時間を超えて待っていた


「……これで良しと。えっと……。後はこいつだな。こいつは慎重にやらねぇとな。」
 良く晴れた日の曜日。
 鋼の守護聖ゼフェルは執務室脇の作業部屋で何やらごそごそと作業にいそしんでいた。
「こんにちは。ゼフェル様。いらっしゃいますか?」
 そんなゼフェルの元を女王候補アンジェリークが笑顔で訪れた。
「おー。アンジェリークか? こっちにいるぜ。何か用か?」
「……あっ。ゼフェル様。こんにちは。折角のお休みの日だからお誘いに来たんですけど………。何だかお忙しそうですね。」
 手元から全く目を離さずにいるゼフェルの姿にアンジェリークは苦笑した。
「……外かぁ。悪りぃんだけどこいつを……………。」
「ええ。分かってます。またこの次にします。それじゃあゼフェル様。失礼しますね。」
 ゼフェルが何かを作り始めたら他の事に意識がいかなくなってしまう事を充分に知っているアンジェリークは邪魔にならないようにと早々に部屋を退室しようとした。
「アンジェリーク。出来上がったら見せてやっからよ。楽しみにしてろよな。」
「はい。分かりました。きっとですよ。ゼフェル様。」
「へへへ。驚くなよ。今度のは……………あっ!」
 どっかーん。
「きゃーっ。」
 一瞬の気の緩みからゼフェルの目の前で爆発がおきた。
「ゲホッ。ゲホッ。………アンジェリーク。大丈夫か? 悪りぃ。手元が狂って……。アンジェリーク!?」
 爆発の巻き添えをくって気を失ったアンジェリークの元へゼフェルは慌てて駆け寄っていた。


「う…ん……。………ええっ? 何? ここは………。」
 意識を取り戻したアンジェリークは見慣れぬ室内の様子に飛びおきた。
「な…何? ここ…何処なの?」
「あっ。起きてたのか。大丈夫か? 姉ちゃん。」
「えっ? ゼ…ゼフェル様っ 」
 後ろからかけられた声に振り返ったアンジェリークは素っ頓狂な声をあげた。
「ゼフェル様って…なんで姉ちゃん俺の名前知ってるんだ? でも俺…様なんて言われる覚えないぜ。」
 目の前でゼフェルそっくりな少年が驚いたように目を丸くして恥ずかしそうに頭をかいた。
「あっ。ごめんなさい。知っている人によく似ていたから……。あの……。あなたは? それにここは?」
「俺はゼフェル。ここは人工工業惑星帯の星の一つだよ。………姉ちゃん。この星の人間じゃないだろ?」
「えっ? そうだけど…何で?」
「この星の人間は皆、俺みたいな髪と目の色してるよ。姉ちゃんみたいな色の奴なんていねーもん。」
 困惑したように尋ねるアンジェリークの目をじっと見つめながらゼフェルが答えた。
「あの……………。」
「すっごい綺麗だな。緑色ってこんなに綺麗なんだ。」
 目の前でゼフェルの屈託のない笑顔を見せられたアンジェリークが顔を赤くする。
「そ…そう? ここにも植物はあるでしょ。それと同じだと思うけど?」
「全然違うよ。この星の緑は皆、工場から出る廃ガスでくすんだ汚い色してるんだ。俺…こんな綺麗な緑色見たの初めてだ。……だけど姉ちゃん。この星に何の用で来たんだ? この星は汚染が進んでいるから元々住んでる奴はともかく余所から来る奴なんて滅多にいないんだぜ?」
『えっと……。ゼフェル様よね。この子。……って事は私あの爆発で過去に来ちゃったのかしら? ……だとしたらゼフェル様が守護聖になってるって事や私が女王候補だって事は言っちゃまずいわよね。』
 アンジェリークは一瞬躊躇した後、自分が主星の人間で爆発に巻き込まれ気がついたらここにいた事のみ告げた。
「あの……信じて貰えるかしら?」
「んー。信じらんないけど信じる! 姉ちゃん。目の色も髪の毛もすっごく綺麗だし、どう見ても嘘つく様には見えねーもん。」
「……ありがとう。ゼフェル君。」
「……ゼフェルでいいよ。」
 笑顔で礼を述べるアンジェリークにゼフェルがボソリと呟いた。
「そ…そう? ……ねぇ。ゼフェル? 聞きたい事があるんだけど。ゼフェルはここに一人で住んでいるの?」
 あまり多くの人間に自分の姿を見られるのはまずいのではと思ったアンジェリークがゼフェルに尋ねる。
「まさか。父ちゃんと母ちゃんと三人暮らしだよ。」
「そう……。お父さん達は今日はどちらへ?」
「仕事に行ってるよ。工場の方で生産拡大のフル回転やっててさ。父ちゃんも母ちゃんもずっと泊まり込みなんだ。……きっともう当分帰って来ないよ。」
「そうなの……。寂しくないの?」
 ゼフェルの言葉にホッと一安心したものの、寂しそうな響きを感じたアンジェリークが更に尋ねた。
「……別に。ガキの頃からずっとそうだったし、たまにあんちゃんが様子を見に来てくれるから……。あっ。あんちゃんってのはさ。近所に住んでる兄ちゃんでさ。凄く年が離れてるけど本当の兄ちゃんみたいなんだ。それに……。今日は姉ちゃんもいるから………。」
『あっ。この顔は今と同じ……。』
 照れたようにそっぽを向いたゼフェルの横顔を見ながらアンジェリークは微笑んだ。
「偉いのね。ゼフェルは。そう言えば……。聞いてなかったけどゼフェルは何歳なの?」
「俺? 七歳だよ。姉ちゃんは?」
「……ゼフェル。女の子に年齢を聞くものじゃないのよ。覚えといてね。……私は十七よ。」
「そうなの? ……ちぇっ。十歳も違うのかぁ。」
 悔しそうに舌打ちするゼフェルをアンジェリークは不思議そうに見ていた。


「ゼフェル。食事はいつもどうしてたの?」
 夕方になりお腹の空いてきたアンジェリークがゼフェルに尋ねた。
「何だ。姉ちゃん。腹空いたのか? 冷蔵庫の中にあるもの適当に食べてくれよ。俺…いま手が離せないから……。」
『……ゼフェル様の食への関心の無さってこんな頃からだったのね。』
 アンジェリークは呆れつつ冷蔵庫を開けた。
「……………ゼフェル。何もないわよ?」
「ええっ?」
 空っぽの冷蔵庫をしばし呆然と眺めたアンジェリークがゼフェルに声をかけた。
 面倒くさそうに返事をしたゼフェルはそれでもアンジェリークの元にやってきた。
「げっ。ホントだ。しょーがねーな。何か買ってくるよ。姉ちゃん何が良い?」
「あっ。買い物なら私が行こうか?」
「駄目だよ! この星の空気は余所の人間の身体には良くないんだ。家の中は空気清浄機で綺麗になってるから平気だけど…外に出たら慣れてない姉ちゃんなんかすぐに咳込んじまうよ。俺が買ってくるよ。」
 アンジェリークの言葉をゼフェルは慌てて却下した。
「でも………。あっ! そうだ。ゼフェル。買い物に行くのは諦めるわ。その代わり。私が夕食を作ってあげる。だからこれからメモする物を買ってきて。ねっ。お願い。」
「う……うん。」
 小首を傾げて笑顔を見せるアンジェリークにゼフェルは顔を赤くしながら返事をした。
「じゃあ。これね。気をつけてね。」
「すぐに帰るけどさ。鍵締めて待ってて。この辺物騒だから………。姉ちゃんいいね。」
 念を押しながら走っていくゼフェルの後ろ姿をアンジェリークは窓越しに見ていた。
「……やーん。何だかゼフェル様可愛い。信じられない位素直で……。今と変わらない部分もあるけど……。だけど…私。どうやったら帰れるのかしら………? ゼフェル様。あの爆発で怪我なさらなかったかしら?」
 ふいに聖地にいるゼフェルの姿を思い出したアンジェリークが泣き出しそうになった。
「……いけない。いけない。こんな所を見られたらこっちのゼフェルに心配かけちゃうわ。食器やお鍋を洗って準備しとかないと………。」
 うっすらと浮かんだ涙を拭ったアンジェリークは壁にかけてあったエプロンをすると随分と使われてなかったキッチンへ入っていった。


「姉ちゃん。ただいま!」
「おかえりなさい。ゼフェル。早かったわね。」
 アンジェリークが一通り用意をし終えた頃ゼフェルは帰ってきた。
「全速力で行って来たからね。でも姉ちゃん。これで何を作るんだ?」
「えっ? チキンカレーよ。出来上がったら呼んであげるからもうしばらく好きな事してていいわよ。」
「……うん。分かった。」
 そう返事をしたもののゼフェルは自分の部屋へは戻らずキッチンの見える位置に腰を下ろしじっとアンジェリークの後ろ姿を見ていた。
 しばらくして……。
「お待たせ。ゼフェル。……何? もしかしてずっとそこにいたの?」
「そ…そんな事無いよ。いい匂いがしたから来たんだ。」
 カレーの入った鍋を持って振り返ったアンジェリークにゼフェルは慌てて立ち上がった。
「どうかしたの? ゼフェル。」
 テーブルの上を見つめて動かずにいたゼフェルにアンジェリークが不思議そうに尋ねた。
「……えっ? あっ……。何だかさ。母ちゃんが工場に泊まり込みになってからこんなまともな食事って久しぶりだなぁと思って……。」
「そうなの? 冷めないうちに早く食べましょ。はい。」
 山盛りによそわれたチキンカレーを渡されたゼフェルが思いっきりそれを頬張った。
「ゼ…ゼフェル。そんなに一気に食べなくても……。」
「……おいしい。すっごくおいしいや。チキンカレーって言ったっけ? 初めて食べた。姉ちゃん。これすっごくおいしいや。俺…これ気に入っちゃったな。」
「えっ? 初めて……?」
『嘘ぉ〜。だってゼフェル様。この間お話した時、チキンカレーは大好物だ。って………。』
「うん。初めてだよ。こんなおいしいもの食べたの。姉ちゃんって料理が上手いんだね。」
 満面に笑みを浮かべてそう言うゼフェルの姿にアンジェリークは恥ずかしそうに顔を赤くした。


「それじゃあ。俺…学校に行って来るけど……。姉ちゃん。絶対鍵開けちゃ駄目だぞ。いつも言ってるけどこの辺ホントに物騒なんだからさ。」
「大丈夫よ。ゼフェル。何かあったら隣の家に逃げれば良いんでしょ。学校…遅刻するわよ。いってらっしゃい。気をつけてね。」
 ここでの生活にも大分慣れたアンジェリークにゼフェルは毎朝同じ事を繰り返し言い聞かせていた。
 そんなゼフェルに苦笑しつつもアンジェリークはこの星の治安の悪さを改めて認識していた。
 つい昨日もこの家の近所で女性が乱暴され殺されたと言う話を隣の家の住人に聞いたばかりだった。
 ゼフェルは隣の家の住人にだけ、しばらくの間一緒に暮らす事になったとアンジェリークの事を話した。
 隣の家の住人も細かい事は聞かずゼフェルが留守の間は何かとアンジェリークに気を配ってくれていた。
「……さてと。ゼフェルが帰ってくるまでお部屋の掃除でもしなきゃね。あらっ?」
 裏通りに面した部屋から何やらゴトゴトと音が聞こえたアンジェリークは不審に思い様子を見に行った。
「何かしら? まさかネズミとかじゃないわよね……。」
 薄暗い室内に入ったアンジェリークはグルリと辺りを見渡し、何事も無い事にホッとしてキッチンに戻ろうとした。
「きゃっ!?」
 突然後ろから突き飛ばされたアンジェリークが短く悲鳴を上げて床に転がった。
 驚いて顔を上げると、この星特有の髪の毛と目の色をした見た事のない男が二人立っていた。
「……成る程な。」
「言った通りだろ。髪の色といい目の色といい。この星の女じゃねー。」
「だ………誰?」
 恐怖に顔を強ばらせたアンジェリークが立ち上がり少しずつ後ずさりをしながら尋ねた。
「……可愛いねぇ。震えてるぜ。」
「……ふん。まだガキ臭さが抜けてねーみたいだが毛色が変わってるってんなら話は別だよな。」
 男達は答えずに品定めをするような目つきでアンジェリークの身体を眺めゆっくりと近づいていった。
『ど…どうしよう。声が出ない。………ゼフェル!』


「! ………よぉ。誰か呼んだか?」
 誰かに呼ばれた気がしたゼフェルが仲間達に尋ねた。
「誰も呼んでないよ。気のせいじゃないの? ゼフェル。」
「そっかなぁ? 確かに聞こえたと思ったんだけどなぁ。」
「あー。いたいた。ゼフェル〜。」
 首を捻るゼフェルに別の友人が駆け足で近づいてきた。
「よぉ。どうしたんだよ。そんなに慌てて。」
「ど…どうしたじゃないよ。ゼフェルの家の近くでさ。変な奴等が話してたの聞いたんだ。」
「変な奴等?」
「うん。見た事の無い三人でさ。ガキが学校に行けば邪魔者はいなくなるとか金色の髪の女がどうってコソコソ裏通りで話してたんだ。すっごい気味が悪くてさ。ゼフェルの家の近くの事だから教えとこうと思って走って来たんだ。」
「……それ本当か!」
 友の言葉にゼフェルは青くなって叫んだ。
「ホ…ホントだよ。嘘じゃないよ。」
「……………。っくしょー。」
「あ! ゼフェル! どこ行くのさ。学校は?」
「俺は今日休みだ!」
 ゼフェルは荷物をその場に投げ捨てると家に向かって走り出した。


「嫌っ! 離してっ!」
 男達に捕まったアンジェリークは大きな瞳に涙を浮かべながら必死になって抵抗していた。
 二人の男達はそんな抵抗を楽しむかのように悠然と構えていた。
「可愛いもんだ。見ろよ。涙浮かべて抵抗してるぜ。」
「全くだ。………おっと!」
 一瞬の隙をついてアンジェリークは男達から逃げ出した。
『は…早く……。外に………。』
 表通りへ続く扉に手をかけようとしたアンジェリークは自分を捕らえる第三の男の存在をそこで初めて知った。
「………えっ? あ……………。」
「残念だったな。お嬢さん。……莫迦が。逃がしたらどうにもならねーだろうが!」
「すまねぇ。つい……。」
「反応が楽しくてよぉ……。」
 先にいた二人の男達は怒鳴られて面目なさそうに頭をかいた。
「……あ。嫌ーっ!」
 男はテーブルの上のものを乱暴になぎ払うとそこへアンジェリークを押しつけた。
「往生際の悪いお嬢さんだ。まぁ。生きが良くて楽しめるか………。」
「嫌ーっ! ゼフェルーっ!」
「姉ちゃん!」
 服を破かれ男の体重を自らの身体の上に感じたアンジェリークが叫び声をあげる。
 そんなアンジェリークの叫び声と共にゼフェルが家の中に飛び込んできた。
「な…何だぁ。」
「ガキじゃねーか。」
「ゼ…フェル………。」
「……てめー等。姉ちゃんに何してんだ!」
 ゼフェルはその場の光景に逆上しアンジェリークを組み伏せている男に飛びかかった。
「痛……。ガキが生意気に邪魔すんじゃねーよ。」
「うっせー。姉ちゃんには指一本触れさせねーぞ。」
「………ゼフェル。」
 ゼフェルはアンジェリークを庇うように男達の前に立ちふさがった。
「………坊主。ずいぶんとデカイ口利くじゃねーか。」
「全くだ。身の程をわきまえろってんだ! ガキっ!」
「うっせーっ!」
 近づく男達にゼフェルは飛びかかっていった。
 しかし七歳の子供が大の大人…しかも三人を相手にかなうはずもなくゼフェルは酷く痛めつけられ床に叩きつけられてしまった。
「止めてっ! ゼフェルっ!」
 恐ろしさのあまりその場に座り込んでいたアンジェリークが叫び声をあげ慌ててゼフェルに駆け寄った。
「ゼフェル? ゼフェル? しっかりして……。」
「ね……姉…ちゃん。……早く……逃げ……。」
「ゼフェル? しっかり……。」
「さてと。これでこうるさいガキはいなくなった。続きと行こうか? お嬢さんよ。」
「きゃあっ!」
 先程アンジェリークを押さえ込んでいた男が再びアンジェリークの身体を捕らえると床に押しつけのしかかった。
「嫌っ! 離してっ!」
 自分の身体の上に馬乗りになった男にアンジェリークは足を激しくバタつかせた。
 そんな彼女の両足に別の男の手が伸びてきて、アンジェリークは身体を硬直させた。
「や……めろ。……姉ちゃんに……触るな。」
 アンジェリークの身体を押さえ込む男の手を床を這ってきたゼフェルが掴んだ。
「……ガキのクセしていい根性してるぜ。全く。離しな。………離せって言ってるだろうがっ!」
「ゼフェルっ!」
 ガッシャーン!
 男はゼフェルを掴み上げると戸棚に向かって投げつけた。
 背中から戸棚に打ちつけられ床に落ちたゼフェルの身体の上に、打ちつけられた勢いで割れたガラスの破片が無数に散らばった。
「へっ。全く。ガキのクセしていきがるからこんな目に遭うんだよ! 覚えとけっ!」
 ピィーッ!
「動くな! 警察のものだっ!」
「な…何だとぉ?」
「やべぇ。ずらかれっ!」
 ピクリとも動かなくなったゼフェルを見下すように見ていた男達は突然の笛の音と共に入ってきた警官隊に慌てて逃げ出した。
 しかし家の周りもすっかり囲まれており、男達はあっさりと捕まり警官隊に連れられていった。
「あんた。大丈夫なのかい?」
「……あ。はい。私は……。ゼフェル? ゼフェル! しっかり。しっかりして……。」
 男達が連行されていく様子を呆然と見ていたアンジェリークは隣の家の住人に声をかけられ我に返ったようにゼフェルに駆け寄った。


「……………んっ。」
「ゼフェル! 良かった。目を覚ましたのね。」
「………姉ちゃん。」
 ゼフェルが目を覚ますとそこに大粒の涙を流すアンジェリークの姿があった。
「良かった。このまま目が覚めないかと思った。」
「……あいつ等は?」
「警察の人達が来て連れていったわ。隣の家のおばさんがもの凄い音がしたからって連絡してくれたんですって。もうあんな無茶しないでね。ゼフェル。………ゼフェル?」
 クルリと背中を向けたゼフェルを不審に思ったアンジェリークはゼフェルの顔を覗き込んだ。
「! どうしたの? ゼフェル! どこか痛いの? 苦しいの?」
「違うよ!」
 涙を流していたゼフェルの姿にアンジェリークが慌てて尋ねた。
「……違うよ。俺…悔しいんだ。姉ちゃんを守りきれなかった自分が情けなくって……。父ちゃんがいつも言ってたんだ。惚れた女は自分で守れって。俺…姉ちゃんの事好きだから……だから……。俺が守りたかったんだ。だけど俺じゃガキ過ぎて姉ちゃんを守れないんだ。…っくしょー。俺…何でもっと早く生まれて来なかったんだろ? せめて姉ちゃんと同じ位の年だったらあんな奴等になんか絶対負けなかったのに……。」
 悔しそうに包帯だらけの拳を震わせて泣くゼフェルの頬にアンジェリークはキスをした。
「ね…姉ちゃん……?」
「莫迦ね。ゼフェル。私を助けてくれたのは他の誰でもないゼフェルなのに……。」
「だって俺。あいつ等にボコボコに………。」
 飛び起きて正面から真っ直ぐな瞳を向けるゼフェルにアンジェリークは首を振って微笑んだ。
「それでも。あの時ゼフェルが来てくれなかったら私はあの人達にどんな目にあってたか分からない。ゼフェルが来てくれたから警察の人達が来るまで無事でいられたの。私を助けてくれたのはゼフェル…あなたなのよ。でも……。私のせいでゼフェルが傷だらけになるのは嫌よ。」
「……姉ちゃん? 何だか姉ちゃんが霞んでく………。」
「えっ? ……………あっ! 元の世界に帰る時が来たみたい。今までありがとう。ゼフェル。」
 礼を述べるアンジェリークの身体が白く霞がかかったように薄れていくのでゼフェルは慌てた。
「あ……。い…行くなよ! ここにいろよ。姉ちゃん。ここで俺と一緒に暮らそうよ。……………姉ちゃん! 行っちゃ嫌だっ!」
「……ご免ね。ゼフェル。そうしてあげたいけど…それは出来ないの。………覚えていて。私とあなたはもう一度逢えるから。必ずもう一度逢えるか……………。」
「………約束だよ。俺…絶対に姉ちゃんの事忘れないから。もう一度会ったら今度こそ……。今度は絶対! 姉ちゃんは俺が守るから……。いいねっ! 絶対だからねっ!」
 ゼフェルに突然キスされたアンジェリークは見えなくなっていくゼフェルの言葉に涙を零しながらそれでも笑顔を見せていた。


「……………気がついたのか? アンジェリーク。」
「………ゼフェル……様?」
 目が覚めたアンジェリークの目の前に心配そうに自分の顔を覗き込むゼフェルの姿があった。
「悪りかったな。爆発に巻き込んじまって……。火薬の配合ちょっと間違えたみたいでよ。」
「……いいえ。ゼフェル様はお怪我はなかったんですか?」
「ああ。俺はな。とっさにサクリアでバリア張ったから。……ほら。頭上げられっか?」
 アンジェリークの頭をゆっくりと持ち上げ用意した氷枕を置いたゼフェルはアンジェリークと目が合って恥ずかしそうに微笑んだ。
「ルヴァに看てもらったらよ。頭打ってるみてーだから、よく冷やしてあんま動かすなって言われてよ。俺のベッドだから油臭せぇかもしんねーけど…我慢しろよな。」
『さっきの……。あれは夢だったのかしら………?』
「どうかしたのか? アンジェリーク。お…おいっ! 何泣いて………。」
 アンジェリークの目の前で慌てるゼフェルの姿に包帯だらけの幼いゼフェルの姿が重なった。
 大きな瞳から止めどなく溢れる涙を見ていたゼフェルはそっとアンジェリークに多い被さった。
「………泣くなよ。頼むから泣かないでくれよ。」
 ゼフェルの口付けを受けた唇に手をやったアンジェリークが真っ赤な顔でゼフェルを見つめた。
 いつものゼフェルならすぐに横を向いてしまうのに何故か今日は真っ直ぐにアンジェリークの瞳と向き合っていた。
『……話してみようかしら。』
「あの……。ゼフェル様? 聞いて下さいますか? 気を失っている間に私…不思議な体験をしたんです。」
 そう切り出したアンジェリークは人工工業惑星帯で出会った少年との出来事を話して聞かせた。
 そんな話の内容にゼフェルの顔に微妙な変化が現れたのだがアンジェリークは気がつかなかった。
「それでその男の子の名前なんですけ……………。」
 言いかけたアンジェリークは再び唇を塞がれた。
「………それはいいから。俺の話…聞いてくれるか?」
 ゆっくりと唇を離したゼフェルは恥ずかしそうな笑顔で話しだした。
「俺の親父とお袋は二人とも働いててよ。それこそ学校にあがる前から工場に泊まり込みで仕事をしてる事がざらで……。俺はそれが当たり前だと思ってた。だけどよ。そんな俺に寂しくないのかって聞いてきた女がいてよ。そいつ…しばらくの間俺の家にいて…ある日突然いなくなった。……寂しかった。そいつがいなくなってから一人ってのがあんなに寂しいモンだとは思わなかった。」
「……ゼフェル様。」
 ギュッと抱きしめられたアンジェリークがゼフェルの背に手を廻す。
「もう一度逢える。そいつのその言葉だけを信じてた。いつ出会ってもそいつを守ってやれるように喧嘩の腕磨いて………。中等部を卒業する頃には大人と三対一でやっても勝てる位になった。十六になった時…聖地からの使いだって奴が来て……。暴れまくったぜ。聖地なんかに行っちまったら二度と会えないと思ったから……。何度も脱走して…その度に閉じこめられて……。そのうち諦めはじめて……。諦めて……。諦めて……。すっかり諦めきった頃女王試験が始まったんだ。」
 アンジェリークを抱きしめたゼフェルの腕に力が入る。
「………逢いたかったんだぜ。アンジェリーク。………逢いたかった。……………姉ちゃん。」
「ゼ…ゼフェル……………。」
 小刻みに震えるゼフェルの身体に言葉を失ったアンジェリークは背中に廻した手で震えるゼフェルを慈しむように何度も何度も撫でた。
「………アンジェリーク。」
「はい?」
 しばらくして顔を赤くしたゼフェルがそっぽを向いてアンジェリークの名を呼んだ。
「……おめーよ。次の日の曜日何か予定あるか?」
「……いいえ。特に何も。」
「だったら……。前の晩から泊まりに来い。約束したモン見せてやる。その代わり………。」
 鼻の頭をかきながらゼフェルが言葉を区切った。
「……はい?」
「夕めしにチキンカレー作ってくれよ……な………。」
「……………はい。」
 耳まで赤くして背を向けたゼフェルにアンジェリークは微笑んでゆっくりと返事をした。


 次の土の曜日の晩。
 アンジェリークはゼフェルと共に夜空にあがる自分の顔を模した打ち上げ花火を驚いたように眺めていた。


もどる