おひるね


「な…何で、ゼフェル様がこんな所で………。」
 土の曜日。
 大陸の視察を終えた女王候補のアンジェリークが、気分転換にと訪れた森の湖で、大木に寄り掛かり居眠りをしている鋼の守護聖を見つけて驚きの声を上げた。
「湖の入り口は閉鎖されているのに………。でも、私が見つけられた位だもの。ゼフェル様があの抜け道を知らない訳ないわよね。」
 湖の入り口の方を見ていたアンジェリークが、眠るゼフェルに視線を戻してクスリと笑みを零した。
 ゼフェルが聖地を抜け出す常習犯だと言うことは、既に多数の人物から聞かされていた。
 それは、この飛空都市に移動してからも変わらないようだった。
 塞いでも塞いでも、新たに見つけだす抜け道の数々。
 閉鎖されている湖に入る抜け道を、この抜け道を見つけだす天才が知らない筈はない、とアンジェリークは確信していた。
「………ゼフェル様。」
 そっと呼びかけてみる。
「あの…ゼフェル様。」
 軽く揺すってみるが、ぐっすりと眠り込んでいるらしくゼフェルは一向に目覚める気配がない。
「………嫌だ。なんか可愛い。ゼフェル様って。」
 何をしても気付かず眠り続けるゼフェルに、寝顔をまじまじと眺めていたアンジェリークが笑い出した。
「ふーん。眠ってるといつもよりずっと幼く見えるんだ。いつだったかロザリアが言ってたもんね。『あれでゼフェル様は結構、幼くってよ』って。それって、こういう意味だったのかな? ………良いなぁ。まつ毛長くて。私より長いみたい。羨ましいな。ふふふ。だけど変な感じ。いつもだったらルビーみたいな赤い瞳に睨まれて、こんなにゆっくり顔を見る事なんて出来ないもの。あっ! 今、ちょっと笑った。可愛いー。」
 眠るゼフェルの隣りで、足を投げ出すように座ったアンジェリークがクスクスと笑い続ける。
「銀色の髪の毛が陽に透けて凄く綺麗。……大好きです。ゼフェル様。えっ?」
 そっと胸の内を告げるアンジェリークの言葉に、ゼフェルの身体がゆっくりと傾き、ゼフェルはアンジェリークの肩にもたれかかるような体勢になった。
 肩にもたれたまま眠るゼフェルに、アンジェリークは心臓が止まりそうになった。
 耳元に規則正しいゼフェルの寝息を感じ、身動き一つとれないばかりか、呼吸もうまく出来ない。
「………お疲れなのかな? 何だか顔色が悪いみたい。ゼフェル様。徹夜でメカの改造とかしてちゃ駄目ですよ。ちゃんと眠らないと……。身体を壊しちゃいますからね。」
 間近で見るゼフェルの寝顔に、アンジェリークは心配そうに呟いて、そっとゼフェルの頬に手を伸ばした。
「う…ん………。」
「あっ!」
 呻き声をあげるゼフェルに、アンジェリークは頬に伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
 ゼフェルは身体を捻ってアンジェリークの太股の上に頭を落下させると、まるで母親のお腹の中にいる胎児のように身体を丸め、スカートの裾を握りしめたのだった。
「あ……………。」
 そんなゼフェルの姿にアンジェリークは戸惑い、次の瞬間、慈愛に満ちた笑みを浮かべてゼフェルの頭を撫でた。
「ゼフェル様。そんなに縮こまらなくても良いんですよ。そんな姿勢でいつも寝てらっしゃるんですか? 大丈夫。私がいますから………。」
 母から以前、愛情を求める子供は胎児のように身体を丸めて眠るのだ、と聞いた事があった。
 自分で自分を守るしか術がないので丸くなるのだ…と。
 では今、自分の目の前でそんな姿を見せて眠るゼフェルは何なのだろう。
 いつもは弱音一つ吐かないこの意地っぱりな少年は、どれ程深く愛情を求めているのだろうか?
「ゼフェル様。私が側にいます。ずっと見てて差し上げますから、身体を伸ばして安心して眠って下さい。」
 ゼフェルの銀髪を優しく梳きながら囁くと、そんなアンジェリークの声が聞こえたのか、ゼフェルが寝返りをうち大の字になった。
「………良かった。」
 アンジェリークは安心したように呟くと、髪を梳いていた手をそっとゼフェルの唇へと移動させた。
 人差し指でゆっくりと唇をなぞり、その指で自分の唇をゼフェルにしたのと同じようにゆっくりとなぞる。
『これも間接キスになるのかな?』
 無意識にやってしまった行為に、我に返ったアンジェリークが思わず顔を赤くする。
 でも無防備に眠るゼフェルの姿に、愛しくて愛しくて…想いが溢れて止まらなくなった。
 アンジェリークの指は再びゼフェルの唇に触れ、首筋を通り喉から鎖骨へと滑っていった。
「んっ………。」
 くすぐったいのか、ゼフェルが顔をしかめる。
 クルリとアンジェリークの方に寝返りをうち、少しずつではあるが覚醒していった。


「!!!」
 完全に覚醒したゼフェルが飛び起きる。
 うっすらと目を開けたとき、ゼフェルの目の前に広がったのは真っ赤な布の海だった。
 ぼんやりとした思考の中で、ゼフェルは視線をそこからゆっくりと上へ移動させた。
 真っ白なブラウス。
 淡いピンク色のベスト。
 鮮やかな赤いリボンに、象牙色の肌。
 陽の光を弾く金色の巻き毛。
 そして緑の……………。
「なっ…なっ……。おっ…おめっ………。」
「お目覚めですか? ゼフェル様。こんな所で眠っていたら風邪ひいちゃいますよ?」
 今まで自分が枕にしていたものが、何だったのかを把握したゼフェルが真っ赤な顔でどもる。
 そんなゼフェルにアンジェリークはにっこりと微笑んだ。
「ば…お…お目覚めですかじゃねーよっ。何でおめーがこんな所にいんだよ。ここには入れねー筈だぞ。」
「あ、あの…私。気分転換にここに来たんです。私もここに入る抜け道、知ってますから……。」
「んだとぉ〜? ……ちぇっ。おめーに見つかるようじゃ、あそこもすぐに塞がれちまうな。」
「えー。それは絶対に大丈夫ですよ。だって、ゼフェル様が見つけて塞がれた抜け道って、全部、外へ通じる抜け道でしたもの。だけど、ここの抜け道は湖の中には入れるけど、外へは通じてませんから。だから塞がれる心配は無いと思いますよ?」
「……悪かったな。素行が悪くてよ。」
 アンジェリークの言葉にゼフェルが口を尖らせる。
 拗ねたようにそっぽを向くゼフェルの姿が幼くて、アンジェリークは思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんだよ。」
「な…何でもありません。ねぇ。ゼフェル様。良かったら今度、外へ遊びに行くときは私も誘って下さいよ。私も遊びに行きたいです。」
「私もって………。おめー、自分が女王候補だってコト、判ってんのか? ちったぁー自分の立場を考えろよな。」
 自分の立場を棚に上げてのゼフェルの言葉に、アンジェリークはますます笑いを堪える事が出来なくなった。
「いい加減にしろよ。アンジェリーク。……………俺、もう、おめーとは口きかねー。」
「ええっ? 嫌だっ! ゼフェル様。そんな冷たい事、言わないで下さいよぉ。」
「だったらいい加減、笑うの止めろ。」
 顔を赤くしたままふてくされたように言うゼフェルに、アンジェリークは何とか笑いをおさめたのだった。


「………ゼフェル様? 寝不足なんですか?」
 隣りに座ったまま二度三度と、大きく伸びをして眠そうに目を擦るゼフェルに、アンジェリークが問いかける。
「ん? あぁ。ちょっとな。」
「顔色も悪いみたいだし……。駄目ですよ。夜遅くまで起きてちゃ。きちんと寝て、お食事もちゃんと摂らないと。身体に毒ですよ。」
「わぁってるよ。んなコト。おめーまでルヴァみてーに口やかましいコト言うんじゃねーよ。それよりおめー。今日は大陸に行く日なんじゃねーのか?」
「大陸へはもう行ってきました。……あっ! そうだっ! ゼフェル様。ありがとうございますね。ゼフェル様のお陰で大陸に建物が随分増えたんですよ。」
 大陸に建てられた鋼の守護聖の建物を思い出したアンジェリークが、嬉しそうにゼフェルに告げる。
「ありがとう…って。俺はおめーに育成を頼まれたから、やっただけだぜ?」
「えっ? でも…私が育成をお願いした倍以上の力が、大陸に届いてましたよ。あれって、ゼフェル様が特別に贈って下さったんじゃないんですか?」
「しらねーよ。そんなコト。」
『あっ! 照れてる………。』
 左の頬を指でかきながらゼフェルが顔を背ける。
 アンジェリークの大好きな、照れた時のゼフェルの癖。
 他にもゼフェルには沢山の癖がある。
 ぶっきらぼうに顔を背けるのは、言いたく無いことを言うときの癖。
 知られたく無いことを問われた時の癖。
 大事なことを伝える時は、赤い瞳が色濃くなって真っ直ぐに見つめてくる。
 怖いくらい真剣な顔で………。
 どれもこれも、ゼフェルばかりを見ていたアンジェリークだけが知っている癖だった。
「そうなんですか? そうなのかと思って凄く嬉しかったのにな。私…毎晩、夢を見るんですよ? ゼフェル様が、私はほっとけないって言って、鋼の力を贈って下さる夢。」
「なっ! ゆ…夢だろ。ただの………。」
「ええ。そうなんですけど……。今日、大陸に行った時、あれは正夢だったのかな? って思ったから………。違うんですか?」
「知らねーよ。んなコト。鋼のサクリア持ってる俺が、やった記憶がねーんだから違うに決まってんだろ。おめーの気のせいだよ。」
『守護聖様達が大陸に力を贈って下さる夢は本当の事、ってディア様やロザリアから聞いてるって言ったら、どんなお顔なさるのかしら。』
 頭の中でそんな事を考えながら微笑んだアンジェリークは、ほんの少し顔を赤くしてそっぽを向くゼフェルを無言で見つめていた。


 湖に降り注ぐ午後の日差しは、のんびりとゆったりと時を刻んでいく。
 柔らかい下草の上に寝ころんだゼフェルと、その隣りに座るアンジェリーク。
 二人は特になにを話す訳でもなく、静かに午後の日差しを浴びながら、その風景の中にとけ込んでいた。
「……あれっ?」
 長い沈黙を先に破ったのはアンジェリークだった。
 規則正しく聞こえてきた息づかいに隣りを覗き込むと、ゼフェルは再び眠りの淵に落ちていたのだった。
「……………ゼフェル様?」
 小さく呼びかけるが、何の反応も返ってこない。
 アンジェリークはゼフェルの頭をそっと持ち上げると、自分の太股をその下に滑り込ませて枕を作った。
「あっ!」
 ゼフェルの銀髪を優しく撫でていたアンジェリークが、寝返りを打つゼフェルに切なさを感じる。
 ゼフェルは縮こまるように身体を丸め、アンジェリークの服の端をぎゅっと掴んだのだった。
 アンジェリークはゼフェルが苦しくないように身体を曲げると、ゼフェルの頬に軽くキスをして囁くように呟いた。
「………ゼフェル様。もう良いんですよ。身体を縮めなくても……。私の…私があげられる愛情の全てをゼフェル様に差し上げますから。私…ゼフェル様のことが好きなんです。だから……………。えっ?」
 髪を撫でていた手をギュッと握られて、アンジェリークが身体を硬くする。
「ホントか?」
 寝たままの体勢でゼフェルがポツリと呟く。
 ゼフェルの耳は見る見るうちに赤く染まっていった。
「ゼ…ゼフェル様。もしかして…あの………。起きてらした…んですか?」
 目の前でゆっくりと身体を起こすゼフェルに、アンジェリークは真っ赤になって慌てて顔を背けた。
「アンジェリーク。俺を見ろ。いま言ったコト…ホントだって解釈して良いんだな?」
「あの……………。」
「アンジェリークっ!」
「きゃっ!」
 恥ずかしさに俯いてしまったアンジェリークの顎に手をかけて、ゼフェルが自分の方へ向かせる。
「ホントなんだな?」
「ゼフェル様…酷い。眠ったふりなんか………。」
「ば…莫迦野郎っ! てめーっ、妙な濡れ衣かけんじゃねーよ。だれが寝たふりなんかすっかよっ! ウトウトしかけてたら何か柔らけーモンがほっぺにあたったんだよ。んで、ばっちり目が覚めちまったんじゃねーか。…ったくよぉ。寝てる時じゃなくて起きてる時に言えよ。そーゆーコトは。………アンジェリーク。もう一度言えよ。」
 赤い瞳の色を深くして、ゼフェルがアンジェリークの目の前で真顔で呟く。
「言えよ。もう一度。」
 唇が触れるか触れないかというギリギリまで顔を近付けたゼフェルが、アンジェリークを促す。
「私…ゼフェル様が……………好き。」
「俺もだ。」
「んっ!」
 熱に浮かされたように呆然と呟くアンジェリークに、短く同意してゼフェルが唇を重ねる。
 遠くで鳥達の鳴き声が響いていた。


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