カウントダウン


「3・2・1……。ハッピーバースディ。」
 深夜零時。
 女王候補のアンジェリークが、特別寮の自室で小さく呟き燭台のロウソクを吹き消す。
「まさか誕生日を一人で迎えるなんてね。毎年、パパやママとカウントダウンしてお祝いしてたのに。学校に行けば友達からのプレゼント攻撃だったし。でも、今年は仕方ないわよね。とても大切な試験のまっ最中なんだもの。」
 宇宙を統べる女王を決めるための女王試験。
 そんな試験の候補生に選ばれたアンジェリークは戸惑いながらもその事実を受けとめ、もう一人の女王候補ロザリアと共にこの飛空都市で暮らしていた。
「ふぁーあ。眠くなっちゃった。明日…じゃないか。今日は土の曜日だったわよね。大陸へ行かなきゃいけない日だもの。もう寝よっと。お休みなさーい。」
 アンジェリークは暗闇に挨拶をして、ベッドの中に潜り込んだ。


 夜が明けた誕生日当日。
 その日、アンジェリークは朝から驚きの連続だった。
 朝一番の驚きは、隣の部屋のロザリアがアンジェリークの部屋を訪れたことだった。
 ロザリアは幼少の頃に自身が愛読していた『女王候補の心得』と言う古びた本を、アンジェリークにプレゼントしてくれた。
 曰く『女王候補の何たるかが判ってないあんたにはピッタリ』との事だったが、アンジェリークはロザリアが照れ隠しでそんな言い方をするのだと理解していた。
 二人で朝食を摂り、大陸の視察へも一緒に行った。
 エリューシオンに対してロザリアから適切な助言を貰えた事も、アンジェリークには新鮮な驚きだった。
 大陸の視察を終えロザリアと別れた後、公園を散歩している最中に、緑の守護聖マルセルと風の守護聖ランディに出会った。
 そこでマルセルから花の鉢植えを、ランディからは赤いリボンを誕生日のプレゼントとして貰った。
 受け取った荷物を抱えて部屋へ戻ると、扉の前には真っ赤なバラの花束が置かれていた。
 添えられていたメッセージカードから、送り主は炎の守護聖だと判った。
 花束にはそれとは別に、真っ白な馬の描かれたもう一通のメッセージカードも添えられていた。
 それは何と、光の守護聖からの祝福の言葉であった。
 あまりにも『らしい』プレゼントにアンジェリークが苦笑していると、水の守護聖リュミエールと大地の守護聖ルヴァまでもが、プレゼントを持ってやってきたのだった。
 リュミエールは闇の守護聖から預かっていた、ムーンストーンと言う貴石をアンジェリークに手渡した。
 そしてそれとは別にペリドットと言う、アンジェリークの瞳の色に似た貴石をプレゼントしたのだった。
 ルヴァはと言うと、以前、アンジェリークが鉱物の標本を見せて貰った時にとても気に入り、何度も見に行った事のあるグリーンオパールの原石を持ってきたのだった。
 興奮したままのアンジェリークは、にこやかに帰っていくリュミエールとルヴァを笑顔で見送り、部屋の中に入っていったのだった。


「嘘みたい。今年のバースディは絶対、プレゼントなんかないと思ってたのに、こんなに……………。ゼフェル様。ゼフェル様もご存じなのかな? 私の誕生日。」
 鋼の守護聖の少年を思い浮かべて、アンジェリークが我知らず頬を染める。
 一目惚れと言うものが実在するなんて、これまで信じた事はなかった。
 しかし、女王候補に選ばれて謁見の間に足を踏み入れた瞬間、雷に打たれたような衝撃があった事をアンジェリークは今でも覚えている。
 プラチナを思わせるシャープな銀髪と、意志の強さを物語る深いルビー色の赤い瞳。
 その姿を見初めた時、魂の全てをゼフェルに吸い取られたと言っても過言ではないように思っている。
 少しでも良いから側にいたい一心で、育成のお願いもお話も、ゼフェルの所を最優先にさせた。
 恋愛と言うものに全く興味がないだろうと思っていたゼフェルからの、突然の告白を受けた時には信じられない気持ちで一杯だった。
 その後も、特に恋人らしい事をする訳でもないゼフェルに不安になったりする事もあったが、ふとした時にかいま見せる何気ない優しさがたまらなく嬉しかった。
「ランディ様やマルセル様が、女王候補のプロフィールが守護聖全員に配られたって言ってたもの。きっとご存じよね。きっと……………。」
 信じたい気持ちと、ゼフェルの事だからと言う諦めにも似た気持ちで、アンジェリークの胸がチクリと痛む。
 夕焼け色に染まっていた室内は、徐々に闇の衣を纏い始めていた。


 室内がすっかり闇の衣に衣装替えを終えた頃、軽やかなチャイムの音がしてアンジェリークはハッと顔を上げた。
『もしかして…ゼフェル様?』
 慌てて立ち上がり、半信半疑のまま扉へ向かう。
 そんなに広くない室内がとても広く感じられ、普段の倍以上の時間がかかったのではないかと思う程、もどかしい気持ちでようやく扉にたどり着いたアンジェリークは、顔を輝かせて勢い良くドアを開けたのだった。
「はぁ〜い。アンジェリーク。お誕生日。おめでと。」
 しかし、その場に立っていた夢の守護聖オリヴィエの姿を認めた途端、アンジェリークの顔からは全ての輝きが消えてしまったのだった。
「ん? どうしたの? アンジェリーク。」
「………えっ? あっ! いえ。なんでも…ありません。」
 怪訝そうに目の前で手をひらひらさせるオリヴィエに、アンジェリークは平静さを装うが、俯いてしまった態度と小さくなる語尾を隠すことは出来なかった。
「沢山プレゼントを貰ったじゃない。これ。私からね。」
 そんなアンジェリークの態度にオリヴィエは何も言わず、持っていた箱をアンジェリークに手渡した。
 箱を開けると、中にはフリルをふんだんにあしらった淡いピンク色のワンピースが入っていた。
「あんたに似合うと思うんだ。早く着替えてゼフェルを驚かせてやりなよ。」
「オ…オリヴィエ様………。」
 オリヴィエの言葉にアンジェリークが真っ赤になる。
「今更、照れること無いのよ。私があんた達の仲を知ってるのは知ってるでしょ。さて…と。お邪魔虫は退散するわ。………アンジェリーク?」
 哀しそうに俯いてしまったアンジェリークを、オリヴィエは訝しげに覗き込んだ。
「ゼフェル様とは…お約束してませんから、いらっしゃいません。もう…こんな時間ですし………。」
「えっ? だって今日はあんたの………。」
「多分…ご存じ無いんだと思います。私も言った事はありませんし、ゼフェル様って、そう言う事に気を使う方じゃ無いか…ら………。」
 胸の中で堪えていたものが、口に出した途端に押さえきれずに溢れ始める。
「全く。しょうがない奴だね。あの子も。皆の天使を一人占めしておいて泣かせるなんてさ。」
「良いん…です。他の皆様から、沢山プレゼントを頂きましたから………。」
 涙混りに笑顔を見せるアンジェリークの頬を、オリヴィエは両手で挟んで上向かせた。
「アンジェリーク。無理しちゃ駄目。それとも本当にそう思ってるの? 自分の気持ちを素直に言ってごらん?」
 オリヴィエに優しく諭されて、アンジェリークは大粒の涙を零し始めた。
「私…私。他の誰でもない、ゼフェル様からのプレゼントが欲しい。ゼフェル様に誕生日おめでとう、って言って貰いたい。それだけで良いの。ゼフェル様がいればそれだけで…他の物なんて無くても良い。何もいらない。ゼフェル様が…ゼフェル様の………。」
「ホント。幸せ者だね。ゼフェルは。こんなに想って貰ってさ。………あら。ちょうど良い物があるじゃない。アンジェリーク。あんたの願い。叶うかもよ?」
 笑顔でウィンクするオリヴィエを、アンジェリークはスンスンとしゃくりあげながら見つめた。
「ほら。これよ。このムーンストーン。これにはね。奇跡を起こす力があるの。月の石って名前の通り、月の光りを当てて願い事を言うと、願いが叶うって言われてるのよ。うーんと。この部屋に燭台はあるかな?」
「はい。ありますけど………。」
 オリヴィエの言葉にアンジェリークは、夕べ使ったロウソクがそのままになっている燭台を渡す。
「ん。ロウソクもあるし、ちょうど良いわね。良い? アンジェリーク。このロウソクに火を点けたら、ムーンストーンに願い事を言って、月の光りの当たる場所に置いときなさい。一本、点けるごとにね。三本目のロウソクに火を点けたら、後はじっと待っててごらん。あんたの願いはきっと叶うからさ。じゃあね。お休み。」
「………お休みなさい。オリヴィエ様。」
 優しい笑顔を残してオリヴィエは部屋を出ていった。
 閉めたカーテンの隙間からは月の光が零れている。
 アンジェリークはカーテンを開け、室内の電気を消すと一本目のロウソクに火を点けた。
「………今日中にゼフェル様に会いたいの。」
 アンジェリークは滑らかなムーンストーンを両手でギュッと握りしめた。


「ゼフェル…いる?」
 アンジェリークの部屋を後にしたオリヴィエは、ゼフェルの家にやってきていた。
「あー? ここにいるぜ?」
 作業部屋からの声にオリヴィエが足を進めると、散らばった部品の数々に埋もれるようにゼフェルが座っていた。
 知らない事とは言え、普段と何ら変わらず機械いじりをしているゼフェルに、アンジェリークの泣き顔が脳裏に浮かんだオリヴィエが少しだけ腹を立てる。
 最初は素直にアンジェリークの誕生日を告げるつもりでいたが、それでは腹の虫が治まりそうになかった。
「何か用があって来たんじゃねーのかよ。」
 とりとめのない話ばかりを続けていたら、機械作業に没頭したいゼフェルが眉をひそめだした。
「……あんたのトコにさ。ロザリアのプロフィール表残ってない? 私のどっかに行っちゃって見つからないのよ。」
「あー? んなコトかよ。そう言や、そんなモン配ってたっけな。その辺にあるんじゃねーか?」
 仕方なく思いついたことを呟くと、ゼフェルはしかめっ面で、机の上の紙の山を持っていたドライバーで指し、再び作業に没頭し始めた。
「私にここから探せって言うの? しょうがないわね。どーせ、あんたの事だから、中は見てないんだろうし………。となると…あった! これね。」
 紙の山の一番下の方から、女王府専用の封筒を抜き取る。
「呆れた。ホントに見てないわ。」
「……………。」
 作業に没頭しているゼフェルには、オリヴィエの呆れ声は届いていない。
「これコピーさせてね。可愛いアンジェリークのもね。」
 今度の言葉はゼフェルの耳にも届いたらしい。
 ピクリと作業をしていたゼフェルの手が止まった。
「プロフィール表見た時、思ったのよね。可愛い娘だなって。それがねぇ………。」
「悪かったな。俺のもんで……。」
 横目でチラリと自分を見るオリヴィエを、ゼフェルはジト目で睨み返した。
「悪いだなんてそんな…勿体ないとは思ってるけどね。」
「ふん………。」
 オリヴィエの言葉にゼフェルはそっぽを向いた。
「アンジェリーク・リモージュ。十七才。身長、体重、スリーサイズと家族構成。……女王府もよくここまで調べたわよね。誕生日が…日で血液型は…型と。」
「なに?」
 何とはなしに聞き流していたゼフェルが、オリヴィエの言葉に驚いたように顔を戻した。
「………何よ?」
「今…なんつった?」
「血液型は………。」
「違うっ! その前だよっ!」
「スリーサイズの事? このスケベ。」
「違うって! ……もう良いっ! よこせっ!」
 焦れたゼフェルが足下に転がっていた物を蹴散しながら近づき、オリヴィエの手からプロフィール表を奪い取る。
「あいつの誕生日…今日じゃねーか。」
「知らなかったの? あんた?」
「知らなかったって……。そう言うてめーは知ってたのかよ? オリヴィエ。」
「ふっふ〜ん。当ったり前でしょ。ちゃ〜んとプレゼントあげてきたもの。そう言えば他にも山のようにあったっけ。つまり、知らなかったのは、あんただけだったんだぁ。」
「……てめー。最初から、俺があいつの誕生日を知らねーって知ってて、こんな回りくどい事してやがんな?」
 含みのある物言いをするオリヴィエに、こめかみの辺りをピクつかせてゼフェルは低く絞り出すよう呟いた。
「あの娘を泣かせるような朴念仁にはこれでも甘い位よ。ホントは朝日が昇ってから教えてやろうとも思ったんだけどさ。あの娘があんまり可哀想だからね。良いこと教えてあげよっか。あの娘ね。今、賭をしてるのよ?」
「賭?」
「そ。ロウソクに火を灯してね。十二時になってロウソクの火を消す前に、あんたがプレゼントを持って来たら今まで通り。途中でロウソクの火が消えちゃったり、十二時になってもあんたが来なかったら家に戻る、って賭をね。」
「十二時って……。んなに余裕、ねーじゃねーかよっ!」
「知らないわよ。そんな事。せいぜい足掻くのね。」
 怒鳴るゼフェルに、オリヴィエは冷ややかな視線を残して出ていった。
「家に戻るだと? んなコトさせっかよ。…っくしょー。」
 ゼフェルは吐き出すように呟いて、工具箱をひっくり返した。


「もうすぐ十二時。私の願い事は駄目だったみたいね。」
 アンジェリークが窓辺で月を眺めながら呟く。
「良いのよ。判ってたもの。ゼフェル様が私の誕生日を知ってる訳ないって。今までだって、恋人らしい事なんて殆ど無かったし、告白されただけでも奇跡なんだし……。」
 言いながら涙が頬を伝う。
「ゼフェル様の莫迦ぁ。私の誕生日、もう終わっちゃうんだから。もう寝るっ! ロウソクの火なんて消しちゃえ。」
 涙混りにアンジェリークはそう呟いて、燭台にたった一本だけ灯っているロウソクの火を消そうと、大きく息を吸い込んだ。
 その時、階下から地響きのような音が聞こえてきた。
 その音はもの凄い勢いで階段を駆け上り、アンジェリークの部屋にそのままの勢いで突っ込んできた。
「……………ゼ…ゼフェル……様?」
 あまりの勢いに驚いたアンジェリークは、燭台を手に持ったまま呆然とゼフェルを見つめていた。
 うっすらと汗をかき肩で大きく息をするゼフェルは、チラリと壁に掛けてある時計に視線をやった。
 柱時計の針はまだかろうじて零時を指してはいない。
「あの………。きゃっ!」
 ゼフェルはつかつかとアンジェリークに近寄り燭台を奪い取ると、ユラリと揺れるロウソクの僅かな残り火を消さないように注意深く机に置いた。
「手……。」
「えっ?」
「良いから、手ぇ出せっ!」
 驚いて自分の両手の手の平を見つめるアンジェリークの左手を掴んで、ゼフェルがポケットの中から取りだした物をその薬指にはめ込む。
「これで…間にあったよな?」
 決まりが悪そうにゼフェルが呟く。
 アンジェリークの華奢な白い指には無骨すぎる太い指輪。
 鋼鉄色に鈍く輝くその指輪を、アンジェリークは驚いたように目を丸くして見つめていた。
「ゼフェル様。これ………。」
「……ちょっと前に今日がおめーの誕生日だって初めて知った。間に合わせで作ったから…あとでもっとましなの作るから、今日はそれで勘弁してくれ。」
「………ううん。これで良いです。これが良い。」
 ほんのりとぬくもりを残す無骨な指輪に、アンジェリークがそっと口付けながら呟く。
「莫迦言うんじゃねーよ。そんなみっともねーのじゃなくて、ちゃんとしたのを作ってやるって。そいつは工具箱の底にあったナットを研磨しただけのモンなんだからよ。」
「ゼフェル様らしい。………嬉しい。」
 研磨をした時の熱が、そのままゼフェル自身の気持ちのように、左手の薬指からじんわりとアンジェリークの全身を包み込む。
「…っ迦野郎。んなモンで泣くんじゃねーよ。………アンジェリーク。誕生日…おめでとな。」
「ゼフェル様………。」
 嬉しそうに顔を上げ、そっと瞳を閉じるアンジェリークの唇に、ゼフェルがゆっくりと口付ける。
 開け放したままの扉から入り込んだ風が、カウントダウンを取るかのように、零時ちょうどにロウソクの残り火を消していった。


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