嵐の予感


「本当によく降るなぁ。あっ! 光った! ……ジュリアス様は十日位で通り過ぎるだろうっておっしゃってたけど……。長いなぁ……。折角ゼフェル様と明日の日の曜日にご一緒する約束したのにな……。」
 窓辺でぼんやりと降り続く雨を眺めていた女王候補のアンジェリークが恨めしそうに呟いた。
 時期女王候補の指名を受けたアンジェリークは、同じく指名を受けたロザリアと共にこの飛空都市で女王試験と言うものを受けていた。
 現女王の力の衰えの影響か、とてつもなく大きな低気圧に飛空都市が飲み込まれてから早や五日が過ぎた。
 あまりにも酷い風雨に飛空都市全域に外出禁止令が出され、二人の女王候補達も寮の自室にこもっていた。
 試験の方は寮の食堂に設置されている電話を使用して行うように言われてあったのだが、ロザリアがカミナリを怖がり部屋から一歩も出てこないので、最初の内こそおもしろがって守護聖達に電話をしていたアンジェリークも自然と電話から遠のいていった。
「こんなに凄い嵐じゃ外には出られないものね。あーあ。残念。……………逢いたいなぁ。ゼフェル様に………。」
 窓ガラスにコツンと頭をつけてアンジェリークは呟いていた。


 一方その頃……。
「……ちえっ。低気圧のど真ん中だとは言ってたけどよ。だからって何もこんなに降らなくても良いじゃねーかよ。折角あいつと約束してるってのに……。」
 私邸の出窓に腰掛けていた鋼の守護聖ゼフェルが真っ黒な空を睨みつけながら呟いていた。
「あの野郎。最初の内は毎日電話よこしてたクセに一昨日辺りから全然かけて来なくなっちまったし……。ちえっ。どうすっかなー。」
 手元に引き寄せた電話をゼフェルはじっと見つめた。
「俺から電話すんのも何だしなー。第一そんなの俺の性に合わねーし………。うわっ お…おうっ!」
 目の前の電話が突然鳴り響き、ゼフェルは慌てて受話器を取った。
「あー。ゼフェル。私です。ちょっとお話があるんですけど宜しいでしょうかねー。」
「……なんだ。ルヴァか……。」
「あー。どうも申し訳ありませんでしたねぇ。私で。」
 ゼフェルの残念そうな声の響きにルヴァが受話器の向こうで苦笑した。
「……別に。何かあったのか?」
「ええ。ちょっと確認したい事があるんですけど……。ロザリアとアンジェリークの二人はあなたの所に電話をかけてきますか?」
「……アンジェリークだったら一昨日位まで電話があったぜ。ロザリアからは一度もねーな。」
「あー。やっぱりゼフェルの所もそうでしたか。」
「何だよ。ルヴァ。そのやっぱりってのは?」
 ルヴァの納得したような言葉にゼフェルが尋ねる。
「ええ。ロザリアが酷くカミナリを怖がっていたので彼女は部屋から一歩も外へ出られないんじゃないか? ってジュリアスが言ってましてね。それでいっその事この低気圧が通り過ぎるまで試験を一時中断しようって事になりましてねぇ。私が皆の所に確認を兼ねてお知らせしているんですよ。」
「へぇー。試験の一時中断なんてよくあのジュリアスが許可したな。」
「異常事態ですからねぇ。」
 感心したようなゼフェルの言葉にルヴァがあっさりと答えた。
「ゼフェルも。試験が中断になったからと言ってこの嵐の中を外に出るような莫迦な真似は決してしないでくださいね。お願いしますよ。」
「分かってるよ。それ位。……じゃあな。」
 ルヴァの言葉にゼフェルは短く答えて受話器をおいた。
「試験中断…か。どうすっかなー。これ……………。」
 机の上に置いてある小箱と窓の外とを交互に眺めていたゼフェルはある決意を固めていた。


「あーあ。やっぱり今日も雨だぁ。うわっ! 凄いカミナリ。ロザリア…大丈夫かなぁ?」
 翌日目を覚ましたアンジェリークは激しい雷鳴に初日のロザリアの様子を思い出して笑顔を作った。
「何だか……可愛かったよな。あの時のロザリア。普段大人っぽいから余計……。ばあやさんの話だと食事はしてるみたいだから平気だと思うけど……。どうせやる事も無いからロザリアの所に行ってみようかな? ………えっ?」
 来客などある筈も無いのに突然鳴り響いたチャイムの音にアンジェリークは慌てて扉を開けた。
「ゼ…ゼフェル様っ!? どうなさったんですか?」
「よ…よぉ。その……。今日よ。おめーと約束してたろ? どうすっかとも思ったんだけどよ。……………来ちまった。」
 その場に立っていた全身ずぶ濡れのゼフェルが驚いて尋ねるアンジェリークに照れたような笑顔で答えた。
「来ちまった……って。危ないじゃないですか。こんな嵐の中を……。と…とにかくっ! 入って下さい。」
 ずぶ濡れのゼフェルがほんの僅かではあるが震えている事に気がついたアンジェリークは、ゼフェルを引っ張るように室内に入れバスルームへと連れていった。
「こんなに身体が冷たくなってるじゃないですか! お風呂に入ってよ〜く暖まって下さいね。タオルと着替え。用意しておきますから……。」
「べ…別に良いよ。タオルだけ貸してくれりゃあ……。」
「駄目ですっ! 風邪をひいたらどうするんですか。私の服をお貸ししますから濡れた服をまた着るなんて事はなさらないで下さいね。ゼフェル様。良いですねっ!」
 もの凄い勢いでそう言うとアンジェリークはゼフェルをバスルームに残し部屋に戻っていった。
 呆気に取られたゼフェルはその場に立ち尽くした。
 しばらくするとタオルと着替えを抱えたアンジェリークが再びもの凄い勢いでバスルームに入ってきた。
「まだ入ってなかったんですか? 駄目じゃないですか。濡れた服を干しますから早く脱いで下さい。シャワーだけで済ましちゃ駄目ですよ。………ゼフェル様? 聞いてます? ゼフェル様っ!」
「……聞いてるよ! てめーがいたら脱げねーだろーがっ! ちゃんと暖まるから出てけよ。」
「本当に! ですよ。暖かい飲み物も用意しておきますからゆっくり入って下さいね。」
「よぉ。酒でもあれば一発で暖まるんだけどな………。」
 バスルームを出ていこうとするアンジェリークにゼフェルがそれとなく催促する。
「残念ですけど私の部屋にお酒はありません!」
「ちぇっ。」
 アンジェリークの返事にゼフェルは短く舌打ちをした。


 冷えきった身体を湯船の中でゆっくりと暖め、用意された服に抵抗を感じながらも着替えたゼフェルがピンク色のタオルを頭から被って出てきた。
「よく暖まりました? ゼフェル様。」
「ああ。暖まったぜ。それより俺の服は………?」
「あそこに干してあります。乾いたらお返ししますからそれまではその服で我慢して下さいね。………なるべく大きい物を選んだつもりですけど窮屈じゃありませんか?」
「ん? ああっ。上は平気だぜ。下は……………。」
「きつかったですか?」
「………腰の辺りと…太股の辺りが……………緩い。」
「……………。」
 言おうかどうしようか迷い、遠慮がちに言ったゼフェルの言葉にアンジェリークが絶句してしまった。
「あっ! だ…だけどよっ。オスカーの奴が言ってたぜ。女は腰回りがデカイ方が良いって……。」
「……そ…そんな事言わないで下さい〜。私…母にしょっちゅうアンジェは腰が太いから安産型ね。って言われるんですよぉ〜。」
「あ…安産型って……。おいっ……………。」
「腰が太い方が赤ちゃん産むのが楽だか………!」
「……………。」
「……………。」
 論点のずれた話をするアンジェリークにゼフェルが顔を赤くする。
 そんなゼフェルの様子に気がついたアンジェリークも同様に顔を赤くして沈黙してしまった。
「………あ。あのっ。暖かい飲み物用意しましたから飲んで下さいね。ゼフェル様。」
「お…おう。」
 顔を赤くしたまま慌てて話題を変えたアンジェリークにゼフェルは短く返事をした。


「ゼフェル様。宜しければ今夜は泊まってって下さい。」
「えっ?」
 ひとしきり談笑して時間を気にしだしたゼフェルにアンジェリークが笑顔でそう告げた。
「お…おい。おめー。泊まってけって………。」
「だって……。ゼフェル様のお洋服まだ乾いてないんですもの。濡れた服は身体に悪いから着ちゃ駄目だし……。かと言ってその服のままでお帰りになるのはお嫌でしょ?」
「そりゃあ…まぁ………。そうだけど……………。」
『こいつ……。俺を男だと思ってねーのか?』
 笑顔を見せるアンジェリークに渋い顔をしたゼフェルが心の中でぼやいた。
「私だったら気にしませんから泊まってって下さい。今お帰りになったらまたびしょ濡れになって折角暖まった身体が冷えちゃいますもの。」
「……………いいのか?」
「はい。」
 困惑顔で確認するゼフェルにアンジェリークはにっこりと笑って即答した。
「……そっか。じゃあ……。悪りぃけど厄介になるな。……あっ! そうだっ! 忘れてたぜ。」
 恥ずかしそうに言ったゼフェルは突然立ち上がり、干してある自分の服の元へ行った。
「これこれ。……大丈夫だよな。」
「どうしたんですか? ……………うわぁー。綺麗な細工箱。」
「……今日よ。ホントだったら湖にでも行って渡そうと思ってたんだけどよ。この天気だろ。……俺が作ったんだ。おめーにやるよ。」
「えっ? ……わあっ。これってオルゴールなんですね。……あっ! この曲……………。」
 細工箱の蓋を開けたアンジェリークが流れ始めた音楽に驚いたようにゼフェルを見た。
「ん? あー。それはだなぁ。……前にデートした時によ。おめー……。歌ってたろ? 好きな曲だとか言って……。うろ覚えだから違ってっかもしんねーけどよ。そん時の曲にしてみたんだ。………間違ってるトコあったか?」
「……いいえ。間違いは一ヶ所もありません。ありがとうございます。ゼフェル様。」
 恥ずかしそうなゼフェルの言葉にオルゴールの曲を終わりまで聞いていたアンジェリークは首を振ると嬉しそうな笑顔を見せた。


「ゼフェル様。寒いんですか? 大丈夫ですか?」
 女王候補であるアンジェリークの部屋にスペアのベッド等ある筈も無く、一つベッドに寝ることになったゼフェルが背中を向けたままモゾモゾと動くのでアンジェリークが心配そうに声をかけた。
「……何ともねーよ。」
『こんな状態で眠れる奴がいたらお目にかかりてーよ。俺はっ!』
 短く返事をしながら心の中で呟くゼフェルの背後からアンジェリークが手を回してきた。
「お…おいっ!」
 慌てたゼフェルが振り返るとアンジェリークの胸元が目の前にあった。
「ほら。こうすると暖かいでしょ。ゼフェル様。」
『こいつ……。やっぱり俺を男と思ってねーな?』
 ギュッと抱きしめられたゼフェルが頬に当たるアンジェリークの胸に顔を赤くする。
「……ゼフェル様っ? 顔が赤い。熱がでたんじゃ……。良かった。熱はありませんね。」
 顔を赤くしたゼフェルに驚いたアンジェリークは自らの額をゼフェルの額につけた。
 そしてさほど自分と変わらない温もりに安心したように微笑んでいた。
「な…何ともねーよ! それよりアンジェリーク。おめーよ。俺をマルセル以下の子供扱いしてねーか?」
「えっ? そんな事ないですよ。」
「ホントか? だったら………。」
「きゃっ!」
 上半身を起こしアンジェリークの両手首を掴んだゼフェルが彼女の身体の上に覆い被さった。
「こう言う状態になっても文句は言えねーんだぞ。」
「ゼ……ゼフェル様?」
 声が掠れそうになるのを必死に押さえて話すゼフェルの目の前で、緑色の大きな瞳を驚きで丸くしているアンジェリークが震える声でゼフェルの名を呼んだ。
「……俺だって男だからな。おめーと一緒に寝てて何も感じない訳じゃねーんだぞ。」
「ゼフェル様………。」
「……分かったら俺をガキ扱いすんじゃねーよ。」
 勢いで覆い被さったもののアンジェリークの顔を見ている内にどうして良いのか分からなくなったゼフェルが掴んでいた彼女の手首を離して身体を退ける。
「あの……。ゼフェル様。」
 そんなゼフェルの離れかけた腕を掴んだアンジェリークが恥ずかしそうに声をかけた。
「アンジェリーク……?」
「あの……。聞いて欲しい事があるんです。……そこに置いてあるオルゴールの曲。若い頃父が母のために作ったものなんです。小さい頃から何度も聴いていて……。父の母への愛がたくさん詰まっている曲なんです。だから私…大好きで……。私も……。あの……。好きな人と結ばれる時には……。その……。この曲を聴きながら結ばれたいなぁ…って。いつも思ってたんです。」
 サイドボードに置いてあったオルゴールに手を伸ばしたアンジェリークはゆっくりと蓋を開けた。
 静かな部屋の中をオルゴールの曲が静かに流れていった。
「……………アンジェリーク。おまえ……よ。その。……………俺のものになってくれるか?」
「……………はい。」
 聞こえるか聞こえないか分からない程小さな声で返事をしたアンジェリークは再び自分に覆い被さってきたゼフェルの首に自由になった両腕を廻した。
 ゼフェルはそんなアンジェリークに吸い寄せられるようにゆっくりと口付けたのだった。


 翌朝、前日までの嵐が嘘のように晴れ渡った外の様子に元気を取り戻したロザリアが久方ぶりにアンジェリークの部屋を訪れた。
「お早う。アンジェリーク。今日はとても良いお天気よ。もう低気圧は通り過ぎたみたいね。良かったわ。これで安心して試験を続けられるんですもの。」
「………ん? ふわっ……。お早う。ロザリア。」
「……………アンジェリーク! あんたなんて格好で寝てるのよ! 裸で寝るなんて……はしたない。それに! 風邪でもひいたらどうする気なの? ……何? あんた。虫にでも刺されたの? ここ。赤くなってるわよ? 嫌だここも! ……ここも。どうしたの? 身体中斑点だらけじゃない。」
「ええっ? ……あっ! な…何でもないの。大丈夫だから……。気にしないでロザリア。」
 ベッドの上に上半身を起こしたアンジェリークの首の周りから胸にかけて無数についている赤い痕にギョッとしたロザリアが叫び声をあげて詰め寄った。
「気にするなって……。そんな訳にはいかないでしょ。ダニかもしれないから布団は交換して……。あんたはシャワーでも浴び……………。」
「ロ…ロザリア……? あっ!」
 突然黙り込んだロザリアを不審に思ったアンジェリークはロザリアの視線の先に一晩干してすっかり乾いたゼフェルの服がある事に気付き慌てて立ち上がった。
「……ア…アンジェリーク? なんであんたの部屋に……。」
「あっ! ほらっ! ロザリアっ! 食堂で電話が鳴ってるから取ってきて。私着替えなきゃいけないから……。シャワーも浴びたいし……。」
「ちょっ……。アンジェリーク!」
 シーツを身体に巻き付けたアンジェリークは追い出すようにロザリアを外へ出した。
「ふうっ。ビックリした。……夕べの事……。夢じゃないわよね。でも……。だったらゼフェル様。何処に行ったのかしら?」
「……俺なら此処にいるぜ。」
 バスルームから出てきたゼフェルにアンジェリークは夕べの事を思い出して顔を赤くした。
 ゼフェルもアンジェリークと同様に彼女の顔をまともに見る事が出来ないようだった。
「今…ロザリアが来てたろ? ……やばいよな。」
「……そう…ですね。」
 乾いた自分の服に着替えたゼフェルが窓枠に手をかける。
「見つかんねーようにこっから帰るよ。じゃあな。」
「あっ……。」
 窓枠から外へ飛びだそうとするゼフェルのマントの端をアンジェリークは慌てて掴んだ。
「アンジェリーク?」
「……行かないで。おねが……。もう少し…ここに……いて下さい。」
 俯いてやっとの思いで告げられた言葉にゼフェルはアンジェリークの身体を強く抱きしめた。


「ちょっと大変よ! アンジェリーク! 今のはジュリアス様からのお電話だったんだけど……。今はちょうど低気圧の目に入っているんですって。だから一時間もしない内にまた天気が悪くなるからどんなに天気が良くても決して外へ出てはいけないっておっしゃってたわ。聞こえてるの? アンジェリーク? ああっ。私どうしたら……………。」
 青い顔をして慌てて戻ってきたロザリアはゼフェルとアンジェリークが深い口付けを交わしている姿に言葉を失いそのまま倒れてしまった。
「………低気圧も大変だけどよ。この低気圧が去った後はなおさら大変だろうな。」
「大嵐ですね。きっと………。」
 倒れたロザリアを部屋まで運んだゼフェルとアンジェリークは再び立ちこめ始めた窓の外の暗雲に苦笑するしかなかった。


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