そんなキティを突然誰かが抱き上げた。
「おっと。元気なお嬢ちゃんだな。」
「……………おじちゃん。誰?」
「……オスカー様。」
「お久しぶりです。陛………と。失礼。………お元気そうでなによりです。」
 娘を抱き上げて笑顔を見せる炎の守護聖にアンジェリークは目を丸くした。
「おじちゃん。ママのお友達?」
「ん? あぁ。そうだよ。プチレディ。プチレディのパパとお友達って言った方が正しいんだけどな。パパはいるかい? ………おい? プチレディ?」
 オスカーの言葉にキティは顔をムッとさせ、身体をよじって腕の中から飛び降りるとあっと言う間に走り去ってしまった。
「やれやれ。あの足の速さは父親ゆずりみたいですね。」
「申し訳ありません。オスカー様。あの娘…最近反抗期らしくって………。」
「ハハハ。ますます父親似じゃないですか。それで…当の本人はいますか?」
 恐縮するアンジェリークにオスカーは笑顔で尋ねた。
「いえ。申し訳ないんですけど出掛けてるんです。難しい修理らしくて廻り廻ってうちに……。」
「そうですか……。奴っこさんの腕は健在らしいですね。しかし…いないとなると参ったな。」
「あの…何か………。」
「ご安心下さい。奴を連れ戻しに来た訳じゃありません。頼みがあって来ただけですから。」
 オスカーの言葉に不安そうに顔を曇らせていたアンジェリークがホッと息をはく。
「そうですか。あの…だったら中でお待ち下さい。ゼフェル様でしたら今日帰ってくる予定ですから。それにオスカー様。もう陛下は止めて普通に話して下さいね。」
「……良いのかい? だったら遠慮無くそうさせて貰うぜ。お嬢ちゃん。…っと立派な御婦人にいつまでもお嬢ちゃんじゃ失礼か。」
「構いませんよ。私も二人でいる時はついゼフェル様って呼んじゃっていつも怒られるんです。キティの前ではお互いパパとママって呼んでるんですけどね。」
 口元を押さえるオスカーにアンジェリークはクスクスと笑ってペロリと舌を出して見せた。


「落ちつかないな。」
 夕食をごちそうになったオスカーがポツリと呟く。
「えっ? 何がですか? オスカー様。」
「お嬢ちゃんとプチレディの事さ。奴が帰ってくるのがそんなに待ち遠しいのかい?」
「や…嫌なオスカー様。からかわないでください。」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるオスカーにアンジェリークは真っ赤になった。
「帰ってきたっ! パパが帰ってきたよ。」
 木馬に乗って遊んでいたキティが突然立ち上がりドアの方へと向かう。
 徐々に大きくなるバイクのエンジン音にアンジェリークの顔も輝きを増していった。
『やれやれ。こんな顔をされたんじゃな………。』
 長きに渡り宇宙を統べる崇高な役目を果たしてきたかつての女王の笑顔にオスカーが苦笑する。
 どんなに計り知れない力を持ってしても宇宙全体を支える女王と一部分だけを担う守護聖とではその力の衰えに格段の差が出来る。
 聖地一の問題児として名を馳せていた鋼の守護聖ゼフェルがその力を残したまま退任した女王アンジェリークの後を追っていった事はまだ記憶に新しい。
 何人もの使者がゼフェルを連れ戻そうとしたが、その度毎にゼフェルはアンジェリークと共に居場所を移して逃げ廻った。
 二人の間にキティと言う子供が誕生した時、新女王はゼフェルを聖地へ連れ戻す事を断念し、次代の鋼の守護聖を聖地へ召還したのだった。
 そしてようやくゼフェルとアンジェリークは落ちついて暮らせる場所を主星の人里離れた森林地帯に構える事が出来たのだった。
「………帰ったぜ。キティ! 近寄るんじゃねーっ! ……………オスカー?」
 埃だらけで帰ってきたゼフェルが走り寄ろうとした娘を一喝して家の中にいる懐かしい顔に気づき眉を寄せる。
「お帰りなさい。あの…オスカー様が頼みたい事があるっておっしゃって………。」
「頼みたい事? まさか今更聖地へ戻ってくれなんてのじゃねーだろーな。………キティ。おめーはもう寝る時間だろ。」
 不機嫌そうにテーブルに近づいたゼフェルが一喝されて動きを止めたキティに静かに言った。
「パパ……………。」
「キティはパパが帰ってくるのを待ってたのよね。ほら。キティ。パパにお帰りなさいは?」
「……………。」
「キティ?」
「………で? オスカー。頼みってのは何だよ。」
 黙りこくってしまった娘から視線を外すとゼフェルはオスカーの向かいに座った。
「ああ。これなんだが…修理を頼みたい。」
「これって…ジュリアスの時計じゃねーか。」
 オスカーが懐から取りだした見覚えのある金の懐中時計にゼフェルは目を丸くした。
「ああ。動かなくなったそうだ。」
「こんなモン。俺じゃなくて新しい奴にでも頼めよ。」
「頼んださ。」
「なにっ 」
 ゼフェルは手にした懐中時計をまじまじと見つめた。
「どうやら新任の坊やはお前さん程の腕は無いらしい。で、色々と手を尽くしたんだが結局これを直せそうなのは一人しかいないって結論に達したって訳さ。」
「ちょっと中、確認するぞ。アンジェリーク。俺の……。」
「はい。どうぞ。」
「ああ。悪りぃな。………酷でぇモンだ。これで修理したってのか? ………キティ! 触るなっ!」
 懐中時計の分解されていくさまを珍しい物を見るように目を輝かせて見ていたキティが歯車の一つに手を伸ばそうとしてゼフェルに怒鳴られる。
 そんな怒鳴り声にビクッとキティが身体を竦ませた。
「キティ。パパはお仕事だから…ね。キティはもうおねむにしましょう。ほら。パパとオスカー様にお休みなさいは?」
「〜〜〜〜〜。」
 下唇をギュッと噛みしめてキティは何も言わずに部屋を出ていってしまった。
「オスカー。こいつは預かっとくぜ。二・三日したら取りに来いよ。」
「直せるのか?」
「てめーな。直せそうなのは一人だけなんだろ? 新品同様に直しといてやるよ。」
「そうか。だったら…三日後に取りに来る。頼んだぜ。ゼフェル。それじゃあ、またな。お嬢ちゃん。夕食をごちそうさま。プチレディにも宜しく伝えてくれ。」
「はい。オスカー様も他の皆様に宜しくお伝え下さい。」
 見送るアンジェリークに背を向けてオスカーは暗闇に消えていった。


「ゼフェル様。どうしてゼフェル様はキティにあんな言い方しか出来ないんですか? だからキティがあんな乱暴な事するようになっちゃうんですよ。」
「……ん? 乱暴な事って何だよ?」
 寝室で先程の娘に対するゼフェルの言葉を思い出したアンジェリークがバスルームから出てきたゼフェルに抗議するように頬を膨らませる。
「昼間…あの娘ったら嫌がるミィの尻尾を引っ張ってたんですよ。ミィなんか嫌いって……。最近反抗期らしくって私の言う事ちっとも聞かないし………。」
「それで。俺にどうしろって言うんだよ。」
「もう少し優しく接してあげて下さいって言ってるんです。そうすればあの娘の反抗期だって……。ホント。へんな所がそっくりなんだから二人共……。ゼフェル様だって…キティにちゃんとおみやげまで用意してあったのにそんな素振り少しも見せないで………。」
「オスカーの奴がいるのにそんな恥ずかしいマネが出来るかよ。それよりアンジェリーク。」
「きゃっ!」
 腕を取られ引き寄せられたアンジェリークがゼフェルの胸の中にすっぽりと収まる。
「疲れて帰ってきた亭主に説教なんてすんなよ。」
「ゼフェルさ……ん。」
 言葉を塞ぐ甘いキス。
「それと。いい加減その『様』ってのは止めろって言ってるだろ。」
「だって……ん。」
 言い訳の言葉を封じるキス。
「だってじゃねーよ。……おめー等に…おめーとキティに会いたくて不眠不休で仕事を片付けて来たんだぜ? ご褒美くらいくれよ。」
「もう。………莫迦。」
 抱きしめるゼフェルの言葉にアンジェリークは自分からゆっくりとゼフェルに口付けたのだった。


「ミィー。」
 三日後の昼下がり。
 庭の大きな木に取り付けられたブランコに乗っていたキティが膝の上の猫の頭を小突く。
「ミィなんて嫌い。莫迦。莫迦。莫迦。」
「フミィッ!」
「逃げちゃ駄目ぇっ!」
 たまらず逃げだそうとする猫の尻尾を押さえ込みキティがなおも小突く。
「おやおや。プチレディは御機嫌ななめのようだな。駄目だぜ。そんな事をしちゃ。」
「……オスカーおじちゃん。」
 突然自分を抱き上げたオスカーの言葉にキティが口を尖らせる。
「なんであの猫が嫌いなんだい? 俺で良かったら話してくれないか?」
「……………。パパには内緒…だよ?」
「……ああ。勿論だ。」
 優しいオスカーの笑顔にキティはゆっくりと話し出した。
「あのね。パパはね。キティよりミィの方が好きなの。ミィの事はお膝にのっけたりするけどキティにはそんな事させてくれないんだよ。ママの事はギュッってするのにキティには一度もしてくれないの。キティはパパの事大好きなのにパパはキティの事が嫌いなの。だからね。だからキティ。パパの大好きなミィとママ。嫌いなの………。」
 堪えきれなくなったキティは、そのルビーの瞳に真珠色の涙を浮かべるとオスカーの腕の中から飛び降りて森の奥へ走っていってしまった。
「……おい? プチレディ? ……………やれやれ。仕方ない親子だな。全く……。」
「オスカー様ですか?」
「よぉ。お嬢ちゃん。」
 自分の名を呼ぶ声にオスカーは振り返った。
「ジュリアス様の時計でしたら出来てますよ。結局徹夜だったみたいでまだ寝てますけど………。あの…キティがそこにいませんでしたか?」
「ああ。その事で話があるんだが…ちょっと良いかな?」
 庭を指すオスカーにアンジェリークが頷いた。


「キティ…そんな事を言ったんですか?」
「ああ………。」
「じゃあ…ゼフェル様。まだあの時の事………。」
「ん?」
 先程のキティの話をオスカーから聞かされたアンジェリークが顔を曇らせる。
「………キティが生まれた時。ゼフェル様。凄く喜んでくれたんです。あまり嬉しくて振り回すみたいに抱き上げて……。機械の加工をしてたらしくて身体中鉄くずだらけだったんです。胸ポケットに大きな鉄くずが入り込んでて……。それでキティの頬を傷つけちゃったんです。幸い痕は残りませんでしたけどゼフェル様にはショックが強かったらしくて……。それからは胸ポケットのある服は絶対に着ないし、仕事から帰ってきてもお風呂に入って着替えるまではキティを絶対近づかせないし………。そんな事をしている内にゼフェル様ったらキティに対してどう接して良いのか判らなくなっちゃったみたいなんです。本当に不器用な人なんだから。」
「あのプチレディもだよ。外見はお嬢ちゃんそっくりなんだが…中身はゼフェルそっくりだ。」
「やっぱりオスカー様もそう思いました? ……ありがとうございます。オスカー様。キティとゼフェル様のこと教えて下さって……。これ。ジュリアス様の懐中時計です。」
 オスカーの言葉に優しく微笑んでアンジェリークは時計を渡した。
「ああ。すまない。……大したもんだ。しっかり動いてるぜ。ゼフェルが目を覚ましたら宜しく言ってくれ。」
「はい。オスカー様。……あの。宜しければゼフェル様の後任の鋼の守護聖の方に伝えて下さい。ごめんなさい。勝手に出ていったからあなたは大変だと思うけど、ゼフェル様の分も頑張って下さいって………。」
「……判ったよ。お嬢ちゃん。それじゃあ。元気でな。」
「はい。オスカー様もお元気で。」
 時計を受け取ったオスカーはアンジェリークにゆっくりと背中を向けて聖地へと戻っていった。


「きゃんっ!」
「えっ?」
 聖地の扉の目の前で、オスカーは背後から上がった声に驚いたように振り返った。
「プ…プチレディ。こんな所で何をしてるんだ。」
「……おじちゃんの後をついてきたの。お家になんて帰らないんだもん。パパはママがいれば良いんだもん。キティなんていらないんだもん。」
「あ…あのなぁ。プチレディ。」
「オスカーおじちゃんのトコにいるんだもんっ! 帰らないんだからねっ!」
「オスカー様。どうしたんですか? ……………あの…その子……。」
「ランディ。」
 ちょうど門の近くを通りかかった風の守護聖ランディが外の騒がしさに気づき顔を覗かせる。
 オスカーは救いを求めるかのようにそんなランディを振り返った。
「あの…もしかして……。アンジェリーク?」
「お兄ちゃん。ママを知ってるの?」
「ママって……。じゃあ、やっぱり君はアンジェリークとゼフェルの………。」
「キティです。初めまして。」
 驚いたように自分を見つめるランディにキティはペコリとおじぎをした。
「連れて来ちゃったんですか? オスカー様。」
「違うっ! プチレディが勝手についてきたんだ。」
「だって…こんな小さな……。女の子なんですよ?」
「あのなぁ。ランディ。この子はゼフェルの子供だぞ? しかもゼフェルそっくりなんだ。中身が。」
「そんな訳の判らない理由って……。どうするんですか。」
 オスカーの言葉にランディは口ごもった。
「もう一度。連れて帰るさ。」
「嫌っ! キティ帰らないからね。絶対! 絶対! 帰らないんだからっ!」
 そう言ってキティは開け放してある聖地の扉に向かって走り出した。
「あっ! キティ! 駄目だ。その扉に近づいちゃ……。君には通れな……………えっ?」
 女王の許可を得た者以外は情け容赦なく弾き飛ばす聖地の扉をなんなく通り抜けたキティにランディとオスカーが唖然とする。
「さすが…元女王と守護聖との間に生まれた子だぜ。」
「オスカー様っ! 何のんきな事、言ってるんですか。早く追いかけないと……。」
「あ…ああ………。」
 ランディの声にオスカーは我に返ってキティの後を追おうとした。
「全く。なにをやってんのさ。あんた達は。」
「オリヴィエ……。」
「オリヴィエ様………。」
 走り出した二人はキティを抱いて姿を現した夢の守護聖オリヴィエに足を止めた。
「助かったぜ。オリヴィエ。さ。プチレディ。パパとママが心配しているから帰ろう。」
「嫌っ!」
 手を伸ばすオスカーにキティはオリヴィエにひしっとしがみついた。
「いいのよ。キティちゃん。好きなだけ此処にいて。」
「ホント?」
「ホントよぉ。」
「オ…オリヴィエ様。」
「おい。オリヴィエ………。」
 キティに笑顔を見せるオリヴィエにランディとオスカーが慌てた。
「良いのよ。この事は陛下のご了承済みみたいよ。私はロザリアに言われてここに来たの。小さなお客様を丁重にもてなしましょうってね。」
「ロザリアの?」
「そっ。……じゃ。キティちゃん。お兄さんと行こうか?」
「うんっ!」
 オリヴィエの言葉にキティは元気良く返事をした。


「いたか? アンジェリーク!」
「いいえ。こっちには………。」
「…ったく。何処に行っちまったんだ。」
「ごめんなさい。ゼフェル様。私が目を離したから……。」
 夕方になっても家に帰ってこない娘をゼフェルとアンジェリークは捜し歩いていた。
「莫迦。お前のせいじゃねーよ。とにかく。俺はもう少し辺りを捜してくる。お前は家で待ってろ。もしかしたら帰ってくるかも知れないからな。いいな。アンジェリーク。」
「はい。ゼフェル様。」
 家を出るゼフェルの背をアンジェリークは涙混りに見送っていた。


「パパとママ……。どうしてるかなぁ?」
「お家に帰る気になったの?」
 ロザリアの言葉にキティは首を横に振った。
 女王試験の最中、新しい女王はライバルの女王候補との仲を最悪のものとしてしまった。
 そのため女王補佐官抜きで宇宙を統べる事となった新女王を不憫に思ったアンジェリークは自分の補佐をしていたロザリアに新女王の補佐をも頼んだのだった。
 ロザリア自身はアンジェリークが退任するときに自分自身も補佐官を降りるつもりだった。
 しかしアンジェリークの強い願いもあって新女王の補佐官として聖地にとどまったのだった。
「ロザリア……。」
「まぁ。クラヴィス様。どうかなさったのですか?」
 突然やってきた闇の守護聖に室内にいた全ての人物が目を丸くした。
「懐かしい顔が見えたのでな。」
「あっ! ママっ!」
 テーブルの上に置かれた水晶球を覗き込んだキティが真っ暗闇の部屋の中で今まで見たこともないような暗い顔をして椅子に座るアンジェリークの姿に声を上げた。
「ママ………。パパ?」
 母の姿にキティが思わず涙ぐむ。
 そんなアンジェリークの元にゼフェルが疲れ切った様子で帰ってきた。
「………なに? 何て言ってるの? わかんないよ。」
「話している声が聞きたいのか? そら………。」
 キティの声にクラヴィスが水晶球に手をかざす。
 少しずつではあるが二人の声が聞こえてきた。


「ゼフェル様……………。」
「駄目だ……。どこにもいねぇ……。」
 椅子に沈み込むアンジェリークの傍らにゼフェルは膝をついた。
「あの子……。一体何処に………。」
「……すまねぇ。アンジェリーク。俺のせいだ。」
 アンジェリークの足を抱え込むようにして腿の上に突っ伏したゼフェルが呟く。
「ゼフェル様………。」
「俺のせいだ。俺がキティに……………。」
「ゼフェル様のせいじゃありません。あの子…私の子ですもの。私と同じでゼフェル様の事が大好きなんですもの。だから…ゼフェル様もあの子を抱きしめてあげてくださいね。それだけで良いんです。それだけで……。もう一度考えましょう。あの子がいなくなった時の事………。」
「アンジェ……………。」
 キティと同じ銀色の髪を優しく撫でるアンジェリークにゼフェルはゆっくりと顔をあげた。
「……そうだな。昼飯の時にはいたんだよな?」
「ええ。昼食の後にゼフェル様がキティの為に作った庭のブランコで遊んでいたんです。」
「その後は………。」
「えっと…。洗い物をして…お洗濯物をたたんで……。オスカー様がジュリアス様の懐中時計を取りに入らしたからお渡しして……。その時にオスカー様がキティが森の方へ走っていったって教えて下さって………。」
「森の方…か………。! ……アンジェリーク。オスカーは森の方から来たんじゃなかったか?」
「えっ? ……ええっ。そうです。ここは比較的、聖地に近い場所ですけど……。多分、聖地との回廊を人目のつかない森の中に作ったんだと思います。」
「オスカーの奴が連れていったんじゃねーだろーな?」
「ま…まさか。オスカー様がそんな事………。あっ!」
「………なんだよ?」
 何かを思い出したようなアンジェリークにゼフェルが怪訝そうに尋ねる。
「女王の宮殿に残っている古い資料にあったんです。守護聖は退任した後でもしばらくの間はサクリアが残ってるって。その間に子供が出来て……。生まれた子供が男の子だった場合は守護聖としての素質を強く持っているって。」
「………女の場合は?」
「あの…女王としての素質を強く………。新しい鋼の守護聖が誕生してもゼフェル様のサクリアは衰えてませんもの。だから…もしかしたらキティは回廊を………。」
「女王の素質があるんなら回廊だって通れるな。」
「……はい。でもオスカー様が連れていくとは………。」
「判ってる。俺だってそんなこと本気で思ってねーよ。だけどキティがオスカーの後をついてったとは思わねーか?」
「……ゼフェル様の子ですものね。あんなに小さいのに変に行動力があって………。」
「妙な納得してるんじゃねーよ。…ったく。」
 泣き笑いするアンジェリークのおでこをつんとつついてゼフェルが身支度を整えだした。
「ゼフェル様?」
「聖地へ行って来る。」
「えっ?」
「俺のカンだけど…キティは多分聖地の中だ。迎えに行って来る。」
「あの……………。」
 不安そうに顔を曇らせるアンジェリークにゼフェルはそっと口付けた。
「………心配すんな。必ず戻ってくっから。キティの好きなモン用意して待ってろ。良いな。アンジェリーク。俺は…俺とキティの二人で必ず帰ってくるから。」
「………はい。」
 闇の中に消えていくバイクをアンジェリークはいつまでも見送っていた。


「パパ………。」
 猛スピードでバイクを走らすゼフェルの姿を映し出していた水晶球を見ながらキティが涙声で小さく呟く。
 いつもの怒ったような顔ではない…不安と心配が入り交じっている………。
 キティにとっては初めて見る父の顔だった。
 そうこうしているうちにゼフェルは守護聖達にとって見覚えのある大きな扉の前にたどり着きバイクを降りた。
「どうするんでしょうか? 今のゼフェル様では扉は開きませんわ。中に入ることは出来ても……。」
「僕が行って来ましょうか?」
「もう少し様子を見るのだな。」
「クラヴィス様………。」
 ロザリアの言葉に緑の守護聖マルセルが走り出そうとするのをクラヴィスが止めた。
「パパ………。」
 キティはじっと水晶球に映る父の姿を見つめていた。
「……? あー。ゼフェルはどこに行くんでしょうかねぇ?」
 聖地の扉を通り過ぎていくゼフェルの姿に大地の守護聖ルヴァが不思議そうに頭を捻った。
「しっ! ルヴァ様。ゼフェルが何か呟いてますよ。」
 ランディの声にその場にいる全員が息を潜めた。


「さてと。あいつらに見つかってねーと良いんだけどな。」
 ゼフェルは鬱蒼と茂った茂みの中に入り込んだ。
「………おっ! 見つかってなかったみてーだな。」
 複雑に入り組んだ茂みの枝をかき分けたゼフェルの目の前に一本のトンネルが姿を表した。
「……まさかここをまた通る事になるとはな。キティがいるとしたら…オスカーの家か?」
 苦笑したゼフェルは意を決したようにトンネルを歩き進んだ。


「あ…あんな所にあんな物があったのねぇ。知らなかったわぁ。さっすがゼフェルだわ。」
 茂みに隠れた小さなトンネルを通り抜け聖地の中に入り込んだゼフェルの姿にオリヴィエが感心したように手を叩いた。
「何をそんなのんきな事を。オリヴィエ様。明日にでもあそこを塞がないと………。あっ! キティちゃん。どこに行くの?」
「キティ。パパのトコに行くのっ!」
 走り出したキティの後を全員が追った。


「…ったく。ちくしょー。退けっ! 俺はこの先に用があんだよっ!」
 オスカーの家に行く途中で警備兵に見つかってしまったゼフェルが大声で怒鳴る。
 警備兵はゼフェルの見知らぬ者ばかりで、侵入者であるゼフェルに容赦なく襲いかかった。
「ちっくしょー。俺の顔を覚えてる奴はいねーのかよっ! 退けって言ってるだろっ!」
「パパぁっ〜。」
「キティ! ……痛っ!」
「パパっ!」
 娘の声のする方に顔を向けたゼフェルの頬を警備兵の振り降ろした剣の切っ先が掠める。
「止めろっ! 止めるんだ。」
 ランディの声に警備兵が一斉に動きを止めた。
「パパ? パパ? 大丈夫?」
 しりもちをついているゼフェルにキティは駆け寄った。
「キティ。……やっぱりこんなトコまで来てたんだな。」
「パパ………。」
 顔をあげたゼフェルは涙を溜めたキティをそっと抱きしめた。
「……良かった。無事で………。」
「パパ……………。」
 抱きしめる腕の温かさと耳元で安心しきったように呟かれた言葉の優しい響きにキティは大粒の涙を零した。
「ごめんなさい。パパ。ごめんなさい。ごめんなさい。」
「………良いんだよ。キティ。もう良いんだ。ごめんな。俺のせいで………。」
「パパは悪くないモン。悪いのは…いけないのはキティだモン。ごめんなさい〜。」
 泣きじゃくる娘の頭を撫でながらゼフェルは自分達を見つめる懐かしい面々に瞳を向けた。
「あー。ゼフェル。あの…とにかくその傷の手当をしませんと………。」
「こんなモン、かすり傷だから平気だよ。ルヴァ。……キティ。こいつにちゃんと挨拶したか?」
「う…うん……。ルヴァおじちゃんね。お菓子くれたの。」
 スンスンとしゃくりあげながらキティがゼフェルの言葉に頷く。
「……そうか。良かったな。キティ。教えといてやるよ。覚えとけ。こいつはな。俺にとって親父みたいな奴なんだ。」
「パパのパパ? ……じゃあ。キティのおじいちゃん?」
「おじい………。」
「……まっ。そんなモンだ。」
「ちょ…ゼフェル。笑い事じゃありませんよ。いくら何でもおじいちゃんは無いじゃないですか。」
「仕方ねーだろ。んなコト言ったってよ。」
 キティの言葉に絶句するルヴァをしり目にゼフェルが笑顔を見せる。
「……ねぇ。パパ。パパとおじいちゃん同じ位だね。」
「ん? 見た目がってことか? ここの奴等はみんな見た目よりジジイなんだよ。………よぉ。後任。」
 キティの言葉にグルリと周りの面子を見渡したゼフェルが見たことのない少年に声をかける。
「悪りぃな。俺の勝手におめーを巻き込んじまってよ。」
「……あっ! いいえっ! 僕は生まれた時からずっと守護聖になる事に憧れてましたから………。」
「そっか………。だったら…もう少し器用になってくれよな。さっ。キティ。ママが心配してるから帰るぞ。」
「うん。」
「じゃあな。邪魔したな。」
「ゼフェル様。」
 キティを抱き上げて歩き出したゼフェルにロザリアが声をかける。
「ゼフェル様がお通りになったトンネル。塞がせて頂きますわよ。」
「………別に構わねーよ。キティがここに紛れ込まねー限り、もう二度と俺もあいつもここに来る事はねーんだからよ。」
 振り返ったゼフェルはそれだけ言ってアンジェリークの待つ我が家へと帰っていった。


「ゼフェル様。傷…大丈夫ですか?」
 その夜、寝室でアンジェリークがベッドに寝ころぶゼフェルに帰宅してから何度目になるのか判らない質問をした。
「……おめーな。何ともねーって何度も言ってるだろ? 何度同じ事言わせりゃ気が済むんだよ。」
「だって……………。」
「…ったく。しょうがねーな。」
 身体を起こしたゼフェルがアンジェリークを抱きしめる。
「悪かったよ。心配かけて……。」
「そ…そうですよ。早く帰って来るって言ったクセになかなか帰って来なくて………んっ。」
 涙を零すアンジェリークの瞼にゼフェルは優しくキスをした。
「泣くんじゃねーよ。おめーは。いつまでたっても泣き虫なんだからよ。」
「ゼフェル様以外の人の前じゃ泣きません。」
「……………アンジェリーク。」
「パパぁ……。」
 アンジェリークに口付けようとしていたゼフェルが突然の声に真っ赤になって身体を離す。
「キ…キティ。どうしたの?」
「あのね。キティね。パパとおねんねしたいの。」
 ゼフェルと同じように赤い顔をして尋ねたアンジェリークにキティは遠慮がちに言った。
「俺と………?」
「……駄目っ! 駄目よ。キティ。キティにはパパが作ったゆりかごのベッドがあるでしょ。パパとおねんねして良いのはママだけなんだから。」
「……嫌だーっ! キティがパパとおねんねするのぉ。」
「パパとおねんねして良いのはママだけなのって言ったでしょ。」
「お…おい。アンジェリーク。おめー何、子供と張りあってんだよ。おいっ?」
 目の前で激しく言い合う二人にゼフェルが徐々に苛立つ。
「………やかましいっ! いつまでもくだらねー事でぐだぐだ騒ぐなっ! アンジェリークっ!」
「きゃっ!」
 ゼフェルに抱き寄せられたアンジェリークが小さく悲鳴をあげる。
「あーっ! ママだけずるーい。」
「キティ。ほらっ。来いっ!」
 自分に向けて伸ばされた父の腕にキティは嬉しそうに飛びついた。
「これで文句はねーだろっ! 寝るぞっ!」
「……パパ。お顔真っ赤。」
「フフフ。パパはね。大好きなママとキティを抱っこできて嬉しくって仕方ないのよ。」
「…っせーぞ。俺は眠みぃーんだからな。耳元でごちゃごちゃ言ってねーでさっさと寝ろ。」
 金と銀の二人の天使を両脇に抱えたゼフェルが目を閉じたまま呟く。
「……キティ。昼間は楽しかった?」
 そんなゼフェルをクスクスと笑いながらアンジェリークはキティに尋ねた。
「うん。紫色の髪の綺麗なお姫さまがいたの。お姫さま綺麗ねって言ったら、あなたのママがお姫さまだったのよって。ママ。ホント?」
「……ロザリアったらそんな事を言ったの? ……そうね。ママは昔、お姫さまだったわ。」
「どうしてお姫さまじゃなくなっちゃったの?」
「うーんとね。ママの代わりに新しいお姫さまが生まれたの。だからママはお姫さまを止めてあそこを出たの。」
「ふーん。あのね。ママ。あそこね。王子様もいたんだよ。」
「王子様?」
「うん。ランディお兄ちゃんの事。」
「………ランディが王子?」
 目を閉じていたゼフェルがキティの言葉にピクリと眉をあげる。
「キ…キティ。……すっごい秘密を教えてあげるわ。」
「秘密? なに? なに?」
 渋い顔をするゼフェルの姿に笑いを堪えながらアンジェリークが言った。
「あのね……。パパも昔、ランディお兄ちゃんと同じ王子様の一人としてあそこにいたのよ。」
「えーっ? パパが?」
「ええ。だけどね。ママがお姫さまを止めてあそこを出る時パパはね。ホントなら王子様でいないといけなかったのに王子様を止めてママと一緒に来てくれたの。」
「………ぐーっ。」
 わざとらしいゼフェルのいびきにアンジェリークとキティが笑顔を作る。
「キティ。キティ。あのね……………。」
「うん。うん。ママ。」
 ゼフェルの胸の上でアンジェリークがそっとキティに耳打ちをする。
「良い? せーのっ。」
「パパ。」
「ゼフェル様。」
「だ〜い好きっ!」
 アンジェリークとキティの声が見事にハモり、二人同時にゼフェルの頬にキスをする。
 キスを受けたゼフェルは身体中をカーっと熱くした。
「………パパ。お首まで真っ赤っか。」
「照れてるって言うのよ。」
「ふーん。」
 両脇でクスクスと笑い会う二人の天使にゼフェルは成す術が無かった。


『あのね。キティはね。パパの作ったゆりかごのベッドとお馬さんが大好きなの。あとね。ママの作った甘〜いケーキ。だからね。キティはパパとママが大好きなの。すっごい秘密があるんだよ。キティのパパとママはね。王子様とお姫さまだったの。パパはね。ホントは王子様でいないといけないんだって。だけどね。ママとキティの為に王子様を止めちゃったの。ね。凄いでしょ。キティね。大きくなったら王子様を捜すんだ。パパにそっくりなパパみたいな王子様を。だけどね……。これはパパには内緒だよ。』


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